【訃報】wヤング平川幸男さん死去 78歳 11月上旬に入院、昨夜容体が急変
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お笑いコンビ「Wヤング」の平川幸男さんが亡くなったことが12日、分かった。78歳だった。病名などは明らかになっていない。関係者によると11月上旬に入院、昨夜容体が急変して亡くなった。
平川さんは2009年に芸能生活50周年、コンビ結成25周年記念イベントを開催。今年2月、左ひざの「左変形性膝関節症」、腰の「腰部脊柱管狭窄(きょうさく)症」と診断され、手術を行い、3月30日に退院。4月に仕事復帰していた。
お笑いコンビ「おぼん・こぼん」のこぼん(70)は自身のツイッターで「朝早く関西の仲間から、Wヤング、ヤング平川さんの訃報が入ってきた」と報告。「ヤング中田さんは、野球賭博が原因で熱海、二見ヶ浦から飛び込み自ら命を絶った。元気な先輩でしたが、病には勝てず…合掌」と元メンバーの中田治雄さんについても触れ、訃報を伝えた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191112-00000150-spnannex-ent wヤングwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww あの笑点でたまに見かけた
年金貰いながら漫才やってるって人か ダジャレ漫才の人か
昭和の漫才さんが又一人亡くなったな
合掌 Game INNは偽装ゲームサイト
正体は反日コリアンの支援部隊 相方が東尋坊かどこかでダイブ自殺してからは
苦難の芸人人生だったね〜
合掌 弟子の宇都宮まきにホームレスに間違えられた話好き
合掌 形成外科の患者が急死するって何が原因なんや?????? 平川姓は大阪のパチンコ屋の経営者に多い姓ですね
合掌 漫才ブーム直前で終わってしまった勿体ないコンビ
もう少し生きてりゃ漫才ブームに乗れたのに
たけしが注目してたコンビ >>6
ホンマに。漫才ブームが来る直前で飛び降りてしまったのが残念でしょうがない。
あの時の衝撃ときたら・・・
Wヤングが健在だったら、漫才ブームでは間違いなくやすきよと同格になってた。
テンポも良くて、マジでめちゃめちゃ面白かった。
>>16
熱海だって書いてあんだろ>>1に。
でも大好きな歌で色んなことに挑戦してはって幸せだっただろう。
息子は演歌歌手としてそこそこの実績を挙げている。 やんなっ!
ハハハハハハハハ馬鹿だなぁ!
(´・ω・`) 若い小ずえ以来の寂しさだわ
おもろい漫才をありがとうございました 合掌 >>40
あと少し待ってたら漫才ブームが来て
中田の借金なんか一ヶ月で全額返せたのに
とたけしが述懐してたな ヤングって若いって意味なのに
なんで古く感じてしまうのだろう
合掌。 >>1
こぼん師匠、二見ヶ浦じゃなくて錦ヶ浦じゃね?
錦ヶ浦は熱海の自殺の名所
二見ヶ浦は夫婦岩があって2つの岩が仲睦まじくw並んでいるとこ きよし師匠の先輩か
70代のお笑いタレントにもイエロー信号が
相方や やっさんの世界に行ったんだよな 追悼 全然若くないWヤングか
芸名は先の事を考えて付けるべきやな
ご冥福をお祈りします 新喜劇の宇都宮まきの師匠というのは聞いたことがある
でも本人の実際の活躍は、40代未満の人はほとんど知らないんじゃないか >>58
でもラジオ聴いてると声の張りの無さに悲しくなる 歌もプロ級、マジの演歌レコードもたくさん出してる。 >>58
流石に衰えは感じるけどねぇ
現役のまま逝きはるのか
舌が回るうちに引退しはるのか分からんけど やすきよの漫才は今見ても面白いけど
Wヤングはつまんない 初めて母に梅田花月に連れて行って
もらった時に出演してた思い出の芸人さん
お疲れさまでした 最近まで舞台を走り回ってすげぇ元気だったのに…
合掌 上岡龍太郎はまだ元気やな
横山ノックと漫画トリオしていたが遥かに格上や
欽ちゃんも元気だし たけしもタモリもまだ小物なんだよな 20年ぐらい前にKBS京都でカラオケの冠番組持ってたな
にしきこうじさんは元気なのかな はじめてこのコンビのこと知ったとき新生Wヤングって呼ばれてて何が新生なのか意味がわからなかった。合掌。 カラオケを24時間やる企画で達成したと言う記憶がある Wヤングの平川師匠は吉本で一番古い芸人だって言ってたな >>79
チャンバラトリオが2015年に解散したから古株なんだろうな
明石家さんまも最高齢になる日が近い たけしはこの人達の漫才もの凄く高く評価してたな
Wヤングには敵わないって 昭和の漫才は大人の話芸でほんまに上手かった。
いまの若手の漫才は寸劇やもんなぁ。 今年は横山たかしも亡くなったし寂しいな
横山たかしひろしもWヤングも大好きだった 横山たかし師匠は70で旅立たれたんで少しは往生されたと思う。 >>88
関西芸人なのに漫才ブームの東京進出に乗り遅れた人
ツーツーレロレロでさえ東京でゴムパッチンやった
初代相方と組んでた時は凄かったんだよな
東京で全国制覇はならず そういえば今年亡くなった横山たかしも「腰部脊柱管狭窄症」を患ってたな 池乃めだかって漫才師だったんだよね
海原やすよ・ともこのパパとやってた
一度も漫才見たこと無いな
YouTubeにあるかな? >>58
来年直ぐに85歳になるんよな
石原裕次郎とか宝田明とかと同じ学年やわ 中田カウスボタンは中田ダイマルラケットの弟子
横山ノックは横山エンタツの弟子
横山やすしは横山ノックの弟子 >>91
ダウンタウンが大阪より東京合わせの漫才
ナインティーナインは東京にマンション構えた
言葉だけの漫才は特に東京だけはウケない
お笑いの質が変わった >>107
中田カウスボタンは
中田ダイマルラケットの弟子の弟子やから孫弟子にあたるはず >>14 >>17
「ちょっと聞いたぁ」で家を建てて、「えらいすんまへん」でその家売ってもうた、で客席を笑わしていた。
>>79
吉本新喜劇の桑原和男師は1936年生まれで初舞台は56年、平川幸男師は41年生まれで初舞台が
56年と、年齢は桑原が上で芸歴はほぼ同期。まあ、この芸歴になると最高齢と自称しても問題ないが。 >>58
