20日に開幕するワールドカップ(W杯)で、大会を誰より心待ちにしていたあの人の姿は見られない。「ミスターラグビー」と称された平尾誠二さん(享年53)。大会組織委員会の一員でもあった平尾さんは日本ラグビーの悲願だった自国開催のW杯をどう見て、何を考えたのだろう。ゆかりの深い京都の関係者たちに聞いた。

 グラウンドにはいつも平尾さんがいた−。伏見工業高で2年後輩だった杉本慎治さん(55)=京都市北区=は高校から本格的にラグビーを始めた。一緒に全国制覇を果たし、同じ同志社大、社会人の神戸製鋼に進んでからも、憧れの存在であり続けた。「高校時代はおとなしく、大学では明るく笑う姿が印象的だった。とにかく何をやってもかっこよかった」

 神戸製鋼で主将に就任した平尾さんは、全体練習の回数を週3日に減らし、空いた時間の使い方は各自の自主性に任せた。家族や友人と食事をしたり、足りない部分を個人で鍛える時間になればと。全体練習が当然だった時代に新風を吹き込み、「平尾が言うんやったら、と誰もが納得した。プレー以上に、マネジメントの能力がすごい」と忘れられない思い出を語る。

 伏見工高でバックスのコンビを組んだ同級生の高崎利明さん(57)=京都工学院高副校長=は「彼が考えるのはW杯が終わった後のことでしょう」と思いをはせる。「自国開催のチャンス。ラグビーをどう定着させるか、底辺を広げられるかを考えていると思う」と想像する。

 平尾さんは日本ラグビーの将来を模索し続けてきた。1997年に日本代表監督に就任すると、今では当たり前になった外国人選手を起用。高崎さんは「『それで本当にジャパンと言えるのか』などの反対や批判を受けても、彼は意志を貫いた。海外出身でも選手は日本代表としての誇りを持って戦っている。日本ラグビーが今、世界と渡り合えるまでに成長したのは平尾の功績に尽きる」とたたえる。

 2016年10月に亡くなった平尾さんの闘病生活を支えた京都大iPS細胞研究所の山中伸弥所長(57)は「平尾さんから、日本代表選手がW杯に向けてどれほど超人的な努力をしているかをよく聞いていました」と思い出を明かす。大切な友人の思いを引き継ぎ「長年にわたる選手や関係者の努力の結晶を、心から応援したいと思います」と開幕を待つ。

 杉本さんはW杯決勝がある11月2日に、世界遺産の下鴨神社(京都市左京区)でパブリックビューイングを行う。平尾さんと一緒にW杯を見たいという思いが原動力だった。「僕には『ありがとう』とは言わないと思う。でもきっと『おもろいことやるやんけ』とは言ってくれると思う」。平尾さんの笑顔が浮かんでいる。

■ひらお・せいじ 1963年生まれ。京都市南区出身。陶化中でラグビーを始め、伏見工業高3年で全国高校大会優勝。同志社大で全国大学選手権3連覇、神戸製鋼で日本選手権7連覇。ワールドカップ(W杯)には87年の1回大会から3大会連続で出場。4回大会は監督を務めた。日本代表キャップ35。2016年に53歳で亡くなった。


9/19(木) 7:02配信 京都新聞
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