【音楽】<ダウンタウン浜田雅功“200万枚伝説”> 25年前『WOW WAR TONIGHT』バカ売れを松本はどう思った?
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「ほんまお願いします。ミリオンセラー、よろしくお願いします!」
フジテレビ系の音楽番組『HEY!HEY!HEY!』で、司会のダウンタウンの一人、浜田雅功(当時31歳)がそう言って小室哲哉(同36歳)に頭を下げたのは、同番組が始まって2カ月後の1994年12月のことだった。
小室はこの回、篠原涼子とゲスト出演した。ちょうど同年7月にリリースされた小室プロデュースによる篠原のシングル「恋しさと せつなさと 心強さと」が、200万枚を売る大ヒットとなっていた。
ダウンタウンとしては、バラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』で共演する篠原のヒットに触発されたところもあるのだろう。
また篠原以外にも、ダンスボーカルユニットTRFのシングルがあいついでミリオンとなるなど、このころには小室のプロデュースするアーティストは当たるというイメージができ始めていた。
浜田が番組中のトークで「僕らにも(曲を)書いてくれませんか」と小室に頼み込み、頭を下げたのには、そうした背景があった。
ちょうど25年前に発売された「WOW WAR TONIGHT」
小室は翌1995年1月にも再び『HEY!HEY!HEY!』に出演し、すでに制作に入っていた浜田の曲はもしかするとヒットチャートで1位になるかもしれないと自信を示し、
そのため当初浜田と同じ日に予定されていたTRFの新曲のリリースをずらしたと明かしている。果たしてTRFの「Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜」発売の翌週、1995年3月15日、
浜田と小室によるユニットH Jungle with tの1stシングル「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜」がリリースされた。
いまから25年前のきょうのことだ。同曲はヒットチャートで首位を7週もキープする大ヒットとなる。小室はこのあと1995年中には、華原朋美や安室奈美恵、
また自らもメンバーとなった新ユニットglobeなどのプロデュースも手がけるようになり、以来数年にわたってメガヒットを連発した。「WOW WAR TONIGHT」はまさに“小室時代”の開幕を告げた1曲といえる。
もっとも、浜田としては、小室に曲を頼んだのはもともとシャレのつもりだった。これに対し小室は「頼まれたら断れない」「だから頼まないでください」と応じていた。
3/15(日) 11:00配信 文春オンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200315-00036637-bunshun-ent
写真
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20200315-00036637-bunshun-000-view.jpg レコーディングはわずか1時間半
番組の収録が終わってから、小室のスタッフにも「小室さん、ノリであんなこと言いましたけど、今は忙しいから勘弁してください」と言われたという。
それでもダウンタウン側のスタッフがあらためて小室に確認したところ、「ああ、やりましょうか」とわりと軽い調子で返事があった。
これを聞いて浜田は「なんや、言うてみるもんやな〜」とのんきに構えていたが、いざレコーディングの日を指定されると「えっ、ええ〜!」と慌てたらしい(※1)。
彼にしてみれば、まさにひょうたんから駒が出たというわけである。
レコーディングはわずか1時間半くらいで終了した。場所は小室がワンフロアを借り切ったマンション。フロアに6つほどあるどの部屋でもレコーディングができるよう、機材が全室に入っていた。
浜田はまず1室に通されると音を聴かされた。音と一緒に口ずさんでいると、「ああ、いけますね。それなら本番、行ってみましょう」と小室に言われ、隣りの部屋へ移動する。
そこは普通のリビングで、ヘッドホンをつけてマイクに向かって歌っていると、家でカラオケをやっているみたいな感じだったという。部屋には小室と2人きり。
ただ、部屋の天井近くにはカメラがついており、小室はそのカメラに向かって、別室にいるスタッフへマイクで指示を出していた。
「どやねん、CD、売れてんのか?」