朝のラジオ、ヤバいくらい衰えてるよ
アシスタントの人がもはや介護施設の職員状態 >>118
いとこい師匠のお弟子さんやったらしいよ
テレビで視たわ 漫才ブームの寸前に相方が自殺してしまった人
自殺の原因の借金額なんかブームの頃だと1ヶ月で返済できる程度の金額だった 相方は新喜劇に戻るのかな浅香あき恵と夫婦漫才でもするのかな 今いくよも死んだしね
今いくよくるよは晩年はあまり面白く無かったけど、80年代の若い頃はめちゃくちゃキレあって面白かった。
個人的には、若井こずえみどりの方が好きだった >>119
道上洋三の方が遥かに若いしまだまだやりそうやが >>21
多額の借金があって督促もキツかったそうな。
漫才やってれば返せたのにと、残念そうにたけしだったか誰だったか言ってたなあ。 >>61
二代目の相方ともコンビ組んで25年になるのに、知らんわけねーだろ
>>68
新しい方はな 松本人志のボケ具合は平川師匠の影響もろに受けてるね 顔も似てるし アホの坂田師匠と同年代か
相方の前田五郎さんが大阪寝屋川市出身でコメディNo1は地元の誇りだった
間寛平ちゃん師匠とか泣かせるだけやで 軍ちゃんのヤミ金借金て、最初平川さんが
疑われたんだってね。それぐらい、軍ちゃんの真面目さと平川さんのずぼら差が定評だった。
楽屋にまで、当時の吉本の社長に乗り込んで問い詰められた平川さんが、否定して軍ちゃん問い詰めて借金発覚。
取り敢えず、会社が立て替えてやるから、完済までギャラアップ無しの、とばっちりペナルティに
「そもそも俺が博打に誘ったのが、発端や。相方の不始末と言えば、家族の不始末も同然や。2人で頑張って代えそうや」と、平川さんが奮起即すも、言い出せない借金が多数あり、軍ちゃんは帰らぬ身になった。 中田カウスボタンはマンネリ化し過ぎ
カウスがボタンを弄ってるだけ 笑点よく出てたのに……年取っても元気だったのになあ
ご冥福をお祈りします >>134
2009年にコメディNo1解散してソロでやっている ハイヒールリンゴモモコも春やすこけいこには逆らえない >>138
【海原一門】()はコンビ活動期間
■海原お浜・小浜(1933〜1994年)
親戚関係。
小浜は、海原めぐるの母で、海原やすよ・ともこの祖母。
■海原かける・めぐる(?〜1976年解散)
かけるは海原小浜の息子で、海原やすよ・ともこの父。めぐるは、今の池乃めだか。
■海原はるか・かなた(1970年〜)
■海原千里・万理(1971〜1977年)
姉妹関係。
千里は今の上沼恵美子。
■海原さおり・しおり(1978〜2014年)
■海原やすよ・ともこ(1992年〜)
姉妹関係。
祖母は、海原小浜。父は元漫才師の海原かける。 >>132
だから漫才ブームに乗っていたとしても、隠された借金は膨れ上がって死を待つのみだった >>51
ナウなヤングにバカウケも古くさいしね。
別府ヤングセンターという老人御用達の温泉施設を思い出したw 関西芸人のゆりかごと冥土やね
関東のたけしタモリ関係ないし
大阪を知る者は悲しい 「ちょおっと聞いたぁぁぁ〜」が持ちギャグでした。
しかし78才で亡くなる男性が多いな・・・政府が言う75才で年金
もらいながら働いても3年後にはあの世行きでっせ >>148
松之助師匠もめちゃくちゃ面白い人だったなぁ 正直この人らの漫才てあの当時でも古臭かったから
漫才ブームの恩恵は受けられなかったと思うが >>142
海原やすよ・ともこはサラブレッドだったんだ
なんか吉本なのに不思議な扱いだもんな >>107 >>113
平川師の元相方、中田治雄師は間違われやすいが、中田カウス・ボタンの直系の大師匠、中田ダイマル・
ラケット師の系統ではない。音曲漫才の西川ヒノデ・サクラ師の弟子。平川・中田はこの師匠の元で後の
フラワーショウの華ぼたんと三人で音曲漫才をやっていたが芽が出ず、男二人のコンビになってしゃべくり
漫才に改めたのが「Wヤング」。ここから二人の快進撃が始まった。 >>42
漫才の締め数分間はテーマで(例えば魚とか車とか)次々駄洒落出す人か Wヤング、Wコミック、Wモアモア
このあたり誰が誰だかわからない
いちにのさーんの、しのにのご♪ってやってたのは誰だっけ >>152
やすよともこは漫才つまらない
テレビ大阪の番組で買い物してるだけのコンビって感じ 紳助は葬式出るん
先輩だから当たり前だけど久しぶりの茶の間に見れるん >>119
モゴモゴしててなにを言ってるか判らんもんな。
MBSとしては放送中にそのまま息絶えることを望んでいるらしい。 >>159
大分マシになったよ
ただ姉妹共にふくよかなのがなぁ…
やすよなんで太ったんや >>167
ドリフが一番得意
けんちゃんが仏役だった 海原しおりも死んだよね
海原さおりの旦那は大木こだま 大好きな芸人さんが亡くなってしまった…
ありがとうございました >>110
横山ホットブラザーズの横山は本名で、エンタツ系統とは無関係だわな。 >>171
あっ思い出した!
岡八郎が死んだときオール巨人が師匠が酒に溺れて何ちゃらかんちゃら語ってた >>159
面白くないとまでは思わないけど同世代の吉本芸人と番組してるイメージが無いのよね
変に格上的な扱いと言うか
縁故関係があったと聞いて妙に納得した やすともは一門じゃないよ
了承得て海原名乗ってるだけ 船場太郎はまだ元気にしてるかな?
大阪の市議会議員やってたよね
YouTubeで橋下さんの悪口言ってるの昔見たな。 >>151
あんなダジャレ尽くしのゆったりした演芸場向きの漫才が、当時の若い人にウケるとは考えにくい。
B&B、紳竜、のりおよしお、ぼんち、ツービートと早口でまくし立てる連中が売れて、漫才ブームで漫才そのものが変わってしまった。
阪神巨人やカウスボタンと一緒に、東京で忙しい連中の穴埋め的に大阪で細々とやるのが関の山だったと思う。 >>182
そういう甘えがつまらなさを産んでるのかも 阪神巨人は当時は便宜上師匠に付かないと舞台に立てないから岡八郎を指名したんだよな
それでも巨人は完璧に弟子を務め上げたそうだけど 昔は音曲漫才 平川さんがギターで軍さんがサックス
楽器をやめてからダジャレ漫才 中田ボタンはどうなってん?
