巨人・阿部慎之助捕手(40)が25日、都内で会見。
今季限りでの現役引退を正式に表明したが、実は急転直下の決断だった。
プロ19年目の今季は開幕当初こそ代打要員だったが、勝負どころではクリーンアップで先発起用され、5年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。
球団フロントには来季も必要な戦力と評価され、本人も選手一本で勝負する意志を固めていたが、別の考えを持つ人物が1人だけいた。
チームの全権を掌握する原辰徳監督(61)だ。(笹森倫)

24日の阪神戦(甲子園)。
引退報道の渦中にある阿部が満を持して9回に代打で登場すると、両軍ファンから惜しみない声援が送られた。

「球場全体でやって頂いて感謝です」。
全球直球勝負の藤川から、右翼ポール際に大ファウルを放つも最後は空振り三振。
現役最後の聖地へ向け深々と頭を下げた。

ユニホームを脱ぐと知らされ、耳を疑ったのはファンだけではない。
チーム編成を担当する大塚球団副代表も「青天の霹靂? まったくね…」と肩をすくめる。本人から申し出があったのは、前日23日の午前中だった。

最近も阿部とは、長嶋茂雄終身名誉監督の通算本塁打を念頭に「444本を抜くまでやれよ(当時404本)。
あと7年契約か」などと冗談を交わしたばかり。
2013年オフに球団OBの松井秀喜氏に「1年でも長く野球をやれよ」と激励されて以来、本人も引き際の美学より、
ボロボロまで現役にしがみつくことにこだわってきた。

捕手復帰こそ開幕前に断念したものの、今季も34度の先発を含む93試合出場で打率・297、6本塁打、26打点(24日現在)。
大塚副代表も「ちゃんと打率も残して。やっぱり代打阿部っていうのはスタンドの雰囲気を変えちゃうしね。
なかなか彼に代わる代打はいない。
チームが落ち込んだときも、阿部が先発で出て立て直した」と高く評価する。

関係者によれば、来季も必要な戦力というフロント側の認識は阿部にも伝わっていた。
本人も望むところで、久しぶりの優勝の美酒に酔った夜でさえ、周囲には来季への意欲を語っていたという。
だが最終的な判断は、編成トップを兼ねる全権監督に委ねられた。
ビールかけから一夜明けた22日。ヤクルト戦(神宮)前に原監督との話し合いがもたれ、指導者への転身を説得されると、心のどこかでそれを覚悟もしていた阿部は、現役への未練を断った。

同夜にまず坂本主将に報告し、翌23日午前に大塚副代表に電話で連絡。
球場に入ってから正式に申し入れた。

その日の試合で6号ソロを放って逆転勝利に貢献した後、原監督の計らいでクラブハウスに集められたナインを前に、本人の口から引退が明らかにされた。

坂本は「今年の阿部さんを見ていても、まだまだやれるという中で、すぱっと決断されてびっくり。(6号)本塁打を打った瞬間も、まだまだできるのになっていうのは思いました」と話す。

4番に座って2年目の岡本は不振時、指揮官が5番に据えた阿部の力を借りて復調した。
後ろに控えるベテランへの警戒心からストライク勝負が増え、「僕自身もすごくやりやすかった。
打席に入るときに『こうやったら』とアドバイスももらったし」と感謝する。

現場の同僚もフロントも現役続行を望んでいるのに、なぜ原監督は看板選手に引退を急がせるのか。
昨秋に山口オーナーから「頭の片隅にもなかった」という再々登板の要請を受けた際、次のように決意表明している。

「ミスター(長嶋監督)は自分を次の監督として育ててくれた。
大変な恩義を感じている。その恩を私は返せていないんです」

 過去2度の在任時にリーグ優勝7回、日本一2回と実績はすでに残した。チームを勝たせる手腕は野球殿堂にも認められ、改めて実証する必要もない。
名将として球団史に名を刻む上で、やり残した大仕事は、後継監督の育成だ。

前回政権では思い半ばに終わった。
2度目の3連覇を遂げた14年のドラフトでは、スカウト陣が推す即戦力投手でなく、将来の4番候補として高校生スラッガーの岡本を1位指名。
幹部候補生の高橋由をコーチ会議に参加させるため、15年から選手兼任1軍打撃コーチに据えた。
だが、数年後の禅譲を見越した青写真は崩れる。
自身の醜聞を巡る週刊誌との名誉毀損裁判で、7月に球団側が敗訴。
さらに10月には現役3投手の野球賭博関与が明らかに。清新なイメージへの一新を求めた球団は、優勝を逃した原監督の退任にかじを切った。



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