最初はその頃の漫画家と同じように手塚治虫調の漫画書いてたんだけど、
小学校卒業してすぐメッキ工場に勤めて、クズの掃きだめみたいな現実世界と
人間関係を目の当たりにして、子供がピストル撃ったり大人を投げ飛ばしたりする
手塚の漫画に魅力を感じなくなり、少年雑誌に「おばけ煙突」という救いのない話を
書いてしまった。