ずっと休業中のままだが >>191
もともとヤングタウンだったかヤングOHOHかで出てきた素人コンビだったしね。 いや、最後の相方の理由がどうなんだよ
遺書でもあったのか? >>166
岡八郎の弟子になる前は三代目林家染丸門下の林家染三の弟子になってて
巨人は林家三喜、阪神は林家三六だった ハマタは舞台袖でずっと中田ボタンの漫才を見て勉強してた なんかスレの流れが平川さんと全然関係ない上方芸能史になっとる・・・ 探偵ナイトスクープは東京MXテレビでもやっているが
上岡龍太郎が西田敏行になって 先日ダウンタウンの松本人志が司会になったばかり
70代から急に50代の司会 衝撃的だったんだけどWヤングのこんな悲報
世代交代は観ている方は嫌なんだよな へんなの!を失笑から笑いに持っていけるのは流石だよ >>202
洋之助はB&Bの師匠だよね?
B&Bと島田紳助って同じ一門だよね? >>190
海原やすよ・ともこは海原の大師匠が自分達の実の祖母で、芸人としての師匠が中田ボタンなのだから、
海原を名乗りながら、ダイ・ラケ師を祖とする中田の系統にいても、何の不思議ではないはず。 >>201
若井はんじ・けんじ。
ぼん・はやと、とは兄妹弟子。 >>193
今喜多代 島田洋之介
ちなみに上方漫才一門で最大は太平一門
島田一門は二番手
海原一門は三番手 昭和54年に暴力団との野球賭博で月亭可朝、結城哲也、間寛平が逮捕されてたな >>164
五十嵐サキねーさんにゆーたら
あかんで! >>209
太平って、サブローシローしか思い浮かばない >>164
まだワンパターンに東京と大阪の女の比較漫才をやってんちゃうんか? B&Bが漫才を変えた。
掛け合いなし、ひたすら洋七が怒涛の様にボケまくる漫才がウケて、それまでの掛け合いをメインにした話術としての漫才は古臭い物と化してしまった。
旧Wヤングが健在でも、新陳代謝の波には勝てなかったと思う。 >>210
明石家さんま師匠が70代になって晩節になると
大阪の漫才の灯が消えるん
危機感を持たないとな >>218
かつみの相方はディスカウントストアーのジャパンの鯱の娘と結婚して芸能界辞めたんだよね。
で、後に離婚。今何してるんだろ? >>211
若井はんじ・けんじは、万博の際にあった第1次漫才ブームの旗手で
超人気者だった。
後に、はんじが死んだ際に弟のけんじのことを心配して、名古屋の名鉄ホテルに
宿泊していたかしまし娘の正司歌江に霊体として会いに行き、弟をよろしくと言い残した。
この話はしょっちゅう歌江が泣きながら話していたので有名 >>206
いくよ・くるよ、一の介、洋七、紳助は兄弟弟子だが
洋八は正式な弟子ではないて今喜多代が言ってたな 現役のまま亡くなるのはある意味羨ましい
もう78歳だったのか 訃報w
て酷くないか?ヤング平川って人が浮かばれない。
よほど嫌われていた人なのか?酷すぎるわ。 >>228
「Wヤング」がコンビ名
スレ立てした奴のミスでwになっただけ お前の親族が死んでも 訃報 は出すと思うが、世間からお前ら家族、つまはじきにされてるんか? >>225
洋七が舞台係をしてた洋八をコンビに誘って結成してるからね。
島田姓は形式的なもので。 >>233
いちいちここで聞くより、ウィキペディアなりで調べた方が早いやろ >>219
月亭可朝師は3代目林家染丸師の元にいたが破門、後に桂米朝師に拾われて、先代桂小米朝を
名乗るが、吉本移籍を期に、「月亭」の亭号を復活させ、可朝を名乗った。 >>219
現代の月亭は桂米朝一門で、月亭可朝は三代目林家染丸門下で林家染奴
だったが破門されて桂米朝門下に移って桂小米朝になったが
吉本の林正之助会長に名前に小がついてるから気に入らないので改名しろと
言われて月亭文都の月亭の亭号を復活させて自分で考えた可朝の名前をつけて
月亭可朝になった 初代の漫才もあんまり印象に残ってないな
そんなに面白いと思って見てなかったんだろうか
中田軍治さんがああいうことになった後は
どうしても見る方が暗いイメージをもってしまいがちだった思う
年とってからは明るく面白い感じに戻ってたようだけど。合掌 東京の芸人は難波グランド花月に出れないからな
コメディやって物壊されたらたまらん Wヤングのしゃれづくしも人生幸朗のボヤキ漫才もつい笑っちゃうんだよな。
このへんは実際聞いてた人じゃないとわからない 春やすこけいこ、結成が1976年てWikipediaに書いてある
ハイヒールリンゴモモコよりも遥かに先輩なんだね!
ハイヒールは1982年デビューだからな 新相方といってももう25年経つんか・・・
絶対長持ちしないと思ってたけどすごいね 横山ひろしが春けいこと夫婦漫才を結成
相方は浅香あき恵と夫婦漫才かな 丸兄とのコンビも面白かったよ
テレビ向きではないとは思うけど >>84 ちゃんばらトリオって解散していたのか そっちのほうがショック 近所の爺さんも自転車で転んで
肩を骨折して手術したら
入院中に容態急変して肺炎で死んじまった
老人の手術は危ないなやっぱ 「ちょっと聞いた?」
中田さんとのコンビは最高でした
もうあれを超えるものは出てこないな
平川さんどうか安らかに ぜんぜんヤング感ないからWじじいに改名すればよかったけど遅かった (・ω・) 相方の丸兄はどうするんだ
一人でダジャレやってても稼げないだろうし
浅香あき恵はまだ女優やれるだろうけど ザ.ぼんちは大阪での1973年結成当時はテレビでも観た事ない
1978年頃の漫才ブームに上手く乗っかって
東京で大ブレイクした
歌.恋のぼんちシートや橋幸夫のモノマネでツービートやB&Bに並んだ ネタからダジャレ連発に変わるあたりから、中田が本当に楽しそうにツッコミとwボケを始める。
それを受ける平川になんとも言えない色気があるんだよな。
独特無二の色艶のある実に見事な漫才でした。 たまに生活笑百科で見たな
関東でも関西の芸人さんが見られる貴重な番組 >>1
舞台出番の合間にジム通いやトレしてるって言ってたのに... 東京も立川談志や初代林家三平がいなくなって
いかりや長介もいなくなって
本来のお笑いの灯が消えた >>249
ミヤ蝶美・蝶子がハイヒールのプロトタイプだったな。蝶美が結婚して一時
辞めてたのが悔やまれる >>183
お笑いスタ誕10週勝ち抜いた、その収録現場で逮捕されたんだよな >>218
かつみはシローの弟子。さゆりも。
シローはレツゴー三匹の弟子だからタイヘイトリオの孫弟子。
だからかつみさゆりは、タイヘイトリオから見れば曾孫弟子。 >>271
元相方が30年ぐらい前に
弟子が15年前に >>250
一応一番弟子だが、元々は松竹で
横中バックケースと言う漫才コンビを組んでいたはず
横山一門と中田一門の亭号を合わせた芸名だったがあんまり売れなかった
それでコンビ解散して西川きよしに弟子入りしたはずや >>275
覚醒剤で心臓バクバクになって、違和感から自分で胸を叩いて肋骨を叩き折って救急搬送、そのまま逮捕。 >>6,>>40
初代B&Bの萩原芳樹氏は「花王名人劇場の第一回
はやすしきよしではなくWヤングにオファーをかける
はずだった」って言ってるね
漫才ブームにさえ乗っていれば莫大な借金だったが
十分返済出来たと >>207
小浜師匠が、ボタン師匠に預かり弟子にしただけ >>250
wikiで見たら高校卒業して西川きよしに弟子入りとあるが
松竹にいたはずやから解せない
本当は違うような気がするんやが >>142
やすよ・ともこは、海原を名乗ってるが一門ではない。 >>280
たぶん>>250が正解 wikiが間違ってると思うよ
wikiは結構間違い出鱈目が多い >>287
「娘」とついてる漫才トリオで娘はおらんぞ >>289
漫才ブームの少し前に借金で投身自殺
「漫才ブームになっていれば一気に借金返せてたのに」
という話にいつもなるやつか >>278
当時のやすきよは司会メインで漫才はそこまで力を入れてた訳ではなく、中田軍司の自殺がなければ後のやすきよはなかったかも知れない。 >>284
最初きよしに弟子入りしたが、すぐ辞めたんじゃなかったかな。その後同級生と
淀こういち・こうじというコンビでデビュー、バック・ケースはその後。新花月の
舞台で暴れまくって少し注目され、横山ノックが落選して漫画トリオを再結成しようと
した時青芝フックが不参加を表明したのでその代わりにのりおを入れようという
話があったと上岡龍太郎が話してた。その後の経緯は知らないが吉本に入って
西川を名乗るようになった。 >>274
横中バックケースをwikiで見たら凄い、映像が残ってないのが惜しい。
>出だしに自作のアカペラソング「漫才は楽しいな」を披露。本筋では相方のケースを舞台から放り投げたり、緞帳にぶら下がってはそれを引きずり下ろす。
また、センターマイクにかじり付いてフードを噛み破り、「そんなことしたら感電するで」とたしなめる相方に対して「俺はもうしびれてるんじゃ!」と叫びやり返す。
クイズネタでは無茶苦茶な質問を相方にふっかけた後、困惑した相方が「なんの関係があるんや」と返答すると、「その答えを待ってたんや!」と相方の両頬に往復ビンタをぶちかますなどして、新開地にあった神戸松竹座や、新世界の新花月の劇場関係者を困らせていた。
しかも、観客の受けは悪く、舞台袖から観ている芸人仲間達の方が楽しんでいた。 うわぁ、昨日の夜宇都宮まきちゃんの平川師匠のすべらない話聞きながら寝たからタイムリーすぎて怖いわ ヤングなのに死ぬなんて
もうさすがに後釜は入れずに、比較的若い方のヤングさんは引退かな 前の相方が自殺したときは驚いたけどな
たしかオヤジと一緒に競輪場だかどっかに週末行って
そこでオヤジがラジオだかスポーツ新聞だかで知って驚いて
おれはオヤジに聞いたんだよな 新世界の新花月は客が厳しいでビール瓶が飛んでくる
のりおがきよしの弟子になったのがwiki通りなら新進の「やすきよ」がそんな若手で弟子を
持つのが許されたどうか疑問が残る
内弟子となってるけど当時のきよしは西成でアパート住まいやろ >>189
すでに完成されていたからなあ
早口対応はできると思うが毒舌風味を入れ始めた当時の漫才ブームには乗れなかっただろうね >>293
やすしの初回の謹慎時も長い間テレビはアウトだったけど、やすきよがテレビから消えた時期に吉本の漫才を引っ張ったのは間違いなくwヤング。
漫才ブームまでにはもう少し間がある。 「ダブルヤング」に「ぼん・はやと」が若手の旗手だったけどな
やすきよに蹴散らされてしまって まきちゃん悲しむんだろうなあ。
まきちゃんの幸せは僕が責任を持ちます。 >>306
タレントとして穴を埋めたのはコメディNo.1だったな >>263
ラジオ番組で聞くWヤングが好きだったわ
おどまかんじんかんじ〜ん
この辺が肝心やね
あんたのヘ〜は草津節
ほなこのへんでおいとこ節
「ウオオオォォォぃィィ〜〜何で死んだんやああぁぁぁ(号泣)」 >>312
新喜劇にずっといる割に棒読み下手くそだな >>33
ヤングなかた
さあ立ち上がれよ
ヤングなかた
さあとびおr 年の割には洒落た人で、おじいさんという感じがなくて、それだけに意外だった。 漫才ブーム寸前で元相方の中田が投身自殺したんだよね
しかもその漫才ブームの仕掛け人?番組?的には、Wヤングをメインに据える構想だったとか
劇場にまで取り立てが来る程野球賭博にのめり込んだ中田
賭博の借金を相方の平川に打ち明け、平川が吉本に相談
肩代わりしてくれる事になった吉本から「いくらあるんや」と聞かれ、多額過ぎて正直に答えれず少し少な目に申告
申告できなかった分の借金をまた野球賭博で儲けようとドツボにハマり、どうにもならなくなった。と...
