【野球】ヤクルトに移籍した辻発彦が戸惑い。 「こんなチームに負けたのか?」
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西武×ヤクルト "伝説"となった日本シリーズの記憶(38)【リードオフマン】西武・辻発彦 後編
(前編はこちら)
【1993年のヤクルトは目の色を変えて臨んできた】
――前年は4勝3敗で辛勝。そして、翌1993(平成5)年の日本シリーズもスワローズと激突することになりました。
この年、ライオンズは(オレステス・)デストラーデ選手がメジャーに復帰。大幅な戦力ダウンでシリーズに臨むことになりました。
辻 デストラーデが抜けたことで、確かにホームランは減るかもしれないけど、他のメンバーがしっかりしているチームだったので「別に大丈夫でしょ」と思っていました。
それぐらいの層の厚さはあったと思うし、そうでなければ、あれだけ何度も日本シリーズに出られないですから。
――1993年の日本シリーズは、初戦から波乱がありました。スワローズ先発の荒木大輔投手による厳しい内角攻めの結果、
一番の辻さん(「辻」は本来1点しんにょう)、三番の石毛宏典さんがともにデットボールという幕開けとなりましたね。
辻 「そういうこともあるだろう」とは思っていました。ヤクルト先発の荒木はシュートが武器だし、厳しくインコースを突いていく投手でしたからね。
荒木自身も気の強いピッチャーだったし、野村(克也)さんからも「中途半端に攻めるのではなく、厳しいところに投げろ」という指示も出ていたでしょうから。
――波乱の幕開けとなった1993年の日本シリーズ。前年とは逆に、スワローズが3勝1敗と先に王手をかけた後、ライオンズが2連勝。
この年もまた3勝3敗で第7戦までもつれこみました。この年のスワローズについてどんな印象をお持ちですか?
辻 1992年は、とにかく岡林(洋一)がひとりで頑張った印象があるけど、1993年は川崎(憲次郎)が印象に残っていますね。
そして、チーム全体が目の色を変えて、「何が何でも勝とう」という気持ちが前面に出ていました。
あと、前年は(ジャック・)ハウエルが絶不調だったという記憶があるけど、1993年はハウエルもきちんと結果を残したことを覚えています。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190920-00871920-sportiva-base
9/20(金) 6:37配信
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2019/assets_c/2019/09/813034dd479db3c8b2906360462e529dc0cee379-thumb-600xauto-223811.jpg 【移籍後に感じた「ヤクルトの強さ」とは?】
――これはみなさんに聞いているのですが、この2年間でライオンズとスワローズは全14試合を戦って7勝7敗。
ともに日本一になりました。果たして、両チームの決着はついたのでしょうか?
辻 うーん、本当に紙一重の差でしたからね。ヤクルトは本当に強かったですよ。
足の速いヤツもいるし、ホームランバッターもいたし、しぶといバッターもいたからね。
あの頃のヤクルトはとにかくバランスのいいチームだった。それは間違いないですね。
――これはその後の話となりますが、辻さんは1996年にスワローズに移籍。
翌1997年はスワローズの一員として、パ・リーグ覇者のライオンズと日本シリーズを戦っています。
1992年、1993年の時と、何か違いはありましたか?
辻 その時、僕はレギュラーではなかったので状況は違うし、西武のメンバーもガラッと変わっていたので、1992年、1993年とはやっぱり別ですよね。
ただ、僕は西武を自由契約になったところを野村監督に拾ってもらったわけだから、「絶対に西武には負けたくない」という気持ちが強かったです。
――移籍してスワローズの一員となって、スワローズに対する印象の変化などはありましたか?
辻 率直に言って、「えっ、ヤクルトってこんなチームだったの?」と思ったことは、よく覚えています。
言い方は悪いけど、「オレたちは、こんなチームに負けたのか?」って思いでしたね(笑)。
――「こんなチーム」というのを、具体的に教えていただけますか?
辻 当時、古田(敦也)とか、池山(隆寛)とか、飯田(哲也)、土橋(勝征)、伊藤(智仁)とか、
いい選手がたくさんいたけど、クラブハウス内やロッカーの雰囲気を見ていたら、「こいつら、学生か?」って感じなんです。
いろんなところから音楽は流れてくるし、試合前なのにみんなでサッカーのテレビゲームをやっているし(笑)。西武時代には考えられない雰囲気でしたから。
――試合前の過ごし方が、ライオンズとスワローズはまったく違ったんですね。
辻 はい、まったく違いました。でも、一度グラウンドに出ると、みんながひとつになって戦っている。
それを見て、「今の選手たちはこういうものなんだな」と気づくと同時に、「これがヤクルトの強さなんだな」ということを強く感じました。 【「あの2年間は、まさに死闘だった」】
――あらためて、1992年と1993年の激闘について、どんな感想をお持ちですか?
辻 シリーズが始まる前は、「知将対決」とか、「キツネとタヌキの化かし合い」などと注目されていたけど、実際は監督どうこうじゃなくて、選手たちによる死闘ですよ。
「死闘」という表現がピッタリの戦いだったと思います。
――辻さんは現役時代に何度も日本シリーズに出場していますが、「死闘」というのは、この2年間だけですか?
