降格した2010年、誰もがジェフユナイテッド千葉はすぐJ1へと復帰するだろうと考えていた。しかし昇格のミッションは果たせず、いつしか、J2に留まることが年中行事のようになっていく。ハードトレーニングで知られる新しい指揮官は、2020シーズンのクライマックスに向けてどのような青写真を描いているのかに迫った。3/6発売の『フットボール批評issue27』から一部抜粋して前後編で公開する。今回は前編。(取材・文:加部究)

●「再び日本に来て、改めてこちらの方が楽だと感じています」

 韓国での現役時代は、一方的に命じられ走らされて来たという。

「韓国の選手たちは、概して大きくて強い。その中で私は身長が低かったので、頭を使いテクニックを身につけなければ生き残れませんでした。幸運だったのは、プロになった最初のチームでロシア人の監督に出会えたことです。Jリーグへ来た一番の理由は、Kリーグとの環境の違い。サッカーのスタイルは二番目の理由ですが、やはり私のプレーは日本の方に適していたことになりますね。ただだからといって韓国サッカーに適合しなかったわけではありませんよ」

 やがて日本でS級ライセンスを取得し、指導者に転身して最大の変化は「口数が増えた」ことだった。

「説明も聞かず目的もわからず走らされて来て、引退した時に多くのことに気づきました。指導者は、なぜこのトレーニングが必要なのかを、しっかり説明し意識づけさせなければいけない。理解できない選手がいるなら、もっと説明に時間を割くべきです」

 早朝からトレーニングを始めることにも、当然規律を徹底させる意図がある。

「若い選手たちは、私生活が不安定です。夜も寝ないでゲームをしたり、漫画を見たりしてトレーニングに集中できていないケースが多過ぎる。日本の多くの指導者は、プロなんだから本人の責任だと言いますが、それは違う。プロだからこそ余計にサッカーを中心に考える習慣を植えつけていかなければならない。個々が悪い道に逸れてしまわないように気を配り、正しい道を歩ませるのは指導者の重要な役割だと思っています」

 C大阪では選手、監督ともに2年間ずつ、鳥栖での在籍期間は計9年間にも及んだ。鳥栖ではリーグ首位のまま監督の座を退き、C大阪でも一時リーグで首位に立ち、ルヴァンカップ、天皇杯の二冠をもたらしている。

「鳥栖では現役からコーチ、監督と長く在籍したので、日本の文化をしっかり理解し、様々なことをスムーズに吸収しました。個々の選手たちの長所、短所を把握し、モチベーションを上げることも出来た。もちろん運も味方してくれました。

 逆に韓国からは10年間近くも離れていたので、初めて母国で蔚山現代を指揮した時は文化に溶け込めず、どんな選手がいるのかもわからず大変でした。こうして再び日本に来て、改めてこちらの方が楽だと感じています。今のところ、選手たちもしっかりと着いて来てくれていると思います。本当に信じているのかはわかりませんが(笑)」

 ユン・ジョンファン監督への信頼の高さは、自ら「よく怒られるタイプ」だという米倉の言葉からも伝わって来る。

「トレーニングから緊張感が走り、昨年までとは比較にならないほどのカリスマ性を感じます。でも厳しい反面、根は凄く優しくて、たぶん愛情を持って接してくれている。それは僕が年齢を重ねたから、そう感じられるのかもしれませんけどね」

3/22(日) 10:20配信