Wヤングの元弟子の人がブログで当時の弟子時代の事を回想してるが、面白かったわ 子供の頃はWヤングで大爆笑した。やすきよより好きだったけど、相方のギャンブル好きが災いしたね。2回もやらかしたらね。 >>325
みのる・ゆたか→松竹梅の松みのるのブログやね
面白かったから更新を楽しみにしてた 少し前のにさんまの師匠が亡くなった時もそうだったけど、こういう訃報の時に上方芸能史に詳しい人がいっぱい来るから勉強になる >>319
演技もさることながら声もオバハン臭いねんな
沢口靖子と同系列やわ >>277
凄まじいですな
私はこだまひかりの寿司ネタが好きでしたわ >>324
なんばグランド花月の近くで何度かお見かけしたけど革ジャンを着こなしていて、凄くカッコよかったなぁ
様になっていて ちょっと聞いた〜?
生活笑百科には最近まで出てたと思ったが。
南無 そっか、宇都宮まきの師匠かつ
浅香あき恵ねえさんの旦那さんかあ >>268
結婚して破門されるんだよな。
師匠のミヤコ蝶々自身が結婚経験があってわりと好き勝手やってるのに、
弟子には結婚は認めん、とするのはどうやねん、とは思ってたなあ。 >>340
間違えた
あき恵ねえさんの旦那さんは相方の佐藤さんや >>349
ばらさんも亡くなってるね
ちゃっきりさんは皆さんご健在なんだろうか >>224
まだ幼児だったけど最初に面白いと思ったクイズ番組がダイビングクイズだった 初代の人はあの時をあとちょっと耐えて借金を全額返済出来たとしても、バブル後にまた大借金抱えて結局自死してたんだろうなと思う 平川師匠のテンポのある芸風はなんとなくこの前亡くなった木村進とも似ているなと思ってた
中田さんの自殺は当時乗りに乗っていたWヤングだっただけにショッキングな事件だったな >>224
はんじけんじの漫才の音声がyoutubeにあるけど、漫才というより口ゲンカで怖かった。
43と52で若くして亡くなってるけど、ストレスが溜まってたのかな。 浜ちゃんが丸兄丸兄って慕ってて
よくテレビで話していたから
ダウンタウンのファンも知っているんだよね >>343
ミヤコ蝶々は弟子とか付き人には酷薄だったからな
食事に行くときも付き人は店の前に立たせておいて
店員に「あんたとこの賄いでええから外のアレに何ぞあてごうといて」
「エサやらんかったら犬でも噛みつきよるからな」
と同席した知り合いに平気で言ってのける人だった 今年の夏ごろ、初めて新喜劇見に行ったんだけどその前に出ていたような気が・・
急すぎてびっくり 23年前やけど、昔あった梅田花月でこの人達の漫才見て爆笑した
トリで出てきた桂文珍も面白くて、これがお笑いなんやって思ったな >>163
福島くんという絶好の後釜が育ったし後はタイミングだけやよね 富山県では月曜日に笑点の再放送をやっているんだけど、今週はWヤングが出演されていた回でした
そんじょそこらの若手よりよっぽど面白かった えー うそやろ・・・ ビックリした
まだまだ元気そうだったのに 闘病中だったんですね・・・おつかれさまでした平川師匠。 >>16
青田昇が巨人のコーチを辞めさせられるきっかけを作った人か 60代でも通るほど見た目もシャンとしてはったのにな 「人が死んだんだぞ!ベテラン芸人が死んだんだぞ!」
「お前も仲間に入れてやるって言ってんだよw」 宇都宮まきが弟子入りってエロい想像しかできない
だいたい今の時代に弟子入りって何だよ
しかもわざわざWヤングに このスレッド探すのに苦労したぜ
Wヤングの漫才はナウかったよなぁ
ダブルをWで表すなんて昭和の臭いがプンプンするぜ
そのうちサラリーマンも死語になるんだよ 平川師匠最後のお弟子さん、もみちゃんズさんの漫画。
平川師匠をネタにしてます。合掌。
http://momichanzu.otaden.jp/c21946.html 最後お互いにだじゃれを言い合うのは今見ても面白い漫才 >>129
いや古い方の漫才
やすきよやツービートに比べると明らかに古臭くて >>356
丸兄は相方の佐藤さんの方や。ついでに当時丸姉と呼ばれてたのがモモコ 笑い飯がやってるようなお互いにボケ倒す漫才の原型かも >>378
去年キンチョウスタジアムで大学ラグビー選手権観戦してはったの生で見たよ
ラグビー好きなんやって思った >>174
娘がいるがさおり師匠の遺伝子が強ければ良かったのにと >>352
紳助のEXテレビでダイビングクイズのパロディで、おっさんにダイビングクイズというのをやってて、回答者が女で下には風船の代わりにおっさん数人というのが、くだらなくて面白かった。 当時既に大御所だった平川と、新喜劇の中堅座員でしかなかった丸兄のコンビは大変だったと思う。
先代のWヤングと比べられる事も多かっただろうし。
やっといい味が出て来た所だったのに残念。 >>380
失踪した時から自殺は予想されていて 3時に会いましょうとかテレビで「早まったことはしないでください」とか自殺しないように呼びかけられていたな 結果残念ながら予想通りになってしまった 【訃報】wwwwwヤング平川幸男さん死去www78歳w11月上旬に入院www昨夜容体が急変 wwwwwwww 初代Wヤングの漫才がYouTubeにあるから見てみた
めちゃめちゃ間の使い方とか上手くて驚いた
そして面白い
海原千里万里も見た時上手過ぎて驚いたけど、それ以来だわ 相方だけでなく弟子も自殺してるのに
そういった悲壮感を微塵も出さない平川さん Wヤングの若い方呼ばわりされる佐藤さん
一回り違うけど見た目は年の差なかった Wヤングの若い方呼ばわりされる佐藤さん
一回り違うけど見た目は年の差なかった >>392
×うる覚え
○うろ覚え
なんでこういうバカはいつまでも消えないんだろうか ビートたけしのオールナイトニッポンに投稿された
「ヤングマン」の替え歌
ヤング中田 さあ立ち上がれよ
ヤング中田 今飛び出そうぜ
ヤング中田 もう悩むことは
ないんだから 中田さんが自殺した熱海の錦ケ浦、トンネルを抜けたところにあるんだけどそのトンネルが何とも気持ち悪い
霊感とかまるで無い俺なのに、あそこを通る時に胸が締め付けられて怖かった
あれ以来熱海が怖くて行けない >>393
たけしも絶対越えられないとか言ってたな >>387
ナンバ壱番館の再現Vではコンビ結成を渋る佐藤を説得するのに、吉本の社員が
「ここだけの話やけど、新喜劇無くなるんやで」と脅してたな ほんものは誰だ でボディービルで鍛えた体を披露してたな 藤原光博(リットン調査団) (@viva26chiba)
2019/11/13 7:15
おっかない師匠やったけど、まる兄とあき恵姉さんの結婚の時に満面の笑顔で初めて話しかけていただいた。
「この後、若いから女いくんやろ?」
そんなスケベな事を言うとは思ってなかった平川師匠。
まる兄どないしはるんやろ?
心配やな。 二宮結婚&剛力破局で関西ローカルのワイドショーもスルー。MBSのせやねん辺りで扱え! ニッカンによると治療に専念するため近々解散を発表する予定だったとか。
まる兄も身の振り方は考えてるだろ >>385
あの伝説の「低俗の限界」とかいう企画だったかな?
確か女がノーパンでという設定で落ちた後
男たちの怒号と、女の悲鳴が聞こえるとかいうオチだったなw まる兄は新喜劇に復帰してあき恵との夫婦共演とか元の相棒の帯谷と
絡むとかせなしゃーないかな 少し前に笑点で見たような気がするが
ハァハァ言いながら走り回っとったのに >>278
日刊スポーツで触れられてたけどプロデューサーの澤田隆治さんも何回も言ってるね。
ちなみに順番としては花王名人劇場の漫才新幹線(って企画)の方がTHE MANZAI(初代)より前。 >>357
ミヤコ蝶々と京唄子は犬猿の仲だった。
お互いトップじゃないと気が済まないタイプ。 >>422
こういう空気読めないやつ現れて不愉快
消えろ屑 2019年に亡くなった主な有名人
平川幸男(漫才師。Wヤング)
田口光久(元日本代表GK。生ダラ)
中山仁(俳優)
きよ彦(着物デザイナー)
八千草薫(女優)
金田正一(元プロ野球監督)
逆鉾(元関脇。寺尾の兄)
佐藤しのぶ(ソプラノ歌手)
佐藤忠志(元予備校講師。金ピカ先生)
安部譲二(作家。塀の中の懲りない面々)
吾妻ひでお(漫画家。失踪日記)
高須基仁(出版プロデューサー)
竹村健一(経済評論家。だいたいやね)
ジャニー喜多川(ジャニーズ事務所創設者)
高島忠夫(司会者)
田辺聖子(作家)
横山たかし(漫才師。たかしひろし)
木村進(元吉本新喜劇)
京マチ子(女優)
小出義雄(マラソン指導者。高橋尚子の恩師) モンキー・パンチ(漫画家。ルパン三世)
福岡翼(芸能リポーター)
ケーシー高峰(漫談家)
北尾光司(元横綱)
萩原健一(俳優)
近藤昭仁(元プロ野球監督)
内田裕也(ロック歌手)
ザ・デストロイヤー(プロレスラー)
山田スミ子(女優。元吉本新喜劇)
降旗康男(映画監督。高倉映画)
笑福亭松之助(落語家。さんまの師匠)
織本順吉(俳優)
堺屋太一(経済評論家)
岡留安則(元「噂の真相」編集長)
梅原猛(哲学者)
市原悦子(女優)
兼高かおる(旅行ジャーナリスト) >>425
吉本多いね それもお笑いのレジェンド級揃い ぼん・はやと も一時はやすきよのライバルと言われてたけどね
ぼんちゃんは南住吉でカラオケスナックやってます 心霊スポットとしては東尋坊より錦ヶ浦の方が遙かに凶悪
心が弱ってるときは足踏み入れちゃだめ 癌だったんだな、浅香あき恵のブログにホスピスで緩和ケアを受けてたと書いてる。 >>426
そうだ、松之助師匠も今年だった…
寂しいなあ オール巨人 (@HgZ6F9iFfu06Xw2)
2019/11/13 14:24
先輩が、潔く自分の最期に向かって過ごされてます!って書いたでしょ、11日に亡くなられました、大先輩、Wヤングの平川幸男師匠です!
実は昨日又、病室迄お見舞いに行ったのですが、何方も居られず、看護師さんが、退院されました!って、まさかとは思いましたが、心よりご冥福をお祈り申し上げます! 元弟子の松みのる のコラムより。
平川、昔はむちゃくちゃやったみたいね。ちなみに松みのるは後に東京に行って松竹梅というトリオを結成。
現在は、お笑いプロデューサー。
師匠は免許がなく無茶な事を云う、師匠の云う事は絶対で逆らえない。
黄色ラインに入ってる時、急に『左に入れ』っと云われた、「あの黄色のラインに入ってる時は右も左も行けないんですけど」
『師匠の云う事が 聞けんのか』「いいえ」『入れ!』到底無理だと分かっていたが、云う事を聞いた原はどうなっても良いと思い左にハンドルを切った。
その瞬間ドドーン、急に入ったから後ろからオカマされた。
『あほ何ちゅう運転すんねん』師匠に怒られ、相手の車も『黄色の線から 出て来る奴あるか』と怒鳴られ僕らはパニック!
師匠は『仕事があるから 先に行く、お前らと一緒にいたら殺される。
あとの処理は任すお前らが やったんやからな』っと云いながらタクシーで行ってしまった。
そこからが悲劇の始まり・・・次回につづく 師匠が僕らを残して行ったから、相手は師匠が逃げたと思い怒りだした。
『こんな車乗られへん新車に代えてくれ』って、前がちょっと凹んだだけやのに
「それは出来ません」『じゃ師匠に謝りに来させ』って師匠にその事を 云ったら
『お前らがやった事やからわしら一切関係ない』と云われた。
相手と師匠の板ばさみになった原は責任を感じて『アルバイトして弁償する』と云って、
その日以来弟子を辞めてしまった。
唯一の話相手で将来一緒に有名 になって金儲けしようなぁって云ってた相方の夢も僅か1ヶ月で終わった。
たった一人になった僕の気持ちは捨てられた子犬のような感じだった。
たった一人でどう したら良いか分からなくなった、ただ今やめたら負け犬になる、
とりあえず 先の事は考えず今日一日頑張ろう。
一人でどうにか慣れてきた時だった。
突然悲劇が僕を襲ったそれは原ひろしの自殺のニュースだった。
原因は師匠を 乗せて有馬温泉に行く途中で起した事故だった。
相手の要求が凄くて、 いくらバイトしてもお金返せなくなって、突然失踪してしまった。
原のお父さんから電話があり『ひろしが金を持って家出した』との事、心配していたが まさかと思った。 師匠が一言謝ってくれれば、相手もここまで無茶をいわ なかったと思う。
師匠が謝りに来るまで修理はしない、その間代車は借りた ままで、借金は増えるいっぽう。
相談する相手もなく、途方の暮れて自殺を 決意したそうだ。
原は足摺岬に行って飛び降りたが、木に引っ掛かって助かった。
次の日旅館でタイムスイッチによる感電死を試みたが、時間前に眼が覚めた為断念。
最後に京都の第二タワーサイドホテルの7階から飛び降り2階に落ちた。
しかしその日2階が工事の為、砂利が満載されておりそれがクッションになり、 一命は取り止めた。
一時は下半身不随になると云われていたが、その心配も 無く元気に暮しているそうだ、
人間には寿命と云うのが有って、いくら死 のうと思っても死ねないものだ。
でも本当に良かった。 原がやめてから一人で二人の師匠に付くようになった。
※弟子の平川タロージローのジローも自殺してるのは偶然か?
このコラム、裏話も多くて読み応えあります。 >>441
がんじゃなかった?
病院で相方と一緒にYouTubeにある自分の漫才を見て泣いてたって記事があった 宇都宮まきは家の近所ですれ違い様に乳揉まれて、舞台で出すより大きな声で叫んだらしいぞ 今田と東野がイヤイヤながら新喜劇に出てたころだったと思うけど浅香あきえ姉さんが芸名を小田真里って名前に変えてたけどあれなんだったんだろ? 中田さんが自殺したのも平川さんの人格の問題もあったのだろう 中田カウス・ボタンのボタンも、
野球賭博で莫大な借金があったらしいな。
ある時、テレビでカウス・ボタンの漫才を生中継してて、
漫才が終わったらボタンが舞台から降りて客席から消えていった。
後で誰かが言ってたのは、借金取りが楽屋で待ってたから、
楽屋に帰らずに客席から逃げたそうだ。 なんかビッグ3より上の世代って知名度が一気に下がるよな。
知ってる人はしってるみたいな >>446訂正
多臓器不全でYouTubeの動画を見たら「それまでうつろやったのに、パッと元気な顔になって見入っていた」だった >>203
今いくよ然り、レツゴーじゅん然り、最近だと木村進の訃報スレも
昔の上方芸能史スレになっていた
世代じゃない自分にはなかなかディープで興味深い内容だ >>448
誰かの行きつけの店のホステスの名前だと知らないで改名してたとか >>454
昭和30年代の大阪のテレビを語れる関係者なんか前に書いた澤田さんと大村崑くらいになってるし… >>455
頭が悪くて、新喜劇の先輩たちから『女のアホ』と呼ばれてた浅香あき恵らしいエピソードだな >>454
内容がディープなせいか、アホな煽りがないから読みやすいスレになっている。 >>457
Wikiにあったわ
『心機一転"ということで吉本社員の勧めで「小田真理」と名乗った(実は「小田真理」というのは、
大阪の有名なオカマの名で、それを知りながらの社員のいたずらだった』 中田さんが自殺していなかったら、Wヤングどこまでメジャーになってたか
オール阪神巨人よりもテンポがよく歯切れの良さが売りだった。 漫才ブームに乗れたはずだった 60歳過ぎでコンビ復活したとき
「もういい爺さんだから無理させんといて」的な芸風だったのに
70歳あたりになってから見た目に若々しくなっていった不思議な人だった
息子さんは演歌歌手なんだっけ 漫才ブームの頃、Wヤングは既にアラフォーだったから流石に若い人の感性には合わなかったと思う。
30代中盤のやすきよが若い人に受け入れられたのは、テンポが速くて毒のある漫才が他の若手コンビと遜色なかったから。
カウスボタンやコメディNo.1辺りは漫才ブームで割を食ったと思う。 中田カウスボタン、コメディNO1、正司敏江玲児、京唄子鳳啓助らは昭和40年代前期の漫才ブームのメンバー Wヤングは面白かった
相方亡くなったのが本当に惜しかった
ボケのオッチャンが新しい相方変えてもおもろくなるやろ思ってたけど
全然つまらんくてびっくりした記憶
まだガキやったから漫才の相性とか大事なん分からんかっただけなんやろか 今では吉本の漫才師で怖い師匠って言えば
巨人師匠が真っ先に思い浮かぶけど、そうなる前は平川さんが一番怖がられてた。
とにかく楽屋で怖い、シャレが通じないで有名だった。
でも本人は自分で気づいてなくてよく若手を呑みに誘っていて有難迷惑がられていた。 >>470
そんな平川さんも千鳥の大悟にはビビっておとなしかったんだってな
結局弱い者に強いだけの人だった >>471
千鳥が芸人として出てきた頃はもうとっくに芸人としては一丁上がってるから
好々爺になってたと思う。そんな最近の話じゃない。
80年代の頃の話。
ハイヒールとかトミーズがメチャクチャ怖がってて蛇蝎のように嫌ってた。
ダウンタウンも確かごっつとかでコントネタにしてなかったかな。
絶対に当人だとわからないくらいにボカして。 >>457
小田真理は
当時の吉本木村部長らのいきつけのお店が
マリママ(おかま)小田真理って店をが新地でやってて
そこから
マリママ銀座にも店だしたけどどうしたんやろ
それより生きてるんか? >>466
ボタンさんは知らんけど
カウスさんはブームからバブルまで羽振りよかったで >>406
がんで余命宣告されてたらしいよ
ネットニュースで出てた >>479
自分の記憶違いを訂正
おだまりのママはピー子ママで
マリママは別の店やった
エピソードはそのままおだまりって店から
すんまそんm(__)m Wヤング中田の事件直後のツービート漫才
きよし「いい笑顔だね」
たけし「熱海へ旅行いってきた 靴が揃えて置いてあったから拾ってきた」
「中田って書いてある」
きよし「よしなさい」
こんなのゴールデンタイムで放送してた時代…
平川さん 安らかに >>471
スレ違いだが大悟のおじいおばあ転がしは天性のものだからな >>480
カウスボタンは漫才ブームとは関係なく、その前に関西でダウンタウン級の大ブレイクがあったからな 上沼恵美子はこの人の事は嫌ってたね
この人に限らず、弟子をいいように使って最後には使い捨てにするような人が
嫌いだったみたい。
「師匠の家の階段なんか拭いてても漫才は上手くなりませんよ〜」
と言うのが口癖だった時期があった。
オール巨人とかカウス、大助花子たちの弟子の扱い方にも苦言を呈してた。 >>488
その人たちの弟子からたいした芸人出てきてないもんな〜
巨人はかろうじて「有吉弘行」というイレギュラーがいるけど、まあ師匠関係無いし。
師匠がいない芸人が当たり前の今の世の中じゃ、師弟関係を結ぶ意味も無くなってるわな。 トミーズ雅も舞台袖でおしぼり持って何になるねん?って言ってたし、NSCが出来て以降師弟制度なんて死語になってる。 平川師匠とチャーリー浜は楽屋で近づいたらアカン先輩芸人扱いされたな 有吉は同期の弟子を暴行して謹慎くらった。謹慎中に弟子を辞めて東京に行った。 >>488
宮川大助の弟子が師匠と一緒にテレビに出て
花子師匠がおいしい料理を毎日山ほど作ってくださるから
いつもお腹いっぱいで苦しいんですよーって笑い話で言っただけで
一切空気を読まずにその場でビンタして怒鳴り散らしてたからな
俺の嫁はんにケチつける気かーっ!てキレ倒してたわ >>494
大助花子って、かかあ天下の花子に頭が上がらない大助、の構図だけど、大助は実際は、ブレイクするまで、
稽古で花子を仲間や先輩から「これ以上やるとマジで死ぬで」というほどボッコボコにしてたんだっけ >>495
むかし花子が空いてる椅子に座ったらたまたま横に男性芸人が座っててそれを見た大助がやきもち焼いてブチ切れたこともあるらしいw。某ベテラン芸人がラジオで馬鹿にしながら話してた。 >>495
今はラブラブでイチャイチャしてるけど
その昔はネタ合わせのときに花子をどつくなんて当たり前だったそうだ >>495
ダウンタウンごっつのコント香川さんで似たようなエピソード聞いたかも >>491
チャーリーとかはまだ笑い話で公にイジられてるけど
そういう空気の怖さじゃなかったね。
平川さんとカウスはとにかく顔色うかがって周囲を委縮させる感じ。
楽屋で芸人がご機嫌取りみたいなやり取りしてるからまあ空気がよどむよどむ 解散したから美化されたけど、昔から平川の天狗と嫌味は有名で、漫才ブームまで続けてても仕事は多くなかったと言われている。 漫才コンビはいかに売れていようが解散するとイチから出直しらしいね
「なんで死んだんや〜」って号泣してたの思い出すけど、ワシどないしてくれる
ねん!と今となっては思うのは穿ちすぎか 平川は弟子に愛情の欠片もなく、奴隷のようにしか考えてなかったんだろうな。 見てる分にはすごくて面白かったが
なんか評判悪いな… 西川きよしは弟子が自殺しても、298円のスイカを娘に持って行かせただけ。
20年ぐらい運転手とか雑用でコキ使って、この扱い。 >>506
飲み屋でヤクザ相手に暴れて人生終わったみたいなこと言った人か まあ平川さんに限った話じゃないけど
この人も含めて弟子を使い捨ての使用人扱いしてまともに扱ってなかった事が
NSCの設立と定着につながったのは間違いないわ。
中田ボタンとかぼんちまさととか面倒見がいい師匠も居たんだけどねえ。 初代Wヤングの流れるようなダジャレ攻撃を漫才ブームで観たかったわ かつて香川登志緒という人がいて、このスレのごとく、お笑い芸人のエピソードをいつも語ってましたね。 >>510
今いくよくるよも島田一の介も島田一門や。 >>509
かつての吉本は師匠についた時点で芸人として生きられるかどうか
決まってたと言われてた。 当人に才能があっても潰された人も多かったと思う。
それは手取り足取り芸を教えるような世界じゃないとは思うけど、
弟子が一生懸命自分で勉強してオーディションとか受けに行く日に
わざと自分の送り迎えとかを優先させて受けさせない師匠も多かったそうな。
芸は教えてどうこう言うもんちゃう、自分で盗んで覚えるもんや とか
利いた風な事言ってるのが多かったけど、弟子の勉強まで邪魔する師匠が
多かったのには呆れる。 学校じゃあるまいし自分で志願して弟子入りしたんだから自己責任だろ
気に入らなければ有吉みたいにやめて自力でチャンスつかめばいいだけ 中田治雄こそ破滅型天才芸人
横山のやっさんは天才というより
昔気質の職人タイプの芸人だった >>520
職人が作品の披露をサボってボート行かんわw 有吉は巨人の弟子をあのまま続けていたら今の地位は120%築けていなかっただろう。
仮に2〜3年で弟子を辞めて東京に行っても猿岩石として電波少年に出る事はなかった。半年で弟子を見切って東京に行ったから間に合った。
逆にあのまま弟子を続けて大阪で活動してたところで、売れてたかどうか?
有吉はほとんど苦労もせずに猿岩石時代に電波少年の企画のヒッチハイクでアイドル的な人気を得た。
そこから人気が下降、どん底に落ちて10年間ほとんど露出がなかった。
そこから毒舌で這い上がり今の地位を築いていった。この世代のピンではNo.1だろう。
仮に猿岩石時代に毒舌を売りにしていたら、ただの嫌味にしか聞こえなかっただろうし、10年間の不遇があったからこそ、毒舌に味があり冴えわたった。
元々、才能があったのだろうが、こういう経緯がなければ毒舌も空回りしていただろう。どこの馬の骨かもわからん無名芸人が毒舌を撒き散らした所でただの痛い奴だろうし。
アイドル人気 → どん底 → 毒舌で躍進。
こういう経緯があったから売れた。
あのまま巨人の弟子を続けていたら、こういう経緯もへったくれもない。
今の有吉はない。辞めて大正解だった。 辞めさせるのが師匠の仕事みたいなもの
真っ当な人間を漫才師なんかにしたらあかんのやって話
育てるとか馬鹿なこと言うなって感覚だわな >>524
辞めさせるとかカッコいい事言ってて
その実は自分の付き人としてロクに給与も払わずいいように使ってる
という事実がある。
そこをネグるのは師匠としてみっともないわな。 都合のいい事言ってるだけ。 有吉「今考えたら巨人師匠は優しいわ40代になった今18のガキに普通に話しかけてくれるなんて今の俺じゃありえねえもん」 >>530
そら何の関わりも無い40代と10代の間柄ならそうだろうけど
師弟関係結んでる間柄なら別でしょ
何でそこが一緒くたになるのか、言ってる事が支離滅裂 実際弟子がいなくなって困ってたのは師匠の方だったから 落語家の師弟は続くわな
落語もNSC化したら面白いな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています