【芸能】「お前、なんだその髪は!」志村けんの逆鱗に触れた“頭髪激怒”事件 愛弟子が涙で振り返った
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「何が恩返しかというのは今もわからないんですけど、僕は鹿児島の(自分の)番組に志村さんをゲストに呼んで、ここまで成長できましたという姿を見ていただくのが夢でした。それが僕にできる恩返しだと思っていたので。
できなくなってしまったのが、残念で申し訳ないです。頭ではわかっているのですが、まだ信じられず、お墓参りをしたときに“もう志村さんはいない”とわかるんだと思います」
そう語るのは、新型コロナウイルスによる肺炎で3月29日に亡くなったお笑いタレントの志村けん(享年70)の愛弟子で、現在は故郷の鹿児島でご当地レポーターとして活躍している乾き亭げそ太郎氏(49)。
90年代の多忙を極めた志村と7年間、365日ずっと傍らにいたのがげそ太郎氏だった。
4月18日からYouTubeで1987年〜1996年に放送された「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ系)が次々と公開され、1本目の動画の再生回数は410万回を超えた。
天国へ旅立っても尚、人々に笑いを届け続ける喜劇役者・志村けん。
前回の記事 では語り尽くせなかった師匠・志村けんの横顔を愛弟子が振り返った。
「普段から志村さんはよくニュースをご覧になっていました。スポーツ紙も全紙購読していて、忙しいときは車中に持ち込み、隅々まで目を通していましたね。
そこから世の中の流行りや若者のブームなどの情報を取り入れていました。毎朝欠かさずニュースを見る理由について志村さんは、『常識を知らないと非常識はできないぞ。
コントでも非常識を演じたりするけど、常識の範囲をすべて知らないと面白さは表現できないから。相手と会話をしていて“これ、知ってる?”と聞かれて、知らなかったらそこで終わってしまうだろ?
知っていて知らないふりをするのと、知らなくて知らないふりをするのはまったく違う』と、教えていただきました」
げそ太郎氏は、情報番組「かごニュー」(KTS鹿児島テレビ)で街中をレポートしているが、どの現場でも師匠の言葉を守り、社会の出来事を毎日意識しているという。
しかし、志村は日々のニュースだけではなく、常にコントのヒントを探し求めていた。
月30本の映画を見てコントのヒントを探していた
「毎日帰宅が深夜だったのですが、志村さんは『どんなに酔って家に帰っても、俺は映画を観るようにしている。
コントに大切なヒントやカメラのアングルも参考になる』と話していて、いつ寝ているんだろうと思いました。
いつも仕事の移動中にCDショップに立ち寄り、月3、4回ほど新しい映画のDVDを10本くらい買われるんです。
志村さんに『これは面白かったぞ』と、ホラー映画や、中国のロマンス映画などを勧められたりしました。
舞台前には『為になるから見とけよ』と、昭和の喜劇役者だった藤山寛美さんの『松竹新喜劇』のビデオを貸していただき、何度も見て勉強しました」
厳しい芸の世界で、弟子が師匠にものを尋ねることはご法度。志村の弟子について間もなかったげそ太郎氏は、思わずしてしまった質問で志村の機嫌を損ねてしまったという。
「お前が俺にそんなこと聞くんじゃない」
「あるとき、志村さんのやさしさでスタッフさんたちとの飲みの場に同席させてもらったことがありました。話題がコントやお笑いの話になったときに、
僕は志村さんのドリフ時代に憧れていたので、思わず、『志村さんのドリフのときはどうだったんですか?』と聞いてしまったんです。
すると機嫌のよかった志村さんの顔から笑顔が消えて、『お前が俺にそんなこと聞くんじゃない。お前は俺に“こういうことが今、流行っていますよ”とか、
“こういう物が今、人気ですよ”とかを言わなきゃダメなんだ』と注意されました。
それからは車の後部座席に『これ最近、若い子の間で流行っている曲みたいです』と、CDを置いたりしておくと志村さんは黙って聴いていました」
飲んだ次の日にはアセロラドリンクのはずが
それ以来、げそ太郎氏は二度と師匠に質問することはなかった。弟子となって日々、師匠への気配りをしていたが、空回りすることも多々あったと話す。
「泥酔した志村さんを車で自宅へ送迎しているときに、志村さんが『飲んだ次の日に車の後ろにアセロラドリンクとか置いてあるとうれしいんだよなぁ』と小さな声で呟いたんです。
いつも志村さんが好んで飲んでいたのはミネラルウォーターだったので、それを聞いた翌日に水をやめてアセロラドリンクを何本か置いて自宅に迎えに行ったら、『オレは水がいいんだよ』って怒られてしまい、
本人は酔っていて前日のことを覚えてなかったんでしょうね(笑)」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200423-00037400-bunshun-ent&p=2
4/23(木) 6:00配信 「オイ、お前ふざけてんのか! なんだその髪は!」
げそ太郎氏は、7年間の弟子生活の中で志村を激怒させたことが2度ある。1度目は前回記事の「 ファミレスで4時間怒られた 」事件。2度目は楽屋でのことだった。
「僕が27歳くらいのときに勘違いをして、髪の一部分を緑色に染めたことがあったんです。
その緑の髪で志村さんを自宅まで迎えに行き、運転中は何事もなく、いつも通りテレビ局に着いて楽屋に入った途端、志村さんの表情が豹変したんです。
『オイ、お前ふざけてんのか! なんだその髪は! その緑色の髪をしてサラリーマンや通行人の役ができるか? そんなヤツいないだろ。お前はどの役をやるつもりなんだ。
自分がコントに出るときに、そんなリアリティのない髪色していてふざけてないか。黒く染め直してこい!』と、怒鳴られ、
僕も『すみません』と何度も謝り、その日に髪を黒く染め直しました。本当に何も考えていない若気の至りでした」
「8時だョ!全員集合」(TBS系)から幾つもの人気番組を経て、最後の出演となった「志村でナイト」(フジテレビ系)まで46年間、
コント一筋で生きて来た志村が語った“コントへのこだわり”をげそ太郎氏は聞いている。
「100点のコントは10本のうち1本か2本でいい」
「志村さんは1時間のコント番組の中で、『すべてが100点のコントは出さない』と、お話をしてくれました。
『コントが10本あるとしたら、100点はその中に1本か2本でいい。10本の中には60点のコントも番組に出さないといけない。
すべて100点だと、コントを見終わった人の印象が50点になってしまう。
いろんなバリエーションの違うコントを散りばめることで90点のコントが際立つ。だから俺は、そこのバランスはいつも気にしているんだ』と。
志村さんは、コント番組全体のバランスや緻密な計算があるのだと驚かされました」
志村のコントは細かい台本はなく、簡単な打ち合わせのみで出演者は極度の緊張感に包まれる。
げそ太郎氏もコントの大役を任され緊張していたが、唯一、志村から褒められたことが今でも忘れられないと語る。
「志村さんと優香さんが貧しい家の親子という設定のコントでした
なけなしのお金で買ったおでんのたまごを道路に落としてしまい、それを自転車で通りかかった僕が踏むというのがコントのオチでした。 「お前、よかったな」
志村さんは本番のリアクションを重視するので、ほとんどがリハーサルなしの一発勝負。たまごは滑るし、真ん中を踏まないと潰れない。
失敗したらそこまで積み上げた志村さんたちのコントが撮り直しになってしまうので、緊張しかありませんでした。
本番では、なんとか志村さんたちが落としたたまごの真ん中を踏むことができてオチが完成して、コントは無事に終わりました。
めったに身内を褒めたりしない志村さんが笑いながら『お前、よかったな(笑)』って言ってくれて、初めてコントで褒められて、心の底からうれしかったです」
3人兄弟の末っ子だった志村は、どんなに忙しくても年末は東村山の実家に帰省していた。
当然、師匠を東村山へ送り届けるのも弟子の仕事。そこでげそ太郎氏は、志村の意外な一面を目撃した。
母親思いの志村さんは開演前に車いすを押して…
「志村さんはお母さまをとても大切にされていました。
お正月に実家へ挨拶に行くときも、お母さまに連絡して、砂糖で甘辛く煮た厚揚げを頼んで作ってもらったりして、
お母さまは志村さんのことを本名(康徳)の“やっさん”と呼んでいて、志村さんもリラックスした表情でした。
お母さまは毎年、志村さんの舞台『志村魂』を観に来られていて、志村さんが開演前にお母さまの車いすをゆっくり押してグッズ売り場を回り
『どれがいい?』と、やさしく聞いたりされていました。舞台では志村さんが津軽三味線を披露するのですが、
お母さまが観劇に来られると、緊張で間違えたりすることが多かったですね。志村さんも『なんでかなあ(笑)』と照れていました」
01年に7年間の弟子生活を終えたげそ太郎氏は、その後も師匠からお呼びがかかり、志村の舞台に出演していた。
08年、舞台「志村魂」は初めて九州へ進出。福岡公演のステージでげそ太郎氏を待ち受けていたのは、師匠の意外な計らいだった。
「九州の舞台なんて初めてで、鹿児島に住んでいる僕の両親や親戚が劇場に観に来ていたんです。
本番前にお時間をいただいて、親父とお袋を志村さんの楽屋に連れて行って挨拶をさせてもらいました。
本番の喜劇では、僕が駅員役で志村さんがホームから飛び込もうとする役でした。
僕の出演は台本で2行くらいの30秒ほどのシーンで、2回飛び込もうとする志村さんを必死に止める演技をしていました。 その日もいつも通り志村さんを『飛び込んじゃダメだよ』と引き留めるんですけど、志村さんが『止めないでくれー』と3度、4度、何度も飛び込もうとするんです。気が付けばそのやりとりが2分以上続いていました。
それは、僕の両親が舞台を観に来ていたので、志村さんがいつもより長く僕が舞台にいる時間を作ってくれていたんですね。舞台終了後に、急いで楽屋に御礼を言いに行ったら志村さんは照れ笑いをされていました。
いつもは厳しい志村さんですが、僕は感謝とうれしさで涙が止まりませんでした。本当にありがとうございます」
志村は、げそ太郎氏が東京を離れてからもずっと成長を見守っていた。12年、あるテレビ番組の撮影ロケで志村が鹿児島を訪れ、げそ太郎氏は師匠と再会を果たした。
「げそを使っても大丈夫だよな」
「志村さんがロケの前入りで鹿児島の指宿温泉街に来ていたので、挨拶に行ったら『一緒にご飯でも食べていけよ』とお声を掛けてもらいました。
志村さんとスタッフさんを含めたお食事会に参加させていただいて、最後に志村さんが『お前、明日一緒に番組に出たらどうだ』と言われて、
すぐスタッフさんに相談してくれて『ここのシーンで、げそを使っても大丈夫だよな』と。鹿児島で志村さんと共演することができて言葉がありませんでした。
実は、それまで僕はいつも本名の“シンイチ”と志村さんに呼ばれていました。それが芸名の“げそ”と初めて呼んでいただいて、
少しだけ志村さんに認めていただけたようで、とてもうれしかったです。でも本当はもう一度、志村さんに“げそ”と呼んでほしかったです」
げそ太郎氏は師匠の遺品整理のお手伝いを切望したが、新型コロナの影響でそれも叶わない状態だという。「さよならするのはつらいけど、時間だよ、仕方がない、次の回までごきげんよう」
――げそ太郎氏の脳裏にはドリフのエンディングの音楽が繰り返し鳴り響き、いまでも涙が止まらないのだという。
「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班) なんだ、そのかむぃはってか?
なんだそのかむぃはてか! 志村けんの弟子って多かったんだな
大成してないから目立たなかっただけか? 水とアセロラ両方置いてたら水飲んだwってな話になると思ったら
この話になるとかどんだけ頭悪いんだ? 90年代の7年間付き人で
志村がいつも仕事の移動中にCDショップに立ち寄り、月3、4回ほど新しい映画のDVDを10本くらいdvdを買う?
dvdなんてソフトが大して出てなかったろ 不肖の弟子ということは事実だな。
たけしといい志村といい売れる芸人育てるの向いてないらしい。
そう考えるとダウンタウンはすごいね。 志村けんと共演したことでブレイクや再ブレイクに
繋がったタレントは多いけど志村けんの弟子で有名に
なった人っているの? >>19
TMレボリューションを立派な芸人に育て上げたよな ここまでベラベラ喋られることを故人が望んでいただろうか >>15
げそが付き人になったのは1995年からだから記事の書き方が悪い >>26
まぁ生きてる間ベラベラ喋らなかっただけマシじゃね なんで遺品整理まででしゃばろうとするんだ?
常識で考えたらわかるだろ。
こんな亡くなってからベラベラしゃべんなよな。
自慢したいのか知らんけど。 だいじょうぶだぁのWikipediaみると
ルーレットマンやってたのは歴代の志村の弟子みたいね げそ太郎ホント駄目な奴だよ
志村も泣いてるわ
悲しい中で笑えるオチ一つでも言ってみろってんだ
お前なんて日本中ほとんどの人が知らねぇんだ
いきなり出てきて弟子です悲しいです?
やかましいわ そんなら陰毛ロン毛の若い志村もリーマン役出来ねーだろ ハゲてて後ろ髪結わえてる髪型でも出来る役なんて
喫茶店のマスターかマイク真木ぐらいじゃね 志村の父親も厳しかったというから結局息子も影響受けてたんだろうな 志村さんがドリフの付き人だったときにどんな教育受けたか、なんだろうな 49でも芽が出ないタイプの奴を弟子にし続けるって、呈のいい奴隷じゃん
本当に弟子を思うならとっくに辞めさせて社会復帰させてるだろ
志村に限ったことじゃないけどこうやって飼い殺してる奴多すぎだろ >>44
志村の人の良さに付け込んで食い下がってただけかもしれない 志村が加藤茶の付き人やってた時には、加藤家に居候して、自分が食べたいものを加藤母に作らせ、一番先に風呂に入っていたw
運転免許持ってないので移動する時は加藤が運転手w 故人となった恩人を利用して売名しようとするクズだな。
人の死を利用するんじゃないよ。 >>44
アホ?
弟子として直接志村の下に付いていたのは2001年までだろ フジの追悼番組のエンドロールに名前出ててローカルタレントの名前がってビックリしたけどな。 鹿児島に生まれ育ったのに
全く聞いたことのない名前だ
おそらく鹿児島県人の認識としては
野口たくおよりも知名度が低いと思う でも志村も一時期ポニーテールにしてた頃髪型そのままでサラリーマンコントとかしてたよね。ポニーテールのサラリーマンも普通にはいないだろ。 7年も使い回して、家の一軒でも買ってやったのか志村?
キャバスケに金やるなら
弟子にやれよ >>1
スポーツ新聞読んでも常識は身に付かないだろ
日経新聞ならともかく >>44
弟子と言っても単に事務所が求人出して運転手として雇った人だよ。
芸歴無い一般人の運転手がゴールデンのコントに出演して
今もローカルでもタレント業で食っていけてるなら、育てたと言っていい。
芸人の弟子なんてオーディションで見向きもされない様な奴の押しかけが大半だから、
そもそも才能なんて無い。 >>59
普通にいる。しかも50代のおっさん。
きみ、郵便局とか役所みたいなところしか行ったことないんじゃないの? >>59
あの当時はいたんだよ実は
アメリカ映画とか観て影響受けた人が多くて
あと志村はポニーテールの時点で既に国民的なスターだから 赤坂の少し洒落た居酒屋で偶然30回は会ったと思うんだけど
見慣れて来たら、向こうから、おっ!手を挙げてくれて
連れてった人が、お前志村けんと知り合いなのか?とどよめいた事あったけど
優しい人だから、それも考えてだったような気がした。
小さい頃から笑わせて貰って育ったから福の神みたいで
遠くから飲んでる姿チラ見するだけで嬉しくなってた。 コントなんかヅラ被るだろw
ちょんまげハゲでできるんだからさ ハゲの嫉妬かと思ったら違った
志村さんごめんなさい(´༎ຶོρ༎ຶོ`) 聞けば聞くほど、道に人生のすべてを捧げてるな〜。
イチローやカズさんなんかと同じで、
生半な覚悟じゃ後進は誰もついていけないだろう。 何も質問させず何も教えずに弟子が育つわけがないわな
かわいそうに >>15
2000年にはそれなりにDVDが普及して
きたから、弟子時代の後半の頃の話だろう。
若しくはその前はビデオだったんだろ。
もう少し行間読めるようになろうな。 横山エンタツ→横山やすし→横山たかし
あのデタラメなやすしでさえ、弟子に伝説の「横山」を名乗らせてやってる。 芸能界って本当に謎のしきたりがあるよな
こんなもん一般社会じゃただのパワハラだろ > 飲んだ次の日にはアセロラドリンクのはずが
ここ意味わからないんだけど誰か説明して >>75
芸名が「志村ゲソ」くらいだったら、地方番組のレポーターやってても
「ああ、あの志村けんさんのお弟子さんなんですね」とご当地では顔が利いたろうに… この人は志村の思い出を本にして
ちょっこし印税もらえるな >>79
アセロラドリンクに変えて欲しいという合図かと思ったが
本人が酔っていて覚えていなかったので勝手に変えたと思われて怒られましたって話じゃね 全文読んだがめちゃくちゃ気がきかない弟子だな
志村が優しいから何度もチャンスもらえてるのに全く生かせてない さよならするのはつらいけど、時間だよ、仕方がない
は、こうなって見ると悲しいな >>86
嵐みたいに何度もゴリ押ししてもらっていたら、たとえ偽物でも人気者に成れるけどな。
相葉くんだって志村動物園で使ってもらっていたんでしょ。弟子でもないのに 志村けんさんって本当に良いとだよなあ
犬好きに悪い人はいないというのは正しい 藤山寛美って業界人の評価がやたら高いよな
俺は動画見てもいまいちピンと来ないけど 髪が緑だとエキストラ的な役ですら使えないからな。
売れない漫才師だったら見た目で目立つのは有りだけど、コントだと自らチャンスを逃す事になる。 途中まで読んだが画像検索する必要はなさそうだなww こいつ恐らく志村恨んでるな
厳しくも優しい師匠を哀悼するって体で志村が生前言って欲しくなかったであろう事をベラベラと >>61
スポーツ新聞全誌購読なんて言われてもどうせ競馬やエロ目的もあるだろうに常識だなんて見栄っ張りだったんだなーという印象しか持たないよな
この弟子は復讐なら止めないが、本当に師匠に感謝して喋ってるつもりならもう喋んない方がいい >>77
横山は屋号。志村は本名の姓だろ。
本名の姓で弟子に屋号として与えてるのは西川きよしぐらい。 >>7
そう思って読み始めたけど、志村はやっぱ他のハゲとは違うわ 地元でもドリフの関係者はすわ親治しか知られてないぞ。誰だこいつは 目端の利く人ならミネラルウォーターとアセロラドリンクを両方用意する
自分で考えて行動しない、受け身の人は芸能界は無理だね アセロラドリンクの件とか諸々
志村けんって結構気難しかったんだな
きっとこの付き人芸人もそれが言いたかった感じ げそ氏には申し訳ないが、そんなに厳しくしてもあまり売れてない
厳しくしないでも普通に邪魔にならない程度に教えても
結果は同じだったんじゃないの この弟子の記事いくつか読んだけど
とにかく壊滅的に気が利かない奴だなぁって感じた
気難しい人なら我慢出来ずに追い出してるだろう 志村は生真面目だから気が利かない人間にはかなり厳しかったらしい。 弟子になってしまった時点で志村は越えられないんだよ
抜きん出る奴っていうのはライバルを目指すから >>45
田代には、元々シャネルズとしての実績があったから、
いかりやが加藤や志村を有名にしたのと同じような意味で、
志村が田代を有名にしたわけではないな。 >>106
あーなるほど
だから子分は優等生ばっかなんだな >>101
確かに本当に気が利く人は両方用意するだろうけど、芸とは別問題では? >>100 すわはいかりやの弟子。げそ太郎は志村の弟子。 本当はハゲで髪を染めることもできないから嫉妬してたんだけどな 確かに緑色の髪なんて相当特殊な仕事でもやってないと仕事に差し支え出てきそうだね
あの温和な志村さんでも怒る時は怒るんだねえ たしかにドリフのことなんて外部で千回以上聞かれてるからなあ >>113 直接会ったことがないからわからんけど、テレビで見てる限りは、
志村が温和な人だったってことの方が信じられない。
いかにも、すぐ怒りそうな人だったやん。 志村は絶対恨み持ってる人や嫌いな人がいるはずなのに
みんなで大絶賛しないと非国民みたいになる風潮が
北朝鮮みたいで気持ち悪い >>1
志村の優しいエピソードはほんと日本的で泣ける まあ意識がないとか人工呼吸器が足りてるとかは別にして
志村が若い人に呼吸器譲ってくれって言って死んだら
めっちゃ尊敬するけどね
でも絶対そんなこと言うやつじゃないと思う
また治ってから飲みに行くことしか考えてなさそう >>116
うん
目が妙にギラついてたしな
あの目で短気じゃない人はいない 弟子時代苦労してるから自分があんなに苦労したのにと思っちゃうんだよ 田代は才能あるのにもったいないと思ったけど
wikiみたら結構ひどいやつだね
盗撮で捕まった時はもみ消されそうになってたらしいし
その時は覚せい剤は使ってないって言ってたのに
後年になって91年から使ってること暴露してるとか
だいじょうぶだぁでもすでにやってたんだろうな >>120
お前みたいなのがコロナにかかったらすぐに泣きつくんだろうな >>126
たぶん志村みたいにすぐ意識なくなると思う >>60
事務所からの給料とは別に毎日、10000円の小遣いを貰っていたって言ってた >>124
発達障害の人に処方されるリタリンって薬が凄いらしいんだよ
あれ飲むだけで脳が覚醒して行動力が注意力が格段に上がるらしい
覚醒剤はこのリタリンに似た成分で、はるかに強力
効果は推して知るべしってとこ
田代の面白さは大部分クスリの力だと思うよ つまらない奴、ぱっとしない奴も芝居には必要なんだろう
高木ブーや仲本工事みたいな 「常識を知らないと非常識はできないぞ。」
哲学的だな。こんな事を言ってみたい >>133
あースマートドラックとか個人輸入で流行ってたやつだね
禁止になったのか今でも帰るのかわからないけど >>142
だから91年どころか80年代から普通にシャブ中だったと思う 志村ビデオ滅茶苦茶持ってたからなぁ!ダウンタウンの自宅拝見でビデオが店みたいにあった
「今なんてこんな小さなDVDだよ」場所取るから浜田に「買い取って」ってギャグかましてたの思い出したわ >>67
そら30回も会ってたら顔くらい覚えるだろ
そんな会う人間なんて普通職場の人くらいだし >>91
演者としてだけじゃなく座長としての能力込みで凄い感じなんじゃないの 緑の髪はよく分かるわ
ミルクボーイも角刈りにしてるもんな
芸人ってリア充すぎてもいけない 髪型って芸人の命なんだと思うわ
ホトちゃんも一番ブサイクな髪型にしている そう言えば、誕生会にセーラー服で来て志村に怒られた
島崎和歌子が沈黙してるな。 コントでも何でもきっちり作り込む人だったのは知ってる
志村のエッセイ本で、ある商品のCMの撮影現場に行ったら
「てきとーにおもしろい動きをしてください」ってスタッフに言われて
キレて帰ったとかいう話があった >>140
十八代目中村勘三郎「型をしっかり覚えた後に「型破り」になれる。型がない奴は単なる形無しなんだよ」 志村は前なんかの番組でめんどくせえから10万円札作ってくれって言ってた 弟子「お前、なんだそのチンポは!」
弟子の逆鱗に触れた″志村シミチンポをインスタグラムに投稿する″事件 志村は真面目だし、どっちか言うたら体育会だろ。それにしちゃ優しい方だろうw >『お前が俺にそんなこと聞くんじゃない。お前は俺に“こういうことが今、流行っていますよ”とか、
“こういう物が今、人気ですよ”とかを言わなきゃダメなんだ』と注意されました。
意味が分からない
師匠なのに教える所が自分が教えてもらう方って
師弟関係じゃなく単なる付き人だ >>75
たけし軍団だったら、とっくにダ◯カンに殺されてるだろ いろいろ志村の言動見るとアドバイスはするけど育てようとは思ってないんだな
自分で育ってこいと言うことと大成するやつはどんな状況でも大成するからと >>24
だよな
TMさんは歌よりもヘイヘイ初登場の時の印象の方が強烈 志村けんって真面目できちんとしたお家で育った人だからこそここまで残っていたのかね
たけしだって何だかんだいってもしっかり者のお母さんと兄弟達だし >>140
与太郎キャラは、常識からズレてるのに本人はそれを認識してないってのが、はたから見て面白いところだよね。 売れるのは本当の弟子じゃなくて一緒に番組に出ている世間から見ると弟子扱いされているタレントなんだよね
志村なら田代桑野大悟ダチョウとか >>163
この人の前の記事によると、3年くらいただ付き人やってて独立しようとしたら
今まで何もやってこなかったんだから独立してもやっていけないぞって志村に止められて
それから企画立案して志村の番組の会議に出したりしてたらしい
でも志村も1年目くらいでそう言ってあげれば良かったのに・・と思ったわ >>169
志村けんは、自発的な人が好きなんじゃないの? 基本優しい人なのは知ってるけど、こういう志村の怒ったエピソードって怒りの沸点が分からないの多いわ
このドリフ時代の事を聞いて怒ったのもそうだし、
和歌子の志村を笑わそうとセーラー服着たら激怒されたエピソードとか >>117
だからって志村好きな人に向かってわざわざ
醜聞垂れるなんて単なる嫌がらせだし
それこそ朝鮮だと思うぞ 才能のない庶民は
何でも努力の人だとか美談にしたがるけど
芸術で成功するやつって自分で好き勝手やって
それが評価されてるだけなんだけどね
基本的に努力なんかしてない 志村がAPEとか着てたの弟子の助言なのかね?志村には年相応の服を着てほしかったわ似合ってなくて痛々しかった >>173
反対の意見が全くないのは民主主義としておかしい
だから天皇を悪く言うやつがいるのは正常なことだよ >>160
ファンじゃないんだ、もう仕事の付き合いをしてる関係なんだぞって事。
手塚治虫なんかのエピソードでもこういう話はあるね。 >>50
この話聞くと、加藤の優しさ
を感じるなあ
ウマもあったし、志村の才能も
買ってたんだと思う
志村も「加藤さん」を立てるし
あれがいかりやの付き人なら
歴史は変わってたかも
付け人は年代近いほうが楽しそうだな
鶴瓶も年の近い一番弟子にまーちゃんと
呼ばれていたそうな >>175
志村が着たせいで渋谷系の連中が着るのやめたんだよな
そう考えるとブランドイメージに損害を与えたわけで、かわいそうだが >>180
いかりやからは脱走してるからな
社会経験のためにと言ってるが、報告がキチンと伝わらなかったってのは多分実態がバックレに近いからでないの? 志村もドリフの付き人だった
荒井注が辞めなかったらくすぶってたか、
マックボンボンみたいな活動で人気出てたか、
どうなってたかわからないね >>168
既にある程度売れてる後輩ばかりを志村は使ってたから、
弟子を育てることに長けた人だったとは思えないな。
その点では、たけしの方が優れてた。 >>183
多分マックボンボンを無理に続けても80年代のMANZAIブームに乗る形で上手くいったんだろうけど、相方がヤル気のない奴だったりしたせいでその道は断念しちゃったからな >>184
あまり育てる気はなかったかもよ
志村のコント芸は予算掛かって仕方ないから継承させるのは無理がある
1代限りの芸風だと割り切ってた所があるんじゃないかな たけしは自分のレギュラー番組にちゃんとした出演者として軍団出してたけど
志村の付き人は裏方とエキストラだしね 途中までしか読んでないけどこいつが喋る度に志村けんの株落ちてないか >>184
たけしの場合、元々芸人として活動してた人が弟子の第一世代だから
体育会系的ではあるが育成のベースはあったな。 本当は志村と長さんって仲悪かったんでしょ
関係者がみんなで美談にしてフォローして
名誉に傷つかないようにかばってるっぽいよね >>188
落としたいんじゃないか?
世の中にはこういう仕返しの仕方もあるんだよな >>3
なかなか古いタイプの師匠だな
俺ならちょっと耐えられないな >>186 ドリフ芸を受け継いでるんだから、1代限りという言い方はおかしいでしょ。 >>191
結構後の頃まで良くないっぽいな
志村は80年代に「今のいかりやさんは面白いとは思わない」と発言する始末だし この動画もどっか行っちゃったけど
志村と長さんが本当は仲悪かったみたいな話をラジオで暴露した
元芸人だか関係者が2度とメディアに呼ばれなくなったらしい 唯一コントで褒められたのがチャリの運転テクニックかよ コントやるのにそんな髪色はあかんわな
落語家も地味な髪型に地味な着物が基本らしい
話の中で誰になっても違和感のないすがたで高座に上がるのだとか
でも、志村の場合
それは最初に伝えることではなく
見て学ぶものなんだね >>50
ワロタw
案外そんなもんだよな
下積みがあったから大成したなんてのはウソっぱちで
才能あるやつは若い頃かなり横着かましても売れてたりするんだよな
真面目にコツコツ下積みタイプって中の下〜よくて中の上あたりでくすぶってて
そんなに出世したりしてない
努力の割にコスパ悪い >>1
>知っていて知らないふりをするのと、知らなくて知らないふりをするのはまったく違う
俺のオヤジがそういうタイプだった
知ってても知らないふりをすると相手が喜んで教えてくれる
相手に喜びを与えるコミュニケーション術
馬鹿のふりをするひとはある意味怖いw >>186
あれをテレビでやるのはドエライ金かかるが、劇場で複数回、
場合によっては地方巡業もできれば充分ベイできるけどね。
まぁ、志村くらい名が売れてないと無理だが。 >>200
そもそも「食ってやろう」って野心がないと勝てないからな
志村にはそれがあった
これも才能 付き人から芸人タレント志望はみんなテレビだけでなくラジオでもカリスマ的に
人気だったたけしのところに集まり
大所帯のたけし軍団の中で
タレント芸人としてやれるレベル
放送作家ブレーンとしてやれるレベル
単なるかばん持ち運転手しかやれないレベル
と分かれていた
志村の付き人になるのはごくわずかで単なるかばん持ち運転手しかやれないレベル >>203
志村レベルに名が売れないとって時点でかなり厳しい
それでも志村のような芸をする人がまた出てきて欲しいが >>195
志村が長さんは本当はお笑いじゃなくて俳優がやりたかったんだろって陰口言って
それが本人の耳に入ったって聞いたことがある >>197
浜田にいついかりやさんと和解したんですかって聞かれて亡くなってからって答えてたからな どっかの記事で、関係者の女性スタッフにストーキングしていた弟子を志村が仕方なくクビにしたって
出てたけどこの人のこと? >>208
長さんは自分のお笑いに限界感じてたっぽいから仕方ないと思うけどね
志村よりずっと歳食ってるからガンガン動くコントなんかもう無理だったろうし
ま、俗に言う「森繁コンプ」というのがあったのかもしれんけど
森繁によってコメディアンが性格俳優に転身するってレールができた訳だし クソなげーの全部読んだけど
なんも伝わっちゃ来ないな
まあ、個人の思い出話だから
そんなもんかな >>187
>>たけしは自分のレギュラー番組にちゃんとした出演者として軍団出してたけど
ちゃんとしたって言うか、あくまでもたけしのバーターでしかないじゃん
ガダルカナルが偉そうにコメンテーターとか無理があるだろ
志村の方が「こいつはまだ表じゃ使えない」とはっきりしてていいよ >>1
でも志村さん、言うほどハゲてないですよね?(´・ω・`) だいじょうぶだぁとか志村のコントって裏方は大爆笑してるけど
声出して笑うほどのもんじゃないんだよなぁ
まだ全員集合のほうがギラギラしてて普通に見れる >>196
受け継いでるでしょ
さらに言うと志村はソロではドリフ時代を越えられなかったと思う >>213 それを言ったら、最初の志村も他の四人とのバーターでしかなかっただろ。 >>172
仕事とプライベートをきっちり分けてるってことじゃないかな そんなサービスするなら志村けん個人相手じゃなくてファンの前でやって楽しませろってことで >>216
岡村とか?でもコント芸はしないから難しいとこ
ソロこそ志村の真骨頂じゃない?
ドリフは長さんの手のひらの上でキチンと作り込まれた台本の中で才能を発揮していたが、ソロは長さんと違ってコント仕立てでも台本ナシの生きた掛け合いや過激さを重視した第二世代的なものに仕上がってた
志村の本質は80年代後半以降の芸風によく出てると思う >>215
カトケンや大丈夫だあからしか知らない世代には解らないかも知れないが
志村はドリフでいかりやと絡んでる頃が最盛期だよな
人間的には仲が悪いんだろうが
演者として志村の魅力を最高に引き出したのはいかりやだよな ツーツーレロレロ そのまんま東 大森うたえもん
カージナルス タカ つまみ枝豆
お笑いスター誕生で何週間も勝ち抜ける有力戦力がたけし軍団入りしていた
お笑いコンビでテレビでしっかりやっていたのにコンビ解散してドリフ付き人に
戻った志村に近い位置 志村の幻の主演映画は本当に乗り気だったのかな
志村と山田洋次ってうまく行ってただろうか? >>217
まあそうだよね
違いは仮にマックボンボンは一時的に冠番組与えられる程のコンビだったって所くらいか
やすきよを筆頭とする関西勢へのナベプロの回答だった
そんで志村は天才だった リアリティーの話だと志村が演じるジジババは子供の頃はこんなやついねーよwだったな
多少誇張はあるけど接客してると実際いるわ
でし!とかいーよなみたいなのも割といる 師匠と絶対服従の弟子との話だから、志村の理不尽なネガティブ・エピソード満載なのは
分かるが・・・・・・もっと感情を排した心の広い公平で合理的な言動ができなかったのか。
誰も一切アドバイスもできないんじゃ、・・・・太り過ぎ健康障害とストレスに潰された
北の独裁者・・・・・・金正恩の末路と・・・・・・・・・この「裸の王様」状態は重なるな。 >>213
ガンバルマンとかスポーツ大賞とか軍団がメインのコーナーあったじゃん >>76
勘違いなのか単なるウソつきなのかは知らんけど
年代が5〜10年くらいズレてるのに、その当時さもそれが存在してたかのように
語る人って有名無名問わず結構いるんだよね 死んだからって暴露しまくっててそいつ等が死ねと思う > すべて100点だと、コントを見終わった人の印象が50点になってしまう。
コレ判るわぁ 後輩や年下にも原則敬語で話す人
志村けん ムッシュかまやつ 渋沢栄一 >>232
どこがバカで何が気に食わんのかもっと詳しく説明しろ・・・・・・・・・ドアホ
目ん玉が曇っていたところは、カリアゲと変わらん・・・・体壊してたんだろ? けん だいじょうだぁは初回分は400万回いっているけど
2話以降は極端に少ない(30万くら)ので、そういう評価なんだろうな
子供のときのヒーローだけど、実際に見たらあまり面白くないという 志村ってパワハラ気質だな。
今やったら訴えられるレベルだろ。
素はシャイというのは弟子以外の人に対してか?他のスタッフに対してもコントのときはパワハラしてたのかな? >>160
運転手で雇った人なんだから付き人だけど? >>117
ドリフとかカトちゃんケンちゃんは面白かったけどバカ殿と変なおじさんは寒いだけで何が面白いのか未だに分からんわ >>15
DVD普及したの2000年ごろだよな〜
ゲーム機でDVD見れるPS2が出たから。 志村が死んだその日の午後に生でレポーターしてたんだけど泣き腫らした目でやってたのを覚えてるわ >>240
強いツッコミが不在で、ほとんどボケオンリーな芸だから、
ボケとツッコミのやり取りに面白さを感じようとする限りは、つまらんく感じるやろな。 >>245
あぁツッコミの不在が原因だったのかもな
変なおじさんとか最後変顔して共演者が手バタバタして終わるじゃん?
あれとか予定調和過ぎてつまらんかった
予定調和とかマンネリも好きだけど必ずそれがオチで分かってて何が面白いの?って >>237
今見たら129万回だった
ウソはやめよう >>1
ワイには、その髪がないんや!ハゲで悪かったな! >>15
なんだこいつ
精神疾患レベルの神経症かよ気持ちの悪い奴だな セルDVDの出始めは日本だと1997年くらいからだから多分まだVHSかLDとかじゃないかね
セルDVDはプレステ2の発売でようやく普及しだしたくらい
ちなみにVCDは日本だとマニア向け扱いだったし 志村けんが努力家だったと言われる話を裏付ける情報がどんどん出て来るね
これに関しては生前から言われてた事だからな >>213
まともに出ていたのは山崎まさやとこの人くらいかな。 あと志村けんの最後の交際相手だったとされる奥村美香って人
写真によっては顔がどことなく石野ようこに似てるよね 誰だか知らないけどこいつの話はいいな
志村の人となりの一端だろうが心地好く伝わってくる >>24
うちの子が「あの消臭力の人は、1人で芸人やってるの?」
と聞くのを思い出すw また死人に集る売名野郎かと思ったら普通に関係深い人のエピソードだった
千鳥とかダチョウ上島より真面目な関係者やん 自分だってハゲなのに襟足だけ伸ばして束ねてた見苦しいヘアスタイルしてたくせに >>191
ビートたけしが言うには志村や加藤茶と一緒に飲むと生きている時にはブスだケチだの悪口を言っていたけど死んだ後は一緒に飲むとあの人より偉い人は居なかったって毎回、泣くらしいよ 常識人じゃないとボケは出来ないと松本人志も言ってたな
面白さってのは常識とのズレなのだから基準になる線引きもってないと無理だと
なるほどなあと思った >>1
深夜に帰って映画見てそれから寝るってお前ら
昼夜逆転生活ヒキニートみたいなもんじゃん
それで体を壊さないと思う方がおかしい > 『オイ、お前ふざけてんのか! なんだその髪は!
その緑色の髪をしてサラリーマンや通行人の役ができるか?
そんなヤツいないだろ。お前はどの役をやるつもりなんだ。
自分がコントに出るときに、そんなリアリティのない髪色していてふざけてないか。
黒く染め直してこい!』と、怒鳴られ
フサフサの髪の毛に嫉妬したのかな。 >>240
バカ殿は当時ペーペーだった志村がバカの若君として好き勝手に振る舞い、リーダーの
いかりやがいいように振り回されるという下克上コントだった。
その上下関係をひっくり返す笑いこそがバカ殿の真骨頂で、独立後に志村がトップの
バカの絶対君主になって以降は形骸化した単なるパワハラ芸に過ぎないw ものわかりの悪い老人を演じて同じ話を何度もループ
見ててイライラしてたけど石野陽子が綺麗だから見てた >>57
4〜5年前辺りにKTSの昼の番組でリポーターとかしてたから認知してるけど
最近全然見ないな
たくちゃんは越えられない >>117
そしたらそういう場所には近づかないことだよ
わざわざカルト宗教の道場行って信者達の崇めるものを
冒涜したらボコられるだろ >>117
日本人は故人の悪口を言うのは控える
そういう空気に違和感を覚えるなら日本人じゃないんだろうな なんだその髪は!師匠の俺の頭に対する気遣いもできないのか! >>26
>>31
こういう芸人のウラの顔を亡くなった後にペラペラ喋るヤツは今イチ信用ならんわ
それも内容的に志村ちょっとめんどくさそうなタイプだったみたいだし
聞く人によっては悪い意味で捉える人もいると思うわ 裏の顔が知りたいくせに裏の顔を知ると「信用ならない」と怒るw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています