名捕手として3冠王など数々の記録を打ち立て、監督としてヤクルト、阪神、楽天で指揮を執り名将と評された野村克也さんが亡くなった。野村さんが阪神監督時代にチーフスコアラーを務めていたのが三宅博さん(78)だ。ノムさんを偲び、昔のノート、資料などをひっくり返していると、シーズンオフに選手が書いた反省文に野村さんが赤いペンで書き込んだメモの写しが出てきたという。3年連続最下位に終わり「阪神監督を受けたのは失敗だった」が、晩年の口癖だったが、チーム再建にかけた熱意が伝わってくる野村メモ。三宅さんは「野村さんが残した遺産は継承されていく」と偉大な故人を追悼した。

悲しい知らせはニュースで知った。三宅さんは少年野球の子供達を連れて、ちょうど高知・安芸の阪神2軍キャンプの見学に向かうバスの中だった。

「新聞には、野村さんの活躍を伝える記事がいつも出ていて、ノムさん節は健在だなあと楽しませてもらっていただけにビックリした。阪神時代に、もう一度、野球の奥深さを勉強させていただいた人だった」

岡山・倉敷の自宅に帰ると三宅さんは、手元に残っている当時の野村さんが作った資料を押し入れから引っ張り出したという。もう一度、食い入るように見直したのは、当時、赤いペンで丁寧に書き込まれた野村メモの写しである。1999年、阪神監督就任1年目のシーズンが最下位に終わった後、野村さんは、全選手に反省文を書かせた。そして、それを丁寧に読み込んだ上で、余白、あるいは、別のレポート用紙をつけて、赤いペンを使った綺麗な文字で感想文に対する所感と、来季に向けて、どうすべきかの課題を一人ひとりに書いて返した。

「もう20年以上も前の話だが、野村さんは、こんなことをされていたんだと、胸が熱くなった。改めて本当に野球を研究され、阪神を強くしようと本気で取り組んでいらっしゃったんだと思い返した。弱いチームが勝つためには、何が必要かを考え、一人ひとりに考える力をつけさせて、来年への課題を与える意味も含めて、全員に丹念なメモを返した。これを書くだけでも、相当の時間が必要だったんじゃないか。野村イズムを象徴するようなメモです」

三宅さんのノートに残っている野村メモのひとつには、なお現役で今季ストッパーとして期待されている藤川球児に関するものも。当時、藤川球児は、高知商業から入団1年目のルーキーイヤー。1軍登板はなかったが、その藤川には「オフの2、3か月を使って基礎体力をつけなさい。すべてはそこから始まります」と達筆なメモ書きを寄せた。
開幕に出遅れ、「6番・レフト」「5番・レフト」を任され、打率.256、8本塁打、37打点に終わっていた桧山進次郎氏に対しては、桧山の反省レポートよりも、野村さんが書いた返答の方が長かったという。
桧山氏は「打ち損じのミスが多いこと、軸が崩れて上体が突っ込むこと」を自らの課題とし「歯がゆく感じる」というような反省文を書いていたという。
それに対する回答として赤字で書かれた野村メモはかなり具体的だった。
「チームが勝つため、優勝を狙うために、若手を起用していることを理解してください」と対左投手のケースで、将来を見据えて、入団3年目の濱中治氏を桧山氏に代えて何試合か起用していたことを説明した上で、アドバイスを書き綴った。

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2/13(木) 5:01配信