辻 僕は西武で9回、ヤクルトで1回、全部で10回、日本シリーズに出場していますけど、それぞれ印象は違いますね。
阪神を相手に初めてシリーズに出場した1985(昭和60)年はまだ2年目だったので無我夢中だったし、
1986年の広島とのシリーズでは1分け3連敗からの4連勝という劇的なものだったし、思い出はいろいろあります。
ヤクルトと戦った1992年、1993年のシリーズに関しては、似た者同士の両チームが全力でぶつかったシリーズでした。
似た者同士だからこそ、一歩間違うと、まったく逆の結果になる。その繰り返しでしたから。
――だからこそ、「死闘」と言える日本シリーズなんですね。
辻 とくに1992年は延長戦が4回もあったし、最後の最後までどうなるかわからないシリーズでした。
この時は西武が日本一になったけど、今から思えば「本当に疲れた」、そんな日本シリーズでしたね(笑)。
今でも、こうして注目していただけるのは嬉しいですよ。
(飯田哲也の証言につづく) 巨人が出場していない、というだけでオワコン扱いしてた当時のマスコミ なんでヤクルト手放したのかと思っていたけど、これ読んで納得した。 え?「辻」って字は2点が正解なの?
ためしに「連」とか「道」とか出すと
ちゃんと1点だし。
今の今まで知らなかったわ。 当時は土曜授業で先生がこっそり学校のテレビで見せてくれた記憶 >>1
>辻 1992年は、とにかく岡林(洋一)がひとりで頑張った印象が
>あるけど、1993年は川崎(憲次郎)が印象に残っていますね。
まさに野村ヤクルトの特徴だよね
投手陣酷使無双 93年が全試合デーゲームだった最後の日本シリーズ
当時はWebなんてもんもねーしスポーツチャンネルもねーし平日の三試合は殆どの人が映像で見てない
なのにまるで見たかのように語るのがこのヤクルトー西武 もしかして今の西武の監督が辻だって
知らない人も多いのではないか >>16
当時は日本シリーズ仕事中に流してた会社も、
結構あったんじゃないかな。
あと甲子園の地元校の試合と。 >>16
この2年の日シリはビデオやDVDにもなっているからそっちで見た人もいるんじゃない? 辻は巨人との日本シリーズでの好走とか抜け目ないところがノムサン好みなんだろうな なるほど当時のヤクルト見てるから今の西武の若手と上手くやれてんだな
でなかったら第二の伊原になってたかもしれんな 西武見てて、こりゃ強いわけだわと思ったのは
辻のやや後方に飛んだセカンドフライ
なんなく処理したけど、振り向いたら
センターの秋山とライトの平野がすぐそばまで来てた時 >>23
小兵ではない
当時の西武はみんなでかかった 確かに面白いシリーズだった
リアルタイムで見れてよかった >>7
これな
だからシーズン中のマスゴミは巨人大応援団と化してた(特に長嶋監督時代)
あの時代に比べたら随分公平になったもんよ 野村が監督になるちょっと前のプロ野球ニュースかなんかで
西武とヤクルトの選手が中継で繋がってて、工藤が
「いつか日本シリーズで戦いましょうw」とか言って両チーム苦笑してたの覚えてるわ
まさか数年後そんな死闘するとは思わなかっただろうな >>22
辻って現役時代怖かったのかな。
泣いている清原の肩を叩いてたのは覚えてるけど。 当時の西武の選手は一人一人役割が徹底してたしプロの職人のような集団だったな
秋山達がダイエーに移籍して一気に萎えたわ 秋山が浅いヒット打って大塚が一気に一塁からホームまで帰ってきて同点になったけど秋山が二塁に行かないで一塁で止まったまんまだったのを見て三塁コーチの伊原が怒ってたよな
同点になった喜びより進塁しなかった事を怒ってた
ああいう所がやっぱ黄金期の西武は違ったよな >>6
むしろ逆じゃね?
表面的な第一印象では小バカにしてるようだが
実は褒めてる >ただ、僕は西武を自由契約になったところを野村監督に拾ってもらったわけだから、「絶対に西武には負けたくない」という気持ちが強かったです。
その後西武の監督になってあっさり手の平返した犬畜生辻wwwwwwwwwwwwwwwwwwww その後、西武の選手達は試合前にみんなで
ボンバーマンのゲームをやる様になった模様 秋山や工藤も西武からダイエー移籍してチーム控室の雰囲気が全然違うって言ってたから
いかに当時は西武が特殊だったということだな 84年前の日本を撮影した動画に映った女学生と思われる少女たちが、現代の女子高生と変わらないファッションをしていると、ネット上で話題になっている。
https://www.2ch.luefher.com/cy/kgi.html >>16
当時は平日デーゲームでも
普通に地上波リアルタイムで
放映してたんだよw >>31
辻は怖いというより厳しかったらしい
何事においても ←清原談 >>31
清原の証言によると
辻:体が大きいのに(185CM)守備がめちゃくちゃうまい。よく守備の練習をしてもらった。
平野:一発でバントを決める。肩が強く、計算してバックホームするから絶対に途中でカットするなと言われていた。
秋山:抜群の身体能力を誇る。メジャーでも通用したのではないか。長打力ではゴジラ松井と並んで日本人トップ。
デストラーデ:ここぞという場面では打たないが2線級の投手からよく打って打点ホームランを稼ぎ、タイトルを取られた。
石毛:強力なリーダーシップを発揮し、選手を叱り飛ばす。自分もよく怒られた。
伊東:とにかく怖い。
田辺:やさしい先輩。ワンバウンドの送球をしてしまったときなど「キヨ、ごめんな」と謝ってくれる。
森監督:やさしい。打てない時期が続いても「いいんだよ、今までお前の打撃で散々買ってきたんだから」と言ってくれた。
伊原コーチ:最悪。殴られたこともある。 >>30
珍プレー好プレーだな、西武側がヤクルトに(日本シリーズで会いましょう)呼びかけてから笑い出す展開。 >いろんなところから音楽は流れてくるし、試合前なのにみんなでサッカーのテレビゲームをやっているし(笑)。西武時代には考えられない雰囲気でしたから。
これ今の西武じゃないか。
いや、今の西武はもっと酷いか。
移籍してきた選手が皆面喰らうからな。 >>16
その頃、学校でも会社でも野球流してたんだよ
今の人には到底信じられんだろうけど 今の西武のロッカールームが当時のヤクルトみたいな雰囲気だろ
森と岡田と山川はイチャコラしてるしおかわりは饅頭食ってるし真面目にトレーニングやってるのは栗山ぐらいだろ >>49
石井一久あたりがそういう雰囲気持ち込んできたんだろうか >>29
だいぶマシになったと思うよ
今と比較したら
その分つまらなくはなったけどねw >>2
>いろんなところから音楽は流れてくるし、試合前なのにみんなでサッカーのテレビゲームをやっているし(笑)。
エキサイトステージ?? このヤクルトの都会的で明るい雰囲気に惹かれて、由伸はヤクルト志望だったんだよね
ヤクルトに来ていればもっと伸び伸びして、タイトルも何度も取れただろうに ヤクルトファンだったけど負けた1992年のほうが面白かった
1993年も7戦までもつれたけど試合内容はまあ普通
というか1992年が面白すぎた
後にも先にも史上最高の日本シリーズだろう >>11
「辻」は、「凪」とか「峠」などと同じく、和製漢字(国字)。
作られた当時、「しんにょう」は二点だったが、活字の個数を減らしたい新聞社の意向で漢字のしんにょうは一点に統一され一点しんにょうの字が登場。
しかしパソコンの普及で活字不要となり二点が復活。一点と二点が混在することになったが、パソコン変換漢字は二点の「辻」で統一されている。 西武黄金期は昭和の選手
ヤクルト黄金期は平成の選手 >>50
石井がボンバーマンか何かのゲームを流行らせたような
桑田清原を擁するPL学園が取手二高に負けたようなものか。
>>62
勉強になりました。ありがとう。
しかし、パソコンが普及したことで、
渡邊さんや齋藤さんや澤田さんもちゃんと書かなきゃいけなくなったし。
いいんだか悪いんだか・・・。 >>42
伊東ってどれだけ怖かったんだよw
清原も番長キャラよりこの頃の後輩キャラの方が素に近そう。 >>70
伊東はロッテ監督の時は恐い印象だったな。
清原は、ヘタレの方がタトゥ入れて粋がったりするんだろう。 南海の藤原も近代では有藤とクリーンアップを組んだスラッガーだったが、
野村の指導でツチノコバットを短く持って、
流し打ち専門のアベレージヒッターに。
野村はこう言う打者を好むね。
土橋もそうだし。 藤井寺でのデイゲームが雨で中止になった時
球場併設の練習場で辻が特打ちをしていたので
サインして貰う為に待っていた事がある。
待っていたのは当時12歳だった友達と俺だけだった。
2時間待って辻が練習終えてスタッフと話しながら出てきて
声をかけたら、俺たちのいる20mだけ走って消えていった。
そっから見るのも嫌になったな。
ちなみにまだレギュラーになる前の
松井稼頭央だけはサインしてくれた ノムさん政権の時は人気あったけど、それ以降はなあ
北陸か四国へ本拠地移動させろ 今の西武ベンチで辻と馬場が並んでるのを見ると、どっちも選手時代は
パリーグで見慣れた顔だから、あぁ野村ヤクルトで一緒だったのかと改めて思う。 >>74
今はサービスいい選手増えたけど昔はサインしない選手多かったみたいね。
人格者イメージの選手でも平気で子供からの求め無視とかあったようだし。 >>74
さすが美人タレント(無名だけど)を嫁にもらう人は、
普段の行動からして違う。 馬場か
オリとの日本シリーズで、野村が唯一褒めたオリの選手だわ
守備がうまかった 昔の野球選手は自分達は特権階級みたいに自分を思ってたからな、秋山も話しかけたら無視だった、今は野球選手人気が落ちて野球人口も少なくなってるから、プロ野球選手も愛想振りまいて必死だけどwww >>42
伊原は後に監督になっても選手殴ってたからな 指導者としての伊原
西武コーチ時代
・甲子園のヒーローとして入団した新人の清原和博を「礼儀がなっていない」と叱りつけ、殴った。
・近鉄の三塁手だった金村義明が、三塁に進塁した清原に「契約金から300万もってこい」とからかったことに激怒し、金村にひざ蹴りを喰らわせた。
・キャッチングの練習中、不満を漏らした大久保博元の顔面へ硬球を次々と叩きつけた。
阪神コーチ時代
・当時監督を務めていた野村克也の息子であるカツノリにも容赦なくひざ蹴りを入れた。
西武監督時代
・自分のことを「監督」ではなく「伊原さん」と呼ぶように指示し、違反したら罰金を科していた。
オリックス監督時代
・ロッテとのオープン戦で、三塁コーチスボックスで指示を出す伊原に対し、一塁側ベンチにいたボビー・バレンタイン監督が伊原に直接抗議。バレンタインと口論となった。
・2004年4月16日の近鉄戦。当時15連敗中だった川越英隆がKOされた時、試合中であるにもかかわらず川越を呼びつけ、ベンチで怒鳴りつける姿がテレビカメラに映された。
巨人コーチ時代
・2007年最初の紅白戦。1回表の攻撃で矢野謙次が送りバントの指示を見落とし凡打に倒れると、「バカヤロウ!!」と怒鳴りつけ、その裏の守備で交代させた。 まあ、その西武も俺達時代からは
ロッカールームは漫画喫茶状態になってたんだけどね >>61
荒井幸雄は【全日本の四番】だった
辻は身長184
荒井は身長170
これ豆な >>30
あの当時のヤクルトは自他ともに認める三流球団
工藤発言は嫌味もいいところだったが、嫌味だと言ったら三流を自分で認めることになるから苦笑するしかなかった
内心はムカついてだだろうな >>80
南海時代の野村克也なんかもそんな感じだったらしいね
何度サインくださいってお願いしても完全シカトだったって >>87
イメージに反して近鉄の金村とロッテの愛甲は子供の求めに
応じてたって聞いた事ある。 このシリーズは元を辿れば
牧野茂vsブレイザー
か
ただ広岡もブレイザーの影響下の1人だからな
ブレイザーvsブレイザーとも言える >>83
大学の先輩ということで講演も聴いたことあるが、
こんな人だったのか。 あの頃な西武はマジで強かったなあ 歴代ナンバーワンだわ >>74
その時がそうだっただけじゃない?
俺、小学生の頃に辻にサインもらったよ
普通にしてくれた 移転直後の札幌ドームでオリックス側の外野席から試合前練習を見てて、セカンドにいた金子誠に横にいた子供が「奈良原はどうした?」って叫んだら思いっきりこっちを睨まれた。 友達同士でファミスタやるのに西武禁止令が出たぐらいだったからなw >>69
ついでに言うと、苗字の「つじ」は圧倒的に二点しんにょうが多い。
だが、昭和40年代に結婚して新戸籍を取得した人は、戸籍登録のさいに、役所が当時の当用漢字に従って一点しんにょうで登録してしまったパターンが少なくない。
つじ監督の年齢から察すると、おそらく彼の両親がこれに相当すると思われる。 あの当時の西武って体の大きさからして違ってたからな。西武だけメジャーリーガーみたい
な感じ。 >>99
なるほど、
俺の苗字には分かれたくさかんむりがついてたので、
結婚する時につないだわ。 >試合前なのにみんなでサッカーのテレビゲームをやっているし(笑)。
移籍した選手たちの横浜に対するコメント
「サッカーやるのはおかしいよ」 >>66
じゃあ今年のヘッドコーチとか一番不向きのような…。 >>16
当時は、日本シリーズだと仕事中でもテレビつけてた会社多いと思うよ。今とは世の中の雰囲気が全く違う。 >>42
>今までお前の打撃で散々買ってきたんだから
なに買ってんだよエロジジイ >>61
燃えろ発彦燃えろ発彦場外ホームランって応援歌はなんの冗談かと思ってました >>105
エロなのか?エロなのか?ヤクじゃないんだな? >>16
学生は授業を
サラリーマンは仕事サポって
みんなテレビ見たり
ラジオ聞いたりしてたぞ >>46
毎年の恒例行事だからニュースにもならない、と言うのが正解 >>24
当たり前の事を当たり前に出来る組織は強い >>62
初めて知ったし為になった
確かに変換すると辻しか出ないわ >>86
実際にそう、池山だったかが六本木に遊びに行った時にたまたま出会った工藤に嫌み言われてそれで「やってやろう」って火がついた この翌年イチローが大ブレイク。W松井や上原の台頭、長嶋や仰木といった個性派監督。
90年代のプロ野球は本当に面白かった。
…なんて言ったら美化してるだけと言われそうだが、ホントにそう思うんだ。 >>74
おっちゃん、サインしてえな
ええやんけ、なあ 伊東が球団職員囲い込み、秋山はドラフト外、工藤は熊谷組匂わせて6位で一本釣りグループ会社のプリンスホテルにも何人も囲い込んだ上、競合の清原まで当ててしまうんだから
そんな猛者共に緻密な野球を叩き込んでるんだから負けるはずがないんだよ
オーナーも世界一の金持ちの堤だったしな プリンスホテルはデレクタツノまで獲得したな
西武ライオンズ入団はしなかったが
中尾と石毛もいて、プロ球団二つ待つような状態 >>70
番長キャラなんてマスコミが勝手に作った虚像で、その虚像に本人が潰されたってとこだろう えー辻って180cm以上あったの!170ぐらいのイメージなんだけどw 頭がデカくて腕が短い、プロポーションが幼児体型というか。
それで実寸より小さく見える。
あと、当時の西武がデカイのが揃っていたので。 >>120
今のドラフト制度が厳しくなったのも
西武が西武電鉄の一般職員として採用→配置転換で西武球団に転属
→選手登録って裏技をやったからだしねw 嘘つけや
ドラフトの自由契約枠が無くなったのはFA制度導入、ドラフト撤廃を求めていた選手会の要求折り合いを付けたからだ
暫定的な策としてな
その解決策として二年後に逆指名枠、FA制度が施行されることになる >>42
若手にいびり散らすってことは先輩には媚びへつらうの裏返しだからな 逆指名ドラフトとかホント糞だったな
希望の球団に入れてそこで満足してダメになる奴が多かった ヤクルトのロッカールームでのオフとグラウンドでのオンは、野村ヤクルトが何度も日本一にはなったが連覇はできなかった証かもな。
ノムさんの「なんやかんや言ってもワシは甘いんですわ」というぼやきが・・・・・ >>85
神宮で荒井の打球を捕ろうとセカンドがジャンプしたら
届かずそのままバックスクリーンにライナーで入った >>61
辻は日通時代、主に1番や3番で大砲ではない。伊藤由(後に立正大監督)や岡田吉(ドラフト候補で引退後は日通ゴルフ部で活躍)という大砲が2人いたため4番には座らなかった。
当時は金属バットだったので辻のみの個人成績だけ見るとそういう錯覚を起こすが、当時のチームや社会人野球を見ていれば大砲という言葉とかけ離れた選手。 >>74
80年代のアマチュアスポーツは全日本の選手でもサインは苦手と
逃げてた選手もいたけどプロはそれじゃダメだな >>98
それはV9時代を知らないから
V9はそんなレベルじゃない 189 名無しさん@恐縮です 2019/09/09(月) 11:01:07.19 ID:rVnqIrw80
清原を獲得したり運もあったけど豊富な裏金や根本のインチキがなければ、その他大勢の平凡なチームだったよ
間違いなく日本プロ野球における負の遺産
辻
平野
秋山 ドラフト外(インチキ)
清原
デストラーデ
石毛 プリンスホテルに囲い込み(インチキ)
伊東 所沢高校に転校させ囲い込み(インチキ)
田辺
郭泰源 家族に取り入って囲い込み (インチキ)
工藤 密約して進学を匂わせ下位指名で一本釣り(インチキ)
渡辺智 怪我の噂を流して一本釣り(インチキ)
石井丈 怪我の噂を流して一本釣り(インチキ)
渡辺久 昔はイケメンだったくせに今はただのハゲ(インチキ) V9巨人の黒江も社会人野球の四番打者だったか
篠塚も銚子商業の四番だし、プロ入りする野手はほとんどがそうか シュートでデッドボールだと仕方ないなってなるのか?
気分的な問題だけど。 西武が1997年に優勝してたのなんて忘れてたわw
東尾になって、選手は放出して若手に切り替えて低迷のイメージだわ。
優勝しか無いチームだから厳しい言い方だけど。 西武の選手は所沢=野球、東京=遊び
というオンオフの切り替えができる
巨人やヤクルトは東京にあるから
野球と遊びのオンオフの切り替えが難しい
西武の強さは所沢にあるから
例えばもっと首都圏でも郊外だけど
鹿島アントラーズも強いだろ >>52
あの頃は巨人が大量失点しているときですら読売系列でもないのに良いところ探そうと必死だったよね
単打打っただけで明日につながる大きなヒットとか 西武が弱体化したのはやはり根本が流失したから
これをキッカケに工藤も秋山も石毛も流失するし、トドメは堤失脚で高年俸期待できなくなったからな
それにしても巨人全盛の時代に秋山清原は野球少年に絶大な人気だったし、当時が最強チームだったのは間違いない
辛酸を舐めさせられた他球団ファンは相当いるはず >>131
まぁノムさん自身が遊び人だったからな
森監督はケチで遊ぶ金を惜しむタイプ >>145
ノムは日本一を経験した監督にしては珍しく、
日本シリーズの山井の降板に異議を唱えていたな。
割と派手すぎというか遊び心がある。 堤はオリンピックキチガイで、アマチュアスポーツ大好き
プロ野球選手は五輪選手に比べて甘いとか良く言ってたと
そこに、海軍式野球の広岡が来たから、試合前もロッカーで私語もしないようなストイックなカラーになったんかな?
まあ、東尾とか西鉄ノリのベテランもいたが。 >>16
この年が当時の日本シリーズ歴代最低視聴率で、翌94年が平日ナイター、95年から全試合ナイターになったんだよな。 >>139
打者自身が向かって行って避けにくいってものあるからな >>16
阪神ファンだったので、日本シリーズの思い出は少ししかないが
小学校の授業の一部でNHK教育番組を見るのに、どの教室にもテレビがあった
もちろん授業の番組しかテレビは付けない
しかし授業終わってから、阪急とどこかが対戦した日本シリーズを見た記憶がある
もちろんデーゲームで
会社帰りの夜、風俗の待合室でオリックスとどこかが試合してるのを見た記憶がある
いつから日本シリーズは、デーゲームからナイターに変わったのか?
阪神ファンだから熱心に日本シリーズ見てなかっただけに知らなかったが
93年からナイターに変わったんだな、今でもそうなのか?
85年の阪神と西武の日本シリーズは、昼頃大阪京橋のパチンコ屋の前で見てたな
第一戦池田が完封しバースがホームラン打って勝った試合
終盤バースがホームラン打った時と、池田が完封で試合終わった時ここで見てた >>138
仁志が日本代表としてオリンピックで4番打ってたが巨人入ったら1番打者になるくらいに○○の元4番と言うのもな。
駒田も横浜行けば4番打ってた時もあるしな >>141
でも所沢のキャバクラで評判悪いぞー、ライオンズの選手は。 >>152
古田みたいにアマでは下位打者でプロで四番になるのは変態レアケースだね ドームなら秋口のナイターでも寒くないから
という理屈は立つな 全然勉強した素振りを見せない香具師に
テストの点数で負ける的な話 >>154
古田のトヨタ自動車の4番打者。
1989都市対抗では3本塁打打った。
玉田〜杉本の日本通運バッテリーは「スゴスギタ・・」 >>144
「日本シリーズ放映中!」って貼り紙出してる喫茶店もありましたな。
電器屋が店前にテレビ出したりもあった。
まだ商店街に個人店が多かった時代。 >>59
最後ハウエルが石井のパームにやられたシーンが焼き付いてる >>16
この2年の14試合中9試合を球場で観ていた俺。 >>35
そういうもんじゃん。
土肥とか、
先発志望が叶えられなくて、横浜にトレードされ、
交流戦のヒロインで散々西武をこき下ろすが、
自由契約後西武に戻る。
しかし、海外FAでメジャー挑戦。
その後、またコーチとして西武に迎えられる。 >>36
1997年のシリーズでは、
茶髪が多いなど、奔放な選手が多く、
また采配の重要性を軽んずる発言をした東尾率いる西武に、
このチームには絶対負けてはいけないと、
野村は思ったらしいね。 >>37
昨日のソフトバンクーオリックス戦での松中の解説で、
オリックスの選手には、
どうしても上に上がってやるという厳しさのようなものが感じられないとの言葉があった。
常勝チームと万年Bクラスとはそんなものなんだろう。 >>43
伊東・伊原は、西武の監督としても、かなり人格批判をされていたね。
東尾、なべQ、田辺といった甘い人たちに挟まれていたというのもあるんだろうが。 今の西武が辻の中でありなのはヤクルト時代があったからかもしれんな >>49
ということは、栗山監督になったら、
また雰囲気が引き締まるのかな。 >>74
2004〜2005の球界再編が、
ファンサービスにおいても1つの転機かな。 >>74
今のパリーグの選手じゃ考えられんなw
でも、西部って当時から高飛車だったよ
あの時代の言葉で言うとタカビーてヤツ
ファンサービスも巨人の選手を真似てたんでしょ >>123
辻は元々は守備の人で、
打順も9番の、くせ者型の選手だった。
30過ぎから打撃でも一流になった。
和田みたいな例外的な大器晩成もいるけど、
ちょっと遅咲き過ぎたね。 >>168
栗山にそんなリーダーシップがあったら今のロッカールームがたるんだ雰囲気になってない >>146
イチロー登板は許せなかったんだよなあ。 >>16
え・・・?
全試合見てたが何言ってんだ? >173
最初の年は打率2割いくかいかないかだった記憶があるな ノムは茶髪ヒゲにはうるさいけど ロッカールームの雰囲気にはうるさくなかったのかな? >>161
伊東はヤクルトの試合を一試合だけ視察して、
ハウエルはインハイに弱い、
石井のインハイの真っスラで攻めれば抑えられる、と見抜いたそうだね
インハイの真っスラでファール空振りで追い込んで、
最後に真ん中低めにパームボールで三振。 >>175
松井秀に「どうする?」と聞いたら「勘弁してください」と言われて高津出した 学校で英語の授業受けてモニターみたいのみて授業受けて
いたらいきなり画面が切り替わって西武の石井が不細工な打撃フォーム
でヤクルトの岡林からライトにフラフラとした当たり打ってヒットになって
西武が追いついた思い出がある >>59
初戦…岡林12回完投。代打杉浦サヨナラ満塁弾
二戦…荒木と郭泰源の投げ合い。郭泰源が打球直撃も西武勝利
三戦…奇策でシーズン0勝のルーキー石井一久先発もヤクルト完敗
四戦…岡林が1失点完投も打線沈黙でヤクルト3連敗
五戦…得点の奪い合いで延長10回に池山のソロが決勝打
六戦…球史に残る逆転に次ぐ逆転のシーソーゲーム。延長10回に秦がサヨナラ弾でヤクルト王手
七戦…4試合目の延長突入。岡林完投も秋山に決勝打を浴びて西武日本一
もう全試合面白かった あんな面白いシリーズだったのに、西武日本一の翌日のスポーツ各紙1面は
『貴花田×宮沢りえ婚約』・・・ 秋山を敬遠せずに勝負して犠飛打たれて負けたんだよな
次の清原はとっくにベンチに引っ込んでたんだから敬遠がセオリーだよな
策士策に溺れるってああいうことだと思ったな デーゲームの日シリといえば後楽園のヤクルト対阪急、大杉の疑惑のホームランだな。 >>37
試合前守備練習で
「歯を見せるな」(笑うな)
という暗黙のルールがあったらしい
異様な雰囲気だったと
当時のマスコミの人から聞いた >>188
広岡イズムか
工藤かな?広岡はとにかく無駄口も聞かず、全然笑わなくて、
声をかけてもらったこともほとんどなかったとか
昔の武道とかの感覚かな? j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop
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1992年第六戦
大塚が一塁から一挙生還 これで西武が勝つと思ったが負けた
秋山が一塁でとどまって叱責されているのが印象的 広岡さん、呉の職業軍人の家庭に育ち、上の兄弟はみな軍学校や軍隊。
一人戦死して、父親が岸壁の母のように港に毎日見に行っていたとか。
後輩の黒江のお茶の入れ方が悪いと人格批判レベルで叱責するガチガチな人。
海軍式野球とか標榜していたなぁ。 >>157
違います、1989年の都市対抗は7番打者です(4番は関、5番はサッカーの宮市の父、6番はヤクルトからのドラフトを拒否した杉山)
本塁打も1本のみ、相手は日本新薬。でたらめすぎて驚きです。 >>193
大塚は、このシリーズでレギュラーを平野から奪って、
翌年からも余裕でレギュラーかと思ったが、
(隔回)シリーズ男になっただけだった。 畑にヘッドロック掛けられて泣きそうになってたハウエルさん >>164
97は東尾をぼっこぼこにして圧勝してたなw >>29
今でも北海道のメディアは、日ハム1色で公平じゃない >>103
本人も察して辞任したな
辞任決まってから若手が本塁打連発してるのは偶然ではない >>175
松井を思いやっただけ
野村は情けで仕事するタイプだからハートの無い石井一や広沢今岡には冷たかったけど、逆の池山や宮本には甘かった >>61
川相がエースで4番だったみたいなもんだな >>69
しかもさいとうさんは数パターンあるから厄介 >>62
なるほど〜と思いかけたけど、辻の「しんにょう」を二点にしたところで活字の数は増えないだろ。
別の理由だろ。それが何かは知らないが。 >>166
>>167
そういや辻だけじゃなくナベQもヤクルトにいたな
田辺はひっそりと巨人にもいたw >>165
オリックスは選手層自体は悪くはないもんな
>>188
>>189
なるほど この黄金期のメンバーのほとんどが監督やってるって凄いな 辻ってコンスタントに3割前後打ってたのに9番バッターだもんなw
そんなチーム強いに決まってるやんw 秋山とトレードで西武に来た佐々木誠が練習の密度の違いにビックリしたんだよな
小銭を賭けてフリーバッティグやってたダイエーとは何もかもが違うって >>216
ただ、佐々木もレベルの高い西武野球に触れられたのは1年目だけで
その後は東尾政権に馴染めず急激に衰えて30代半ばで引退しちゃったな
あのトレードでただの数合わせだった橋本が、その後かなり息の長い活躍をしたのは皮肉というか何というか 辻と宮本の二遊間が一球毎にピッチャーのカバーに動いてたのが懐かしい >>13
岡林は酷使界のレジェンドだから
伊藤智仁など問題にならないレベルの酷使だった >>202
地方はそれで良いんだよ
そんなこと言い出したら
関西の阪神一色なんざえげつないぞw >>193
伊原がぶちきれてるのを見ると本当にライオンズは走塁意識高いチームだったんだなとよくわかる。 でも平野が中日で三塁コーチャーやってた時はダメだったなあ >(「辻」は本来1点しんにょう)
なんでこんな注釈が?
と思ったら、「つじ」を変換しようとすると
2点しんにょうしか出てこないのね
初めて知った… >>13
大昔の稲尾、杉浦に比べれば酷使というほどでもない >>226
その当時は先発投手もローテをきっちり守る概念さえ無かったんだったな 豊田泰光が分業制の確立された90年代半ばになっても自分のコラムで
「投手なんて1シーズン先発4人リリーフ4人の合計8人で充分」とか言ってたな
稲尾とか権藤が投げてた頃の価値観なんてそんな感じだったんだろうな >>135
巨人V9の頃はまだドラフトなかったから
汚い手じゃなくてそれが普通だったんだよ
あの時のメンバーでドラフトで入団したの堀内くらいだろ >>135
昔の巨人は格が凄くて声をかければ殆ど選手が入団したから、
特別な裏の手は使う必要もなかったはず。
長嶋、王、広岡、金田などの争奪戦でも、巨人は一番最後に手を挙げて、
特に接待や説得もせずすんなり入団にこぎ着けている。
契約金や年俸もよそよりむしろ低くても、喜んで入団してくれる。
長嶋も栄養費を何年もくれた南海をけってだしね。 黄金期西武メンバーの監督就任率は異常
東尾
工藤
渡辺
秋山
伊東
辻
田辺
石毛 >>151
94年の巨人ー西武から平日がナイターになって翌95年から全戦ナイターになった >>141
二軍の球場と若手の寮が、一軍の球場の隣にあるのが大きいかと。
満員の観客が歓声を上げているのを見たり聞いたりしていると、いつか必ず一軍に上がるぞ!という気持ちになる。 >>228
豊田の師匠の三原は、最後に日ハムの社長をやってな
マッシー村上が先発と抑えの二刀流で12勝10セーブとかしても、
「投手は稲尾みたいに先発完投してナンボや」と年俸をあげてくれなかったとか >>151
なんで日本一一回だけの球団が名門球団みたいな扱いなんだろうねwww >>240
そうなんだ
そういえば二番のイメージがないし、バントのシーンの記憶もないわ
バントの名人の平野が二番にいたしね >>237
掛布さん、いつまでも85年の話ばかりで悲しくなるね 守備が上手い選手はたくさんいるが、野球脳、身体能力、グラブさばき等トータルの守備力で辻より凄い内野手はいない >>42
伊原は時代錯誤の規律強要して選手から反感買ったのに雨の中ランニング(しかもまだ寒い5月の秋田)させてクーデター起こされたからな
新監督が病気でもないのに開幕2ヵ月でクビって前代未聞だろ ヤキューって、試合にヤニキメて、唐揚げ食べ放題なんでしょwww >>245
日本の掲示板に書き込むならもっと日本語勉強しような >>18
バトルリーグS優勝おめでとうごさいますw >>120
西武はかなり目立ったけど、中日もあった
大豊がその例 >>157
トヨタの下位打線打ってた古田と源田はプロで打撃向上
本当に中日の木下拓はトヨタで4番打っていたのだろうか 森監督とノムさんの下で帝王学を学んだから落合監督に招聘されたんだよな 西武をクビになった時に野村ヤクルトからは5000万、広岡GMのロッテからは8000万でオファーがあったんだってな
目先の利益にとらわれず前者を選んだ慧眼はさすがだな 西武って何もかもが洗練された先進的なチームだったね
球場も看板なくて美しかったし
180未満の奴はどんなに凄くてもレギュラーにしない(ピッチャー除く)というのを聞いた時
ほう、と思ったね 中畑とギャオス内藤は、プライベートで話したことあるけどいい人だったな >>232
広岡イズムの継承だな
何だかんだ嫌われてたが上手に仕込んだと思うよ >>259
そういやレギュラー組では平野は広岡と関わってないんだな 平野は94年にロッテに移籍してるから選手コーチとしてGM時代の広岡と関わりがあるよ >>208
>>133
4番はプロ前年の83年に2試合だけです。新戦力を試すスポニチ大会(初戦敗退)と優勝した九州大会の1回戦のみ(2回戦以降は伊藤が務める)
都市対抗やその他公式戦はすべて3番打者。
(全国大会)
スポニチ 5打数1安打1本2点0盗
四国大会 14打数2安打0本1点
九州大会 20打数9安打3本7点(打撃賞)
都市対抗 14打数3安打0本2点2盗
日本選手権 関東予選初戦敗退 1992年と93年は日本シリーズ史上ベスト5に入る面白いシーズンだった(中年voice) ホークス敗けそうな感じだな
菊池も浅村も居ないけど去年より今年の方が嬉しいし手応え感じるわ
去年はホークスが猛追してきてチーム力最高で西武が少し落ちてた頃だったからCSで勝てる気がしなかったもの
浅村が木村のユニフォーム着てこっそり試合に出てくれねぇかな >>227
1959年日本シリーズ
杉浦 4連投4勝 うち先発3試合
金田なんか登板日とか自分で決めてた ノムさんが選ぶ平成のベストナインに入ってたな
一プレイヤーとしてはスペック的に他にも優れた人はいるんだろうが
こういう野球が分かってる人がいるとチームとして戦いやすくなると >>199,>>226
何なんだろうなこういう知ったかゆとりマンは ゆとり世代にとっては20世紀というだけで全部
ひっくるめて「昔」なんだろうなw
岡林酷使無双は90年代ではすでに異常なんだ
ってのが分からない 酷使しないと優勝できないチームは連覇できないという証明。 >>207
しんにょうが2種類あるだけで活字体が増える。だからしんにょうは一点だけに統一し、国字である辻もそれに従って一点しんにょうにした。
60年代に活躍した長嶋茂雄も、同じ理由で長島茂雄という表記だった。
澤村→沢村、田→高田も同様。
70年代の後半頃から新聞社を中心とする出版業界の都合に合わせた漢字の簡略化に批判の声が高まり、当用漢字が常用漢字に変わり、90年代からのパソコン普及とあいまって人名漢字に旧漢字が復活。
長嶋茂雄は、雑誌の対談で「嶋の字に戻ったことは本当に嬉しい」と語っている。 >>80
春野キャンプ見学に行ったときは秋山にこやかに握手してくれたよ 東尾「もう麻雀はやらない。賭けてもいい」
賭けちゃダメ絶対 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています