今週の週刊新潮4月16日号の片山杜秀の連載コラム夏裘冬扇
戦前の哲学者の藤澤親雄が三国同盟の全体主義国こそ時代の先端を行ってる、
だがドイツイタリアは法律や秘密警察を駆使してやっとこさ団結できてるだけであって、日本はそんな装置を不要なままに、国民の主体的な結束によって国家的な統合が図れており、
はるかに先進的な文明なのだとする主張を紹介した上で、その主張にシンパシー
を抱きつつ、
きっと日本はこのコロナの世界的苦境を乗り切れるはずだと書いている
要はさだの意見と同じなわけだ
だが自分はそれとは逆の見解を持ってる
アメリカの都市封鎖及びきめこまかな経済支援策と日本の限定的でけち臭い対応を比較した時に、日本の政府は五輪や目先の経済や財政のことばかり心配してるようにしか見えない
麻生のマスコミや国民を見下したような下品な言動には軽蔑心と殺意すら持ってしまうがあれこそ国や政府の露骨な本心だろう
国民は涙ぐましいまでに国に忠実に行動し、そして見捨てられる
満州入植民のように
このコロナ騒動が一段落した時、
欧米国民は力強く回復するだろうが、
自己判断、自助努力と自己責任だけの日本の自粛民は破産や借金苦に追われて塗炭の苦しみを味わうことになる