【野球】金田正一 ピッチャーとしては別格、監督としては失格 - 野村克也
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
野球界には、ときどき「怪物」と呼ばれる者が現れる。
元祖怪物・江川卓、「ゴジラ」こと松井秀喜、投打二刀流で「100年にひとり」と言われる大谷翔平……。
野村克也さんの新刊『プロ野球怪物伝』(幻冬舎)では、教え子である田中将大、「難攻不落」と評するダルビッシュ有から、ライバルだった王貞治、
長嶋茂雄ら昭和の名選手まで、名将ノムさんが嫉妬する38人の「怪物」を徹底分析しています。
* * *
バッター最強の怪物が中西太さんなら、ピッチャーのそれは金田正一さんしかいない。
なにしろ、あの天才・長嶋がデビュー戦で4打席4三振をくらったピッチャーである。別格だった。
でなければ、400勝などというとてつもない記録を打ち立てられるわけがない。
私とはリーグが違ったので、対戦したのはオールスターとオープン戦程度だったが、どうしても名前負けしてしまった。
「天皇」という異名をとったように、「地球は自分中心に回っている」と考えているタイプの典型で、マウンドでも堂々としているから、戦う前から呑まれていた。
オールスターのときは三振をとることしか興味がないから、ひとりでもバットに当てられたらもうやる気をなくしていたが、本気で投げたときのボールはすごかった。
球種はストレートとカーブだけで、ストレートはもちろん史上最速といえるほど速かったが、それ以上にカーブがすごかった。
当時の選手としては飛び抜けて背が高く、しかもオーバーハンドだから、まさしく2階から落ちてくる感じ。
途中まで高めのストレートだと思っていると、ガクンと落ちる。
だから、はじめて対戦するバッターは必ずお辞儀して見送るか、ワンバウンドを空振りしてベンチに帰ってきた。
いまはそういうカーブ、すなわちドロップを投げるピッチャーがいなくなった。
余談だが、昔、西鉄に西村貞朗というピッチャーがいて、この人のカーブもすごかった。
木塚忠助、蔭山和夫という当時の南海の1、2番コンビが、西村さんのカーブをよけようとするあまり、うしろにひっくり返ったのをネット裏から見たことがある。
ところが判定はストライク。バッターの頭に当たる直前で、ググッと曲がり落ちたのである。
それを見たとき、「とても打てない」と思ったのを憶えている。ネット裏から見て打てないと感じたのだから、相当なものだ。
事実、1955年に日米野球で来日し、15勝0敗1分と圧倒的な強さを見せたヤンキースの名将ケーシー・ステンゲル監督が「アメリカに連れて帰りたい」と語ったほどだった。
話を金田さんのカーブに戻せば、金田さんのカーブは、厳密にいえばボールだった。
バッターの前を通過するときは高めにはずれているのである。ところがそこから鋭く落ちるから、キャッチャーミットに収まるときはストライクになっている。
審判がだまされてしまうのだ。ベンチからはボールの軌道がよくわかるので、「高いよ、ボールだよ」と野次るのだが、キャッチャーはど真ん中で受けているので、審判は「いや、入っています」と言って聞かなかった。
のちにロッテに移籍したとき、金田さんと手の大きさを較べたことがある。
金田さんの指は、私より一関節ぶん長く、しかも太かった。もしかしたら、あのカーブを生み出す秘密のひとつだったのかもしれない。
* * *
https://blogos.com/article/409179/
幻冬舎plus2019年10月08日 07:25
https://static.blogos.com/media/img/259842/raw.jpg >>128
その投手が5回以降も抑えられるかわからんだろ。 >>150
夫としてこそ超一級だろ
でないとサッチーの相手なんてできんwww 江川は高校時代が一番早かった
だがスピードよりコントロールの投手 嘘吐き朝鮮人らしく160km以上出してたとか大ボラふいてたよな金田
昔の動画を見てもガリガリだし上体だけで投げてて全く速さを感じない
単に昔の野球のレベルが低かっただけ 引退してからのピッチングをテレビで見た記憶がある
確かにカーブがめっちゃ曲がってた 解説者時代は江川ベタ褒めだったな
一方西本は二流扱いw 解説では下半身で投げろピッチャーは走れ走れとうるさかったが、本人の動画みると足をあまりあげずに上半身でヒョイッて投げてるようにしか見えないけどな >>176
頭頂部禿げの西本はキザで偶に足を高く掲げて上げて投げるのは格好良かった 今は居ないなあ >>178
偉大な大先輩がうんぬんみたいな話は
ニュースでコメント流してた 今のスピードガンが盛りすぎてるだけでピッチャーの球速は昔から上がってないんだわな 金やんプロスターズのエースだくらいにしか言ってない
のむらかつやさんは記録のある人しか言わない
長嶋さんにも記憶の人だとくくられるけど
444本ホームランを打っている
秋山幸二さんは437本 >>1
アメリカに連れて帰りたいってのは沢村栄治の事じゃないの? >>168
高校生相手だから、無双した
だから高校時代がピークだと思いガチ ノムさんは対語セットでコメントしないと死んじゃう病にかかっている 金田監督自身がスタンドから投げられた座布団を片付けに行ったんだよな
川崎球場だっけ? 西本はストレートに135キロくらいで、遅かったよね 右が重んじる秩序格差競合感情
左が重んじる自由平等博愛合理
僕の知る西部先生の真正保守は
右と左の間の活力公正節度良識 ノムさんは古田が球史に残るスーパー捕手にならなければダメ監督だったぞ。 野村や落合を神格化してる奴って
麻雀で20年無敗とかの人を神格化してありがたがってるのと同じだろ
麻雀の流れが全てわかるみたいに
野球の流れや采配が全てわかるみたいにw カツノリさんもいたけど古田さんなんだよな(ボソボソ) 通算ホームランと打点が歴代2位なのは凄いと言わざるを得ない。 ノムさんは昔から一貫してこういう評価をしてたな
選手は体が資本だからと12球団一良いものを食べさせ、
投手には特に下半身が大事だと走りまくらせていた
カネやんの嫁さんが秋田出身でキャンプに餅を送ってきた
「秋田の餅なんかめったに食えんぞ!食え食え!」と選手にふるまった
選手たちは「すげえ美味い!」と大喜びだったが、実はサトウの切り餅
選手を鼓舞して盛り上げる人心掌握に長けた人だった 金田の解説
選手活躍『練習の成果が出た、私の現役の頃は・・・』
選手失敗『練習が足りない、私の現役の頃は・・・』 >>43
金田の時代は先発がリリーフや抑えもやるのが当たり前
Wiki
>通算400勝中132勝、国鉄時代353勝中114勝がリリーフでの勝利であり、
>この時代のエース級投手はシーズン中、先発・リリーフの区別なく酷使されることも珍しくなく、
>稲尾和久は通算276勝中108勝、秋山登は193勝中89勝、杉浦忠は187勝中75勝がリリーフ勝利である。
「権藤権藤雨権藤」の権藤みたいに酷使されて3年持たないなんてことも珍しくなかった
金田の勝数はそれだけ投げて壊れなかったということの方がむしろ驚異的
今は変化球が増えて肘の負担も多くなったし、当時のような勝数稼ぐのは無理 >>162
フォークもそうだし晩年にはサークルチェンジも投げてたと言う記事を読んで事ある >>199
年間指定席ですらベコベコに傷んでいた川崎球場に、座布団などという洒落たものがあったのか? 逆は分からないけど昔超人だった人は今生まれてもすごい成績残せそう >>122
光電管での測定の精度がどれくらいかわからないが、本当に168km出てたなら金田や江夏が160km以上出していてもおかしくない
ノーランライアンも軍のレーダーで全盛期の球速を測定されてて初速は推定170kmあるらしいし 古い時代の豪速球投手で名前聞くのは沢村栄治、江夏豊、山口高志辺りでかねやんって自己申告以外だとあまり聞かないような 地元が仙台で子供の頃観てた思い出
一塁コーチャーでカネやん体操
一試合に一度はファンサービス的に主審に抗議
何故か両者笑顔で楽しませてくれた
宮城球場名物弁当おじさん等
両親と弁当食べながら笑って観戦
1日だけでいいから戻ってみたいな。 ウィキのプロフに身長184cmってなってるけど
あれは引退後 初老あたりの数字かな
たしかに縮む前の現役時代は189cmくらいあった感じ 堀内のデビュー時に名前が挙がった速球投手が
沢村、金田、米田、尾崎 >>16
本当に5chは年寄りが自分が普通だと思って書き込んでるだなあ 留広 金石 陣内と一族に一流選手が三人もいるのは金田だけ
● 名球会を私物化した銭ゲバ金田の、400勝のカラクリ
金田は、相手チームのエースや2番手の投手とは決して投げ合わなかった。
相手のローテの谷間の時が金田の出番。
金田が勝ち星を積み重ねていった最大の理由がこれ。
しかも板東英二によると、
金田は登板日でないのでベンチ裏で弁当食べながら観戦し、
勝利権が確定していないゲーム中盤に味方がリードもしくは逆転すると、
「 ピッチャー交代でワシ!投げる!! 」
と勝手にマウンドに ( 苦笑 ) 。
横取り勝利が実に多く、132もあった。
なので、↓のように、
先発勝利数も先発勝利比率も金田は低い!
嫌韓なんて言葉はおよそ無縁だった30年以上前に、
板東英二などが金田の横取り登板を著作で批判しまくってた。
【 歴代先発勝利 】
順 勝利 投 手 (所属) 通算 通算勝利数/先発勝利数
1 288 鈴木 啓示(近鉄) 317 1.10
2 273 小山 正明(大洋) 320 1.17
3 268 金田 正一(巨人) 400 1.49
4 264 別所 毅彦(巨人) 310 1.17
5 260 米田 哲也(近鉄) 350 1.35
金田の勝ち星はずるいと言われるが
ロングリリーフだからな
弱小チームだから他人任せの時間が長いと逆転されるから
しっかり投げないといけない
同じ事やっていいと言われても他の人は耐えられないよ
日米野球での惨敗は米にとって特異性がなかったのとメンタルだろうな 89年 金田がフロントの意向を無視して野茂を指名
90年 金田がフロントの意向を無視して小池を指名
スカウトもやってられんわな。 >>228死ねよキチガイ嘘吐きチョン
金田の時代は先発がリリーフや抑えもやるのが当たり前
Wiki
>通算400勝中132勝、国鉄時代353勝中114勝がリリーフでの勝利であり、
>この時代のエース級投手はシーズン中、先発・リリーフの区別なく酷使されることも珍しくなく、
>稲尾和久は通算276勝中108勝、秋山登は193勝中89勝、杉浦忠は187勝中75勝がリリーフ勝利である。
「権藤権藤雨権藤」の権藤みたいに酷使されて3年持たないなんてことも珍しくなかった
金田の勝数はそれだけ投げて壊れなかったということの方がむしろ驚異的
今は変化球が増えて肘の負担も多くなったし、当時のような勝数稼ぐのは無理 >>6
詳しい内容覚えてないが、合計3試合ぐらいしかなく
最初の試合は強そうな恐ろしい名前の架空のチームだが、アストロは4人ぐらいしかおらず
最初は拮抗した戦いだったが、4人のチームに大敗してしまった
次の試合がロッテ、アストロは少し人数が増えて、まだ9人には足りなかったが
ロッテとは接戦だった
最後の試合は9人揃った架空のチーム、接戦でアストロが勝利
ロッテ強いんだなって思う内容だったな、当時の監督は金田 昭和49年の日本シリーズはV10を阻止したウォーリー中日が
20年ぶりに勢いで征するかと思いきやKY金田ロッテが勝った。
名古屋人の落胆は凄かったろうな。 >>231
その年のドラフト全体を見て、1位指名をするわけで、外れ1位を誰にするか、
2位3位4位と誰にするか、様々なケースを想定して、午前中にチーム内で会議をするわけだから、
それを監督の独断によって現場で覆されたら、スカウトたちもたまったもんじゃないな。 当時は黎明期で野球のトレーニング方法とか技術論が未発達だったからな
その点金田は現代でも通用する体格 (184cm)でウエイトトレーニングや栄養学に基づいた食事も取り入れてた
さすがに今の打者相手には通じないとしても当時の打者相手だったら無双できただろうな 国鉄の勝ちパターンが2パターンしかないから
・エース級からは点取れないので谷間に金田をぶつける
・たまたま序盤でリードを奪うことができた日は金田を投入して守りきる 野村は打者、監督としては別格、キャッチャーとしては失格
自分の弱肩を誤魔化すために自分に有利なバッテリーの役割分担を「セオリー」と称して作り上げた
野村が変に権威持っちゃったせいで日本のキャッチャーは遅れた >>240
打者としては別格だが、監督としてはそれほどでもないよ
阪神と楽天で散々だったし
星野が阪神と楽天で優勝できたのは野村の手柄だと思ってるバカが多いけど >>79
原作漫画は知らないけど、アニメの侍ジャイアンツで巨人と日本シリーズ戦ってた >>90
400勝はMLBと合わせても歴代3位、奪三振も歴代4位だからな。
特に400勝は金田を超えてる二人はいずれも金田より昔の選手で金田以降に金田の記録を超えた選手はMLBにも居ない。 肩の作り方
肩の守り方
肩の休め方
を殆ど勘だけで組立た
原始的でも非論理的でも、自分の身体にあった方法論を作り上げる能力があった
逆に言えばこんな原人みたいな男、今は現れにくいだろうね ノムサン饒舌やなぁ・・・。
カネやんがこれくらい饒舌かつ客観的に喋れれば良かったのに。
国鉄スワローズなんて大昔のマイナー球団に所属したから、本人が喋ってくれなきゃ
活躍の実像が全然わからん。リアルタイムで見た人の目なら、
「オールスターのときは三振をとることしか興味がないから、ひとりでもバットに当てられたらもうやる気をなくしていたが」
こういう書き込みでも十分伝わる。 >>132
当時のセ・リーグは讀賣以外弱小リーグだからな
群雄割拠でユニオンズパールズ以外優勝を狙ってたパ・リーグとは差がある >>241
楽天のあの戦力でCSまでいったのはすごかった
阪神での失敗を上手く消化してうまくやってたよ
野村を監督としてたいしたことないと言って誰が凄かったと言えるかわからんね >>248
新書で国鉄スワローズの歴史本が出ているけど、カネやんはたっぷりと語っていますよ
高橋(トンボ)の歴史本では佐々木信也さんが語ってくれてる
国鉄本では国鉄球団消滅以降の国鉄愛をふんだんに、怒りを込めて雄弁に語っているから是非探して下さい >>240
かつての野村門下生だった江夏も江本も今となっては
「野球人としては別格、ひとりの人間としては失格」と口を揃えて言っている >>211
金田の次の先発がまともなのいないから
たまたまリードしたら金田が投げるしか勝つ道がないんだよな
打線も金田が打率上の方というw >>247
登板後に肩を温めるのでなくアイシングするという
ことには気づかなかったんだよな >>249
かねやんの頃っていうと1950年代って印象だけどそれくらいの頃は巨人、中日、阪神が毎年5割超えで残りの3チームだったり4チームだったりが5割を下回ってるイメージ >>253
打順がピッチャーでもないのに代打金田
どれだけ打てないのよ 審判をボコボコに蹴って、その審判に訴えられそうになったこともあったな >>79
新巨人の星でヤクルトに入団した花形にオープン戦でノムさんが揺さぶりかけるけど打たれるシーンある >>254
本人もアイシングの効能には気付いていたが当たり前のように連投する自分は逆に暖める方が効果あるから、だって。
中3日以上開けるならアイシングを勧めるとも言ってた >>256
53年の成績がどっかで出てたけど
二番手が9勝26敗。4番が260-10HRでチーム打率金田が一番だと
国鉄ファンからしたらマジで天皇だよな
ファンになる経緯がわからんけど S1の解説が面白かった
流石に金田と一緒だと野村は抑えてたな >>241
それは俺も最近思う
致命的に人望がないからね
でも勝ちには直接結びつかないけど、選手を育てたり再生するのは投打守問わず天才的だと思うわ
特に捕手
必ずリーグを代表する捕手を育ててるもん
一番育ちにくいポジションなのに、これは偶然とは言いにくい
監督ではなくコーチとして球団に携わっていれば、もっと野球界に貢献できたんじゃないかと残念でならない >>2
南海クビになった野村を引き取ったのは金田だったんだよな
これには後日談があって広岡監督のライオンズがロッテクビになった野村を引き取った 巨人の星を見たくなって見たら
星飛雄馬に大リーグボールのアドバイスをした人
大リーグボールの名付け親が金田正一だった 肩ひとつとってもアイシングなのかどうなのかわからないから
地球の運命などわからんよ
ただそう聞いているからとしか言えないだろ
ドカ便、徳川家康 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています