【サッカー】浦和レッズ、歴代最強外国籍選手5人。ドイツとの深いつながり、超強力ブラジル人たちと掴んだ栄光
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サッカー休止の中、フットボール専門誌は過去の特集を始めた。
今回はフットボールチャンネルから浦和レッズの歴代最強外国人選手特集を紹介したい。
Jリーグ筆頭の人気クラブ浦和レッズを支えた5人の最強外国人選手たち。
誰も個性がありスタジアムを沸かせた人気選手だ。
あなたの思い出の選手はいるだろうか?
ドイツ流を叩き込んだ闘将
1995シーズンの基本先発メンバー
ギド・ブッフバルト(元ドイツ代表)
生年月日:1961年1月24日(58歳)
在籍期間:1994年〜1997年
J通算成績:127試合出場/11得点
自身2度目だった1994年アメリカワールドカップ出場後に浦和レッズへ加入し、最終ラインに闘魂を注入。1995年には“Jリーグのお荷物”とまで呼ばれた弱小クラブを年間4位に躍進させた。そして個人としても1995年と1996年、2年連続でJリーグベストイレブンにも選ばれている。
3年半の在籍でリーグ戦127試合に出場し、1997年10月に行われた退団セレモニーでは白馬に乗って場内を回った。ピッチ内での力強いプレーやピッチ外での模範的な振る舞いでも愛された闘将は、2006年に監督として浦和に帰還し、Jリーグ初優勝と天皇杯制覇に導いている。
●1995シーズンの基本先発メンバー
▽GK
土田尚史
▽DF
曹貴裁
ブッフバルト
田口禎則
▽MF
山田暢久
広瀬治
土橋正樹
バイン
福永泰
▽FW
福田正博
岡野雅行
エメルソン(ブラジル出身/元カタール代表)
生年月日:1978年12月6日(41歳)
在籍期間:2001年〜2005年
J1通算成績:100試合出場/71得点
J2通算成績:52試合出場/50得点
ピッチ外でも話題多き男だった。爆発的なスピードを武器にゴールを量産し、2004年には27得点でJリーグ得点王に輝いた。2000年から日本でプレーしていたこともあり、一時は日本国籍を取得しての日本代表入りがささやかれるほどに。
ところが2005年夏、多額の報酬に惹かれたのかカタールのアル・サッドに移籍していってしまう。そして2006年1月には2通の出生届を悪用して年齢詐称をしていたことが判明。本名は「マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ」だったが、日本時代は「マルシオ・エメルソン・パッソス」として登録し、実際の年齢より3歳若く申告していた。
さらに同年10月にはカタール国籍を取得し、2007年には国際親善試合でカタール代表デビューも果たした。母国に戻った後はフラメンゴ、フルミネンセ、コリンチャンス、ポンチ・プレッタと複数の強豪クラブでプレーし、2018年に現役引退。最後のクラブとなったコリンチャンスでは引退試合が開催されるほど愛された。
●2004シーズンの基本先発メンバー
▽GK
山岸範宏
▽DF
アルパイ
田中マルクス闘莉王
内舘秀樹
▽MF
平川忠亮
鈴木啓太
長谷部誠
三都主アレサンドロ
山田暢久
▽FW
田中達也
エメルソン
>>2に続く
Posted on 2020.04.20 / text by 編集部 / photo Getty Images
シリーズ:編集部フォーカス
https://www.footballchannel.jp/2020/04/20/post371261/ Jリーグ初優勝&ACL初制覇の原動力
ワシントン(元ブラジル代表)
生年月日:1975年4月1日(45歳)
在籍期間:2006年〜2007年
J1通算成績:85試合出場/64得点
ブラジル代表で10試合に出場した経験を持つ巨漢ストライカー。2005年に来日して東京ヴェルディに加入して22得点を挙げる活躍を披露。浦和には2006年に加入してギド・ブッフバルト監督のもとでJリーグ初優勝に大きく貢献した。
しかし、2007年は新たに就任したホルガー・オジェック監督と度々衝突。AFCチャンピオンズリーグ制覇やFIFAクラブワールドカップでの3位入賞に貢献したものの、本来の実力を発揮しきれたとは言い切れず、シーズン終了後に浦和を退団する。
その後はブラジルに帰還し、2008年はフルミネンセでブラジル全国選手権1部得点王を獲得するなど輝きを取り戻した。2010年にはフルミネンセで元浦和のエメルソンとチームメイトになったこともある。そして2011年1月にメディカルチェックでかねてより不安を抱えていた心臓に問題が見つかり、現役を引退した。セカンドキャリアでは政界に進出している。
●2006シーズンの基本先発メンバー
▽GK
山岸範宏
▽DF
堀之内聖
田中マルクス闘莉王
坪井慶介
▽MF
平川忠亮
長谷部誠
鈴木啓太
三都主アレサンドロ
山田暢久
▽FW
ロブソン・ポンテ
ワシントン
キャリア全盛期を浦和に捧げた魔法使い
2007シーズンの基本先発メンバー
ロブソン・ポンテ(ブラジル出身)
生年月日:1976年11月6日(43歳)
在籍期間:2005年〜2010年
J1通算成績:144試合出場/33得点
クラブのレジェンドにして当時の監督だったギド・ブッフバルトに請われる形で、ドイツの名門レバークーゼンから浦和に加入したのが2005年なつのこと。それから2010シーズンまで5年半にわたって浦和をけん引した。
移籍1年目から背番号10を託され、夏以降の半年だけでリーグ戦8得点を記録。2006年は浦和にとって初のJリーグ優勝に貢献し、2007年はAFCチャンピオンズリーグ制覇の立役者となると、Jリーグでは7得点12アシストの大暴れで年間最優秀選手賞に輝いた。異次元のテクニックと卓越したプレービジョンで圧倒的な存在感を放っていた。
晩年は怪我も多く、浦和退団後に所属した母国のグレミオ・バルエリでのプレーを最後に2011年限りで現役を引退。最近は現役時代に自身の代理人だったテオドロ・フォンセカの腹心としてポルトガル1部ポルティモネンセのディレクターを務め、数々な日本人選手の獲得や、日本への選手供給で辣腕を発揮している。たびたび来日しており、埼玉スタジアム2002などでその姿を見かけることも。
●2007シーズンの基本先発メンバー
▽GK
都築龍太
▽DF
坪井慶介
田中マルクス闘莉王
阿部勇樹
▽MF
山田暢久
鈴木啓太
長谷部誠
相馬崇人
ロブソン・ポンテ
▽FW
田中達也
ワシントン
【了】 ブッフバルト
ルンメニゲ
エメルソン
ワシントン
ポンテ 良い選手だったかどうかはともかくトリビソンノはなんか覚えてるw エメ
ワシントン
ポンテ
ブッフバルト
あとは
マリッチ、ネネあたりか >>4
抜けました
>>1ソース続き
クライフ流を知り、ペップと働く男
アイトール・ベギリスタイン(元スペイン代表)
生年月日:1964年8月12日(55歳)
在籍期間:1997年〜1999年
J1通算成績:61試合出場/16得点
バルセロナでヨハン・クライフ率いるドリームチームの一員だったファンタジスタは、1997年に来日。2年目の1998年にはリーグ戦30試合出場9得点を記録した。左サイドから違いを作り、エースストライカーの福田正博と好連係を築いていた。
スペインリーグで4回、チャンピオンズリーグで1回の優勝経験を誇り、スペイン代表でもEURO2度、ワールドカップにも2度出場している。そんな名手は1999年に浦和で現役を引退した。現在はマンチェスター・シティでディレクターを務めている。
●1998シーズンの基本先発メンバー
▽GK
田北雄気
▽DF
山田暢久
西野努
ザッペッラ
城定信次
▽MF
ペトロヴィッチ
石井俊也
ベギリスタイン
小野伸二
▽FW
福永泰
岡野雅行 >>19
マジだ
全部にいるな
こいつが一番すごい シトン以降14年以上も得点王を輩出していない浦和www
カス外国人ばかりだがレオナルドが行けるかどうか?
その前にJが開催できるかどうか? エメルソンは凄かったな
未だに強烈に印象に残ってるわ >>19
山田の異常さ(褒め言葉)がよく分かる記事w >>28
ACL限定だな
リーグは大したことなかった >>18
FWで獲得したのに本人の希望でDFに転向した人か オシム千葉みたいになりたーい病からの
フィンケ土台作り時代が1番くだらない時代だったな >>34
ナビスコで不発で、あまりにもチームの守備が酷いのでDFやると言った人 ミヒャエル・バウアー「レッズサポの皆さん、覚えてますか?」 ジェフ
オッツェ
マスロバル
リティ
マリノス
ラモンディアス
メディナベージョ
サリナス
アントラーズ
ジーコ
アルシンド
レオナルド
ジョルジーニョ
ジュビロ
スキラッチ
ドゥンガ
ファネンブルグ エメルソンはインテルと試合した後に
インテルから10億出すってオファー来たらしいね
浦和がお断りしたとか本人に浦和愛があったとか
いろいろ言われてるけど
後の行動見ると浦和がお断りしたんだろうな ブッフバルト
エメルソン
ワシントン
ポンテ
は確定としてあと一人は迷う
ベギリスタイン、ペトロヴィッチ、バイン、マリッチあたりは個人の好みだわ >>18
ウーベと聞いてバインかと思ったらのラーンw
のちにバインが来るというオチまでついてる 圧倒的にエメルソンだな!
