https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-50315332


アフリカ出身の侍がいた 戦国時代の数奇な人生、ハリウッド映画へ
2020年01月20日

ナイマ・モハムド、BBCニュース


今から500年近く前、1人の背の高いアフリカ人男性が日本に到着した。彼はその後、武士の地位を手に入れた最初の外国人となる。その数奇な人生が、複数のハリウッド映画の題材になろうとしている。

弥助として知られるこのアフリカ人男性は、16世紀に日本統一を進めた最初の大名、織田信長の家臣となった。
歴史学者のローレンス・ウィンクラー氏によると、弥助は1579年に当時の首都だった京都に到着。彼を一目見ようと大勢が互いの上によじのぼる騒ぎで、中には押しつぶされて死ぬ人もいたという。

来日から1年もしない内に、弥助は侍としての身分を手に入れた。間もなく弥助は日本語を自在に操り、信長のお供として戦場に出るようになった。
徳川家康の家臣だった松平家忠は1579年の日記に、弥助を目にした際のことを記している。それには、「肌は墨のようで、身長は6尺2分(約182センチ)」と書かれている。
1900年の日本人男性の平均身長は157.9センチだった。16世紀ともなれば、栄養状態が悪い日本人の身長はさらに低かったはずで、弥助はほとんどの人を見下ろしていたに違いない。

士分取り立て

弥助の誕生日や出生地については記録が残っていない。多くの歴史家がモザンビーク出身ではないかとみているが、エチオピアやナイジェリアから来たという説もある。
分かっているのは、弥助はイエズス会のイタリア人宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの視察旅行に同行して日本を訪れたことと、1579〜1582年の間しか史料上の記録がないことだ。

一部の研究者は、弥助が奴隷だったのではないかとみているが、確証はない。
弥助のドキュメンタリー映画を製作しているフロイド・ウェブ氏とデボラ・ディスノー氏は、弥助が奴隷だったというのは憶測に過ぎないとみている。

ディスノー氏は、「戦士としての経験がなければ、たった1年で侍に上り詰めることは難しいはずだ」と語る。
武士階級に生まれた者は通常、子どもの頃から訓練を積まされるからだ。

戦国大名との友情
(リンク先に続きあり)

児童文学作家の来栖良夫さんが描いた弥助
https://ichef.bbci.co.uk/news/410/cpsprodpb/14057/production/_110570028_a99c6a6f-37bc-482c-b884-b4fe67ac00dc.png