0001牛丼 ★
2020/01/05(日) 09:26:37.82ID:+fLY7p4A9周囲がおもしろがって「秋本奈緒美」を作っていた
[秋本奈緒美さん]伝説の「オールナイトフジ」いきなり台本渡され「これ司会じゃない?」…夫は15歳下、普通に会話できます
――ジャズシンガーとしてデビューしたのは1982年、19歳のときでした。でも、オーソドックスなジャズを歌っていたわけではなく、気鋭のミュージシャンらのバックアップで、ロックやテクノなどの要素もミックスされた、すごく「とんがった音」を作っていました。
そういう時代でしたね。とはいえ、私自身は普通の女子高生のように、ユーミンやオフコースなどのニューミュージック、アメリカンポップス、それに歌謡曲も好きだったんです。もちろん、ジャズも聴いてはいましたが。
――意外です。ジャズを志向していたわけではなかったのですね。
いつも冗談のように言っているんですが、私は「企画もの」でした(笑)。最初にデビューが決まっていて、事務所やスタッフが「秋本奈緒美をどうやって売り出すか」を考えた結果がジャズになったんです。
――82年当時はアイドル全盛の時代でした。
そうです。同期デビューしたのは、小泉今日子ちゃんとか中森明菜ちゃんたちですからね。でも、私は身長が168センチあり、アイドルはみんな私より10センチ以上も低い。年齢も上だったので、アイドルは無理だな、と。
――それでジャズに?
最初に所属したレコード会社には、人気ジャズシンガーの阿川泰子さんが所属されていたんです。私の周囲の音楽関係者が「この線はあるんじゃないか」と言い出した。みんなでおもしろがって、「秋本奈緒美」を作っていった感じです。だから、私は「企画もの」(笑)。デビューして、1年間に3枚もアルバムを作ったのに、シングルは切らないとか。
――確かに、当時の常識からは外れていますね。でも、渦中にいたご本人はどう感じていたのですか?
何も考えていなかったです(笑)。何がなんだかわからないうちにデビューしていました。でも、歌えることはうれしかったし、何かを作っていく過程は本当に楽しかった。それに、当時、事務所から何かを強要されることもなく、素のままの自分でいられたと思います。
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