スピードもあって足元も上手いからjにいたのがもったいないくらいだった バインとかミロのいたレッズは弱かったな。
強けりゃリティからミロのCM奪えたのに。 タイトルが『ロブソンポンテ」って曲があって、ドイツテクノの名門Tresorから出てる
アーティストが誰だったか忘れたが…地味な4つ打ちが続いて、たまにロブソンポンテって声が重なってる曲 バインとポンテは良かったなあ
ポンテってレバークーゼンにもいたのになあって思ったような 愛されたのはマリッチかな。
最後の天皇杯決勝後のマリッチコールは涙出た。 エメルソンは断トツだわな
アイツ一人にディフェンス全員行くから、ドフリーなら田中達也程度の選手でも活躍できた 日本人最高は槙野だな
浦和と言ったら槙野だし槙野と言ったら浦和 エメルソンとワシントンはちょっとタイミングが合えばフッキみたいにセレソンなれてそうてくらい凄かった 入場曲「ファースト インプレッション」をレッズに紹介した外国人選手こそ最強
名前は忘れた ブッフバルトとボリで浦和は変われた
ボリはマルセイユの八百長絡みで日本に来たんだっけ? エメ、ワシントンの2トップにポンテトップ下が最強やろ
あと山田鴨は95年から先発メンバーとか凄いなw >>72
2007年以降は酷い
安定したのはエジミウソンくらい
ラファも新潟経由
強化部はどうしようもない 外人5人くらいいた時なかったっけ?
ワシントン、ポンテ、アルパイ、闘莉王、三都主みたいな時があった気がする ルンメニゲて浦和だっけ?
浦和で覚えてるのは
アルパインとかミロとかルルとかニキホロフかな?
名前しか覚えてないけどw エメルソンは化け物だったな
あの爆発的なスピードとどこからでも決められそうなシュート精度は群を抜いていた
ブラジル以外ならどの国の代表でも絶対的なエースになれるくらいのレベルだったと思う 覚えてるのはルンメニゲだなー。93年、94年は最弱レッズの中でがんばってた。 >>67
ワシントンは一応セレソン経験者だぞ
後大分やガンバにいたマグノアウベスも
>>74
ワシントンとアルパイは所属時期被ってない ネネがうずくまっている
サヌは化けると思ったんだけどな チキよりぺトロヴィッチだろ
選手としてもそうだが、後に監督として帰ってきてくれて伝説wを築いたんだ 元含めてブラジル人を4人ぐらい同時に使ってて
そりゃ強いわと思ったw >>73
マルシオリシャルデスもな。
新潟からスカウトを強奪したほうが絶対にお得だw ワシントンが胸をドンドン叩くパフォーマンス
大丈夫かと怖かったw 一番初めに見に行った頃はルンメニゲ弟、ルル、ミロがいたなあ エメルソンだな
間違いなくJ歴代最強ストライカー、あれこそチート 浦和は一時期外人5人くらいスタメンだったよな
ずるいよあれ エメルソンだけでも厄介だったのに田中達也までいたからな
チート級の快速FWとJ屈指の快速FWを同時に相手にするとか改めて当時の相手チームが可哀想だった >>94
永井もいたからね
攻撃陣だけ見たら04年の浦和はほんとすごい >>1
だからキジェ湘南に浦和からのレンタルがおおかったのか
脚サポだけどエメがいた頃の浦和は強くて対戦も楽しかったな
またナショナルダービーらしいナショナルダービーがしたいわ。最近は残留争いばかりしてる エメとワシントン対策本部が懐かしい
柏のオルンガでまたワ級くるかとおもったらコロナやし >>71
エメ、ワシントンの2topはブラジルのクラブ(忘れた)では実現したんだよな。
うらやましい。 >>29
これだな。
チキよりバインの方が印象的。 使えずにDFにコンバートされた
ラーンとトニーニョ >>94
エメルソンがすごかっただけで、他の日本人選手はオマケだよ
エメルソンいなくなったら活躍できなくなったじゃん >>104
トニーニョの場合は事情が違う
田口が長期の出場停止になってチョウ・キジェと西野努を試したけどいずれもダメで
本職FWのトニーニョを使わざるを得なかった
このDF崩壊がきっかけで翌年のボリ獲得につながった ブッフバルトってサッカーマニアが評価する地味な鉄板プレイヤーって感じで
華やかさだったら全然使えなかったラーンの方が上だよね? ブッフバルトは肩書きが凄いから
マニアが評価する地味な鉄板プレーヤーとか有り得ない
ニワカでも誰でも知ってる選手の典型 数か月前にW杯に出てた選手が来るっていうのが凄かったわ<ブッフバルト ギドが守備から司令塔まで全部やっていた時代。浦和初のリーグ首位になった。優勝は出来なかったけど本当にクラッキだった。圧倒的存在感。 広島組来るまでの昔の浦和はなんだかんだワクワク感はあった。
そういうのが現在ない。
組長動向くらいかな。 コリンチャンスの英雄となったエメルソン。
コリンチャンスで一生懸命守備していたのは衝撃だった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています