【野球】野村克也の野球理論は間違っていない。しかし――/廣岡達朗コラム
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
私と少し考えが違うのは――
野村克也が亡くなった。
野村という男はもともと良い素材を持っていた。
それを見抜いたのが南海・鶴岡一人監督だった。こいつをリーダーにしなければいけないとの一心で帝王学を叩き込んだ。
そして一人前に育て上げた。“答え”が出る前に野村の可能性を看破。鶴岡さんの慧眼はすごかった。
鶴岡さんに厳しく鍛えられながら野村は発奮し、戦後初の三冠王になった。
三冠王というのはセンスがなければ獲れない。
野村が優れていたのは次の点だ。
苦手なコースに来たカーブは平然と見送る。
それを見た投手がタカをくくって甘いコースへ同じカーブを投げると、待ってましたとばかりに仕留めてしまう。
それを受け継いだのが野村の薫陶を受けた柏原純一(元南海ほか)だった
捕手としては、必ずしも肩は強くなかった。盗塁は走られ放題も同然。そこで、ささやき戦術で打者の集中力を殺ぐなど自身の弱点を補う術を研究したのが野村だった。配球にも長けていた。
同じ捕手の森祇晶は現役時代(巨人)に日本シリーズの対戦相手が南海以外の場合は、プライベートで付き合いがあった野村の自宅を訪れて、パ・リーグ優勝チームの情報収集をしていたほどだ。
野村の野球理論は間違ってはいない。
「野球とは頭のスポーツである」を持論にしていた。ミーティングにも長時間かけた。
私が野村の考えと少し違うのは、理論がどんなに正しくても、それを頭に叩き込むだけでは足りないということだ。
頭がよくて野球に勝てるのなら、東京六大学で東大がもっと勝っていけなければおかしい。つまり、正しい理論を体で覚え込ませるべきなのだ。
いまの若い人は根気がなくなった。だが、指導者は答えが出るまで手取り足取り丁寧に教えるべきだ。
野村の男気を感じさせるエピソードも紹介しよう。私が監督時代に、球審の判定に抗議したことがあった。
当時は、ユニフォームのパンツの裾をふくらはぎまで下げてストッキング細い部分しか見せない着こなしが主流になっていた。
私はといえばパンツをヒザ下で折り返す昔ながらのスタイル。その姿を見た相手チームの選手たちが私をヤジったときだ。
相手ベンチにいた野村はヤジを飛ばした味方の選手を「そんな失礼なことを言うな」と一喝した。
評論家・草柳大蔵との出会いで
晩年は著書を何冊も出していたように、野村は言葉を武器にしていた。
しかし、彼は先天的に言葉を持っていたわけではない。私が知る野村はむしろ喋れなかった。
そんな野村を変えたのが評論家・草柳大蔵との出会いだ。
野村は草柳の著作を読み、最初はその受け売りだったかもしれない。
しかし、読書こそ自分の言葉を獲得する最大の手段であることを知った野村は、草柳以外にも多くの本を読むことで、
新聞記者が泣いて喜ぶような名コピーライターになっていった。その代表作が「マー君、神の子、不思議な子」だろう。
人間は生まれたら死ぬ。それが早いか遅いかだけだ。桜と一緒。
どうせ散るなら生きているうちに世のため人のために尽くせばいい。
人に喜んでもらう。それが本当の幸せだ。野村の生涯は幸せだっただろうか。その答えは本人にしか分からない。
『週刊ベースボール』2020年3月2日号(2月19日発売)より
●廣岡達朗(ひろおか・たつろう)
1932年2月9日生まれ。広島県出身。呉三津田高、早大を経て54年に巨人入団。大型遊撃手として新人王に輝くなど活躍。66年に引退。
広島、ヤクルトのコーチを経て76年シーズン途中にヤクルト監督に就任。78年、球団初のリーグ制覇、日本一に導く。
82年の西武監督就任1年目から2年連続日本一。4年間で3度優勝という偉業を残し85年限りで退団。92年野球殿堂入り。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200221-00000003-baseballo-base
2/21(金) 11:01配信
https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783186/rc/2018/08/27/235d5aa9dcb9f641df781adfb703e240cdb981b6_large.jpg
https://cdn.findfriends.jp/img.sp.baseball/show_img.php >>17
短いのに深くてなんか素晴らしい文章
今の選手は表現力ないからこんな事言えないし >頭がよくて野球に勝てるのなら、東京六大学で東大がもっと勝っていけなければおかしい。
>つまり、正しい理論を体で覚え込ませるべきなのだ。
この主張も物凄い違和感があるな。単純に身体能力の差だろ
プロ同士だったら多少の身体能力の差があっても理論でカバーできる余地は多々あるが
東大の場合はスポーツ推薦が無いから身体能力の差に圧倒的な開きが有りすぎて
完璧な理論を身体で覚え込ませてもカバーが全然追いつかない >>98
その推測当たってると思う
「木塚忠助」とマジレスしても絵一般ウケ鈍いから
うるさい広岡の名でも挙げとけって感じだろう 「あ♪拾おかな?」
「捨てよかな?」
「拾おか?捨てよか?どしよかな?」
「どっちなんですか?」
「広岡だ!」 他人に厳しく自分にはそれ以上に厳しい典型的な昭和一桁のガンコ親父 鶴岡は劉備、ノムは孔明。人を見抜く力と人望が鶴岡にあったからノムは石ころからダイヤモンドになれた。でもあまりに存在が大きくなって「親分のチーム」を脅かすようになったから遠ざけられた。 ああ、俺もあと少しでこうなっちゃうんだな。やだなー。 追悼文でもこの上から目線なのがたまらんなw
実際に広岡のほうがはるかに格上ではあるが 野村の選ぶベスト監督は川上
広岡の選ぶベスト監督は西本
広岡は育成を重視するタイプなんだよね
だから広岡は長嶋を高く評価している >>98
なおめんどくさいことで知られるダルも同じ手法でイチコロ 野村は理論と野球がエンターテイメントであることを理解してたよな
マスコミに相手されることの重要性を気づいてたと思うわ
一人一人の選手紹介も上手だったし
落合はそこがダメ過ぎだよな
広岡時代のそういうのはさすがにわからんが >>107
頭悪いなお前
単に論点ずらしてるだけやん
広岡は頭だけじゃなく身体に叩きこまなきゃ意味がない言ってるだけ
身体能力がーじゃねーよバーカ >>47
一年くらい前は、神宮?まで車運転してったって書いてたな
たしか、ヤクルトのOB会に呼ばれなかった、やつらは無礼だとか書いてた時だったかな?
元気で何より
広岡さん・・・・頭も体もボケることなく健康で、他の名だたる野球人より
長生きしているということは、口だけじゃなく生き方を含めていろいろ
な意味で説得力があるな。
もっと若い連中が先に亡くなったり、病気になってるからな >>120-121
日本シリーズで阪神に負けた昭和60年まで広岡だね 広岡憎しで否定したいだけだから相手にしても無駄だよ
5ちゃんに多いんだ
論点ずらしてオナニーするおっさんって >それを見抜いたのが南海・鶴岡一人監督だった。こいつをリーダーにしなければいけないとの一心で帝王学を叩き込んだ。
>そして一人前に育て上げた。“答え”が出る前に野村の可能性を看破。鶴岡さんの慧眼はすごかった。
いきなり間抜けなこと言ってて吹いたわ
ことあるごとに「おまえら営倉行きだ!連帯責任だ!」と叱責したり正座させたりビンタする軍隊式管理の精神野球で、
「野球学が全くない軍隊式指導者で学ぶべきものは何もなかった」ってノムは言ってるのに
ただ、スコアラーの導入やスカウティングを充実させてたのは認めてたな
あと、ノムは広岡に対して「巨人三大ケチのひとり」と語っている 野村は理論より自己啓発みたいな感じのほうが強かったんじゃないの
最近の特集見て思ったが >>124
時間のないノムさんを優先したんだと思おう 広岡の教え子って指導者として成功するの多いのな
ヤクルト時代は、若松、大矢、尾花そしてメジャーの監督で
成功したチャーリーマニュエル
西武時代は工藤、秋山、伊東など
選手時代は監督になれそうもないタイプと思われていた選手が多い >>4
阪神はヤクルト監督時代に板書したやつを
製本して配っただけだからな
それだけじゃ意味がないとノムさんも思ってただろうな
要は球団が馬鹿 まあ、きちっと育成するなら鬼にも糞にもなるよ
広岡はいい糞だと思うね
近よりがたい人間だが広岡シンパは結構おるわけだし
特に教え子に多い印象 「どっかのライターなんだろうが偉そうに野村克也を分析して」と思ったら廣岡さんか
88でこの明朗な文章力すごい頭の良い人なんだろな 憎まれっ子世にはばかる、って広岡みたいなやつだろう。コロナで広岡の全身を洗浄してやりたいな >>122
じゃあ東大生の連中が完璧な理論を身体に叩き込む練習をすれば六大学野球で最下位脱出可能と本気で思ってんのか?
いやいや、そら無理や >>126
結局、廣岡vsムッシュは守備や通算成績だけだなく監督になってからも吉田の勝利に終わったな 廣岡が監督時代に相手ベンチにいた野村?
オープン戦でガチ抗議したの?
廣岡達朗 監督
ヤクルトスワローズ (1974 - 1979)
西武ライオンズ (1982 - 1985)
野村克也 選手
南海ホークス (1954 - 1977)
ロッテオリオンズ (1978)
西武ライオンズ (1979 - 1980) 「ID野球」という言葉が一世を風靡したしたのは野村ヤ
クルトが連覇したころ。もう随分前の懐かしい響きだ。私は
この言葉に何の関心もない。というよりも野球にとって意味
のない言葉だと思っている。
阪神時代、楽天の2年と野村監督は苦戦した。なぜ勝てない
のだろう。 「オレの野球ができない」 と野村は愚痴るが、もと
もと理解するだけの野球ではなかった。それだけのことだ。
野球は頭でできるのもではない。黒星の数が何よりの証である。
ヤクルト、西武の監督時代、データを重視した。とは言っても
先乗りスコアラーから送られてくるごく基本的なデータである。
投球の組み立てとか、ケースごとによる配球の特徴とか。
せいぜいその程度でそれ以上の資料は必要がなかった。
想像して欲しい。得点圏に打席に立った打者の心理を。
「この投手はこんなケースではこの球を投げてくることが多い。
前の球はコースがここだったから、次はデータからいってこの
へんだろう。」と頭の中でいろいろと巡らす打者がいるだろうか。
打者というのはボックスの中では無の極地。あとは感性だ。
0コンマ何秒の間に投手の球種を読みスイングを始める。獲物
を狙う獅子と同じだ。彼らが基本的な猟の方法は生まれながら
身に付けている。あとは経験の中で、技を磨いていくにすぎない。
猟の成否を決めるのは、その経験値と感性である。 >>129
当時はビンタする人ばかりだから。
その当時でいうと鶴岡監督というのは結構進んだ野球を取り入れてたらしいよ。
八百長にも厳しく当たってたし。
現代の感覚で語るのはだいぶ違うよ。
昭和30年代とかは野球とかいう以前に人間としてどうかという人が多々いた世界だから。 プロボクシングの亀田興毅のタイトルマッチで、第一ラウンドで
ダウンを奪われた亀田を父親がひっぱたいて気合を入れ直した
シーンがあった。野村はその姿を見て、「理屈ではあかんかな。
あれには感激した。」とスポーツ紙上で話している。私は暴力を
認めるつもりはないが、極限状態にいるスポーツ競技者は、体力も
気力もコントロールできなくなる瞬間がある。そんなときに、
理屈、理論はなんの糧にもならない。野村はどん底状態が恒常的
に続くチームの首領になって、初めて気が付いたようだ。
「理屈」、「理論」は決して万能ではない、ということを言いたい。
大切なことは、その無の状態の中で力を出せる選手を育て上げること。
勝負と鍛錬の反復しかない。野村が楽天1年目でやらねばならなかった
ことを示したい。コーチの選任からして間違っている。近鉄、オリックス
をはじき出された選手たちが中心のチーム。この中途半端な
ベテランたちをまず再生することが大事だった。それが教えられる
コーチをはたして選んだだろうか。スタッフを見る限り、野村が
「どうしても」と頼んだ人はいないようだった。これを見ても野村は
スタッフの手を借りず、自分でチームをつくるという気持ちが分かる。
意気込みは理解できるが、やはり傲慢な姿勢だ。チームは監督一人の手
では絶対に築けない。阪神監督時代は三年連続最下位。この原因は何だ
ろう。野村の言う、データ野球を理解できるだけの選手がいなかった、
ということだ。どんな監督だって、頭だけで戦いたいと思う。ところが、
選手にプロとしての技術的、精神的力量が備わっていないから、苦労する。
「育てる」ことの重さを身につまされる。ここから、監督という仕事が
始まるわけで、野村のやったことは、中の抜けたキセル指導だった。 >>133
いやそれは野村が改訂する体力を無くしてたからだ
ヤクルト時代はチーム状況見て改訂してた
だから、球団のせいではなく単純に野村の年のせい 広岡の食事アドバイスは健康にはいいが、人生の楽しみを奪うものである。 西武で野村と広岡は入れ替わりなのか
一緒にいたら面白かったな 廣岡
13年
OPS .678
465打点 (35.8打点/年)
117本塁打 (9本塁打/年)
.240
1081安打(83安打/年) 廣岡達朗88才。
ゴーストライターがいないと書けない文章だな。 >>145
星野は阪神で優勝したとき
「これだけ教え込まれてるんだから
ワシが教えることは何も無かった」って
言ってたみたいだけど ノムさんいなくなってほんと寂しいな
野球界の大きな損失
野球そんなに知らなくても楽しめるノムさんのボヤキ でも参謀の森が離れた途端、ブレーン失ってボロボロに弱くなったって聞いたけど
世代交代のタイミングと重なっただけかもしれないが
阪神との日本シリーズで敗退行為と叩かれた謎の小野先発 野村克也
11970打席 OPS.865 (26年) ノムさんと広岡さんが一緒の共演とか見たことないな。それぞれ哲学がある二人の対談とか観たかった 年寄りの嫉妬みっともない。俺もちやほやしてくれとしか聞こえない 野村克也って弱肩って言われてるけど盗塁阻止率通算で4割超えてるんだよな あ、拾おかな
あ、捨てよかな
あ、拾おか捨てよか
どっしよっかな 広岡はどうしても巨人の監督やりたくて裏で色々手を回しすぎて話が頓挫した人
誠実な人間だったら巨人の監督チャンスあったかもなぁ ノムさんはとにかくセオリーが正義
理論的にも合ってるからそれが常識だと思ってる人多い
例えば2点負けてる9回ノーアウト1塁で盗塁なんかセオリーじゃありえないけど
メジャーで当たり前のようにそれやってロイヤルズが優勝した
こういう野球ノムさんは認めないんだろうけど >>150
現役時代の成績持ち出してドヤ顔したとこでなんの説得力もないよ
監督としての実績が変わるわけじゃないし
まあ、馬鹿に言ってもわからんか 選手には徹底的な健康管理を課して
自分は奢侈贅沢な食事で痛風を患った廣岡サンが言うと
説得力があるなぁ 監督として優秀だったとは思うが、広岡のチームは大味な阪神に負けたイメージしかないな。 上でも指摘されてるけど痛風って勘違いされてる病気の一つだよなあ
廣岡って矍鑠としたお爺さんだよね
上司や近くにいると面倒だろうけど文章はやっぱり読ませる頭の切れる人 >>161
バレンタインの指示した極端なシフトの裏かいてプッシュバントさせたりしてたな
ノムがあんなの100年前の野球ってあざ笑ったらバレンタインは100年前の野球を知ってるとはさすが野村さんって返してた >>163
別に広岡がプレーするわけちゃうからね
なに食っても問題ないよ
ボクサーの減量に付き合って断食するトレーナーなんておらんしな >>160
727 名前:ナナシマさん[sage] 投稿日:02/10/28 22:00 ID:???
思えば根本管理部長という人間は大した人物だった。
あのオーナーと現場の両方をうまく渉りあったのだから。
通常の神経なら半年も持たない。
堤も、言うことを聞いたり聞いたふりをしたりする根本を煙たがっていたが、
結果(優勝)を出し続けたので、露骨な現場介入はできなかった(それでも姑息な
間接介入をしていたが)。
広岡にとっては、現場の意見を100%聞いてくれない根本に業を煮やし、
堤に直訴して根本を追い落とし、自分がゼネラルマネージャーになることを画策したが、
意外にも堤は広岡を切った。これには広岡も驚いたが、堤は堤で全く別のことを考えていた。
名前:727[sage] 投稿日:02/10/28 22:33 ID:???
広岡を切れば、来季の優勝は難しくなるので、そうなれば根本に責任を取らせ首を切って、
自分の言いなりになる人物を据えようと、堤は思っていた。
ここで、当時の堤と広岡との「辞任会見」を思い出して欲しい。
広岡の辞任理由はなんと「痛風が痛んだため」という仰天するものだった。
古今、数多くの監督が退任してきたが「痛風」を理由にした監督などそれこそ前代未聞。
その「痛風」が何を意味するか、堤にはよく分かっていた。
しかし、堤の陰険なやり方を「痛風」と表現した広岡もなかなかのものだ。
堤はそれを聞き「痛風が痛むというのは、痛む理由があったからだろう」と彼独特の皮肉
で返した。おそらくはらわたは煮えくり返っていたろう。
辞任会見後、側近に当り散らし、会見設定でちょっとしたミスをした社員を即刻首にしている。
かつての大物オーナー・大正力を敬愛していた広岡は、物事をずばりという正力と比較して
陰で陰謀を画策する堤は許せなかった。堤と縁を切っても球界で生きていけるだけの自信が
彼にはあったので、あの皮肉が言えたのである。
しかし、いかに広岡といえどもマスコミに対して直接的な表現での堤批判は出来なかった。
あの「痛風辞任」が彼の出来る範囲での抵抗であった。
「痛風」のなんたるかを感づいているマスコミ記者も、いることはいたが、むろん真実は
書けるわけがない。せいぜい広岡・根本の確執劇としてお茶を濁すのが精一杯だった。 >>160
川上さん、長嶋さんと広岡は不仲だったから無理でしょ 野球なんて、捕手のリードとか関係ないよ。
結局は投手力が全て。
例えば、2013年の楽天は田中が24勝して優勝。
次の年は田中が抜けて最下位。
どちらも嶋がマスク被ってたし。
結局、同じ捕手でも優勝する時もあれば、最下位になる時もある。 名前:727[sage] 投稿日:02/10/29 11:44 ID:???
広岡は堤を暗に「痛風」にたとえてマスコミの前で堂々と批判した。
それは同時に西武グループとの決別も意味していた。
しかしのちに広岡はこのことを大いに後悔することになる。
彼が強く望んでいたのは、実は巨人の監督の座である。
選手時代、あの有名な「長嶋ホームスチール事件」がきっかけで
川上監督を始め首脳陣批判をしたばっかりに、石もて追われた球団。
できれば古巣巨人の栄光の監督の座にどうしてもつきたい。
そしてあのとき俺を追い落とした奴らを見返してやりたい。
そしてそのチャンスが巡って来た。
王が監督を解任される昭和63年、シーズン終盤のことである。
名前:727[sage] 投稿日:02/10/29 12:13 ID:???
昭和63年のシーズンも終盤にさしかかり、巨人の優勝はすでに絶望となっていた。
王に見切りをつけた巨人フロントは、次の監督候補の検討に入っていた。
このことは極秘裏に進められた。
最終的に名前が残ったのは藤田と広岡である。
そして二度目の藤田よりも西武を常勝チームに育てた広岡の方を推す声の方が、
フロントには実は多かったのである。
そして、フロントは内々に広岡に来季の監督就任を打診してみた。
広岡にとっては、これを逃せば二度とはないチャンス。
本心では二つ返事で引き受けるところだが、彼にはひっかる点がひとつあった。 >>25
カープも名前負けしていなかったがピッチャーと
その年だけ活躍する外人にやられた
あとダン野村 >>168
張本もそうなんだけど自分がすべてなんだよ
野球に関して自分の知らないことは全部悪 >>162
元の文章に書いていないことについて言及されて
馬鹿認定とは
おたくさんは大変有能なんですなあ
無敵さんですなあ 名前:727[sage] 投稿日:02/10/29 13:19 ID:???
巨人軍にはチームを取り巻くマスコミと膨大な数のファンのがある。
その規模は西武の比ではなく、彼らを無視してうかつには行動できない。
そして忘れてならないのは超スーパー・スターのONの存在がある。
広岡には、長嶋退陣時のマスコミとファンからの猛反発が頭にあった。
今季、優勝できそうにないとはいえ、成績は2位。
王にもまだやる気はある。そこで自分が就任を快諾してしまうと、王を追い出した
悪者になってしまう。ただでさえ「冷血動物」との批判があったヤクルト・西武の
監督時代。うるさいOB連中がいる巨人では、最初から悪党の烙印を押されてスタート
するのはいかに広岡とはいえ、やはりやりずらい。
広岡は、ああみえても結構気配りをする繊細な面もあるのである。
特に待ちに待った巨人軍監督の座。一度なったからには2〜3年で辞めたくはない。
そのためには、ことは慎重に運ぶ必要があった。
そこで、広岡は提案した。
「王はまだ監督を続ける意思を持っていると思う。それならあと1年だけやらせてはどうか。
そして来季優勝できなかった場合に、私は監督を引き受けましょう」
それを聞いた某フロントは、広岡の言葉をオーナーに報告した。
当時の巨人のオーナーは、あの「山があるから登るんだ」で有名な大正力の不肖の息子である。
この男が広岡の考えを、西武の堤オーナーに遠慮して言っているものと勘違いして、
結果的に全てをぶち壊してしまった。 >>16
逆に王さんは落合に対して
俺は練習しないと言うのはやめてくれ
若い選手がそれを真に受けて練習しなくなると言ってたんだよな 名前:727[sage] 投稿日:02/10/29 14:54 ID:???
広岡には計算があった。
王に一年間の猶予を与えることで、彼の顔も立つ。
それに王自身が中畑・篠塚・角などの長嶋派から総スカンを喰っている今の状態では
来季の優勝はとても無理。悪くするとAクラスも危ないかもしれない。
あと一年だけ我慢すれば、夢にまで見た巨人軍監督の座につけるのだ。
その前に阪神から破格の年俸条件で誘われたにもかかわらず、それを蹴ってまで
待ちつづけたジャイアンツの現場トップになれるのだ。
それに、生真面目で一本気な王のこと、フロントからあと一年との念押しをされると
自ら辞任を申し出るかもしれない。そうなれば「フロントの熱意に押されて、
愛する巨人軍のため、お世話になった大正力に恩返しをするために」引き受けたとの
大義名分が発表できる。その日はもうすぐ目の前に来ている。
広岡の心は踊った。この当時の広岡に逢った人は「あんなに機嫌がいい広岡は見たことがない」
と述懐している。本当に心から嬉しかったのだろう。
広岡の計算違いは、巨人フロントが王を完全に見限っており、王更迭はすでに決定事項
であることを知らなかった点である。
知っていれば無論もったいぶらずにすぐ承諾したろう。
このへんは関係者の証言であいまいな部分もあるが、巨人フロント側の説明不足が
あったものと推測される。最初から正式な監督就任要請をすれば、問題はなかったのである。 野球IDの高いはずの野村の阪神は最下位で
鉄拳指導の仙一があっさり阪神を優勝させる時点でな >>161
ドジャースが似たようなことをやってアウトになって
プレーオフで負けた記憶があるんだが 東映の水原監督は、韓国遠征で相手に差別的なヤジを飛ばした選手にビンタをしたそうだね。
あと、野村の本によると、南海の選手が水原監督にヤジを飛ばしたら、
水原は南海ベンチに来て「ヤジにもマナーがある」と毅然と言ったそうだ。
野村も、東尾西武との日本シリーズでブタとかヤジを飛ばされて、
試合後に記者に向かって猛批判したことがある。
翌日、キャプテンの伊東が謝罪に来たとか。
野村は西本監督と乱闘になった時も敬語で話したそうだし、
毒舌家だけどその辺のケジメはつけるのね。 ノムさんも十分天才だと思うんだがな
配球を完璧に読んだって600本もホームラン打てるやつなんかいないよ 野村の功績
とある在日3085安打ののトウガラシチンチンを暴露した事だろう さて、あのハナ垂れオーナーである。
大正力の不肖の息子は、能無しなりに黙って成り行きを傍観しておけばいいものを
「登らねばならぬ大きな山」があるとでも思ったのか、広岡招聘には彼が気にしている
西武の堤オーナーにひとこと挨拶をしておかなくてはと、堤に連絡をとり、
彼と逢うことにした。
バカ息子オーナーからことの一件を聞いた堤オーナーは、その場では
「広岡さんはうちを常勝球団にしてくれた偉大な監督。巨人の監督でもりっぱに
連覇を成し遂げるでしょう。正力さん、日本シリーズでまたお会いしましょう」
との儀礼的なエールを送った。
これで正力は「大きな山を越えられた」とでも思ったか、ほっとして球団事務所に
帰って、あとは広岡就任に向けての詰めの作業を行なうだけと思い込んでいた。
事務所に着くと険しい顔のフロント幹部が正力を出迎えた。
「どうした。何かあったのか?」正力は怪訝な顔で幹部に尋ねた。
「オーナー、広岡さんの話はダメになりそうです。」
「えっ、なぜ?だって俺はたった今堤さんと会ってきて…」
「それですよ、オーナー。先程堤さんの側近から電話があって、広岡さんが
西武を辞めたいきさつと、今後彼が巨人でどんなことを企んでいるかを
詳しく話してくれたんです。」 >>183
阪神の選手は家畜や猿回しの猿と同じ
言葉ではどうにもならん
エサお預けとか叱責や体罰でないと >>40
古田は風俗店に行って、こんなとこで働いて親に対してどう思ってるんだ
云々かんぬんで女の子を説教攻めにするって聞いたことがある 名前:727[sage] 投稿日:02/10/29 16:20 ID:???
直接自分の口からは言わずに部下を使って色々策略を施すのは、
堤独特のやり方である。
広岡に痛風呼ばわりされた彼にとって、広岡が人気チームの監督になって
脚光を浴びるなど、許しがたいことだったのだ。
西武幹部は、広岡が西武を辞任した背景には広岡が管理部長の根本の追い落としを
謀ったことが原因であり、それに怒った根本が彼を切ったとの説明をした。
広岡が狙ったのは、フロントと現場の両者の全権を一気に掌握するゼネラル・グラウンド・
マネージャーであったとも。
むろん、それは一部は正しい部分もあるが、広岡は巨人軍で全権マネージャーを目指すなどと
いう大それた考えまでは持っていなかった。
(のちにゼネラル・マネージャーについては、千葉ロッテという弱小チームで実現する。
ロッテGMの地位が、わずか2年でおじゃんになった経緯についても面白い話があるのだが、
これは堤とは直接関係ないので割愛。)
それを聞いて、巨人フロントは蒼くなった。
広岡がそれほどの野望を抱いているとは、夢にも思っていなかった。
そんなの考えの人間が監督になり連覇でもすようものなら、簡単には首にできない。
そうなると彼はフロントをも掌握しようとするだろう。
フロントの自分たちの立場が危うくなることだけは、絶対に避けなければならない。
かくなううえは、欲のない藤田の再登板しかない。
能無しハナ垂れオーナーには、フロントと広岡の間に入ってうまく行かせる自信がない。
ここはフロントの意見を入れて話を進めるしかない。
広岡の巨人監督の夢は、ここについえたのである。
(まだまだ続く予定。よければ) >>186
ルーキーの張本が野村のバッティング練習を見て「こんな軽々と柵ごえ連発するような人とホームランで競り合っても勝てるわけ無い」って思ったくらいだからなあ。 >>161
2点負けててその場面で盗塁ってメリットあるの?
しなくてもロイヤルズ優勝したんじゃないの? ★2/22(土)
BSフジ 19:00〜20:55「<野村克也さん追悼特別番組>The GAME〜震えた日〜1992日本シリーズ 西武VSヤクルト 〜絶対的王者への挑戦」
“狐と狸の化かし合い"かつてそう呼ばれた戦いがあった。
それは、1992年の日本シリーズ、西武ライオンズVSヤクルトスワローズ。
戦う前、「西武有利」が圧倒的多数を占める中、シリーズは予想に反して、7試合中4試合が延長戦という、まさに空前絶後の大接戦となった。
大舞台で繰り広げられた、戦略・戦術・駆け引きの数々。
森監督就任以来、シリーズで一度も敗れたことがない西武に、野村ID野球は一体どんな戦略で戦いを挑んだのか?
日本プロ野球界が誇る2人の名将がおりなした“伝説の日本シリーズ"その舞台裏が、当事者たちの証言によって鮮やかに蘇る!
<ゲスト>石毛宏典、広澤克実、飯田哲也
<VTR出演> 野村克也、森祇晶、石井丈裕、真中満
<MC> 福井謙二 ペーペーの頃にそんな肩強くないですねと言っちゃったせいでずっとネチネチ言われ続けた梨田昌孝 >>186
団野村と松沼兄は野村のフリー打撃にびっくりしたそうだ
とにかく柵越え率がやたら高い
しかもコンパクトです軽いスイングなのに測ったように柵越えすると
打ち終わった後にバットを見ると、芯のところしか汚れていない
真芯に当たる技術、飛ばすコツを完全に身につけていたのだろうと >>38
いや、誰だったかは落合さんって練習してるっていうけど、手のひら柔らかいですよねw
って現役のときに言ってたぞ 逆に広岡が死んでもノムみたいに悲しんでくれる人はいないやろな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています