【征夷大将軍になり損ねた男たち】NHK大河ドラマ「麒麟がくる」に登場 古い権威を無視し、あえて将軍にならなかった織田信長
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2020年1月18日
征夷大将軍になり損ねた男たち【前編】:
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」に登場 古い権威を無視し、あえて将軍にならなかった織田信長のリーダー論
織田信長、豊臣秀吉、明智光秀……。武家の最高位「征夷大将軍」の座を逃した歴史人物に学ぶ組織に生きる現代人に役立つ教訓をお届けする。第1回目はあえて将軍の座に就かなかった織田信長を取り上げる。
[二木謙一,ITmedia]
撮り直しで巷(ちまた)の話題となった大河ドラマ「麒麟がくる」(長谷川博己主演)は、1月19日から放送開始だ。主人公・明智光秀は、「裏切り」の三文字が付きまとい大方のイメージは悪い。だが、足利将軍の権威が失墜した戦国時代は文字通り「下剋上」の時代であり、天下人を目指す人物が登場してもおかしくはなかった。武家の最高位といえば「征夷大将軍」であるが、光秀も本能寺の変の後に、実は将軍宣下を受けていたとする説もある。
これまで「花の乱」や「軍師 官兵衛」など14作品のNHK大河ドラマの時代考証を担当してきた著者による異色の人物日本史、近刊『征夷大将軍になり損ねた男たち――トップの座を逃した人物に学ぶ教訓の日本史』(二木謙一編著、ウェッジ刊)では、光秀をはじめ、人望、血統、派閥、不運、病魔、讒言(ざんげん)などの理由で、将軍になり損なった47人の人物をクローズアップ。どの事例も歴史ファンに限らず、組織の中に生き、閉塞感漂う時代に好機を見いだしたいビジネスパーソンにも通じることばかりだ。
この連載では大河ドラマに出演する人物の中から、まずあえて将軍の座に就かなかった織田信長について取り上げる。
(リンク先に続きあり) 結局将軍になる道を選んだから平和になった
国を私利私欲のために動かそうとする輩は
天下人には向いてない。 >>1
また馬鹿の駄文か
信長が古い権威を無視していたら、上洛なんてしないし、将軍を京に戻さないし、天皇の権威を利用しないよ 最近の研究じゃむしろ古い権力を大事にしてたって話だったような >>6
それは成り上がるまでの我慢だろ
いづれは滅ぼすつもりだったろ >>10
信長が天皇家を滅ぼすつもりだったとか、初耳の珍説 今回の信長役全く知らない俳優だから
ちょっと調べてみたんだけど
何これ?絶対キャスティングミスだろ!
渡哲也、反町隆史、豊川悦司どころか海老蔵以下だろコレw >>16
完全に掌握したらどうなるか誰にもわからん >>16
わらえるよなw
>>7
今の情報だと信長より光秀は6歳年上だから
ガキ使ってるんじゃね? 源氏由来を持ってなければなれないんじゃなかった?
秀吉が無理で家康がなれた理由もそうだし。 本能寺の変ののち密かに大陸に渡り誰にも知られず皇帝ヌルハチとなったのはあまりにも有名 天皇になるつもりだったという話だったんじゃないかな そうすれば絶対権力になるし >>9
なれないよ
天下統一してないから
なれるわけがない そりゃ自分よりアホな天皇なんかに役職とかもらいたくないだろ、
信長からしたら >武家の最高位といえば「征夷大将軍」であるが
清盛とか秀吉とか、もっと出世したんじゃなかったっけ? 海外からしたら天皇と将軍の二大権力がある方が
異様なんだが。海外かぶれの信長が天皇を排除しようとしても
なんら不思議ではない。 征夷大将軍は使われる側の権威だからそんなに高くない 信長は平氏の流れ組んでるから、征夷大将軍にはなれないと聞いたことあるが違うのかな? 天皇があやしいよな本能寺の変
信長は無能が嫌いだから天皇家とか斬首でしょ後々 >>30
その人達は「公家に上がった」という位置づけかと
武家のまま留まるとしたらやっぱ征夷大将軍と ID:BTFeftcA0 が歴史を知らなさ過ぎる
日本人じゃないだろ
>>18
お前以外はみんな分かっているよ
信長は俗世の権力を脅かさないなら、旧来の権威にも寛容だった
禁中は天皇や公家に任せているし、宗教も同様
そもそも比叡山が焼き討ちされたり、本願寺が攻められたりしても、どっちも滅ぼされてはいない
逆にそういう住み分けが出来ない一向一揆の連中とかは徹底的に滅ぼした
>>32
ローマ・カトリック教会と諸侯の棲み分けも知らないとか、すげえな
無知にしてもパねえ >>30
おいバカ
太政大臣や関白、太閤は「武家」関係ないんだよ
そんなことも分からないのか、バカ あの日に信長が本能寺に居たのは天皇に合うためでしょ
それで誠意大将軍を貰う予定だった。 >>22
光秀を長谷川にした時点で詰んでるだけだもんな
配役は基本的に年齢差守るからな 葬式の席順みたいに もし俺が織田で征夷大将軍になったら、京へ攻め込んで天皇を討ち、俺が日本の絶対支配者になるわ。 官位って、正一位征夷大将軍以外は、なんかみんな公家っぽいイメージよね
大臣とか納言とか >>45
よう、文盲
>古い権威を無視し、あえて将軍にならなかった織田信長
この理解がアホなんだよ、分かる? 武家と公家の官位を分けたのは江戸時代
戦国時代は関白が偉い >>29
いや天皇は日本だけ任せといて
自らは大陸で皇帝になりたかったのかも
インド中国を席巻する野望 信長は寺勢力とは揉めたが、神官の血を継いでるとあって、熱田神宮や伊勢神宮など神社を援助した形跡は多々ある
よって神道を統べる天皇家と揉める理由がない
「馬揃えで天皇家に圧力をかけた」というのも今はとっくに否定されてる >>30
その二人は武家を卒業して公家や皇族になろうとした
足利義満だけやらなかったが >>60
反論出来なくて悔しいのがよく伝わってくるよw 征夷大将軍はあくまでも日本軍のトップで天皇の下だから、信長は天皇の上を目指してたんだろ? >>58
西洋かぶれが酷かったけどその辺はどうなんだろうか。
あのまま存命し天下取ってたら、南蛮寺増やして、フィリピンみたいなってたりして。 信長は海外文化リスペクト凄かったんだよな
つーか日本文化コンプレックスかな
中国とヨーロッパの学者が次の月食はいつか討論してた時に、
日本では、月食をまだ神様のお怒りみたいに言ってて、そのレベルの差に呆れてたとか 軍事でも征夷で範囲が指定されてるから兵部卿のほうが範囲が大きい >>39
民放時代劇みたいにバカ正直に合戦シーンだけ頑張るのもどうかと思う
結局過去の大作の合戦シーンの方が優れてるし。
今なんてドローンとCGあるけどカメラマンや監督がアニメみたいなセンスしかない 当時の天皇家や朝廷とか金無さすぎて式典出来ないから
譲位する事すら出来ないとかザラだったし
>>58
誰でもいいから早く平和にしてくれって状態だからな
応仁の乱の時とか京の街中で戦しまくってたし
宗派同士の喧嘩で大火事に見舞われて半分焼けたり
無茶苦茶としか言いようがない >>65
信長は南蛮かぶれだけど、キリスト教の教理には関心なかったろ
布教は認めたが布教を積極的に勧めたりとかはしていない >>68
精神的引き篭もりに逃げたか
馬鹿だの洗脳だの言うだけで、中身のある反論は出来ず
これって結局、お前の言う悪口が全ておまえ自身に返ってくるだけなんだよな
くやしいのう、くやしいのう へー信長と秀吉って将軍にならなかったんだ
確かに天下統一とは言っても将軍なんて聞かないもんね
幕府=征夷大将軍てこと? >>65
キリシタンの高山右近を調略する際、「寝返らなければ領内のキリシタン全員殺す」って脅してるし
あくまで利用するだけって感覚だったんじゃないか。そこまでキリスト教に傾倒してたわけでもないだろう いや、なれなかったんだよ。
三好だって京都から足利追い出した時に将軍になれなかった。足利家の血筋が必要だったんだよ。
足利が居る限り戦乱は終わらない状態だった。足利は助けてもらっても、力を持ちすぎると周りに討てって手紙を出しまくる病気だったからな。 キリスト教保護は単純に新しい物好きだっただけ
地球儀を正しく理解できたのは信長だけと言われてる 自分と同列の戦国大名従わせるには、天皇利用するのが一番手っ取り早いよな
秀吉みたいに本当に東は東北、西は九州まで統一しちゃったら、天皇家はビビってすり寄りそうだが >>9
慣れないし征夷大将軍は偉くないからならなかった京に幕府を開ないし意味ない 普通のお城の中心は天守閣なんだけども、織田信長の安土城だけは天主閣だったからね
この辺りが天皇周辺に勘違いされて本能寺の変が起きた要因になったとされる >>80
だから「言われてる」って誰が言ってんだ? >>84
信長って天皇を安土城に住まわせるつもりだったとか聞いたことあるわ >>76
なんで悔しいはずの俺から悔しいという言葉が
でて君から悔しいという言葉が頻繁にでるのか
わかるよね?
君が認めてもらえないストレスから
反射的に悔しいと感じてるからだよ。
反論はしてもしょうがないだろ
だって信長が天皇を潰そうとしてたか
どうかなんて誰にも証明できないんだからw
俺は可能性の話をしてるのだけだからね。
君の理屈に合わないから可能性もないと
全否定するのは馬鹿だとしかいいようがないよねw >>53
正一位は関白だよ
征夷大将軍は武家の棟梁であって官位ではない 織田信長は近江の安土城に於いて日本国の新国王に成ろうとした 元尾張守 織田信長>第126代 正親町天皇
明智光秀がそれを阻止した >>87
日本語でおk
自分の無知を「誰にも証明できない」と言い訳してて情けなくね?
ありもしない「可能性」に縋るとか、お前の人生の言い訳そのものだろw
そして俺の理屈じゃなくて世間の理解だからなぁ
お前のは全て、ただ言い返しているだけで中身が無い >>86
そうなんだよね
ところがそれを当時の朝廷や明智光秀の周辺の人が勘違いしたらしい
信長はサービス精神旺盛で安土城の天主閣には見物料を取って誰にでも見せてたって話だから、天皇にもその絶景を見せたくてあの場所に築城した様子 晩年の身内や側近贔屓等、信長だって意外と保守性や退嬰性はあったよ
っっていう最近の研究生かした信長像だから染谷なんだろうが、今まで通りの覇王イメージの信長を望むお前らには大反発されそうだな
俺はまたありがちな三英傑譚繰り返されてもつまらないし、太平記の脚本家だから期待してるが >>54
>なかった織田信長のリーダー論
ひとつの説の話や、キチガイ拗らせんのも大概にせえよ鼻くそw 光秀からは年の離れたガキだしな
生意気金持ちクソガキ野郎が上司ならドラマになる >>85
宣教師
イエズス会の献上した地球儀・時計・地図などを、織田信長はよく理解したと言われる。まだ、地球が丸いと知らない日本にあって、織田信長は「理に適っている」と言っているので、柔軟な発想の持ち主だった事がここでも伺える。 光秀を倒した直後に秀吉が大村由己に書かせたとされる『惟任退治記』には信長を「将軍」と表現する文章がある
軍記物ながら比較的史料価値が高いとされる勢州軍記にも「信長は将軍になった」という記述がある
「将軍」っていうのは思ってるほど厳密なものじゃなくて、「一番つえーやつ」ぐらいの認識だったんじゃないかな >>90
言い訳って歴史そのものが
誰にも証明できないようなもんじゃん
おまえもしかして信長の時代にいきてたん?
まさか実際に見てきて信長様がそういってたの聞いてきたん?
おまえの浅い知識とやらも所詮本に
書いてただのネットで拾ってきた知識に
過ぎないわけよ。
それを俺の理解はお前より深いから俺の方が
正しいだから認めろと言われても。おまえの
知識が正しかろうと間違ってろうと俺がお前の見解
に頷く必要はないわけで。世間の理解ってwお前の理解だから
それw
勝手にお前の意見を世間の意見みたいにいうなよksw 将軍や天皇なんかどうでもいい
新時代の神になろうとしたのだろう >>77
朝廷と棲み分けるか朝廷に同化して乗っ取るかの違いかな
家康や尊氏や頼朝は朝鮮出兵に興味なかったからな
遅咲きの苦労人だったせいもあるけど 信長は天皇の権威をも認めなかった
将軍なんかカスほどにしか思ってなかった
暦を新たに作り替え自分を神格化して新たな国体を創ろうとした 信長は天下統一の前に亡くなったから将軍にはなれなかったんじゃないの?
豊臣秀吉は将軍職を勧められたが断ったんじゃなかったっけ?
あくまで朝廷の権威を利用しようとした。だから関白職まで登りつめた。 >>99
全部が、お前に知識が無いことの言い訳でワロタw
「悔しい」という言葉に過剰反応していたことといい、お前本当に馬鹿だな >>78
黙認しといたというのが最新の検証
見せしめに寺社勢力叩いて牽制してたし
イラン攻撃を中国共産党や北朝鮮に見せつけてるみたいに 曹操が魏王に留まったみたいなもんかなと思ったけど
新しい帝になるのとあくまで役職の頂点とじゃちょっとニュアンスが違うか >>95
永田は出ないけど幕末の大河なら長州が出てくるぞ >>106
論破できない相手だとわかると
その返しですか?あなたの文章
見返しみなさいよ完全にブーメランですよw 天皇を潰してとって変わるって、物凄いリスクがあったのかなー
頼朝も秀吉も家康も、潰そうと思えば潰せそうだが >>79
三好や松永は将軍になりたかったわけじゃない
管領細川家や執権北条家みたいので満足だったはず 織田信長が望んだのは 征夷大将軍ではなく 日本国王(>天皇)であったのだろう
明智光秀が阻止した >>80
一転して弾圧してたかもしれんよな
光秀に冷たくなかったみたいに >>106
精神的引き篭もりに逃げたか
馬鹿だの洗脳だの言うだけで、中身のある反論は出来ず
これって結局、お前の言う悪口が全ておまえ自身に返ってくるだけなんだよな
くやしいのう、くやしいのう >>86
聚楽第みたいに権威を見せつけたり皇族をもてなすための迎賓館だったともされる
信長は本拠地バンバン変えてるから安土城も結局誰かに与えてしまっただろうな >>88
律令下においては具体的な職掌のない名誉職だな
公家の太政大臣みたいに適任者がなければ設置しない則闕の官 >>23
藤原氏の将軍や
鎌倉時代の宮将軍がいるから源氏限定などという話はない
よく分かってない奴が言ってるだけ >>96
家柄も低いからな
土岐の家臣どころか織田の分家よりも信長の家柄は低かった 足利義昭を京都から追放して、室町幕府を終わらせたのが信長でしょ? >>104
秀吉だけちゃんとした武家の出身じゃない足軽の百姓だから考え方が他の英傑と違うんだよ
コイツだけは明治維新の志士みたいに例外 将軍云々は江戸時代を知ってる連中の戯言としか思えん
信長の時代の将軍認識は、鎌倉3代、室町は6代以降はいないようなもんで
常に近習が実権を握ってる印象しかないでしょ 信長は結局とちゅうで失敗してるんだが
なぜか成功例のように語られる >>120
んだね、秀吉がなれなかったのは足利義昭が正式に将軍職を辞任してなかったせい
養子になって将軍職を継承しようともくろんだが断られた
仕方ないので豊臣姓なんてものを創姓して権威付けするしかなかった >>127
凡ミスで織田家ごと大失敗してるから当時の評価は低い
前田利家が宣伝しなかったら足利義教クラス 秀吉は秀頼に関白継いでもらいたかっただろうけど淀君は武家の出身だから
息子は征夷大将軍にさせようとしてたんじゃなかったっけ 将軍より関白のほうが遥かに格が高い。
将軍は従四位の時期があったくらい。
関白はいつの時代も従一位か正一位。 >>23
それはよくある誤解だよ
清和源氏の血筋である事が将軍着任の条件などというのは鎌倉幕府以後に
任官の手っ取り早い手法として流行った物が現代になり捩曲がって広まってしまっただけ
平氏だろうが藤原氏だろうが武家の棟梁たる資格はある
織田家は平氏だかの血脈を名乗り、信長自身も平姓を自称していたので
足利義昭を京から追い出し、武田を討伐した辺りで熱心に朝廷に働き掛けていれば将軍になった可能性はある
なので「敢えてならなかった」という言い回しは一応正しい ◆ 関白は、成人の天皇を補佐する官職である。
天皇が幼少または病弱などのために大権を全面的に代行する摂政とは異なり、
関白の場合、 成人の天皇を補佐する立場であり、最終的な…
◆ 摂政とは君主制を採る国家において、
君主が幼少、女性、病弱であるなどの理由で政務を行うことが出来ない、
あるいは君主が空位であるなどの場合に、君主に代わって政務を摂ること、またはその役職のこと。 >>127
信長が途中まで仕上げなかったら
秀吉・家康の天下もなかった 実際は征夷大将軍なんかなる価値無いけどな
若干恥臭い 足利義昭(1537年〜1597年)は1588年には将軍職を辞している。
>島津氏が秀吉の軍門に下った後の10月、義昭は京都に帰還する[33]。
> その後、天正16年(1588年)1月13日に秀吉に従って参内し、
> 将軍職を辞したのち受戒し、名を昌山(道休)と号した。
> また、朝廷から准三后の称号(待遇)を受けている。 そもそも信長は右大臣になってるんだから
わざわざ将軍になる意味はないのよね
本能寺で死んでなければ秀吉みたいに関白になったんじゃないの 古い権威を否定した信長は凄い!新しい時代を切り開いた!
みたいな歴史価値観なんとかして欲しいよ。
現代社会に生きる歴史家の思い入れ&イデオロギーたっぷりでさ… 今は信長側から三職を求めた説もでてきてるんだよな
本能寺の変が起きて永遠の謎
個人的にはその後の秀吉の行動が信長の考えな気がしてる 将軍て本来誰かの家来の武将みたいな意味合いだよね
そのニュアンスが気に入らなかったんだろう >>131
疑問なんだけど、信長は何で足利義昭を殺さなかったの?
やっぱ征夷大将軍だから、殺しちゃうと朝廷との関係でマズかったのかね? よく朝廷は天皇&将軍の二重権力状態を許していたもんだよ
それが不思議だよ。いくら朝廷に軍事力がなかったとはいえ >>150
将軍を殺すような頭のおかしい奴に誰が味方すんだって話 >>144
そりゃ、現代社会を生きる以上全ての人間がその視点からしか物事を語る事は出来ないからな 江戸時代は信長は悪人扱いだった
明治時代になぜか忠臣とされたw 将軍はジャイアン
天皇はできすぎ君って
考えたら分かりやすいだろ
天皇はみんなから人気で頭もいいけど喧嘩は強くない
将軍はジャイアンでアホなんだけど喧嘩だけはめっぽう強い
だから天皇からしたら喧嘩が強いやつは利用する価値があるし
将軍からしたら出木杉君みたいにカリスマ性のある人気ものも
利用する価値がある。本来どっちも持てってれば王に相応しいんだろうけど
現実問題として無理だったから協力している内にそれが当たり前に
なったと考えればいい。 >>111
そりゃ一応権威の象徴だったんだろうから、それを潰したら日本中の武将から忠義の面でも総すかん食うだろう。
何せ、潰した奴の首取れば新しい天皇家の後ろ盾になれるんだから。
下剋上の時代には手下にだって首を狙われかねない 信長って忌部氏とかいう神職の一族出身でしょ。
伊勢神宮の遷宮を復活させたのも信長じゃなかったっけ。 >>144
わかる
ちょっとうんざり
でもそういう人が他にもいて良かった 南北朝時代は権威利用のために有象無象がよってきて大変だったわ
南朝滅んでからも子孫探し出して何度も旗揚げするし >>159
だから喧嘩だけ強いやつは尊敬できないから
みんな従いたくないだろ?
でも天皇が認めた将軍なら天皇様がいってるんだから
こいつに従っとくか一応となる
それに気が付いたのが源頼朝 >>51
明智光秀:長谷川博己(43)
織田信長:染谷将太(28)
羽柴秀吉:佐々木蔵之介(52)
徳川家康:風間俊介(37)
足利義昭:滝藤賢一(44)
秀吉・義昭の役者は長谷川より年長だし、どう見てもバランスがおかしいが。
太閤時代まで描くならともかく山崎の合戦で終わりなんだから
信長を若くするなら他も若くすべきじゃないか? キングダムって勝手に六大将軍とか格つけてサブいところあるよな >>9
足利義昭が追放された後も、将軍のままだったので
これを何とかしないといけないが
義昭を連れ来なくても朝廷が罷免し、そして信長を将軍に
これは可能だったと思う
よく将軍は源氏でないといけないとか言われてるが
頼朝足利、源氏を偽造しなった家康、これらは源氏だが
頼朝以前は源氏以外だし、頼朝以降も後醍醐天皇の息子など南朝では、源氏でない将軍は多々いる >>152
権力っていうのは他者を強制的に従わせる力なんだよ
軍事力の無い朝廷と有る将軍じゃ朝廷が将軍を強制的に従わせることなんか出来ないでしょ
将軍がキレて戦になればそれで天皇は終わり
ただし将軍側も軍事力あるからって正当防衛(?)でもないのに天皇潰しにいけば他の武士達に離反されるきっかけになりかねない
天皇の歴史的な正統性と将軍の軍事力で互いの権力を補完し合うような関係だろうね >>97
当時はガリレオが宗教裁判にかけられるちょっと前くらいでヨーロッパでも天動説は主流じゃなかったんじゃないか。 >>167
坂上田村麻呂がなって以来まともな職がそれしかなかったから 無い無い、信長って自ら「第六天魔王」と名乗ったヤツだろ?
そんなヤツが「征夷大将軍」だなんて天皇の風下の立つ役職を欲っするワケないやろw >>165
ライバルキャラになるから若手じゃ心配っていう制作陣の日和だろうね
信長、家康の配役でチャレンジしてるから秀吉はベテラン使っとこうという
序盤はモックンやら高橋克典やらの五十代以上俳優が出てくるけど、
全話の三分の一もいかない段階で殆ど消えちゃうしな 日本最大級のプロパガンダー徳川家康のウソを暴いた方が面白いのに >>160
先祖は北陸の土豪だぞ
というか歴史上の人物の家系はほとんど虚飾
徳川家も先祖は田舎侍 テキトー過ぎるだろ。
義昭が生きていたので征夷大将軍にはなれない。
そして平家なので貴族を目指した。 >>173
元々は仏敵という意味で仏教勢力から言われた
まあそれを気に入って使ったのも事実だが >>168
室町幕府以降は源氏長者じゃないと征夷大将軍になれなかった >>171
北朝の後小松天皇の落胤
後小松天皇の母は足利義満と浮気の噂があり、事実だと
一休さんは義満の孫になる >>165
佐々木蔵之介以外は問題なし!
『基本的に』って書いただろ
京本政樹が松重豊の弟やったり例外は確かに存在する 関白も藤原氏長者じゃないとなれなかったから秀吉は藤原氏の養子になり藤原氏長者になってから関白に就任してる
例外はあるが征夷大将軍は原則源氏長者が就任する >>176
本木雅弘はミスキャストだな
道三役を吉田鋼太郎にすべきだった 信長は最終的には天皇にとって代わるつもりだったと思う
ただそれまでに全国統一して貿易独占して主だった家来どもを粛正してってやること多かったから結局1代じゃどっちにせよ無理だった 慣れるとか慣れないとかどうでもいいんだよ
武力を持ってるやつが強制的になるもんだから
武力のない天皇は後ろから脅して強制的に認めさせればいいだけ
の既存ルールなんてものは天下取った奴にはなんの意味もない >>189
養子が認められたんだから源氏長者の養子になればよかっただけでは
秀吉とは違って信長は鼻から興味がなかっただけだと思うわ >>173
言われたいのは第六天魔王
征夷大将軍って響きがダサい そもそも家柄で縛りがあるんやろ
家康だって清和源氏の末裔(自称)やし >>188
回想で学ラン着た京本政樹w
松重豊20歳も無理あったけど >>195
足利義昭の養子になんてなりたくなかったんじゃない
それに信長は例外的に征夷大将軍になれたと思う
ただ源氏長者じゃないから権威付けができない >>97
信長あげのために、地球が丸いことを理解したのは信長だけみたいな大ウソが
なんでまかり通ってるんだろ
ザビエルがイエズス会に送った報告(1552年1月29日付)
「日本人は、論理的思考を好みます。
故に私が地球が丸いことや、 雨の原因について説明すると、彼らは夢中になります」
信長に会ったのはフロイスで、ザビエルは西日本でしか活動してない >>185
4代将軍徳川家綱が死んで、鎌倉将軍のように酒井忠清らが主導し
結城秀康の血を持つ有栖川宮幸仁親王を将軍に向かい入れようとした
しかし堀田正俊の反対で綱吉が5代将軍に
もしも室町以降源氏長者でないと将軍無理なら、これをどう説明するか? >>196
それはもう言われてたんだぞ
仏教勢力的には悪口のつもりだったのに逆に気に入られちゃったパターン
まあ確かに第六天魔王の中二病擽る感は凄いが 信長も秀吉も天皇家の権威を利用しただけで天皇の家臣になる気など毛頭ない
信長も秀吉も外国には日本の王を名乗り、秀吉は明に侵攻して皇帝になる気だったからな 長男は割と有能だったんだっけか
でも仮に二世新帝になったとしても親父並みの能力やカリスマが無ければ
結局元の木阿弥になってたような気もするw >>182
夷狄ってのは東の野蛮人って意味なのよ
中国から見た東の野蛮人、つまり朝鮮人や日本人のことを指す
それを日本はパクったわけよw
日本国内でそれを導入したわけよw
笑えるよねwww 藤原氏や皇族だって征夷大将軍になってるのに
源氏しかなれないと思ってる奴らはなんなの? >>204
信長の息子たちはそんなに無能だったとは思われないなあ、秀吉という怪物に飲み込まれたことで評価が下がっただけかも >>206
武家では、って話でしょうがw
あんたバカだねえw 清盛が官位に固執しなかった様に、
信長も官位に興味がなかった。 >>204
元の木阿弥で思い出したが
これまでの大河で筒井順慶が出た事なんて見た事ないが
明智光秀と関係深く、山崎の戦いでは洞ヶ峠で曖昧な態度を取り光秀敗戦の原因をつくった
(洞ヶ峠は最近の説では、筒井でなく光秀が筒井対策で洞ヶ峠に来たらしい)
多分筒井順慶は今年の大河に出ると思うが
順慶がまだ幼少だったのに父が亡くなってしまい、それで父の影武者をつくる事にし
乞食坊主の木阿弥が影武者となった
乞食から殿様生活を楽しんだが、順慶が大人なり追放されてしまい
また元の生活に戻り、元の木阿弥になってしまったが起源 >>189
平家と嘯いてた秀吉は将軍になれなかったってやつですか
んで豊臣政権下で義昭は本能寺の変の6年後に将軍職辞して山城国1万石の大名にしてもらったと
同い年である秀吉の1年前に没ですし、結局信長より長生きしてるという
まあ実権無くてこの世から排除する必要無かったってだけなのでしょうが 織田家は元々越前の出で朝倉家の被官だったから、一応平氏といえど正統性が薄く征夷大将軍にならなかっただけの話
家系図の胡散臭い家康とは違うんだよ
最近の説では天下布武はあくまで畿内を安定させる事を意味したらしく信長が義昭と上洛した時点で役割は終わっていた
それと信長は父の信秀と同じく尊皇の意識が高く、官位も右大臣で満足していたらしい
右大臣の中国での呼び方の「右府」と周囲によばせるくらい気に入ってたとか >>207
無能じゃないけど絶対有能じゃないよ
これまでの織田家のレベル 天皇「やべこのままだったらこいつが天下統一して将軍になっちゃうそんなのいやじゃ!」
光秀「お任せください陛下、わたくしめが見事信長を死中に収めましょうぞ」
天皇「そうじゃわしには光秀がおったな頼んだぞ光秀!信長を亡き者にしてこい!」
光秀「ハハ!」 >>204
割りとどころか信長の命令無視して現場判断で武田氏滅ぼしたのが信忠だからな
徳川による信康上げのために下げられてた可哀想な武将 >>203
まあそうだろうな
ラストサムライではそのあたりが侍の天皇に対する忠義と勘違いして描かれていた 秀吉は図々しいから藤原氏の養子になって関白になっただけ
信長はそこまで恥知らずではなかっただけ >>215
信秀パパもかなり有能だったで、これまでの織田家 敦盛大好きだった信長は、
平家を意識していたのは間違いない。
義昭も源氏だったから嫌いだった。 >>218
ラストサムライの時代の天皇に対する忠義は本物 天皇にとって一番の庇護者が信長だったのにわざわざ害する訳がない
朝廷なんてどうでもいいと思っていた光秀の暴走でしょ 武家では源氏長者じゃないと将軍になれない?
でも五摂家じゃない秀吉が関白になったじゃないですかw
都合の良いとこ言い過ぎですよ
平氏の信長も平民の秀吉もその気になれば将軍なんて余裕でなれたよm >>224
秀吉は藤原氏の養子になって藤原氏長者になってから関白になってる 織田信長は誰が演じてるの?
三匹の頃の役所広司しか適任がいないのに 紅白の時に出た長谷川の天狗ぶりに引いたわ
NHKも特別待遇しすぎだろ 信長が大好きだった平家の棟梁の清盛が、
官位に固執しなかったので、
信長もまた官位に興味がなかった。
そして、キリスト教大好きで、
ローマ教皇の家臣を名乗って、
スペインのフィリペ2世とその覇権を競った。 結局信長って金持ちになりたかっただけなんだと思うよ。それも天下一の金持ちに。そのために邪魔者をことごとく嫌った。
としたら朝廷の権威なんて本当どーでもいい、邪魔にならんだけで
ただ状況によっては“商売敵”になった可能性もなくもないけどね、そうしたら消す気になったかもよ 信長が平家に帰属意識あるなら征夷大将軍なんて興味なかっただろ
信長の頃の征夷大将軍は完全に源氏の役職だからね >>220
あの人と長男の信長だけ際立ってたんだな
信虎&信玄のパターン >>205
中国は周辺の蛮族を人間扱いせず、動物の字をあてたりしてる
だが倭はにんべんがついてる
委は矮と同じだから小さいという蔑称だという説もあるが
卑弥呼が使者を送った国は魏
魏にも委が入ってる
鬼は日本ではいい意味で使うこともあるが中国では悪い意味しかないという
(だから日本鬼子という)
倭より魏のほうがよほど悪い字に見える >>224
秀吉は将軍よりもっと上の関白になれそうだから、路線変更したんだろうな
戦国時代に散々足利が、将軍職の権威を落としてしまった
京にいるより近くの大名の庇護になってた時期が長い流れ公方だった
特に義昭が京追放以降、やっかい者扱いになってしまった
毛利も安芸に入れず、備後だったか?そんな場所に居候させてた
こんな将軍職受け継ぐより、さらに高い身分の関白 最後の足利将軍を見てもわかるようになんぼ将軍でも軍事力が伴わないと誰も従わない
それなりに貴人としてもてなしては貰えても >>236
でも小早川秀秋に関白なんて話が出たとたん関白しょぼいイメージがついた >>234
信長は三男。
正室の子の中では長男だが。 TBS太閤記は光秀が毛利に逃げようとする義昭を射殺したから信長と険悪になったという設定
通常の太閤記は家康の接待に失敗した光秀と信長が険悪になったという設定 義昭追放時に右近衛大将になってるんだから将軍問題は実質ここで終わってる
その後、右大臣まで上がってるんだからな 信長が天下統一してたら、
日本はキリスト教の国になっていただろう。 織田信長:渡辺謙
お濃:名取裕子
徳川家康:真田広之
寧々:かたせ梨乃
お松:藤真利子
明智光秀:篠田三郎
斎藤道三:松方弘樹
平手政秀:若山富三郎
浅井長政:根津甚八
堀田道空:長門裕之
お市の侍女:南田洋子
各務野:二宮さよ子
浅井久政:丹波哲郎
羽柴秀吉:黒崎輝
織田信行:坂上忍
お市:伊藤智恵理→加納みゆき
阿茶:野村真美
織田信友:鈴木瑞穂
柴田勝家:成瀬正孝
前田利家:美木良介
服部小平太:辰巳琢郎
佐々隼人正:円谷浩
佐々孫介:赤塚真人
林佐渡:綿引勝彦
林美作:高岡健二
池田勝三郎:伊吹剛
細川藤孝:西沢利明
長井隼人:宮内洋
斎藤義龍:金田明夫
遠藤喜右衛門:品川隆二
朝比奈泰能:有川正治
浅野又右衛門:織本順吉
今川義元:佐川満男
足利義昭:大橋吾郎
朝倉義景:中条きよし
公家:ケーシー高峰
戸田御前:司葉子
こよ:十朱幸代
織田信秀:千葉真一
語り - 緒形拳
このドラマは本能寺まで描かない
武田信玄も登場しない 秀吉からしたら将軍だろうがなんだろうが軍事力で武家は制圧出来る
武家だけでなく朝廷も完全に支配下に置くには将軍より関白だったんかな 家康は関東の政権なので、
征夷大将軍を名乗ったのだよ。 >>246
足利将軍家と仲悪いし、足利以外に使えそうなそこそこ権威のある源氏系血統が無かったんじゃね 信長は本当に天皇まで討ち倒す気でいたのかって疑問だよな 本能寺の変が無ければ将軍職か関白、太政大臣のいずれかになっていた可能性はある
義明を解任する必要はあるが、朝廷がその気になれば簡単なこと
でも実質天下を握っていた信長にとって、名誉職のような将軍に興味は無かっただろう 信長は織田家中で認知されてた枠だと二男だろ
家康も一応兄がいる二男
異母兄は松平忠政 国内地政学というのかね、安土城は大津宮の鏡映し
大阪城も難波宮で、徳川の東国政権で落ち着く
古代史の関裕二って人良いね 秀吉が関白太閤なったのを考えると信長もそっちルート目指してたのかもな 信長はローマ教皇の家臣を名乗っていて、
フィリペ2世より自分が一番の家臣である事を自負していた。
日本を統一した後は、速攻明に攻め込んでいただろう。
プロテスタントとは戦っただろうな。 >>245
平成の始め頃にやってた、TBSの元旦6時間ぐらいの時代劇か
史実無視の何でもあり時代劇だった
松方弘樹と千葉真一が異様にテンション高い演技で
死ぬ時はギョエーーーとかアギャーーーとか叫びながら大立ち振る舞いし壮絶に死ぬ
綿引勝彦が怖い、名取裕子が謎の女、かたせ梨乃が妖艶な演技
この人らは毎回レギュラーで毎回同じような怪演 戦国時代なんだから時代考証ちゃんとやれよ
マッサンみたく韓国人役者を大量に使うんじゃないよ
日本人と韓国人は顔が違うんだから >>256
BSTBSでたまにやってるな
本能寺までやらない奴大紋のナベケンはさすがにかっこいい >>252
信長には庶子の兄信広がいたな
家康が今川に人質に行く予定だったのに、戸田が裏切り織田へ連れ去られた
今川義元が信広の城を攻め人質にし、家康と信広を人質交換した
斎藤義龍と組んで弟信長に謀反をした事もあった
信広は長島本願寺の戦いで戦死した
信長の長男は信忠となってるが、実は庶子の長男がいたと言われてる織田信正
信忠より3歳年上で90歳以上まで生きたらしい >>228
「あーら千石ちゃんじゃない、千石どころか百万石になっちゃって、陣ちゃんもお相伴!」 今東京が千年王城になりつつあるから西国は西戎
尾張がどの時代も紀州で、俺陰陽師として結界張り直してる所
南無八幡大菩薩で神功天皇をよろしく >>9
征夷大将軍って源氏の人が名乗ってなかった?
平清盛も秀吉も名乗って無いよね。信長は平氏なのでは? >>254
秀吉は武士の血筋じゃないからなれなかった 第六天魔王は仏教の破壊者だから、
やはり、寺院の破壊は間違いないだろう。 >>265
「カンちゃんどーしたでおじゃりますか?」 古い権威を無視したというか必要なかったというだけな気がするが なろうと思えばなれたと思うよ
京をはじめ幾内をほぼ制圧してたし >>268
なんか先駆者、革命者みたいに語られることが多いけど、親父さんを見ていたらただあの真似を極端に押し進めただけに思えるんだよね
結構信長語る上で父親・信秀は重要だと思う >>235
人に委ねると書いて倭
人間様も動物なのか?
それに戦国七雄の魏は姫姓(周王の血統)だがそういう国に悪い国名を付けるとは思えない。 犯罪者集団と化していた仏教の撲滅は、
ガチだったろうな。 楽市楽座は朝倉が先にやってたしな
他人の良いとこどりして生かしていったのが信長の賢いとこ ちらっと映ったの見たけど全然信長っぽくなかった
なんかショボかった 日本が乱れる最大の原因は仏教徒にあると見ていたはずだ。
悪人ほど救われるとか言って、
勢力拡大していた訳だからな。 >>198
大河は江(6歳)を上野樹里(24歳)にやらせた前科があるからな
それに比べれば、まぁ 仏教を野放しにしていては、
日本は悪によって支配されるという危機感が信長にはあった。 仏教の教えよりも軍事力持ち権力があったのを嫌っただけやろ なり損ねたっていうなら足利義視だろ、こいつはならなかっただけ 何か知らんが平家と平氏を同一視してる人が多いなこのスレ >>256
大河でも黄金の日々が史実無視だったけどな
今ああいうのを作ったら琉球の風や平清盛以上に叩かれてる 要は比叡山焼き討ちをやってのけた信長ならなにをしてもおかしくなかったってことなのかな 源氏以外でも親王とか藤原摂関家は鎌倉時代征夷大将軍なってるけどな >>262
征夷大将軍に源氏である必要性はない、最初の征夷将軍の多治比縣守からして源氏じゃないし同職で著名な坂上田村麻呂も然り
ただの東国征伐の非常設の将軍にそんな面倒な縛りはない
鎌倉時代には宮将軍もいるし藤氏の将軍もいる 秀吉は最初、藤原姓に改姓したが家臣の猛反発にあって速攻で取り止めた
戦国大名にとってあの時代の役職や肩書なんて統治の為の道具なんだよ
官位の価値が出てくるのは天下が太平になってから
天下一統のメドが立ってきた頃に官位に意味合いをつけるようになってきた 岐阜なんて地名作るぐらいだから易姓革命は知ってたんだよな
自分が権威落としまくった将軍の座なんてなんの魅力も感じないだろ 信長は1573年の時点で足利義昭を殺して
自分が将軍を名乗って織田幕府を開いておけばよかったんじゃね?
そこまでの斬新な発想はなかったんだな 世界最弱朝鮮にコテンパンに負けて帰ってきた戦国武将オールスターってバツグンに弱かったんだな 元々、畿内の朝廷から任命された征夷大将軍の役目は東夷を征伐することだった >>283
息子が将軍になったから
おおむね気は済んだんじゃないかね。 信長将軍なら各地の反信長は逆賊に指定できるから
統一も楽だった可能性ない? 頃合いを見計らって天ちゃんに禅譲を迫るつもりだったとかはありそうだな >>298
秀吉が死んだから唐入りの意味が無くなり撤退したんだよ
朝鮮は万年弱いのは知ってたが現代中国人が誇りにしてる明国もくっそ弱かったらしいね >>303
エイジオブエンパイヤでは朝鮮文明最強やんか(朝鮮人の抗議メール殺到で仕方なく) 桓武平氏→坂東平氏(関東)領地を名字として名乗る[鎌倉幕府][御家人]『吾妻鏡』
平氏、千葉氏、畠山氏、三浦氏、河越氏、秩父氏、熊谷氏、江戸氏、渋谷氏、鎌倉氏、北条氏、長尾氏など
坂東平氏→伊勢平氏(三重)名字を名乗らず平姓のまま朝廷に仕える『平家物語』
平氏(平家)、藤原氏(藤家)、菅原氏(菅家)、大江氏(江家)など 滋賀に日本の首都なんて作れたのかなあ?
安土城ってそういう意味では不可解 >>297
1575年頃に右近衛大将になってるのに幕府開いてないならやる気ないんだろ
わざわざ格下の征夷大将軍に任命してもらって既に持ってる開府の権利を二重にする意味も無いし >>305
支那は満洲人の大清帝国が支配するようになった >>298
元寇でもわかるように海を渡る時点で不利だから必ずしもそうとは言えない気がするけども
当時の日本は特に大陸から切り離されていて技術革新が起きない土壌だから軍隊は強くなりようがないだろうね言うまでもなく >>303
チンギスハーン4PKで最高戦闘力の永楽帝も足利義持が貿易止めた時で怒っても攻めてこなかったね。 >>32
ヒント叙任権闘争
心を支配するものも結構強かった
中世までは 信長は将軍制度を残したくなかったんじゃねーの?
日本を完全統一して
「今日からキング織田が統治する。公家とか神様とか廃止で俺以外は全員平民。」
くらい突き抜けてないとな 信長の狙いは、天皇を今までの天皇として存続させつつ
自分自身はそれを超えることだからな。
その答えは、天皇は日の本のトップとして君臨させつつ、
自分は大陸の覇者となること。
天皇から任命される征夷大将軍なんてなるはずがない。
というか「夷」自身が中国由来の言葉だし、これから中国も獲ろうとしている人間が名乗るはずがない。 補給が万全の状態の時は、重要拠点奪ったり、朝鮮出兵上手くいってたんじゃなかったっけ よく見かける朝鮮での加藤清正進軍ルートって本当なの? 信長は歴史から色々学んで行動してるんだろ。
平清盛は、頼朝・義経を助命して平家は滅んでしまった。
頼朝は北条に担がれただけで、源氏嫡流の将軍は3代で滅びた。
安易な温情と中途半端な地位は不安定でしか無い。
敵対者に容赦ないのは平家の滅亡を考慮しているからだろう。
信長が望んでいた地位は天皇に次ぐナンバー2で間に公家が挟まることを嫌っていた。
将来的に公家が織田家の下にいるなら居ても良いが、織田家の上に立とうとするなら攻め滅ぼすという意向だろう。
公家に根回しをしないと勅許が得られないとか合理主義の信長か何時までも承服するはずもない。
国内を統一すれば既存の仕組みを大きく変えることに着手しただろう。
公家は危機感を持っていただろうから、光秀あたりに謀反をそそのかす話を持っていった可能性は大いにある。
信長が死んだことで、公家の存在が糞の役にも立たないと廃止されるのは明治維新まで待たねばならなくなった。 戦国末は刀剣だけは美術品というか刃物として輸出品の価値があったらしいけど武器としては従来の突き刺したり叩く刀剣の方が価値が高いし、他の武器類にも進歩がないわけだし キリスト教だけでなく仏教の各宗派の寺建てさせたりと安土は宗教都市みたいになってた
比叡山に代わる権威になろうとしたか? 信長は新しい物好きだから権威が地に落ちた感のある将軍職より
既存ではなく何か全く新しい官職を天皇に用意して
もらいたかったのではと思ったりもする
日本史上何代目かの将軍よりも初代○○の方がカッコイイしねw 信長って案外堅実なとこあるからなあ
稲葉山城攻めるのに7年かけたり
桶狭間以降は相手より少ない戦力や自領内での戦はやってなかったような アテルイとモレは征夷大将軍・坂上田村麻呂によって
畿内に連行されて畿内・河内国で処刑された 信長って朝廷大好きっ子じゃん
むしろ古い権威大好きだぞ >>32
アッバース朝が天皇みたいに成ってたはず
まあ滅ぼされたが >>310
幕府って徳川幕府からの用語だからな
鎌倉政権は地方政権で都合のいいもの
足利は源氏の後継者っていう点では意味があった
足利のあたりまでは貴族の権威ってのはバカになってなかったしな
織田は畿内政権だから、いちおう在京しなきゃいけない近衛大将でも何にも問題がない
しかも貴族の地位とかグダグダだったし 明は海禁をして鎖国してたからあちらも同じく技術革新は起きにくくなっていたはずだし
明にせよ朝鮮にせよ文の方が武よりも常に上につくお国柄なので軍隊には権限がなく始動が弱かったのは間違いないだろうけども
兵站の概念がない国の遅れた軍隊が海を渡って勝てるかよ笑っていえばそりゃねー 唐入りの頃の日本軍は戦闘は強かっただろ
数多くの戦闘でも負けたのは2度程度だし結果的に明が滅びた原因を作った
秀吉も本気なら自分の小飼中心で攻めさせずに東国大名ももっと投入してただろう
あと、半島の水質の悪さ・疫病・水田すらない環境で食糧調達できない・飛鳥時代並みの文明度・キリシタン大名による各種妨害行為と補給の軽視などなど
ちなみに石田三成も実はキリシタン疑惑があったりする >>55
アレで見る気なくした
逆に斉藤道三がカッコよすぎ
マムシが死ぬまでがピークなんじゃね
って思った 索敵は怠るし戦わずして勝つ鉄則も破るし急襲できた最初だけだよ
そりゃ勝てないよ孫子もろくに応用できないんだもん 国内をまとめきれずに突破してるから二段構えで国内治安維持のために大きな軍も動かせないし老衰で気が狂った指揮官の妄想に付き合いきれない軍に士気があるわけもなく終わってんだろ笑 >>256
千葉真一が光秀のやつね。あれ光秀が石橋蓮司の義昭を銃で暗殺したのには唖然としたわ。それで松方信長に激怒されるし
>>332
家康にとって吉良家の重要さが分かると、忠臣蔵がより面白くなるね 正倉院の香木を実際に焚いた奴が
3人居て足利義政、信長、明治天皇。 >>343
蘭奢待だっけ
時の支配者が切り取る香木 >>344
竹中直人の秀吉のときに出てきたな
もらった蘭奢待返しに来た仲代の利休が光秀の異変を言わず >>297
斬新すぎると思うが。成り上がるまでに将軍・天皇と権威を利用したが、ほぼ手中に収めると
不要になったので、城の庭にでっかい石を置いて家臣どもに神として拝ませ始めて当惑させていた
最終的には旧制度の天皇を廃棄して、自分が新制度の最高位(神)を占めようとしていたと
言われている 将軍といえども立場上は天皇の家臣だから、自分が天皇に代わる存在になりたかった信長は満足できなかったんだろうな。 新しいコンテンツを生み出せないから古い物語を引っ張り出しては大河にしてる。
毎年忠臣蔵を放映するようなもんだな。 よくよく考えたら朝鮮出兵より明出兵の方が正しいような。
朝鮮人お得意な被害者ぶりたいからそんな言い方になってるのかね。 >>349
今年こそ吉良が生き残る忠臣蔵が見たいものだがなぁ
毎年年末年始のどっかで殺されている >>351
吉良の一族上杉の援軍がやってきて都の治安を乱す不埒者を一掃するようなのか。
そういうのなら見てみたいな。 >>350
お前はどんだけ朝鮮が好きなんだ
朝鮮出兵は朝鮮人が名付けたのかよ >>32
欧州の教皇と王
イスラムのカリフとスルタン
割とよくある 大昔に統一して俺天皇なwwwと名乗ってずっと一族が君臨するってすごいおね
まあ宗教とかもそうだけど 朝鮮出兵は武士の失業対策なんじゃないの
家康は関ヶ原以降公務員にして一応成功 >>356
あまり知られていないドイツの大統領とかな
三権分立とよく言うが、こういう権力と権威の分立共存の方が一般的だね 信長は将軍様だぞ
征夷大将軍でないだけで同格の右将軍
そもそも、義昭が辞任しないで逃げちゃってたからな >>298
そんなことないよ
日本は国内で戦いまくってたから、当時の日本を侵略できる国はなかったと思うよ >>356
連綿と続いてるわけでもないんだがなあ。
途中で入れ替わりとかまあいろいろと。
武烈天皇のあたりとか・・・ >>27
室町幕府なんかろくに統治してないけど将軍だぞ(´・ω・`) 歴史以上の人物をネタに語るリーダー論・人生訓
いつまでたってもこういうの無くならないな日本は >>363
足利義満はもっと上の「上皇」まで行こうとしてたがな 朝廷と幕府の利権争い
鎌倉室町は面白いなぁ
それに比べ戦国時代はつまらん 征夷大将軍とか古いからwwwいらねーしwww
とか織田信長が言ったのかな? 本能寺の変が無ければどうなっていただろうな
朝廷の権威の枠の中で、征夷大将軍に収まった可能性は低いと思う
逆に朝廷改革にまで手を出して、自分が朝廷の上に立とうとした可能性のほうが高そう >>298
二週間で首都を落とされて
明からは何で日本から脅威が迫ってたのに報告しなかった?と叱られた糞雑魚朝鮮 信長は平氏だから征夷大将軍になれなかった。
征夷大将軍になれるのは源氏のみ。 >>298
朝鮮なんかすぐに日本軍に全域占領されただろがwww
明王朝の大軍のおかげで押し返せたに過ぎない。
明王朝は朝鮮救援に金と人員を使い過ぎて、清王朝に取って代わられる原因になったがなw >>371
将軍の官位はすでに息子に譲った後だったから、再び、将軍の座に
ついた可能性が低いことは事実だろうな
太閤になった可能性はあると思うけど不明だな 大河とか全然見たことないけど長谷川博己は結構いい俳優だし見てみようかな。 苦しくなったら中国頼み
いつもの朝鮮、今日は曇り空
朝鮮は単独で戦争には勝てません >>371
そもそも義昭が生きてて現職の征夷大将軍なわけで・・・
おれだって面倒くさそうでいらんと思うわ スレタイ見て羽賀研二が浮かんだ人は俺同様におっさん 信長は「天下の儀も御与奪」の宣言の時点で形式的には全てを信忠に譲ってたからな。
自分は官位とかに縛られずにノビノビやりたかったんだろう。 >>380
おかしいな
羽賀研二といわれて、なぜか頭に草刈正雄が浮かんだ 信長って位階を欲しくて金かけてたイメージあったわ
実際は違うんか >>344
斎藤道三の元主君の兄も切り取ってるから大河でもエピで出そう 信長→天皇を超える存在になりたかった、滅ぼされる
秀吉→出自が卑しいから貴族になりたかった関白を貰うが滅びる
家康→自分を弁えてたから武家の最高位征夷大将軍を貰う→長期政権 >>375
何を根拠にファンタジーを語っているんだ?
明王朝が朝鮮半島へ出兵した背景にチャイナ外交官がサイレンサーを付けたピストルで脅しているんだぞ
数年に1回ペースで朝鮮半島へ出兵しているんだが >>386
木曽義仲「わしも分を弁えて征夷大将軍をいただいた」 源氏にしかなれない征夷大将軍をめちゃくちゃなゴリ押しで納得させた家康さんすこ 征夷大将軍は官位では無いので「最高位」ではない
頼朝が宣下を受けてからの征夷大将軍は武家の棟梁、すなわち武家の最高権力者という意味だろ
まぁ、それも鎌倉幕府ではすぐに形骸化するけど >>1
そういえば、なんで秀吉は将軍にならなかったのだろう?
関白なんかより豊臣を将軍家にしてしまった方が秀頼も安全だった気がするが。 >>388
日本語も歴史認識もメチャクチャだなwwww
朝鮮学校の授業のレベルの低さがよく解るwww >>386
信長は尊皇家だし、秀吉は征夷大将軍になりたかったけど、義昭に「何故に農民に名前やらにゃならんのだ」って断られたからだし
しかも、信長も家康も貴族だし >>379
信長だけは義昭や足利将軍家を担ぐ事に執着してた説の方がしっくりくるわ
執政官や総理でいるのが良かったみたいな立場 明王朝皇帝の亡骸を墓地から取り出し、ガソリンを掛け燃やした 毛沢東 とは、朝鮮人(積年の恨みだろ)
>>395
その都合が悪いと相手を朝鮮人にする姿勢を何とかならないの? >>392
もちろん最初は将軍になろうとした。
それで足利義昭に「俺を養子にしろ」と頼んだが拒否されて関白に変更した。 執権北条も織田信長も天皇制を潰しそうな勢いだったかな
日本の権力頂点で官位無頓着なのがその現れ 征夷大将軍にはならなかったが天皇の権威は認めていたし宗教との共存も図ろうとしていた
これから丸くなっていくであろう分岐点で本能寺の変は起きた 麒麟がきたは謀反の動機はどの説を取るんだろうな
これだけが楽しみかな >>392
将軍ってのは今でいうと爆殺されたソレイマニみたいな最高軍事司令官ってだけでそこまで偉くないというか
秀吉は既に軍事権は掌握してたからじゃないかと >>398
そんな不自然な日本語で日本叩きして「俺は朝鮮人じゃない!」と言って誰が信じるんだ? 秀吉は天皇制を大切にするという契約で
豊臣を摂関家とした 信長は明確にローマ教皇の家臣
である事を自負していた訳で、
官位とか、征夷大将軍とか、
どうでも良かった。 日本の歴史を学べば学ぶほど「天皇」という存在の解釈に悩むようになる 北条とか形式的な地位はどれだけ低かったんだろう
世界的にも例が無いんじゃね
でも朝廷フルボッコにして上皇島流しにしたりと征夷大将軍なんか相手にならないくらい権力握っていたよね >>405
明王朝皇帝が座ってた玉座の壁に21世紀に作られたピストルの弾丸が複数撃ち込まれてた
これを習近平の指示の元、取りだされ、成分検査や洗浄痕検査が行われた経緯がある
習近平からオバマ氏かトランプ氏へ情報が伝えられた >>401
信長は右大臣なんだが…
朝廷実務の最高位なんだぞ >>404
いや、関白より将軍の方が良い。
関白はその性質上、天皇より幼い者は就任できないルールがあった。
だから秀吉存命中に秀頼が関白就任できずに家康台頭を招いてしまった。
将軍なら幼くても就任出来たから秀吉存命中に秀頼を将軍に出来た。 秀吉はともかく、信長は将軍の位とか眼中になかったろ 官位は天皇制の拠り所だからな
天皇関係ない、自分が新しい天皇に代わる皇帝になって
天皇家を伊勢宮司家に追いやるという手があったな
出雲国造家も大和朝廷に追われた王族家だからな >>400
それは嘘というか後世の創作
そもそも源氏じゃないとなれないという事からして誤解 >>413
すぐやめたぞ、それに太政大臣にならなかった それでも征夷大将軍になりたかった徳川家康は藤原氏から源氏へ偽系図まで
作ってなりました。 信長はローマ教皇の家臣としての座を、
フィリペ二世と争っていた訳で、
先ず明への進出は確実。
その為に、官位とか天皇の権威とかは、
全く意味のないモノであった。 >>9
本能寺の前に打診きてるのよ、朝廷から
征夷大将軍、太政大臣、関白のどれかになってって
いわゆる三職推任
ぶっちゃけ3つ全部兼ねても問題ないんだけど >>418
坂の上田村麻呂は源氏じゃないよね、たぶん >>411
最後の方は覚えてないが、確か代々相模守のはずだからギリギリ貴族
幕府の実質的なトップだけど、朝廷内では自分が従えてる奴よりも地位が低い時もあったはず 信長は天下統一したら天皇も将軍も廃して新しいトップの地位を作って就任して大陸に攻め込んでたよ
既成の枠は眼中にない その全て断ってるから朝廷は「こいつ俺ら潰す気では?」とか勝手にビビってたけどノッブはまじで外国狙ってただけって言うね 上の方でもあったとおり
鎌倉幕府にも摂家将軍や皇族将軍がいたように
源氏でなければ将軍になれないというのは俗説に過ぎん
平氏の信長も三職推任問題で将軍も選択肢に入ってるし
秀吉が望みさえすれば問題なく将軍になれた >>37 半分は当たってるんだけどな
皆が目指してたのは、「戦なき自分が天下人の世」
自分が天下人になったら戦など起きて欲しくない そもそも信長が天下統一を狙ってたというのが後世に生み出されたファンタジー >>420
家康も徳川政権を安定させるには「将軍」が一番良い事は解ってたからな。
幼い後継者へも譲位出来るから空白期間が生じないし。 北条高時の後醍醐天皇への出兵も圧倒出来て裏切りが無かったら、幕府頂点で京都御所廃止の方向で進んでたと思うわ もし将軍になってたら権威を重んじる光秀の謀反はなかったかもと夢想してみた >>419
太政大臣は懇意にしていた近衛前久から譲られるはずだった
譲られる前に本能寺が起きただけ >>429
宣教師から地球儀を貰っていた
という点では合理性はある >>392
将軍が偉いなんてのは徳川時代を経た逆算だろ
戦国時代での将軍の認識なんて
鎌倉幕府は源氏三代の後は傀儡と化した
室町幕府では大名を統制できず暗殺されたり、現在進行で追放中
欲しいか?こんな縁起の悪い職 >>430
でも将軍=天皇の臣下という地位に自ら進んで甘んじたために、幕末の尊王思想にあらがえず幕府は滅亡したわけだが >>436
取り敢えずギリギリまで利用はしてたんだな >>419
その辺は政治的なバランス感覚が良かった様に思う 安土城屏風絵に、
ローマ教皇の領土の中で一番繁栄している都と書いてあったと言われている。
それをローマにもたらしたのは伊東マンショ達だからな。
大友宗麟と連帯した事は確実で、
日本はキリスト教の国になっていただろう。 >>432
当時の都京都
経済都市の堺を手中にしていたのだから
かなりの勢力ではある >>414
秀吉にちゃんとした後継ぎがいたら関白じゃなくて将軍になってたかもね >>427
三職推任は本当にあったのか疑問視されてる。
あと摂家将軍や皇族将軍はもともと何の問題も無い。
それぞれ家格は源氏平家などをはるかに超えてる家格なわけだしな。 将軍にならなかったことが失敗だったのは秀吉の方だな
関白の方がヒエラルキーとしては上であっても、関白は世襲ではない
秀頼が豊臣幕府2代将軍になっていたら家康も大坂の陣のような形で滅ぼすことはできなかったはずだ >>431
征夷大将軍・太政大臣・関白のうちどれかに任官することが提案されたのは貴族の日記にかいてるけど
提案したのが信長側なのか朝廷側なのか、朝廷側として信長が受けるつもりだったのかは直後に本能寺が起こったから謎 >>444
秀次を関白にしてるんだから摂関家の持ち回りを奪って豊家で関白世襲の方針は揺るがないだろ
その秀次を秀頼可愛さに殺したせいで豊政権は土台から崩れたわけで ローマ教皇の家臣にとって、
官位も征夷大将軍も全く意味のない事。 >>357
ガチで皇室主導で武闘で後継争いやったのは壬申の乱くらいか?
保元平治は上皇って要因も入るが、基本藤原家が天武朝以来「玉」の権威を弄して来た故の事件。
後鳥羽後醍醐は武家からの主導権奪還に失敗したが「玉」としての権威確立には大いに寄与したのかも?
信長がどこまで皇室権威を使い倒す気だったかは知らんが、公方足利義昭を追放しても殺さなかったからな。
秀吉は摂関家使って関白位を得、豊臣の姓を下賜して貰ってるからまあ権威高める一助はしているか?
家康-秀忠は将軍位得た後じわじわ締めにかかった観あるな...後水尾帝をどう評価するかにも繋がるのか?
明智光秀が本能寺に到った背景はまあロマンやね。
伝説では一穴主義貫いた事になってるから「明智の妻の話せむ」な大河ドラマになるんかねえ? >>384
無力で自分が将軍に付けてやった義昭。後見人なので将軍として恥ずかしくないように献上。後見人の立場を
利用して様々な外交に利用。ただし、自分の官位は父信秀と同じく自称の織田弾正忠
義昭に副将軍と管領職を勧められるが、辞退(つまり官位不要)
義昭追放とその後の対応で、より高い権威の朝廷を利用。これにより官位急激に上昇。正二位右大臣なる
朝廷から更に太政大臣、関白、将軍のいずれかにすると言われるが、色よい返事をせず放置。本能寺でアポーン
つまり、必要な時に位階を利用はしたが、必要ないほど力をつけると受けずに権威を無視 まあほんと秀吉は茶々のせいで家ごと死んだようなもんだわな >>439
大和王権成立以後の日本で天皇の臣下でない天下人なんて天皇・上皇以外では一人も存在しないだろが 鎌倉幕府の最後の将軍は親王だったから京都に帰っただけだったな 鎌倉時代の源氏三代、室町時代の足利氏も源氏の名門なので、
征夷大将軍は源氏って印象が強いが、鎌倉時代の実朝以降は
藤原氏や皇族が将軍。無論、北条氏の傀儡だが。
本来源氏でない氏素性不詳の徳川(松平、室町時代初期には
賀茂氏を自称)が権威付けのために源氏(新田氏)を自称し
たので、源氏しかなれないって印象が更に強くなった。
なので、織田信長(平氏や藤原氏を自称したが、実際の家系
は越前の忌部氏)だってなれないことはない。 >>441
というか単に太政大臣になるなら信忠って考えてたんじゃないか
自分がならなかった太政大臣に信忠がなることで
信忠の格を上げたかったんじゃないかと >>414
>>444
それで関ヶ原では石田三成が小早川秀秋に、秀頼様成人まで関白にしてあげるなんて唆したり >>448
朝廷側の提案だろうね、信長側なら3択提案とかしないかと 足利義満と同じで天皇より上の存在になろうとして消されたのかと思ってたけど違うのか 僧兵などいる延暦寺や興福寺は、
確実に潰されていただろうな。
もちろん、本願寺は壊滅。
高野山だけは残されたかもしれない。 いやまてクソ坊主は撫で切りにしてたけどノッブは普通の寺はむしろ保護しまくってたぞ? 将軍は源氏しかなれない説は徳川の御用学者の林羅山が発信じゃなかったか 大体出自もクソも無い豊臣がいきなり摂関家だからなんでもありやわ、結局軍閥としての頂点が何者にも替え難く偉い >>457
信忠は秋田城介だから
先例の秋田城介→鎮守府将軍っていうルートもあり得るのかな 最近の研究で当初は義昭を大事に扱い敬ってたみたいだね天皇にしても同じ >>449
最初というか嫡男が居なかったから将軍家としての存続より
関白世襲の方針にしたんじゃないかと
まぁ関白秀次就任の後だっけかに太閤に子供産まれたからおかしくなったってのはその通りで 皇室に関しては、
キリスト教への改宗を勧めただろう。
自分は、大陸進出後に、そこで王になっていただろうな。 >>446
関白は世襲するにも後継者が幼いと空白期間が必ず発生してしまうからな。
その空白期間を家康が上手く衝いたわけだし。
将軍なら幼い後継者にも譲位出来るから空白期間は生じない。
家康は空白期間を生じさせないように短期間で秀忠に将軍職を譲位してるしな。 >>445
どういうニュアンスで疑問視されてるて言ってるの? 「なり損ねた」に信長入れてる時点で読む価値ないわな >>9
朝廷に将軍と関白右大臣のどれかになってくだされって懇願されてた >>466
信長は細川政権や三好政権みたいにずぅーと将軍を担ぐ体制を考えてた説の方がしっくりくるわ
あくまで足利将軍家の副社長とか実権を握るポジションで 信忠の正室を皇族にしておき、その正室を後に女帝に
一方中国征服または最低でも朝鮮などを征服し
中華皇帝または朝鮮国王に自分が即位後、すぐに信忠へ譲位
天皇と他国の皇帝or国王を統合する形で、織田王朝に変更するとか? >>454
対外向けには、足利義満は日本国王だったし、徳川将軍も日本大君だったし。
天皇の臣下という形が必要なのは、国内統治向けだけ。
信長は最終的には地球征服を狙っていたので、日本統一段階では官職はもらってもいいが、
大陸進出段階になったら、どうでもよかったろうね。
世界の辺境の日本列島の最高位ごときは、天皇のまま置いておくだろうけど、
外に出たら自分が何らかのオリジナルな帝王の呼称を作って名乗っていただろう。
・・・と勝手に想像しているよ。
逆の言い方をすれば、天皇の名と旗を奉じて、大陸制覇をするとは全く考えられない。 >>468
中国を滅ぼしてから西からの十字軍と同盟してイスラム帝国潰しやな >>439
日本の二重権力構造をここまで理解してない人ってちゃんと学校行ってたのか? >>475
当初は間違いなく義昭に尽くしてたみたい追放してからの心理は天皇に尽くす意識は強くあったんじゃなかろうかと予測、意外と権威を大事にしてる形跡があったりなかったり 今は核兵器をどこよりも大量に持ち、
核兵器運搬手段をどこよりも自由自在に運用出来る軍閥のみが世界を支配できる >>7
主演の明智光秀を目立たさせる為のショボい人選だよな >>480
江戸時代には、幕府は朱子学つまり君臣の道を説く学問を奨励し、
将軍>藩主の地位関係を強化することに努めたが、それが時代をくだると、
変質して、天皇>将軍という思想がj広まっていくわけだが。
つまり、最初は二重構造をやっていくつもりだったのに、結局天皇・朝廷の権威に
幕府は飲み込まれてしまった。
御三家の水戸藩が過激な尊王派だったのが、象徴的な皮肉だと思うがなあ。 恐らく信長は皇帝を目指していたのではないか。
カトリックの中での地位を求めていた。
当時、アジアに進出して来たオランダとの戦いは確実。 今は経済団体が主に最終的核兵器の運用権を得ているから使わないように調整出来てるが、
カルト宗教系が核兵器運用権持ったら躊躇なく
都市の大規模な消滅に踏み切るだろうね 信長は足利義昭を神輿としか思ってないから
自分が将軍になることは何の価値もないと分かってただろ >>481
安土城の構造一つを見ても、信長が、天皇どころか仏教もキリスト教も、
自分がそれら全ての上に立つ存在になる気満々だったことが知れると思うけど >>485
日本史を勉強すればするほど天皇家の重要さをどんどん認識するようになるからな。
大日本史を編纂してた水戸藩はなおさらだっただろう。 >>463
徳川の素性はニセ源氏だからもっともらしく権威付けするために唱えた珍説だろうなw
上代の征夷大将軍は源氏でなくとも任命されていたし 天皇家は恐らくカトリックになっていただろう。
貴族もカトリックだな。 >>5
将軍になると私利私欲ではないというなぞ
最後は大権現で神になってるんだが 徳仁も小室も眞子もしょーもない
元首は大統領であるべき >>481
ああ、あと比叡山の焼き討ちもね。あれはただ単に寺を物理的に焼いただけではなく、
天皇や朝廷の過去数百年最高の守護と権威付けされた物をも、容赦なく滅ぼすと言うことを
天皇・朝廷に知らしめる効果を狙ったデモンストレーションでもあったのだよ。
あの焼き討ちで、天皇も貴族も自分たちも信長に逆らったらこうなるって震え上がったわけで。
まさに魔王だよ、魔王。 古い権威を無視したとか昭和の信長像だろ
今は古い権威や勢力もそれなりに尊重して調和しようとした信長って説が主流だよ
別にドラマの中ならそれでも構わないけど
歴史学者がいつまでも旧説を垂れ流すのはどうかと思うよ >>488
それこそ家臣である光秀とか秀吉は信長がさっさと将軍というお神輿になった方が良いって思ってたかもな たぶん将軍になるのってそれなりに公家に頭下げなきゃいけないんだと思う
信長からしたらそんな借り作らなくても天下布武できるからイラネ
って思ったんじゃないかな 最近の日本史の考え方では、1185年に鎌倉幕府成立と考えるとおり、征夷大将軍がトップでなくても幕府と呼ぶ。
実効支配の様子が大事なのだ。
ゆえに、安土幕府、京都幕府(聚楽第)、桃山幕府(伏見)という言い方も問題ない。
江戸初期も、家康存命中は、駿府幕府と呼ぶべき。あるいは江戸・駿府鼎立幕府とか。
土地ではなく元号を使っていいなら、薩長が実効支配してた時代を、明治幕府と呼んでももかまわないんじゃないかな。
それが東大の本郷たち(=かつて、海賊王清盛で、天皇家を「王家」と呼べといった奴)の主張にもとづく呼び方だ。 人間の世界は軍閥の首長が一番偉いんだよ、
日本国は内閣が支配できてるのは警察庁を上手く使役しているからだ 天皇に政治権力が室町以降全く無いのは、
軍閥掌握権を完全に消失したから、
試みたのは後醍醐天皇が最後だな
後醍醐天皇を大河でやらないか? >>480
あんたのほうがアホに見えるんだが・・・ >>500
創作物のキャラが広まっているせい
歴史に少しだけ興味ある人は多くて、その人らはドラマ、漫画、小説、ゲームで止まっているから >>504
天皇主役は難しいな
太平記の片岡仁左衛門は神々しくも
世の移ろいとはかけ離れた良くも悪くも浮世離れした人物だったが >>506
国盗り物語でのイメージだね。その前に高橋幸治が演じた太閤記の信長あるけど映像ないからなあ。 そういえば皇室にも皇宮警察が付与されてたな…
それが最低限の日本国内閣の天皇制への配慮 >>466
その辺がよくわからないんだよね、
わからなくなる原因としては、
信長終わる
↓
秀吉正義の史書書かれる「惟任退治記」とか
↓
豊臣家滅亡
↓
家康正義の歴史に
かといってルイスフロイスの日本史が客観的かと思えばそうでもなく、
思いっきりキリスト教正義!のバイアスかかってるし。 >>502
歴代将軍が徳川家なんだんだから徳川幕府でいいじゃん 民間軍閥の弘道会や山口組の抗争はどうなんやろか
人間の本能としての軍閥を規制する国という軍閥 >>6
今の信長研究だと大体そんな感じかなあ
昔は天皇に退位を迫った不逞の輩扱いだったけど今では金がなくて譲位できない天皇に配慮した忠義の臣になってるし 民間軍閥も制服を徹底した方が良いのに
結局便衣軍属を装わないと愛知県警に逮捕されるんや 世界の株式市場とか無かったら、バンバン都市消滅とか起きてたやろうな、グローバル株式制度に感謝線せんといかんで >>496
ノッブのやり口は、天皇にせよ将軍にせよ「織田家の天下」に利用できるときは
利用し尽くし、ジャマな時は封じるか排斥する、という独裁者のやりかたなんだよ
フランコやムソリーニと王室の関係に似ている。権威に対して、主導権があるわけ
王室は滅ぼされる懸念はないが、独裁者のやらかしに利用されるから不安定な立場
においやられる。朝廷が本能寺の黒幕という物証は無い。だが動機は極めて濃厚
で、独裁をきわめる織田政権の目的は大陸侵攻。信長の政策の後継者である秀吉が、
さらに効率化した独裁で唐入りをやったことでこれは証明済み。秀吉は中国とインド
を征服することで、天皇を越える「世界皇帝」を夢想した。織豊政権は、外征のどさ
くさで「無血の易姓革命」をめざしていたわけであり、猫をかぶった逆臣そのもの 関白制度は明治からなくなったんだっけ?
英国のハリスの指令だろうな 公家社会の枠組みの中で、あわよくば皇位を狙った可能性がある人
物としては、足利義満がいるな。息子の義持はその考えに否定的だ
ったので、彼が死んでからはそういう志向は無くなったが。
信長にはそういう考えはなかったと思うが、朝廷や将軍家を敬うよ
うで、朝廷からの官職を拒んだり、将軍を追放したりする。おまけ
に、石を神として敬うように命じるなど、朝廷サイドとしては何考
えているのか分からない不気味な存在だったろうね。 ハリスじゃないわハリーだったわ、
薩長下級武士軍閥のスポンサーやからな
明治政府が英国風にさせられたのもそれやな 鎌倉、室町幕府までは、将軍がバンバン暗殺されたりする
徳川の北朝鮮並みの統制でようやく公方将軍の権威が確立した >>262
将軍にはなれても源氏長者にはなれないけどな NHKは東京大学が創ったファンタジーを信じているんだから
組織が消滅する立場の人達なんよ >>513
今は信長意外とただの人説が定説みたいだね
そうなるとホントは秀吉の方が超ヤバイ人になってくる 信長にその気があれば三職どれにでもつけた
それぐらい信長には力があったし天皇とも親密だった
これを分かってないで語る歴史家が多すぎるんだよ クリスペプラーみたいなんが
曹操やっている中国ドラマもあるしなあ。 >>527
秀吉は政策に関しては信長の後を追っただけ >>382
わかる、最近だとカバちゃんの弟が邪魔して出て来ないw >>527
超働き者で部下に甘い説が定説となりつつある >>527
関白になって全国規模の検地やって石高制にしたり朝鮮攻めたりと旧体制変えるような改革やりまくってんだよな >>533
一度裏切った家臣でもチャンス与えてるしね。 信長は出自が卑しく手指が6本の秀吉に権力の夢を付与させた変人 秀吉は天皇の血を引いてなかったら
征夷大将軍になれん >>1
元祖パワハラの信長が将軍になってたら日本は暗黒時代に突入してたよ(´・ω・`) >>527
楽市楽座も先にやってた大名がいたんだよな 信長は斯波の与力という真っ当な血筋だったのに
秀吉に権力を付与したのは不思議 世界に打って出るには、日本掌握しないとだめだし
将軍の位も有難がってもらう、というより道具としてもらってやる
って態度だったのかもな。
で、金柑頭が、天皇に対する敬意がないとか反感もったんじゃね >>543
裏切った浅井の代理なんだろうな
秀吉の家臣団も浅井家多いし >>1
「古い権威を無視」したから「あえて将軍にならなかった」のではなく
法によって天下を治める前に亡くなったというだけだろう。
武力による天下統一の過程では、武力と個人的な主従関係で支配できるけど
天下を統一して法治の段階に入ったら支配者も法体系の中で自らを
支配者として位置づける必要がある。 >>545
ルイスフロイスの日本史によれば金柑頭は単なる謀略家の野心家 染谷、大河で信長やるならNHKの変な別ドラマやめて 信長は旧来権威に関心が無かった説は史実だけ見たら否定される説
義昭を追放したのは義昭がアホだっただけで、信長は追放後も義昭に毎年上納してるし
朝廷に至っては経済力が豊臣に劣るから豊臣には負けるけど、他ならほぼ負けないレベルで朝廷への出資を行ってるし
応仁の乱で資金不足になっていて祭祀も行えなくなっていた朝廷に立派な宮殿建ててやったり、祭祀に必要な道を整備したりしてやってる >>391
源氏と平氏を手玉に取った後白河が老獪だったな よく言われるタラレバ話だが、信玄が病に倒れなかったらどうなっていたか…。
やっぱり秀吉にはかなわなかったかな 勘違いされてるけど、征夷大将軍になったから武家の棟梁になるわけじゃない
武家の棟梁に後づけで朝廷が与える官位の一つが征夷大将軍なんよ
ここを理解しないと本質はわからない
頼朝が武家の棟梁になったのは平家を滅ぼした時点で後づけで朝廷が贈った官位が右大将
だから頼朝は後世まで右大将家、右幕下と言われた
信長が武家の棟梁になったのは義昭追放し長篠で武田を壊滅し越前一向一揆を大虐殺殲滅した1575年
この時朝廷は中将である義昭より上の右大将に任じ以後信長は上様と呼ばれるようになる
信長が織田家の家督を信忠に譲って安土に移るのは信長が大名より上の地位に就いたから
信長家康間の書状も以後君臣間の書状形式に変化下 >>420
家康も地方政権だから征夷大将軍じゃないと面倒くさい
松平家はどこかの馬の骨だから、そもそも大将軍としての説得力に欠ける
だから貴種の系図が欲しかったんだろう >>510
最近の研究だとその前に秀吉も信長の肖像画を見窄らしく描きかえさせたり歴史改鋳してたみたいだしな >>542
さてはおまえ織田信成だな?(´・ω・`) >>558
馬鹿かお前?
偽家系図の奴とか意味不明なんだよボケ >>538
坂上田村麻呂って天皇の血を引いているのか
坂上氏って漢系渡来系氏族の東漢氏の同族らしいけど
まあ仕えた桓武天皇の母も渡来系だけど >>530
信長は支配地の統治は軍団長に丸投げだったから
全国支配してからの政策は秀吉独自だよ 伏見とか大坂に
大名の家族を止めおいたのも参勤交代の魁か >>561
丸投げじゃねーよ
柴田勝家を北陸の軍団長に任命した時の文書知らんのかよ
何事も俺様の確認取れ、俺様に足向けて寝るなって書いてんだぞw
そして前田利家、佐々成政、不破光治を監視役につけてる
本能寺の後でうやむやになってるけど蜂須賀小六とか竹中とかは元々信長の直臣だからこいつらも秀吉の監視役だぞ 朝廷「三つ用意したよ、どれがいい?」
・征夷大将軍
・太政大臣
・関白 江戸幕府が長期存続したのは家康が将軍になったからじゃなくてエグいくらい権力基盤を強化したからだな
秀吉は大名にある意味気をつかいすぎたから家康に乗っとられてしまった >>7
これだけで観る気半減
家康の配役も個人的にムリ つか日本には全土を騎馬にて斬り獲るような
支配者が出てないよね
同盟や連邦国ばかり
もし全土を直轄する大王がでてたら
日本の権力構造は随分と変わってたかも >>571
実際堀は信長の先乗りとして秀吉を監督するために一足先に高松に到着してた
信長の側近なのに本能寺で死なずに済んだのはこのため
その後いち早く秀吉の家臣化したのは堀が有能で先を見る目があったから >>88
はあ?家康は没後すぐに叙せられたが秀吉は大正になってからだぞ >>32
共産党アメリカ軍の日本分析
アメリカイギリスのユダヤの手引きで徳川将軍権力からクーデターで世界天皇の支配になった
しかしクーデターから日本では小作農は徳川時代からの日本人地主とクーデター後の世界天皇の二重の権力支配の元にある
そこでアメリカが狙ったのが日本を占領しユダヤ権力の世界天皇一本の支配構造にすること
徳川時代からの日本人の地主を抹殺すること
アメリカは日本を占領し農地解放を行い、日本人から農地を奪い、朝鮮人と小作農に農地資産を分配
日本人から地位資産を奪い世界天皇、朝鮮人、小作農が勝ち組のクーデター革命国家を作った >>575
武田の騎馬隊は実は荷物運びの馬だったからな >>560
その頃は皇族支配だからな
平民は戦うことすら出かなかった >>23
そもそも初代の田村麻呂が源氏じゃないよな >>572
家康が秀吉を反面教師にして大名の領地削りまくったからな
しかし薩摩の島津だけは領地削れなくて、それが250年後に仇になる 武門の仕事があるのに
朝廷の仕事までやってられんってのが本音じゃないのかな
家康はうまいこと手を打ったよね >>1
三職推任問題
晴豊(はれとよ)公記
今更感 信長の野望は桶狭間に始まり本能寺に終わる
今川義元を知るにつれ守旧派が信長を恐れるのも尤もな気がする
以下の記事には家康黒幕説と四国説が含有されている
https://intojapanwaraku.com/culture/17466/ 執権北条氏だって
あえて将軍じゃなくても公家将軍や皇族将軍を傀儡して
似たような権力あったものな >>588
平家だからなれなかった。
信長も同じ。 征夷大将軍になり損ねた男たちってタイトルであえて将軍にならなかった織田信長って矛盾が酷い
なり損ねたって日本語の意味わかってるのか? >>592
まあ、タイトルは編集の指示かもしれんから・・・w >>8
こういう、最近の研究ってやつはどれくらいの意味があるのかね。だいたい、今時の共産主義者じゃないんだから皇室の権威を無視するとかないでしょ。 >>188
朝ドラ「ちりとてちん」では松重さんが兄で京本さんが弟だったね。実際は京本さんの方が年上で。
それよりずっと前の大河「毛利元就」では京本さんの息子が松重さんだった。
いとこ同士での養子だけど。 >>593
征夷大将軍になり損ねた男たち トップの座を逃した人物に学ぶ教訓の日本史
本の宣伝するために矛盾があろうが戦国で一番有名な信長の名前出さないといけないんだろうな
内容で勝負できないからなのか情けない >>591
公家将軍は源氏でなく藤原氏だけど
母系で頼朝と関係あるけどね >>584
島津家はガチの守護だし薩摩に元々根付いてたから遠慮があったんかな?
それとも、あまりにも江戸や京から離れてるから軍事行動はできないだろうしやっても時間的余裕があって十分対抗出来るだろうって安心してたとかかな? 信長が先に石山本願寺跡に城作ろうとしてたのって本当? >>591
でも平家なら源氏(足利)の次の権力者として正当だと思わせられるからわざわざ平氏を名乗った。とかの説あるね。 織田信長って日本の歴史上一番カッコいい男だよな
憧れるわ 源平藤橘のいずれかを祖とするなら将軍になれたはずだが
平家は賊軍扱いだからダメなんか? なぜ征夷大将軍に皆なりたがるのか
それは征夷大将軍だけが幕府を開く権利を持っているから
んで幕府とは何なのかというと
天皇に代わって政治を行うことができる組織の事を言う 関ヶ原の戦いは豊臣家臣同士の戦いで家康は豊臣家臣として戦後処理もして自分に圧倒的な領地を与えている
その後征夷大将軍になって豊臣から離れるという不届きなことしても誰も文句も言えなかったのは将軍に任官したからではなくほぼ絶対的な軍事力を手にしてたから
主筋の豊臣家に恩顧の大名たちも味方出来ないくらいの 家康のチカラを削がなかったことは秀吉の大失態だな
しょせんは猿や >>9
成ろうと思えば成れるよ
例の「源氏じゃなければナントカ」とか大嘘
勿論初代征夷大将軍は源氏でも何でもないし
鎌倉時代は開祖こそ源氏だがその後は宮将軍だの摂家将軍だの源氏なんて関係ねえ >>600
貴久は分家出身だけど本家の跡を継いだからね。 >>602
ドラマとかの影響だな
信長はまだ日本の五分の一くらいしか平定してなかったのに統一一歩前とか言われる
秀吉が統一したのはそれから10年後だし >>604
信長も秀吉もなりたがってねえだろ(笑) 征夷大将軍って地方に軍政を敷く権利があって朝廷から独立した形に出来る仕組み
それを拡大解釈して日本全土を幕府による軍政下にするという
ただ軍事的裏付けがなければ末期足利将軍みたいになってしまう > この連載では大河ドラマに出演する人物の中から、まずあえて将軍の座に就かなかった織田信長について取り上げる。
出演してるのは役者であって信長じゃねえよバカ
この場合、「信長は登場してる」だ
日本語はちゃんと使え >>610
あのまま信長が統一してたら徳川家がどうなったのか気になる。
家康が信長死んだら秀吉の時くらい野心剥き出しにするのか気になる。
それともその前に信長が潰すか。 武田氏滅ぼして半年くらいで本能寺の変だろ?
そう易々と全部いっぺんにできるかよ
と信長ならおもうだろうなw >>612
秀吉はなりたがってただろw
信長は義昭が朝廷と仲違いしなければ室町幕府続けてた気がするけど ちなみに信長は太政大臣になっていた形跡がある
本能寺の変の直後、信長の生存を装った秀吉の手紙のなかで
信長のことを「大相国さま」と呼んでいる
相国とは太政大臣の唐名のことだから
もし太政大臣になっていたら将軍になる必要などない >>614
そう言われてたけど頼朝が「幕府」(鎌倉政権)を開いたのは「右近衛大将の資格で」とされてるな、現在は
だから現在の歴史教科書は鎌倉幕府の成立を頼朝が将軍職就任した時点の「イイクニ作ろう」じゃ無くなってしまった 秀吉の失敗は徳川とか上杉とか前田を単なる地方の大大名にしないで豊臣政権の中枢に入れちゃったことだな 将軍とか関白とか朝廷からの正統性の裏付けがほしいだけで本当は何でもいいんだよ あえてと言うと、豊臣秀吉はなんで征夷大将軍にならなかったんだろ?将軍になると幕府ひらけるんでしょ?なのに関白と言うのにこだわったのはなんでだろ?
将軍とは武士の棟梁だから戦いはもうたくさんだ!という秀吉のやさしさ?
なぜ秀吉は天下を取ったのに将軍にならなかったのかは誰も解き明かせてない謎じゃね? >>622
右大臣にはなってる
右大臣は朝廷の実務の最高指導者で在京してないといけないからすぐに辞めた
太政大臣は本能寺直前に信長が懇意にしていた近衛前久が辞してるので、信長に譲るつもりだった、または譲られていた説が有力
でも太政大臣も祭祀に顔出しくらいはしないといけないからたぶんすぐに辞めたと思うw >>628
秀吉を優しいと思ったら大間違い
あんな気性の荒い冷徹なやつはいないぞ >>617
信長は跡取りが居たし、死んでも織田家の内紛はなかっただろう。
家康は先祖伝来の三河で満足だろうし、関東は北条に任せたのでは。 >>1
豊臣が将軍になれないのは中学歴史習ってたら分かるだろ
義務教育受けたか?
ホームラン級の馬鹿だな >>617
家康が秀吉死後に野心むき出しにしたのは
後継者が幼かったからだから、信忠と言う成人した立派な後継者が
いる以上は信長が死んでも大人しくしてただろう。
秀吉死後だって秀次が健在なら家康は大人しくしてた可能性が高い >>628
>将軍とは武士の棟梁だから戦いはもうたくさんだ!という秀吉のやさしさ?
アホな大河ドラマ見過ぎw 家康は朝廷の細々したことは公家に任せとけ
ただし出しゃばったことをしたら許さんてスタンス
秀吉は天皇と朝廷も完全に自分のものにしたいから将軍より関白のほうがよかったのかな
軍事力で大名たちを抑えつけつつ権威の源泉を天皇にしたから >>619
半年どころか3ヶ月も経ってないな
本当に直後だな >>612
秀吉はなりたいから最初源氏(誰だっけ?)の養子になろうとしたけど上手くいかず、ならば公家のtopになろうってんで藤原の養子になって関白になったんじゃなかったっけ? 家康は朝廷に俺を征夷大将軍にしろって圧力かけたの? >>607
家康は律儀者と信頼してたとか前田利家に牽制させてたとかいう話もあるけど、自分自身が主家に何してきたか忘れちゃってたんかね?
江戸に飛ばしたって安心出来る距離じゃないよねぇ。 外征を失敗した政権が持つわけない
家康がいなければ他の誰かが豊臣政権の代わりに出るだけ >>570
・宇宙艦隊司令長官
・軍務尚書
・統帥本部総長 >>630
いや、秀吉は心優しいと思う。
なぜなら元農民だから農民の苦しさを知ってるし家族思いだった。ドラマの受け売りだが。
刀狩とかも学校で習った。戦いをなくすためにもう刀はいらない平和な時代を作るという強い意志が感じられる。
魔王信長の下に居たからこそ平和を誰よりも求めた。
秀吉で残酷な話だと秀長とその一味を難癖つけて残酷に皆殺しにした話だろうけもそれも秀長が悪いから世の中為に一族郎党皆殺しにしただけです。 >>628
まず、学校で教わる歴史も大河も嘘っぱちなんだ
室町幕府は1573年に滅亡したと習うけど、本当は1588年まで義昭は征夷大将軍として将軍職をこなしていた
で、この1588年に秀吉の勧めで将軍職を辞めるのだけど、この直前に秀吉に継子(足利姓に加えろ)してくれと頼む
これを義昭が断ったために室町幕府を継ぐことが出来なかった
新しく任命して貰うという手もあったが、1588年までは島津も毛利も上杉も足利家の権威に従っていた
なので、新しい幕府を開くとせっかく統一しかけた国が二分する可能性が高かったからならなかった 信長は天才だからな
官僚型の光秀には理解出来ないよ >>617
本能寺の変の際も明智の兵士たちは信長の命でてっきり家康を襲撃するものと思っていた、
なんて話もあるぐらいだからな 石山本願寺は、織田軍の長期の攻撃にも関わらず、武力で開城される事は無かった。 >>646
>>649
お前らよくそんな出どころもわからない話を信用するな。
歴史番組やドラマでもそんな話見たことないんですけど?
なんか変な本に洗脳されてね?
足利幕府が続いてるとか本能寺で家康襲うと思ってたとかバカも休み休みいえや。 本能寺の時点で信長の天下は磐石だった
だから官位なんてない方が良かった
それよりあの時点の信長は権力の世襲を固めることに関心があった
だから信忠が武田攻めで見事な手腕見せたら絶賛し、三職の話が出たら今は俺より信忠の方しっかり取り立ててよとやっていた
この辺の信長の動きはかなり明確 >>643
関東から東は手付かず、四国ほぼ手付かず、九州手付かず、中国地方攻略途中
だったと思うが。 >>5
家康は私という自分のためというより
徳川家のため だな >>654
北条も土下座、長宗我部も討たれる寸前,毛利、上杉も風前の灯,九州は島津,大友も土下座 蔵之介をドスケベのハゲネズミにすれば
少しは見直す。 >>628
将軍にならなかった、でなく
なれなかった、と言われてる。
それは、源氏ではないから。 >>654
中国は武田みたいになる寸前
上杉は滅亡寸前
北条は既に信長の傘下
東北も有力大名は信長によしみ通じてた
九州も信長に敵対する有力大名なし
この時点で手付かずの信長の敵対者って長曾我部だけだぞ
本能寺なけりゃ1、2年で完全統一する流れだよ >>651
出典は確か「明智軍記」
信ぴょう性は高くないから「なんて話もあるぐらい」と書いたんだよ
芸スポ板で詳しい話しても仕方ないだろ?
歴史番組やドラマを元に語ってるようなのがゴロゴロいるぐらいだから >>657
そうだったっけ?
じゃあその後秀吉がそのあたりに出軍してたのは、怖い信長死んだし秀吉は舐められてたってこと?
各地ではまだまだ戦してたと思ったが。特に東北なんか絶賛群雄割拠中だったイメージなんだけど。 >>661
あ、北条に家康のお嬢さん嫁に出してたの忘れてたわ >>648
よく「信長は天才」と言われるけど
どのへんがどう天才なのか今ひとつ分からんのだが
例えばどういう点がそうなん? >>653
No.1とNo.2が手薄な京に同時にいたのが
織田家政権崩壊の元だったな
その点家康は関ケ原進軍路でも親子で東海道と中山道で分けていたなあ
まあヘタレ秀忠が上田で時間食って外様に頼らないといけなかったけど 信長は織田家をでかくするのに光秀・秀吉・家康を利用しただけで、天下統一なったら
譜代じゃないその三人は殺すか遠くへ飛ばす気でいた
三人はそのことに気づいていたが、正面切って裏切る度胸はなかった
いずれ左遷か切り捨てられるのを承知で従っているしかなかった
信長も光秀に謀反を起こす度胸はないと見て少ない手勢で本能寺に入った
頭のいい光秀が破滅するのがわかっていながら謀反を起こすとは思わなかった
だが光秀は謀反を起こした。どうせ信長殺した後で自分が討たれるのを承知で起ったんだよ
ただの腰抜けで終わりたくなかっただけなんだよ >>665
神流川での瀧川一益の惨敗のイメージが強いが、本能寺までは北条は信長に対しては大人しいもんさ
この頃の北条は秀吉の小田原攻めの頃よりひと回り小さい
上野や下野にまだ浸透してなかったんで
その戦力で武田を一気に滅ぼした織田とは戦えないからね
北条は本能寺後の数年の混乱で一気に関東制覇した
これは島津とも似てる >>660
意味がわからないんですが?
じゃーなんで徳川である徳川家康は将軍になれたんですか?不思議ですね。
徳川でなれるんだから織田でも豊臣でもなれるのでは?
そもそも源氏なんて鎌倉時代で滅んでますがな。 太閤検地での日本のGNPが約2千万石。
でも、信長が制圧したのは1千万石に満たない。国土面積にしたら、本州の半分以下。天下を取ったとはまだ言えない状態。しかも戦争は活発に続いてるしな。 >>667
不意を突かれたのと作戦通りの行動は一緒に出来ないと思うけど >>668
言い切っちゃうのはどうかと思うけど、部下は単なる手駒ってのは有り得るねー。
>>669
勉強なるわー 信長は太政大臣に就任か内定していたらしい史料が複数あるみたいね 最近やたらと信長光秀三成はホントは良い人だった説が押されててウザい 当時って近畿一帯を制圧していれば天下を取ったことになったんじゃねーの? >>673
太閤検地換算で885万石だね
だいたい27万人は軽く動員できる
これに上杉毛利領が併呑されることはほぼ確実な情勢だから1000万石30万人動員体制目前だった
家康が260万石8万人で天下取れたんだから本能寺なけりゃもう熟柿が落ちるの待つ情勢 >>673
東北だけ戦国初期だから抵抗できる勢力すらない。 >>605
太閤蔵入地を上手く召し上げたと思うわ
自分の懐は痛まないし東軍に付いた大名には感謝されるし >>678
秀吉と家康の情報改竄がひどいから仕方がない >>654
既に四国方面軍は編成済みで、指揮官は神戸(織田)信忠。長宗我部に追われた十河や
三好など、畿内豪族を主体に編成。本能寺の時には行動開始直前だった。
各方面軍は
関東方面軍 滝川一益
畿内 丹波方面軍 明智光秀
中国方面軍 羽柴秀吉
北陸方面軍 柴田勝家 光秀がナイスガイなら日本統一の妨害しないわな。
史上最低の裏切りだね。朝鮮に帰るべき。 >>672
現代人にはピンと来ないけど当時は家名(現代人的には名字)と本姓(こっちは現代には殆ど残ってない文化)ってのがあって家康で言えば
家名:徳川
本姓:(自称)源
で源一族の徳川さんって扱い
同じように(自称)平一族の織田さんだったり豊臣一族の羽柴さんだったりする
征夷大将軍になる条件に本姓が関係ないのはその通り(初代も2代目も源氏じゃない)
ただ源氏は自称を除いても源氏長者(源氏代表的な人)の久我氏筆頭にゴロゴロいる、有名どころだと武田信玄とか今川義元なんかは源氏の人 >>672
あくまでも「そういう説がある」だけど、まず武家政権は源平交代ごうたいの思想があったという説。
平清盛→源頼朝→北条氏(時政〜義時など)→足利尊氏は
平氏→源氏→平氏→源氏の順になっている。まずこれが前提。
そして、足利義昭(源氏)を追放して権力者になった信長は、最初藤原姓だったのを平姓に変えてるので足利の次の政権の正当性確保のため?という説がある。
そして、秀吉が政権を握った時、平氏の次だから源氏になろうとして足利義昭の養子になろうとしたけど断られたとか。源氏が征夷大将軍になれるという思想だったという話があるので(北条氏は将軍でなく執権)これで将軍はおじゃんと。
それで、もっと権威のあるものは?公家のtopだ!ということで近衛家の猶子にしてもらって晴れて公家topの関白に。
そして、源氏を名乗ってた(実際は怪しい)徳川家康は
武家政権で見ると信長の次であり源氏なので征夷大将軍に。
らしい。 >>687
すごい!
勉強になりました。名前も複雑だったんですね。初めて聞きました。歴史にはかなり詳しいと自負していたのですが。
信長も平だから滅ぼされたのかな?平氏は滅ぼせとか朝廷命令とか。もしや信長は平清盛の子孫?
家康が源頼朝とかの子孫とは驚きを隠せない。イメージなかったです。 >>672
鎌倉で滅んだ源氏はあくまでも嫡流。
分家はいくらでもあります。源頼朝以前から。 >>599
そのまま使うつもりだったはず
焼けたのは過失 >>619
1582年
02/03甲州征伐決定、各軍出陣
02/12信忠本隊出陣
02/17信忠信濃乱入
02/20家康駿府入り
02/28勝頼諏訪から遁走
03/01穴山信君寝返り
03/02信忠高遠攻略
03/03信忠諏訪大社焼き討ち
03/05信勝安土出陣
03/07信忠甲府入り、武田残党処刑
03/11勝頼自刃、武田滅亡
03/14信長滞在の信濃浪合で首実検
03/21信長諏訪到着
03/23論功行賞
03/29論功行賞
04/03信長甲府入り、富士山初見
04/10信長甲府出発、富士山見物へ
04/21信長安土凱旋
05/15家康安土入り、光秀饗応役拝命
05/17腐った金柑の方程式で光秀転校
05/29信長少数で本能寺入り
06/02本能寺の変(四国攻撃開始予定日) >>684
取引先の人に十河さんっていてて、一発で名前読めたんだけどなんか感動されてたw四国出身らしい。
もうひとり、やはり取引先に海野さんがいて、名刺交換の時に「ご出身は信州ですか?読み方は「うみの」でなく「うんの」さんでよろしいですか?」「何故わかるのですか?」という会話があったのを思い出した。 >>694
光秀って人生の前世が何してたか不明なはず。
そんな人の出自は信用ならなくないですか? >>690
あくまで自称だから実際は徳川家はどこの誰だか分からん時宗っていう仏教の一派の坊主の子孫だし織田家は忌部さんって一族じゃね?って言われてる
源氏と同じように全国に平氏もゴロゴロいるから平氏だから滅ぼせだとか色眼鏡で見られるなんて事もないよ
この氏族の話は恐ろしく長くなる上にだからどうした的な結論しか出てこないわりとどうでも良い事だから大して気にするような事じゃないよ 信長の大幹部
佐久間信盛 尾張の国人から織田家重臣になった家柄
柴田勝家 信秀の代より確認できる織田家家臣
丹羽長秀 尾張の国人から織田家家臣になった家柄
瀧川一益 出自不明 伊賀伊勢あたりの出身らしい 忍者とも言われている
前半生何してたか不明
明智光秀 出自不明 美濃出身らしい
前半生何してたか不明
羽柴秀吉 出自不明 尾張の農民の子らしい
前半生何してたか不明 >>691
鎌倉幕府も3代の後は藤氏将軍と宮将軍だからね
源氏=征夷大将軍なんて概念はなかったわけだし >>699
滝川さんは最近の資料で親父が信秀に仕えているので出自不明ではなくなってきてるぞよ
身分は低いが >>701
おおそうか
出自不明のままであって欲しかったなあw 羽賀研二も死後こんなに覚えてもらえてるなんて嬉しいだろう。 >>700
この頃は武家政権でかつ征夷大将軍の一発目だから、源氏が征夷大将軍って思想はないでしょうな。
そもそもそれまでの征夷大将軍は源氏じゃないし。
北条が将軍になって御家人の反発くらうということをせず、あくまでもtopの征夷大将軍の代わりに政治を行うんですよーって執権政治としたからそういう思想になったのかなぁって思ってます。 >>697
家康は三河の松平郷の地主に婿入りした僧の子孫でそいつが源氏だったということになっている
実際は天下取りを意識しだした家康が自分が攻めて配下にした由緒ある源氏の分流吉良家康に頼んで家系をどこぞにくっつけてもらったらしい
だから吉良は江戸時代に高家と呼ばれ石高は低いが格が高かった
その子孫が吉良上野介 >>706
吉良家康でなくて吉良家だすまん
三河は足利将軍家の縁戚筋の領地だったので吉良もだが一色家もいた そもそもなれる状況じゃなくね
公家はそれなりに押さえてたとしても武家の方がまだまだ >>7
聖おにいさんのブッダが浮かんで笑えてしまう >>699
光秀は最近の説では医者
秀吉は通説では遠江の松下家で奉公 >>310
なるほど
別に征夷大将軍じゃなくても良かったと言うか
上位の武官最高職だったのか
天下統一前に死んだから幕府を開かなかったと思ってたけど
そうでもないのか
信長が幕府を開くとしたらどの土地にしたのかは興味あるな >>554
三方ヶ原の時点でも勢力圏が段違いだから、いかに信玄でも信長にはかなわないだろう
甲斐みたいな貧しい土地が本拠なのが不運だ >>695
初代太閤立志伝ファンだったら十河さんは馴染み
ゲーム中盤以降、秀吉を暗殺しに追っかけてくるから >>717
そうなんだ。
俺ゲームやらんからなぁ。わかんないです。申し訳ない。 ん?なりたっかたのになれなかったんじゃん
さらっと歴史を歪曲してはならぬぞ >>715
今年の大河では俺の超好きな上杉祥三さんが演じるので楽しみ。
ちなみに奥様は「真田丸」で兄貴の最初の正室演じてた長野里美さんだったはず。 上杉さんは大河出演多いね
有名なのはなんといっても高遠頼継
おのれおのれおのれおのれ〜! 元夢の遊眠社だね
けっこう長くいて贋作桜の森の満開の下とか良い役で出てたな 徳川の「源氏」って諸国をフラフラしてた乞食僧が家康の先祖に婿入りして
その乞食僧が「我は新田 義重(新田氏の祖 八幡太郎義家の孫)の末裔」と名乗っただけなのが根拠だぜ(笑)
氏素性なんていくらでも捏造と言うか家系学者に頼んでこじ付けして好きなように作れたのが戦国時代ww
別に戦国時代だけの話じゃなくて江戸時代に大名は自分の家系の由来を幕府に申告する令が出た
それである大名が同輩と言うか懇意な大名に
「そこもとのお家はどのような血筋のお家でござるか?」と尋ねたら
「今紋章学者に作らせてるところでござる」と返答したそうだww >>716
甲斐が貧しい土地とか(笑)
甲州金とか知らないんだな、この低学歴ww >>728
明確なルールがあったわけじゃないと思う。頼朝以前にも非源氏で沢山いるし、宮将軍とか鎌倉→室町の過渡期にもお飾りでなくホントに出陣した護良親王みたいな征夷大将軍もいるし。
単に、戦国時代の前の前例からそういう思想があっただけかと。 本能寺の時点で武田は滅んでて
上杉毛利はあとひと押しでボコれそうな感じ
四国関東には橋頭堡があり関東の北条その他
織田の指図に従いそうな大名が結構いたと思う 信長が、「世に天は2ついらない」って言ったのを聞いて、光秀が兵を挙げたってドラマあったな
信長はやりかねんよ、天皇を指してたのか、足利将軍を指していたのかは知らないけど。 >>727
海に面してないから、そう思ったんかな? >>422
その三職推任だけど
やっぱ信長は征夷大将軍になる為に京へ赴いて、本能寺の変で横死なんだろな
(もしくは家督を継いでいた信忠を征夷大将軍に・・・) そういや今年の大河では光秀の母親は石川さゆりが演じるんだーってぼーっと見てたんだけど、
よくよく思い出すと光秀の母親って・゜・(ノД`)・゜・ 家康が源氏、それも新田系の源氏名乗ったのは
足利系の名門の源氏の今川とその本家で三河にざんぞんせいりょk 信長は大事に担いでたやん
将軍様はご不満でお手紙書きまくったみたいだけど >>732
港がないと
硝石抑えられないのはあるけど 信長の構想としては、九州まで攻めたら九州は秀吉と光秀、四国を丹羽に与えて近畿中国を直轄にしようとしていたのだろうと思うけど、東側はどういう構想だったのだろう。 >>356
欧州の教皇と王の関係は違うでしょ
教皇はあくまでキリスト教しかもカトリックの宗教上のトップだから、あくまで。
元々領地(雀の涙の教皇領くらいなもんで国は支配してない)も権力もないw
天皇は、宗教上のトップであり、日本全体の領地の統治者でもあるからね
天下を取った武官が、天皇を殺さずにその権力の下に入り続けた歴史は、世界的に珍しいよ
天皇制のお手本の中国なんて、皇帝は国が代わるたびに殺され、そっくり代わってるからね >>733
いや普通に中国に毛利攻めに出陣中
信忠も信長が出陣してきたんで急遽家康の接待を中止して側近だけ連れて京に行き信長と合流の上中国に行く予定だった
信長の行軍っていつもこんな感じだから
まずは集合地点決めてそこに集まる
その際信長は側近だけで出陣して集合地点に向かう
ある程度集まったら出陣して次の集合地点へ向かう
そこでさらに大軍になってというふうに行軍して行く
信長と信忠が京に向かったのは信長本軍と信忠本軍の第一集合地点が京だったから
そこで信長本軍の近江勢、信忠本軍の美濃尾張勢が合流する予定だった
そこで集まった連中が摂津あたりで池田、中川、高山なんかと合流して山陽道を中国に行く予定だった
光秀の近畿勢は信長本軍の先手として丹波から播磨経由で中国に行く予定だった
こんな時に官位つく儀式なんてやる余地はない
内定はしてたかもしれないが儀式は後々 >光秀も本能寺の変の後に、実は将軍宣下
鞆の浦にいた足利義昭に上洛してくださいってお手紙残ってるのに
何を的外れなことを言ってるんだ >>738
>東側はどういう構想だったのだろう。
北条とも伊達とも良好な関係だったからね
上杉滅ぼして終わりだったかも
晩年の戦争は、信長からしたら足利義昭の檄文に呼応した大名に対しての「自衛戦争」ww
唯一の例外は良好な関係だった長宗我部攻め、丹羽もそうだけど子煩悩の信長は信孝に四国の領地を与えたかったのでは? >>738
本能寺の直前は関東方面軍・滝川一益でバチバチ侵攻してるよ
なお本能寺の知らせを受けた後、撤退戦に失敗して酷い目にあった模様
滝川一益はその失敗で没落する >>745
土岐一族に明智っているし紋も土岐一族の桔梗紋だからその可能性はあるが定かではない 明智は土岐、すなわち斯波と同じく足利の遠縁じゃないの? 幕府が機能したのは江戸幕府だけだからな
必要ないと考えるのが普通 >>748
土岐は美濃源氏
足利は河内源氏のさらに分派だからめちゃくちゃ遠い
ほとんど他人 >>1
これっていわゆる昔からおなじみの信長のイメージよね
おれは、以前から「あの、冷酷非情な暴君織田信長が、野放しにすれば自分と敵対するに決まっている足利義昭を、
殺さず、将軍位も取り上げることなく追放するだけにしたんだろう」と不思議に思ってた
浅井長政や朝倉義景や武田勝頼とか、容赦なく攻め立ててみんな自刃に追い込んでるのに
だから、最近の「織田信長は、この時代としてはごく常識的な、中世らしい保守的な価値観の人物だった」という見方が、
とても腑に落ちるんだけどなぁ 信長だけじゃなくてその力と機会があってもならないやつはいる
大内義興も一時は天下人と言える立場だったが
その地位を捨てて地元に帰った >>754
信長は慎重で意味なく人を殺さないよ
殺す時は惨たらしいけど
中世的価値観を大事にするなら義昭が中将なのに自分が大将になったりするわけないでしょw
信長は政治家として卓越してるので大義名分や世間の評判を物凄く大事にする >>754
保守的な価値観はどうかな?
家柄関係なく実力主義で家臣団構築したり、褒美と言いつつ茶器で誤魔化したりw
革新性は多々あったよ
信長の本質は「人材マニア」で教養のある人間は敵であろうが簡単に殺さないところだと思われ
なお民衆には厳しくて一向一揆や伊賀など各地で虐殺しまくった模様 >>758
それゲリラ戦だからね
信長からしたら撫で斬りにするしかないって話なんだよ
いずれも撫で斬りする前に織田軍が散々な目にあってる
その復讐も兼ねてるから徹底的にやるわけよ 番宣ばかりで本編が始まらない、もうお腹いっぱい状態。 >>754
義昭なんて殺す価値もなかったってだけだろw >>761
どう考えてもそれは無いでしょ
自分が義昭担いで上洛して畿内を支配したんだから
同じように別の大名が担いできたらと普通考える
実際起こったことは上洛じゃなくて
周囲の大名にお手紙出しまくって第一次〜第三次までの包囲網を敷かれたことだけど
これで信長は凄い苦労してる >>717
そりゃ軍事関係の方針の話で支配地の統治の話ではない
統治の仕方に関してそんなに細かく指示してるなら信長から指示する書簡が当然残ってるはずだが軍事関係の指示しなないでしょ
統治に関しては丸投げだよ >>763
京から追放されて以後の義昭なんて屁みたいなもんだぞ
包囲網とか言っても信長が困るようなもんはなかったし義昭奉じて上京しそうなメンツもいない
毛利だってめちゃくちゃ迷惑そうで鞆浦までしか来させなかっただろ >>763
実際信長に追放された後の義昭なんて戦国社会において何の意味も価値もなかったじゃんw >>761
案の定追放先で打倒信長に向けて大名をけしかけていたりするが
仮にそれに呼応する大名がいたとしても
数のうえで信長の敵にはなり得ないだろうし、逆に義昭を討つ口実になる 腐っても一応将軍だからな
担ぐ者もいないお飾り以下の存在でも
朝廷の意向を無視して勝手に殺すわけにもいかなかったのだろう >>768
信長は尾張でも主筋は殺してないからな
守護代は殺してるけどこれ守護の命令受けてって形だし
この時代は下克上の時代だけど流石に主筋を殺したら世間的には許されない時代だったんだよ >>765
1573年に義昭追放した時点は信玄も謙信も生きてて
実際信玄は上洛目指して挙兵したんだが
途中で死んだから助かったけどそれは結果論
毛利も関ヶ原-大阪の陣で露呈する「決断できない性格」のせいで何もしないで終わったけど
勢力的には十分対抗しうるものはあった 足利将軍なんて信長が獲得した権勢から見れば殺すほどの価値もない屁みたいなもの
と言う誇示効果もあったんだろw
危険だと思えば殺してるだけだよ
その価値もない足利将軍ww 官位は関白が最高だし征夷大将軍とかなる必要はない
源氏長者も藤氏長者に比べたら価値はない >>771
いや、そんなに敵がいたら余計義昭殺せないってw
敵に大義名分与えちゃうじゃんw >>761
「殺す価値も無い相手」という人物評価の仕方は、フィクションの中にしか存在しないと思う
>>765-767
それは結果論だと思うなぁ
それこそ殺しても殺さなくてもどっちでもいい無力な相手だったら、殺してしまっても何のあとくされも
無いはずなんだから
信長が足利義昭を「殺せず」に、身分もそのままで追放にとどめた理由があったはず 征夷大将軍は源氏じゃないとなれない
オダノブは自称平氏 将軍殺せなかったのも天皇尊重しまくったのも事実っぽいが、
だんだん調子扱いてたから晩年に将軍が軍連れて刃向かって来たら殺したんじゃないかな 幕府を開けるのは征夷大将軍だけなの?
他の将軍じゃ無理? >>779
本願寺は義昭追放前から手焼いていて義昭追放したから本願寺がなんか有利になったとかそんな話じゃないだろ
だから最初は本願寺系のとこ転々としてたがそのうち邪魔扱いされて鞆浦まで落ち延びたわけで 信長が、帝も公方も蔑ろにする気はなかったんなら
何故、光秀は謀反を起こしたのか?
結局、私利私欲或いは怨恨説? 本能寺の変が起きず信長が天下統一を果たしていたら、天皇家はどうなっていただろう。 >>783
自身の行く末というよりも明智家の行く末を案じていたのかもしれないね。
自分が死んだら明智家は用済みで滅ぼされる、と思い込むような出来事があったのかもしれない。 >>324
>アテルイとモレは征夷大将軍・坂上田村麻呂によって
>畿内に連行されて畿内・河内国で処刑された
こういうイメージだけでなんとなく歴史って語られてるよな
田村麻呂はアテルイとモレを連行していない
アテルイとモレは処刑されたわけではない
連行や処刑を裏付ける一級史料って実はないんだけどね
特に律令国家だから処刑は規定が決まってて、アテルイとモレはその規定から外れてるわけで、処刑ってなったらアテルイとモレは律令国家の人間になっちゃう 日本史で一番熱くなるのが本能寺の変のifだろうな
もし信長が死んでなかったら日本はどうなっていたのか 信長だけはなり損なったじゃないだろ
絶対君主しかない これまで8日放送なのになと思っていたら 撮り直しがあったんで遅れたのか? >>786
というか阿弖流為について触れた一次史料自体現存してるの? お前全然だめじゃん、7か国の与力集めて5年間かけて結局お前、なんも出来なかったじゃん
秀吉や光秀あんなに手柄建ててるのにここずっと手柄立ててないよな?
できないのはしょうがないよ、でも出来ないなら俺に相談するなりなんなり出来るだろ?それなのに何もしないで包囲してただけじゃん
しかも与力を酷使して自分の直臣なんか全く増えてないだろ?
あ、そうだ、水野信元の領地お前にやったらそこの連中みんな追放したろ?あいつらすげー強くて見込みあったんだぞ
岡山某って水野の組頭なんか妹が遊女にまでなって露頭に迷ってたのを勝三(鬼武蔵)に召し抱えられたらもう兜首3つで俺は感状書いたくらいだ
あ、感状といえばお前、俺からこの17年間で一度も感状貰ってないだろ?真面目にやってたんか?本当に
光秀や秀吉見ろよ、俺は感状何枚書いたかわからんくらい書いてるぞ、お前どうなってるんだよ?
お前は確かにもう隠居考える時期かもしれんけどお前よりも年取ってる権六なんかすげー頑張ってるぞ
そういえばお前の跡取りの信栄な、本当に評判悪いぞ、あいつに跡継がすのか?俺の直臣でもある与力に横柄な態度とるとかおかしいだろ
権六なんか跡取りの話もせずに権六頑張ってるぞ。いや、たまには負けるけどな。加賀でそういえば最近も負けたな、権六
でも権六は頑張ってるぞ、勝ち負けじゃないんだよ、勝ち負けじゃ、やる気なんだよやる気、お前はやる気が感じられないし
とにかく今のままじゃ話にならん
信盛よ、こうなったら大手柄立てるか、切腹して詫びるか、改易されてどっかに逃げるか、3つに1つだぞ、よく考えろや 昔、北海道にはオホーツク文化人という異民族が住んでいた
圧迫を受けた蝦夷は、阿倍比羅夫に要請して討伐
北上した蝦夷は北海道からオホーツク人を追い出した
平安から鎌倉時代にかけてのことという >>697
信長が忌部と深い関係なのは間違いないだろ
側近にこんなのいるんだから
https://i.imgur.com/CWABjQD.jpg >>1のリンク先より
>>しかし、足利義昭は征夷大将軍を解官されたわけではなく、信長の勢力圏外では依然として足利将軍としての権威を有していた。
もしかして秀吉が将軍になれなかったのは義昭が生きてたのがネックだったんだろうか?
義昭の養子になろうとしたのが、自分が後継者にならんとするがためとか。 >>703
安心しろ(?)
秀吉は本当なぞのままだから >>783
真偽はわからんけど義昭が裏にいるとか光秀が奉公衆出身という説もある >>782
松永なんか何回も許されてるしなただ
(有能な場合に限る)だけどな >>780
他の将軍はいないから
他の役職は関東管領とかだな 阿部比羅夫って日本書紀に出てくる人だぞ
この人も征夷大将軍だったか
大和の支配下にあった熟蝦夷から人気あったそうだが >>793
佐久間信盛が主人公の小説とかあるのかな? >>800
そもそも義昭の家も関東公方
今出川の家と潰し合いしてたやん >>782
赦したのが正解だったのは、柴田勝家だけのような気がします。 平氏から源氏になるのが面倒くさかったんじゃねーの? >>513
戦後の一時期が異常だっただけで、
戦前の信長像も皇室の守護者の評価だぞ >>113
晩年既にそうなっていた。正親町帝の皇太子の誰かさんの養父みたいな立場に。 >>777
平氏でも将軍になれるよ
源氏長者になれないだけ >>797
柴田さんは相変わらず不明なのか?一代で跡継ぎ付きの家臣になるのは無理そうなんだが。あと前田はやはりガチ成り上がりなのか? >>812
利家公は信長公のお気に入りの尻の持ち主 >>796
秀吉は足利義昭の義理の養子になって将軍職につこうとして、義昭に拒否された。
近衛の義理の養子はOKされたので、関白を目指した。だけどさすがに藤原一族になるのは拒否されたので、新規に豊臣という姓を創作した。 >>796
秀吉は足利義昭の義理の養子になって将軍職につこうとして、義昭に拒否された。
近衛の義理の養子はOKされたので、関白を目指した。だけどさすがに藤原一族になるのは拒否されたので、新規に豊臣という姓を創作した。 信長が征夷大将軍に成れなかったのは
関東を支配してなかったと聞いた
だから、武田を降した後で北条も
隷属出来た後で将軍就任を朝廷から
提示されたらしい >>818
秀吉と違って信長には早くから島津、北条、伊達が従属したんだよな 秀吉が義昭の養子になろうとしたって話は江戸時代に作られた作り話じゃなかったっけ? >>825
残念ながらそんなことはない
後醍醐天皇の子供や藤原もなってる >>823
そう
尊氏は鎮守府将軍にもなってるけど >>827
建武の新政は一種のクーデターで、異常事態だったから例外。 信長には三好長慶というお手本がいた
人材登用法も似てるだけに下剋上は避けられなかったのかも知れない
https://www.awanavi.jp/topics/30503.html >>831
日本の歴史上最大の異常時代である戦国時代を差し置いて
建武の新政が例外というのはちょっと >>820
洋泉社「秀吉研究の最前線」には、寛永19年(1642年)に書かれた林羅山の「豊臣秀吉譜」という史料が
出典だけど、一次史料では確認できないって書いてあるね
むしろ、御用学者の林羅山によって作られた「家康および将軍を絶対化する」イデオロギーではなかろうか、みたいな 「征夷大将軍=清和源氏」ってなったのは足利が南北朝を統一して権威が定まったからだろうな
徳川は新田の子孫を称したのは新田氏がかつては足利一族と見なされていたからとも言われてるし >>780
開府権限を持った将軍位は一杯ある、というか征夷大将軍を例にすると
征:征服する
夷:東の蛮族
大将軍:偉い将軍
って事で元は東北で揉め事があった時に作った臨時の将軍位だから必要ならそれっぽい将軍位を作れば良い
常設の将軍位で開府権限があるのは左近衛大将と信長も就任した右近衛大将だけ >>838
征東とかもいたからねえ。
臨時官職で実は名前はどうでもいいよなもんだからなあ >>818
なるほど、ある時期以降は形式的なことかもしれないけど
対東北前線基地である関東を支配下に置かないと「征夷」しようがないから
将軍にしてもらえないってことなのか >>831
もともと臨時の官職で、
鎌倉源氏3代以降は、藤原および親王を迎えて、
征夷大将軍として、執権を北条がとっている。 j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop
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j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop >>651
本能寺の変に参加した明智兵の手記「本城惣右衛門覚書」を変な本呼ばわりとな? 戦国時代に足利将軍が今日を追われるケースは何度かあったけど、1573年の足利義昭追放は
後年の義昭帰京の条件は将軍職辞職だから遡って1573年で室町幕府滅亡ってことにしたんだっけ >>842
「大将軍」は臨時の官職だが、政務軍務全権委任だったとか
頼朝が「大将軍」なら征夷でも征東でも何でもよかったみたい 征夷大将軍は幕府を開くことが出来る(元々は鎮守府将軍も征東将軍も可能)
幕府は出征先の臨時政府のようなもの
臨時政府が永続する異常 ゲームだと大概いい奴になる
それが明智日向
ゲームだと大概悪い奴になる
それが織田信長 信長みたいに手垢つきすぎてカビもはえてるヤツなんか見たくねぇから >>831
後醍醐皇子以前の源氏将軍は四人しかいないわけだが あの時点で将軍になんかなったら細川とかめんどくさいじゃん >>853
信長はなんらかの官職はうけるつもりだったんじゃね?
家督は息子に譲ってるから、そこも問題ないし。 >>852
惟康親王が蒙古襲来の一時期源性を賜り臣籍降下してた(後嵯峨源氏) 中曽根さんが従一位なんだってね。
その前が吉田栄作。ずいぶんさかのぼるな。 信長や秀吉や家康にとって役職なんかどーでもいいむしろ天皇家の方が与えたかった 信長は官職受けないとは言ってない
今はまだ天下定まってないから定まったらねといってる
それより信忠を取り立ててねと言ってる
はっきり言って武家の棟梁=征夷大将軍ではなく、征夷大将軍は武家の棟梁の帽子の一つに過ぎない
三職推任はそのことをはっきり示している
北条得宗なんて前相模守とかで事実上の武家の棟梁だからね
承久の乱以後の朝廷は実権なんてないんだから後づけで帽子被せる役割しかない >>848平氏政権を「六波羅幕府」と呼ぼうという意見もあるぞえ 信長や秀吉の頃は足利将軍の体たらくがイメージ強かったから帽子としての魅力は大暴落してた
信長も秀吉も将軍なんてなる気はさらさらなかったと思うよ
秀吉の後継は秀頼だったから関白はいずれ秀頼に継承されることになっていた
そこで家康は相手いた征夷大将軍という帽子を拾って被った
その後の徳川家の安定政権でさも征夷大将軍だけが武家の棟梁の帽子であるかのようにイメージが作られて今に至っているだけ 信長は平氏を自称してたから清盛と同じ太政大臣になりたかったんじゃないかな
武家政権というより朝廷のトップだね 北条徳宗ってなんで評価が低いんだろう
天皇と将軍の生殺与奪を併せ持った権力者なのに >>862
低くないよ
義時とか武家にとっては頼朝並みに重要な存在だし泰時の評価も高い
だいたい基地外揃いの足利将軍と違って得宗とか名君揃い 細川政元も半将軍と言われ 実質的に天下人だったのに将軍にならなかったよね
なんでなの? 武家が朝廷から半ば独立するために将軍による非常時の臨時政権=幕府は都合がよかった
秀吉は関白になって朝廷のトップになった >>865
秀吉の頃は朝廷は武家に食わしてもらってる居候だから独立もへったくれもない
秀吉にとって関白とは天皇代行って意味であって秀吉は朝廷のトップのつもりなんかさらさらないよ 清洲会議での秀吉、関ヶ原の戦いの家康の戦後処理、幕末の薩摩藩みたいにとことん図々しく勝てば官軍の精神がなきゃ天下なんて取れないのかもね >>868
有名な今川家仮名目録で今川家が支配権限は官職に由来するのではなく実力に由来すると明記されてる
これが戦国大名の本質で、それを勝ち抜いたチャンピオンの信長、秀吉、家康は当然自分は実力で天下人になったとしか思ってない
だから官職なんてかなりどーでもいいんだよ >>863
義時なんか日本史史上天武天皇や家康と比肩するのに評価が低いような気がする
日本を2分する戦いで勝ってその後の戦後処理も含めてだけど >>856
生前大勲位に従一位をやらん訳にもいかん
(じゃないと大勲位の権威自体が毀損する) >>869
信長家康はそれほどでもないが秀吉はかなり官位に拘ってただろ
別に朝廷の権威をありがたがるとかじゃなくて秀吉は出自が出自だから寄るべき権威が無い
依って朝廷のヒエラルキー機構を自分の支配構造に利用するのにかなり熱心だったよ >>862
統治者としての評価はともかく
嫁の実家が由緒ある源氏から政権を奪った訳だから
好感度が低いというのはわかる >>875
厳密には秀吉も家康も乗っ取りをしたんで、その手段として官位を用いたね
秀吉は主筋の織田家の人間より高い官位に就くことで織田家を家臣化し、家康は関白の系列下にない征夷大将軍になることで豊臣家の支配から脱した まあ鎌倉北条は血生臭い謀略一族だけど、あの北条家が無ければ
鎌倉幕府はあの期間存続しなかっただろうな 将門を見習って新皇になろうとする奴はなんで現れなかったんだろ。あるいは南朝の後裔を自称して天皇になるとか。 >>1 >>100
日本人の血税を使って、
しばき隊メンバーなど在日朝鮮人を大量採用し、
朝鮮電通と結託して「韓流スター」の人気偽装をやりまくる超絶反日NHK
何のメリットもない韓国から離れようとしている日本を邪魔するため、韓国内の政治話をさも重要ニュースであるかのように報じまくる超絶反日NHK
>NHK(特殊法人日本放送協会)の平均年収が1606万円(40.9歳平均・日本人平均の4倍)だということをみなさんはご存じですか
【NHKのスクランブル化を実現させよう】
http://www.ystseo.net/ngnhk/
. >>880
昭和の頃はゴロゴロいたそうだけどな
所詮権威だけの存在だし実権が無けりゃ意味ないって事だろ、僭称と同時に半自動的に朝敵になるから周囲の勢力が攻め込んで来る大義名分も得られる訳だしメリットが極めて薄い
やるなら天下の大権と周囲の諸侯と比較して圧倒的な地力を持ってなきゃ非常に厳しい状況になる
そこまでして天皇なり皇帝の名前が欲しいかって事になるとね、事破れればお家大事の時代に家名が最悪の汚名と一緒に歴史に残る事にもなりかねん 将門がそうなった理由って別に野心とかじゃなくて自治を持ちたかった、が将門ファンの俺の主張
後の世でいう幕府みたいなのを関東に持ちたかっただけなんだと思う、それくらい貴族どもの腐敗と搾取が目に余ったのか、と
だから価値観の問題だと思う、当時はあれこそ武家政権独立宣言だったのか、と。まだそれくらい武家の力が認められてなかったのかもね。
あれで朝廷が承認してさえくれたら良かったのかな、と。
寧ろそうなったら貞盛がどういう行動をしたか、将門以上の謎がこの人にはある。 北条家って評価低いの?
義時、泰時、時頼の時代は武家政治の鑑みたいなもんだし
時宗は救国のヒーローのような気もするが 京の支配を逃れて関東で独立したいって十分大それた野心だと思うけど
幕府なり管領なり委任を受ける形を飛び越えて新皇名乗っちゃったのに
朝廷が承認するわけないじゃん >>885
最期は後醍醐天皇に負けたってのはあるかもね。負けたら賊軍だわ。
泰時のエピソードなんか、水戸黄門のモデルになったくらい魅力的だけどなぁ。 >>885
頼朝の鎌倉幕府を乗っ取った
というイメージがあるんじゃなかろうか
少なくともおれは、そういうイメージ >>886
始まりは朝廷が派遣した国司と地元豪族の揉め事だからね、この時点でもう朝廷に逆らう形になっていた
勿論弁明はしたらしいが受け入れられなかった
としたら朝廷を無視でもしないと当人より周囲が納得しなかったと思う、関東ってそういう土地柄なんだよ、京都から見放された、ならこっちが見放してやれって >>678
いい人だったというか悪者扱いされ過ぎなんだろ 事実上、鎌倉幕府なんてすぐ平氏の北条になっちゃったのに、尊氏が次の幕府開いたことで
何となく源氏の征夷大将軍が幕府開くと安定みたいな流れになったんだよね。家康も家柄詐称して踏襲
その神話は現代人まで続いてる。信長秀吉辺りの政権が長続きしてたら、また違ったろうな >>758
一向一揆も親族や有能な家臣を何人も殺されたからだぞ 日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平 【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 >>861
源氏の足利義満も太政大臣になってんじゃん >>899
胡散臭いケースがないとは言わんけど合ってるケースも結構あるでしょ >>900
亡くなった家の相続やら解体で表に出なかった資料やらが
ガンガン出てきて歴史家たちが頭抱えてるって話は聞いた
これじゃあ今までの説とは真逆じゃないかみたいなものも出てきて混沌期みたいではある 信長って現在語られているほど凄い武将ではなかった気がするな
相当デフォルメされてる気がするんだが
だって最期が結構間抜けじゃない?
幸運が重なった結果が大きいんじゃなかろうか
特に桶狭間 >>898
ちなみに秀吉も家康も太政大臣になってますw 武官としての最高位は近衛大将、信長は右大臣だし
征夷大将軍は必ずしも必要じゃない
徳川家康は関東で政権を作るのに都合がいいから征夷大将軍になった >>573
逆に
秀吉佐々木蔵之介は
かっこよすぎやよな
蔵之介
身長182センチもあるし
秀吉役にしては
背が高すぎやろ 太政大臣と左大臣を兼ねる事はできないんでしょ
部長と課長を兼ねるみたいなもんだと思うし
関白や摂政や征夷大将軍は、太政大臣や左大臣と兼ねる事はできる
部長兼何かの特別な職
この何かの特別な職が、統治者にとって説得力ある職になるのかな? あーヤンマガ買う習慣なくなったからセンゴク読んでないわ最近
ネカフェでまとめ読みするか
今小田原攻めだったかな >>908
大臣って名前がつくのは太政官の長官
太政官の長官には順位があって、筆頭が左大臣、次位が右大臣、3位が内大臣の順
太政大臣は左大臣の上の別格
このように大臣職には順位があるから大臣職の兼任はあり得ない
ちなみに太政大臣は別格で左大臣より上だが閣議には出ないので、総理大臣に該当するのは左大臣
摂政、関白ってのは天皇の職務を代行する職務のこと
太政官の長官とは別の職務だから太政官の長官である大臣と兼任可能
関白は成人の天皇の代行職なので最終的決裁権はあくまでも天皇にあるが、摂政は幼少の天皇の代行職なので最終的決裁権は摂政にある
だから摂政の方が関白より格上
征夷大将軍ってのは夷狄を征伐するための臨時最高司令官職
軍の最高司令官だから軍政権があり、この軍政権故に後世武家の棟梁の官位とされるケースが多くなった
ちなみに大将軍ってのが臨時最高司令官のことなんで大将軍には全て軍政権がある。
大臣職とも摂政関白職とも別系統の職務なので兼任可能
ただし摂政関白と征夷大将軍を兼任した例はない >>911肝心なところをサラッと…将軍には独自の(朝廷のルールとは別の)徴税、徴兵、人事報償権があるので朝廷の権威に振り回されたくなかった鎌倉府はこの役職を欲した。 >>772
あるぞ。といってもこの時期将軍官位(守護)を大義名分にして勢力拡大していた大勢力は大友氏くらいで他は最先端の朝廷官位(~守)を口実にしていたので厄介状態だったけど 尚将軍職と云えども天皇を動かせば罷免できるはずなのだが鎌倉時代ですらそれっぽい話が表にでてこない(南北朝時代はあった)ノブも(当然?)やらなかった。理由は不明。 承久の変さらに建武の新政の大失敗で武家は下手につつくと平気で朝廷に刃向かう奴らだと骨身にしみたんじゃない? 室町までは政権でなく、武家の組合でしかなかった幕府が、戦国前後で武家政権になっていく
応仁の乱って本当に貴族荘園にトドメさしたんだな >>911
大河清盛で摂関家の暗躍で内大臣から、一気に太政大臣に昇格させられた回があった
本来は危機的状況を打開するため、独裁権を与えるトップ職で
江戸時代なら大老、大日本帝国なら元帥
井伊直弼や大山巌や山本五十六のような本来の意味で就いた人もいるが
大抵は功労賞というか、実権のない会長職のような扱いだったと説明してたな
律令政治が形骸化し太政大臣も、そんな意味さえなくなったと >>912
木曽義仲が大将軍に任命された後、後白河院庁を停止させ政務軍務を行ったのを、鎌倉が目を付けたのか >>906
信長の大河ではイケメンで185の仲村トオルが秀吉、173で親父が秀吉何度もやってる緒方直人が信長と、どうみても逆だろキャスト
これでの光秀はマイケル富岡で、結構役柄にハマってるし上手かった >>918
太政大臣の任期が切れたらもう次はないので上がりてことだったような。
衆参議長をやったら総理の目はないもう終わりみたいな扱い 平安時代までは摂関除くと左大臣が基本的にはトップだからな
道長の権力の源泉も左大臣だったからのものだし
清盛は疎んじられたところはあるんでしょ 軍の中では天皇の命令よりも将軍の命令が優先される。 >>918
太政大臣には2種類あるの
総理大臣(左大臣)を務めた人が退く時にご苦労様という意味で太政大臣に昇格するパターン
もう一つは左大臣になれない家格の人に名誉を与えるパターン
この家格は実質的極官は内大臣なんで内大臣からいきなり太政大臣になり、1年くらいで辞職する
清盛は後者ね
信長は右大臣になってすぐ辞めたら朝廷から左大臣になってくれと言われたがそれも断った
挙句が三職推任なんで、前者のパターン 関白は太閤
将軍は大御所
太政大臣は退くとなんという尊称でよばれるの?相国や太師は在任中だよね まぁ官位はともかく石高は
織田家七百万石と並ぶ者無しの大大名で大金持ちだったからな
秀吉や家康は他の大名に借りをつくり領地を分けてたので信長には及ばない 本能寺の時は徳川領含めたら900万石だからな
まあ他の時代とは比較は難しいが武家の軍事組織としては史上最大なのが本能寺時点の信長
家康が260万石で天下取れたことと比較するといかに巨大な存在だったかがわかる >>527
バカってそうやってすぐ人の意見に左右されて極端から極端に行くから 信長が将軍になっていたとしたら本能寺の変は起きていなかったかな? >>925
足利将軍をきちんと理由を述べて追放はしたがもっと確実な手段だった筈の罷免はしない。三職も断る。想像以上の守旧派のような…ボンサンも単なる土産話のネタのような気が… 天皇すら凌駕出来る存在で有るためには、滅ぼさずに支配下に収めておいた方が役に立つのでは >>934
信長公記に書かれているけど際晩年の信長は常軌を逸した行動をとる=当時の形容でキツネが憑く。という状態だったので結局誰かがやることになったと思う >>901
信長関連、最近の研究でわかった衝撃の数々
1・斎藤道三は油売り商人は親父で濃姫パパはその息子(つまり2代で国盗り)
2・桶狭間で今川の陣地は窪地状ではなかった、地名の「狭間」を勝手に解釈しただけ
3・濃姫は病気で信長生前に死に墓は岐阜県で発見(その前は江戸時代まで生き墓が京都説有力)
4.長篠の合戦の「鉄砲三段撃ち」は江戸時代の創作。当時の火縄銃の性能では一発撃つと煙もうもうで連射は無理)
大河ドラマで見物は3だな。また本能寺で薙刀振るって討ち死にみたいなコントはやめてね >>914
足利義昭の前の将軍で三好三人衆に担がれてた義栄は死亡時期が諸説あって
説によっては罷免されて義昭が就任した可能性もある
いずれ義昭を擁立して上洛してる以上信長には義栄を罷免させて義昭を将軍にするプランはあったっぽい >>893
北条は平直方の子孫で平氏ということになっているが、
系譜は曖昧で、大神氏や伊豆の土豪って説も。
そんな家柄なので、将軍職にはなれず、将軍の執事で
ある執権という形しか取れなかった。
だから、鎌倉幕府の将軍=源氏というイメージしかない
のよね。 >>939
3はまだ諸説あるレベルの可能性じゃないの?確定したの? 義昭は追放されたわけではなく拗ねて勝手に京から出て行ってしまい信長は帰ってきて欲しくていろいろ交渉してたって何かの本に書いてあったけどな。 >>9
征夷大将軍にはなれるが
宇宙大将軍にはなれない >>792
『続日本紀』 巻第四十 延暦八年六月甲戌条
『日本後記』 巻第十 延暦二十一年夏四月庚子条
『日本後記』 巻第十 延暦二十一年秋七月甲子条
『日本後記』 巻第十 延暦二十一年八月丁酉条
アテルイはこの2つ、4ヵ所だけが史料だな
>>904
古代律令国家の武官でも「将種」と称された家が征夷大将軍とか鎮守府将軍といった将軍職を担ってた
坂上氏、多治比氏、百済王氏、小野氏、大伴氏あたりだね
清和源氏は源満仲が摂津守になったときに、坂上氏の棟梁を摂津介にして武士団をまとめさせて源氏の武家化を促した
同じように平家の武士団も多治比氏が担ってるな
ようは征夷大将軍とか鎮守府将軍に武家が権威を求めるのは、将軍職=将種という慣例を武家が上書きしたから っていうか源頼朝が武家の棟梁として政権作って朝廷側と一線引く意味で
征夷代将軍の権威付けしただけだろ。結局、平氏の執権北条に母屋獲られたけど 家康は、豊臣家が残っている状態で権力を掌握するために源氏将軍というカビの生えた制度をリメイクしたんでしょ。 >>946
宇宙大将軍侯景やなw
信長も征夷大将軍もしょぼすぎる >>952
侯景はこんなとんでもないDQNネームを名乗りながら、
自分が降伏させた梁の武帝の威厳に圧倒されて、冷や汗
タラタラ、小便チビリそうになった小心者w >>951
豊臣家を公家の一家として分離するためにはそうせざるを得なかったんでしょう
秀頼一家が武家の地位も望んだから冬の陣、夏の陣となったわけで >>939
4はもはや常識レベル
火縄銃は打つのは早いが次弾の補充に時間がかかる
3段ぐらいでは到底無理 >>943
本能寺で死んだのだけはあり得ない。
ルイスフロイスの日本史に「女は全て逃がした」とあるから。
勉強不足の司馬遼太郎発の大嘘。 >>956
ルイスフロイスの記述が全部正しいと思ってんだな、この馬鹿w
常識的に考えて「女は全員無事に逃げだせた」なんてあり得るわけねえじゃん
信長も女装して紛れて逃げるわww 太田牛一の信長公記とルイスフロイスの日本史は、
信長関連で信頼できる資料の2トップだよ。
その一つを読んでいなかった司馬はお粗末。 >>956
火を放って信長の死体も確認できてないような状態なんだから
女が中で死んでてもわかんないだろ >>937
家康「お前がやれよ」
秀吉「いや、お前がやれよ」
光秀「じゃあ俺かやるよ!」
家康、秀吉「どうぞどうぞ」 >>955なぜ柵があることを物見で確認してその柵の向こう側を確認する前に突撃したか?雨若しくは風向きを当て込んだんでは?と思う。火縄銃を風上に向けて撃つのは無謀。 >>962
だから「本能寺で帰蝶が死んだ」なんて珍説は小説の中だけなの。アホか? まあ歴史学者でそんな説言ったら失笑されるだけだな
もし生きてたとしても連れてくる理由が皆無 >>951
家康が征夷大将軍になった十五年前にはまだ足利義昭が征夷大将軍だった
みたいだからカビが生えたとまでは言えない気はする。 >>967
カビが生えたていうか泥だらけになってその辺に転がって居たのが征夷大将軍というポスト
なんせ初代がいきなり実弟と殺し合い、家来に首飛ばされるわ、戦乱の最中で1人だけ贅沢三昧するわ、家臣に追放されまくってあちこち放浪するわ、これが足利時代の征夷大将軍だからねーw まあ基本主人公は外道に描かないだろう
あと官兵衛同様側室はいないから女受けも良いだろうし
秀吉なんか主人公と脇では描き方の差が顕著 光秀がやらなくても家か秀のどっちかがやったんだろうな >>961
弥助は本能寺での異変を知らせに二条新御所に行き、信忠を守る為に長時間奮戦、明智の家来による「刀を差し出せ」という呼びかけに応じて投降
捕虜となりその後は南蛮寺に送られる >>35
自称平氏だよ
家康と同レベルで出自がはっきりしない一族
ただ斯波氏の家来として室町時代過ごしてるからぽっと出ではない
神官とかそっち系の由来って説も濃厚、平氏ではないな少なくとも >>976
松平と同じで藤原名乗ったりしてるからな
当時の普通の国人クラスと同じで力はあるが出自は不明な連中
それが織田であり松平 >>965
「本能寺で帰蝶が死んだ」に根拠がないのは同意だけど
>>956のいうフロイスの記述があり得ない根拠になり得るというのは微妙 >>960
太田牛一の信長公記はガチのルポルタージュだからね。
小瀬甫庵の信長記はフィクションだらけの物語。
長篠の合戦の鉄砲三段撃ちもこいつの創作。
小説でも堺屋太一なんかはルイスフロイス読んでるのがわかるな。
出てくるエピソードでわかる。
坂口安吾もちゃんと読んでたけど、未完に終わったのが残念。
濃姫をツンデレキャラに書いたのは坂口安吾が初。 統一してないのに将軍なんかなれるわけないだろ
またクソ大河か >>979
っていうか、信長正室なんて大物がいっしょにいて最期を共にしたんなら、さすがに太田牛一が書き残してるはずだよな
正室が一緒にいたことを誰も知らなかったなんてありえない >>981
「あったことだけを書く。なかったことは書かない」と宣言してるからね。
それをあろうことか「愚直」と批判したのが小瀬甫庵。
小瀬甫庵はプロ野球本で言えば近藤唯之みたいなデタラメな奴。 >>984
信用していいのか?
同時代の文書や遺跡などの照らし合わせも完璧? >>981
バージョン毎に多少異同があって、贈った相手向けに記述を脚色したりしていると聞いたことがあるわ 濃姫はそもそも婚約しただけで結婚してないって説もあるけどどうなんだろ? >>985
太田牛一がどういう立場の人だったかググってみろよ。
歴史なんか興味ない人なんだろうけど 宇宙大将軍は慕容紹宗さえいなかったらこの後の展開は変わってたかも
まあ猛将だけど帝王になる資質は全くないけどw 古い権威って、当時将軍って現存してたんだから、古いわけではないわな
今から振り返って古いって後付してるだけだわな >>986
まあ、秀吉、家康と信長後の政権と仕事してた人が
信長門下にいたころのことを振り返ってるから
まったく信用できないことはないってことなのかな? >>985
あくまで太田本人の認識だから太田が深く関知してないことは勘違いして書かれてる部分もあって
例えば畿内侵攻は信長の独力でなされたもので侵攻後に松永久秀が真っ先に降伏して許されたことになってるけど
実際には侵攻前から松永とは同盟関係にあって侵攻にあたっては松永等が敵対勢力を牽制してたことが当時の書簡等からわかってたりはする 太田牛一は本能寺の変の時に信長公の御様子がどうだったかを当時本能寺にいた人を探して歩くくらい凝っていたからな 信長は京都奉行の村井を使って徹底的に朝廷を締め上げてたからね・・・・。将軍か関白かと安土に使者まで
出させて、本能寺で襲われる次の日に回答する予定だったってのが定説。本当は脱出路をつかって裏の南蛮時に
逃げ込む予定だったけど、先回りした蜂須賀小六にダイナマイトで殺されたってのが俗説(笑)。森蘭丸が首を
取られてるのも時間稼ぎとここで信長は散るっていう印象を残す面(と光秀に思わせる)もあるわけで >>995
信長が逃した侍女から取材してんだよな
信長逃してよかったなw 濃姫に関しては記述に乏しいからみんな勝手に推測で言ってるだけかと このスレッドは1000を超えました。
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