このあと編曲などの作業が進められ、ジャケットには小室の提案で「2 Million Mix」と入れた。当時人気が絶頂に達していたダウンタウンの浜田の初のCDとあって、リリース前から予約注文が殺到、
当初30万だった初回のプレス数は直前に100万に引き上げられる。それも店頭に並ぶやすぐ完売。小室の予想どおり、あっという間に200万枚に達した。
当の浜田にはなかなかヒットの実感が湧かなかった。そんなある日、当時4歳だった長男(現在ミュージシャンとして活躍するハマ・オカモト)が『ピノキオ』のビデオがほしいというので、
近所の大きな電器屋に入るレコード店へ行った。ビデオをレジに持っていくと、店員がみんな浜田を見ている。そこで何も言わないのも変なので、「どやねん、CD、売れてんのか?」と訊ねると、
「売れてますよ、1位ですよ、今。見てください!」と壁に貼ってあった順位を見せられた。《それでも「ほんまかぁ?」みたいな気分は、まだ、抜けへんかった》と、彼は女性週刊誌の連載エッセイの第1回で書いている(※1)。
仕事の現場でも浜田はしばらく「すんません」を連発することになる。 松ちゃんもエキセントリック売っただろ300万枚ぐらい? いわばバイトで歌ったにすぎないCDが何百万枚も売れてしまったのが、本業で音楽を一生懸命やっている人たちに申し訳なく思えたからだ。
ヒットしたのも自分の力というより《これはなんちゅうても小室哲哉さんの力やから!》と強調した(※1)。
プロデュースの依頼から1週間以内に曲が出来ていた
それでもこの曲は浜田なしにはありえなかった。小室は後年、「WOW WAR TONIGHT」はプロデュースを引き受けて1週間もかからずにできていたと明かしたうえで、次のように語っている。
《浜ちゃんの、あの味のある声をずっと[引用者注:テレビの収録]現場で聴いていたから。まだ「おっさん」っていう年齢じゃない、若者たちの頼れる兄貴だった浜ちゃん。
経験は豊富だけど、決して説教じみているわけじゃなくて「俺もこうなりたい」「こういう人がいてくれたら」って思える存在。女性からみたら、ぶっきらぼうだけど優しい憧れの上司的な感じかな。
あと当時はファッションリーダー的な立ち位置でもあったからね。そういうのを全てひっくるめて出来上がったのが「WOW WAR TONIGHT」でした》(※2)
「浜ちゃんが歌っている時、ジンときました」
曲の依頼を受けたとき、小室はちょうどジャングルという当時最新のダンスビートに興味があり、浜田がお笑いで叫んでいる声がハマりそうだと感じていた。実際にレコーディングしてみると、
小室の想像以上だったのだろう、《浜ちゃんが歌っている時、声を聴いてるだけでもけっこうジンときました》という(※3)。
そもそもこの曲は、ジャングルのリズムを用いてはいるが、歌詞の内容は普遍的なフォークソングとしてつくったという。小室は後年、《ダウンタウンの名前に恥じないものを……って考えた時、
どんな時代背景でも、誰の心境にも寄り添うような一曲にしようと。人の心に入り込んで初めて、曲は曲になる。浜ちゃんの忙しい日常を歌ったものだけど、それは生きている誰もが感じる部分だったりするから。
「何かを起こしたい」っていう気持ちは、今の時代も同じようにある》と説明している(※2)。 ちょうどこの曲の制作中、1995年1月17日には阪神・淡路大震災が起こり、さらにリリースの5日後、3月20日にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生した。
そんな状況のなか、マスメディアでは「この社会をどうするか」が声高に語られるようになる。小室によれば、「WOW WAR TONIGHT」にはそうした風潮に対抗する狙いもあったという。
《そんなことが声高に語られる時代に、僕はみんなが直面していた小さいけれど大変なことや、そこからの変革・脱出をイメージした曲をつくろうと思い立った。
社会を構成しているのは一人ひとりの人間たちで、みんな誰もが自分たちの生活をなんとかやっていくことのほうが切実な問題だと感じたのだ。
(中略)僕が書いたのは、「なんとか自分を守って生きている」「でもなにかを起こしたい」というような、みんなが普遍的に持っているリアルな気持ちだった。
僕は“たかが音楽”でできることは、小さくても大変なことで頑張っている人たちを応援することだと考えていた》(※4)
「ん? 温泉?」というんもあった
小室は制作にあたり、ダウンタウンのビデオをたくさん見ながら考えるうち、浜田のいまやっていることと、忙しい自分の生活とオーバーラップしてくるものがあり、
共通項で書けることがすごく出てきたという(※3)。浜田もまた、この曲をもらって、《俺をどこまでわかっとるんか知らんけど、うまいこと気持ちにハマるようにしてくれたな》と思った(※1)。
たしかに同曲の歌詞には《全然 暇にならずに時代が追いかけてくる/走ることから逃げたくなってる》など、二人の心境に重なったと思われる部分は多い。
それ以上に浜田を感心させたのは、《温泉でも行こうなんて いつも話してる》というフレーズだった。ここはたとえば「一人で車を転がして、一人の時間がほしい」とカッコつけた書き方もできたはずなのに、
それをあえて温泉を出してきたのがすごいというのだ。
《最初に詞だけ見たら「ん? 温泉?」というんもあったけど、あのメロディーに乗ると、決してオヤジしてないし、聴いてる人みんなの気持ちにもピッタリくるやろなとも思うし。
俺が歌うからというんもあったかもわからんけど》(※1) 浜田が「バイト」と言ったのに対して「時給高いなあ」と言ったのは覚えている この頃の音楽は生きていた
口ずさめる歌ばかりで
まさに音が楽しい時代であった 写真を一切修正しない下着ブランド「エアリー」は、無理したくない女性たちの心をわかっている
http://continue.ezua.com/1664.html 浜田雅功は小向美奈子と不倫して覚醒剤やってたとよく書かれてるけど
逮捕まだなのか? 「浜田さんのCDがあんなに売れて、松本さんはどう思いますか?」
この曲ではまた、浜田とは別録りながら、相方の松本人志の声も使われている。間奏で《B・U・S・A・I・K・U/H・A・M・A・D・A》と繰り返したかと思うと、曲の終わりには、《浜田と初めて会うたんはねー、
小学校の時……何やったかな、あいつ……えらいパーマで……パーマ頭でラッパズボンで登場して、「何やこいつは」と思って。「こんなやつ、絶対友達になるかい」、そない思てたんやけど……
まあ、どうしてか……》と浜田との馴れ初めが語られ、ダウンタウンファンにはグッとくるものがある。
浜田はこれ以前から単独でドラマにも出演するようになっていたが、「WOW WAR TONIGHT」リリースの前後には、松本もまた単独でお笑いライブを開催し始めたほか、
週刊誌での連載コラムを単行本化した『遺書』『松本』が大ベストセラーとなった。このころ、二人はそれぞれ「松本さんの本(浜田さんのCD)があんなに売れて、
浜田(松本)さんはどう思いますか」とよく訊かれたという。浜田はそのたびに《ええことやないですか!?》と答えた。それというのも、《松本の出した本が、あそこまで売れたんは、ほかでもない、あいつの才能によるものやろし、
そのことで、それなりの金もろてんのやから》と思っていたからだ。松本もまた、同じようなことを答えていたらしい(※5)。
浜田は「WOW WAR TONIGHT」で、この年の大晦日のNHK紅白歌合戦にも出場した。その本番、ステージで浜田と小室のまわりをエキストラのクラバーやほかの出場歌手が踊るなか、
途中で松本がサプライズで“乱入”する。松本は、同時期に坂本龍一のプロデュースにより浜田と謎のユニットというふれこみで結成したGEISHA GIRLSの格好(日本髪のかつらに白塗り)で浜田に近づくと、
持参したバッグから自分と同じかつらを取り出し、浜田にかぶせた。会場が湧くなか、曲の終盤に入ると、浜田はかつらをかぶったまま小室と一緒に客席へ駆け出し熱唱する。歌い終わったあと、
ステージに戻る途中で彼が叫んだのは、この年何度も口にした「どうも、すんませんでした!」という一言であった。
※1 浜田雅功『読め!』(光文社文庫、1997年)
※2 「小室哲哉が語る、『H Jungle with t の頃』」(『クイック・ジャパン』Vol.104、太田出版、2012年)
※3 伊藤愛子『ダウンタウンの理由。』(集英社、1997年)
※4 小室哲哉『カリスマの言葉シリーズ #011 時代をつかみとる思考』(セブン&アイ出版、2016年)
※5 濱田雅功『がんさく』(幻冬舎よしもと文庫、2009年) 書いてる内容、浜田の「読め!」の中身そのままじゃん M JUNGLEさん知らないのか?
もっと調べて来いよ 流れる景色を毎晩必ず見ている
家に帰ったらひたすら眠るだけだから
ほんのひと時でも自分がどれだけやったか
窓に映ってる素顔を褒めろ あの頃の小室は本当に凄かった
出す曲どれも名曲だし 紅白で松本が「コマーシャル!」って言ってちょいすべりしてた 浜田と組んで歌わせるどうなるのかという衝撃しかなかった このころの浜田は役者路線のイメージがあったな
無神経に見えて実は心配りのできる優しい男、みたいな役が多かった 改めて考えると、それぞれ個人でCDダブルミリオンと本400万部売ってる芸人コンビってエグいな
もう出てこないやろこんなん いい曲だけど、番組で頼むのは口裏あわせしてたんじゃなかったっけ?
いい曲だけど! HEY!×3 に出演するミュージシャン・歌い手さんたちは
CDセールスの面で浜田に対して恐れ多い感情を抱いていたそうな
それと坂本教授と小室にプロデュースされたお笑い芸人なんて後にも先にもいないし 俺はおんちぃだからカラオケ避けてたけど
当時のいけてるグループでは毎回嫌々ながらヒット曲を仕込んでないと
いかんかったわけよ
団塊ジュニアが成人するあたりで購買する層が今よりも厚かった
今でいうと20万枚 >>35
初期のインタビュー形式のダウンタウンDXで、浜田がベテラン役者たちに演技褒められたんだよね
それで浜田もその気になった CD出せば売れる時代だった
でも小室さんが忙しすぎて曲作ってもらえなかった小飼のバンドが自分たちで作詞作曲してHEY!×3に出たことあったけどそいつら全然駄目だった
バンド名覚えてないけど「太陽背負って」とかいう曲 こんなつまらない曲でも売れるんだなあと思った
小室の中ではマシな方だけど エキセントリック少年ボゥイははじめて見たとき曲だけじゃなく本編のコントがあると思った 松本パートのBUSAIKUHAMADAさえなければ良曲だった 結構途中まで小室ん中でセールス1位やったから小室も焦っとったな 当時とんねるず、ウンナン、ダウンタウンと歌でもミリオン出してるのが別格だったよな
まさに歌でも天下取りしたって感じがしたわ
CDバブルだったとはいえ、今聴いても楽曲的な魅力も伝わるから、必然だったんだろうね >>25
それ
浜ちゃんおまけみたいな存在感だったもんな 浜田って何気に良い曲多いんだよな
H jungleのシングル3曲や、チキンライスや幸せであれなど
H jungleや浜田名義で出したシングルCD集めたアルバム欲しいわ 当時のダウンタウンの人気のスゴさを一番表してるのは松本の遺書だと思う
あんな個人的な著書があれだけ売れるなんて他の芸能人ではあり得ない その時の勢いと蓄えで東証一部に上場して今は遺産食いつぶすだけの会社になっちまったのがAVEX 2000年くらいまでは松本より浜田の方が役者とか歌で芸人ではないようなカッコよさがあって人気だった
浜田はゴリラ、不倫とかイジられて当時のカッコよさがなくなり
松本がM-1、すべらない話、IPPONとかお笑い界の重鎮みたいになって
今では松本の方が圧倒的に人気のイメージだが 地味にキーが高くて、
ふつうに歌うのはしんどい
特に転調後のサビ
浜田は声に味があるだけじゃなく
音域も広くてうらやましい >>52
あれは週刊朝日に連載していたのも大きかった
朝日に権威があったから、芸人風情の連載をみんな興味を持ったんだ >>59
深いとは言わないけど、普通に普遍的にいいよな この頃のダウンタウンは何やっても売れた無双状態だったろ 篠原涼子もTKプロデュースから外されたけど手が回らなかったのかな >>56
たしか最高3位だったな
ミリオンには届いてない 邦楽バブルだったね
この時代が特に素晴らしいとか褒めるようなもんでもない >>25-26
時期はズレるが浜田の「読め!」も結構売れた >>72
自然消滅やろ
篠原も勝手に井上陽水とか広瀬香美と組んどるし >>1
お前ファンなのか知らんけど5レス使うのは長すぎないか? 小室が作った曲の中で一番好きな曲だわ
2ndシングルのGoing Going Homeも良かった ジャングルて当時少し流行ってたジャンルを取り入れたけど
出来た曲はジャングル的は感じよりレゲエ調になってた記憶 >>81
今も昔も別に
とりあえず90年代も00年代も10年代も邦楽のCDぜんぜん買ってへん お笑いが芸人風情hが歌番組の司会やって俺のあこがれだったアーティストの頭をどつく。
クソ関西人がいつか新幹線でばったり会ったらどつき回してやろうと思ってるがまだない。
なんでもお笑い優先かしらんがどこにでも顔出しやがってクソ関西人おもろないんじゃい。 >>45
あのへんがなかったらjungleちゃうねん >>52
芸能人のベストセラーって言うと山口百恵の「蒼い時」とか矢沢永吉の「成り上がり」
毛色が違うが麒麟田村の「ホームレス中学生」有吉弘行いた猿岩石の「猿岩石日記」
芸能人のベストセラー無いことはない 握手券つけとけば500万枚ぐらい売れただろ
もったいない この前亡くなった親戚の叔父さんの若い時の写真見てたら浜田っぽい格好してたな
おそらく古着のポロシャツに太めのジーンズの腰履きにナイキのバッシュ
写真96年1月てなってた けっかはっぴょーう!!が出る時点で声のポテンシャルが相当良いとかどっかで見た ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています