【野球】男たちの挽歌 落合博満、最後の1年(45歳) 59試合 .235 2本 18本
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◆ 落合博満の最後って覚えてる?
「あの選手の現役最終年ってどんな感じだったっけ?」
よく野球ファン同士で球場観戦帰りに飲んでいると、そんな話題になる。みんなスター選手の全盛期の活躍はよく覚えている。あのタイトルを獲ったとか、優勝に貢献したみたいな輝かしい経歴の数々
。けど、現役晩年。特に「最後の1年」の成績まではほとんど記憶にない。
場合によっては、自由契約後の移籍先で一軍出場のないまま静かにユニフォームを脱いでいたり、引退宣言をしないでひっそり去って行く。まさにプロ野球、男たちの挽歌。連載1回目は、1998年(平成10年)の落合博満のラストイヤーを見てみよう。
というわけで突然ですが、あなたはオレ流・落合の現役最終年の打撃成績を知ってますか?……って間違いなく、合コンで前の席のOLさんに質問したら死ぬほどモテなそうな質問だ。
個人的に落合が巨人を追われ、日本ハムへ移籍したことはもちろん覚えている。97年のオールスター戦では全パの1番打者として打席に立ち、当時17歳だったアイドル・広末涼子の始球式に笑顔で付き合っていた。
でも、肝心のシーズン成績はどうだったのか?
◆ オレ流の決断
前年の96年オフ、西武の清原和博が死にたいくらいに憧れた巨人へのFA移籍が秒読み段階に。そうなると一塁のポジションが被る落合はどうするのか?
そのシーズン、43歳の元三冠王は、8月末に死球を受け左手小指を骨折するアクシデントに見舞われながらも、打率.301、21本塁打、86打点、OPS.924と年齢を感じさせない堂々たる成績を残していた。
SMAPの香取慎吾や安室奈美恵が表紙を飾る雑誌『小学五年生』の96年5月号では、唐突に「落合博満vs.ラモス瑠偉」のスペシャル対談が実現。
子どもたちが憧れるイチローとか三浦知良ではなく、唐突に2人合わせて81歳の大ベテラン濃厚対談。ミニ四駆のニューマシーンスクープ記事を楽しむ小学生がついて来れたのかは謎だが、ここで落合は手加減なしのオレ流ガチンコ発言を連発している。
「子供のころから憧れ続けてきた職業につける人間が、この世の中にいったい何人いると思う? オレもラモスもそれを実現している数少ない人間でしょう。
それを考えたら、もったいなくて『オレ、やーめた』なんて言えないもの」
「よく『若手を育てろ』とか『若手を使え』という人がいるでしょう。でも、プロの世界は人に育ててもらうものじゃない。自分で育って、自分で這い上がってくるものなんだ。それだけ厳しい世界なんだ」
凄い、これを読まさせられる『小学五年生』読者のその後の人生は大丈夫だろうか……なんて心配になってしまうほど、
大人の世界の生々しい真実をぶちかますリアリスト落合は、11月28日に「清原と自分の使い方で長嶋さんの悩む顔を見たくなかった」と、ミスターと並んで巨人退団会見を開く。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190911-00202261-baseballk-base
9/11(水) 11:30配信
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/12/01/jpeg/G20091201Z00002590_view.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/yakiusoku/imgs/8/3/830fb1ba.jpg
https://image.middle-edge.jp/medium/8dbdfaaa-4a05-4e55-be35-52006d021938.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=vhP9wtndDIM
落合
https://www.youtube.com/watch?v=DFJTwMRMQB8
落合博満氏の応援歌をひたすら唄い雨を追い払うファイターズ応援団 14.04.06
http://npb.jp/bis/players/81183848.html
成績 ◆ 異端児から英雄に!?
その直後に、野村克也監督率いるヤクルトと日本ハムが獲得に乗りだし、当初は同リーグのヤクルト移籍濃厚と言われながらも、12月12日には急転直下で日本ハムの背番号3のユニフォームを着て入団会見。
年俸3億円の2年契約という好条件に加え、大社義規オーナーと上田利治監督が同席する異例の熱気に、11年ぶりのパ・リーグでプレーする主役は「来年、日本一になりますんで」と宣言し盛り上がった。
この時期、メディアはちょっとしたオレ流ブームで、週刊誌でも「リストラに負けない中年の星」のような応援記事が目立つ。
選手会を脱退したり、名球会入りを拒否するなど、ずっと球界の異端児でヒール(悪役)だった男が、43歳にして初めてベビーフェイス(善玉ヒーロー)になった瞬間でもあった。
しかし、だ。自著『野球人』(ベースボール・マガジン社)によると、前年の日本シリーズで左手小指骨折から無理して復帰したため、微妙な体全体のバランスの狂いがあったという。
春季キャンプでは球団人気を上げようとマスコミにも積極的に対応したが、自身の練習量は減ってしまう。
アキレス腱痛もあり満足に走り込むこともできず、さらに春先には珍しく風邪を引いて回復に時間が掛かり、開幕からチームも6連敗と散々のスタート。
4月16日の西武戦では4打数4安打と健在ぶりをアピールするが、その後は途中交代の多い起用法にも戸惑い、調子が上がらず失速してしまう。
終盤には16年ぶりの6番降格、さらに8月22日のオリックス戦で一塁ライナーを捕球した際に左手薬指の脱きゅうで戦線離脱。
移籍1年目の97年は113試合、打率.262、3本塁打、43打点という寂しい成績で終わり、日本ハムも同率4位と低迷。
戦力外通告を受けた選手が「落合さんが来てからおかしくなった」なんつって捨て台詞を残して去るなど、1年前の優勝請負人扱いが嘘のような状況でプロ19年目のシーズンを終えることになる。 ◆ 引き際もオレ流
そして迎えた98年。前年に続き、素手でバットを握るこだわりを捨てて左手には手袋をはめ、新たに当時のセ・リーグではほとんどなかったデーゲームにも対応できるよう、サングラスもかけた。
もうなりふり構っていられない。2年契約の最終年、12月には45歳になる球界最年長のベテランは結果を残すしかなかった。
4月4日の開幕戦は西武の若きエース西口文也から意地の3安打猛打賞。だが、時の流れは残酷だ。
どんなスーパーアイドルもやがて歳を取り、おじさんやおばさんになるように、一流のアスリートもいつの日か衰え、終わりは来る。限られた貴重な時間を、演者と観客はワリカンしているわけだ。
4月末にはバットマンの生命線でもある右手親指の付け根部分を痛め一時離脱。復帰後は代打起用も増え、7月以降は首位を走るチームのビッグバン打線の中に、その名はなかった。
落合の現役最後の打席は98年10月7日、千葉マリンスタジアムの古巣ロッテ戦(ダブルヘッダーの2試合目)でのことだ。なおチームは後半戦に急失速し、
当日は西武の逆転優勝が秒読み段階(当時はもちろんCS制度はない)。メディアでは「今季限りの引退」が報じられ、球団からは引退試合の開催を相談され、上田利治監督からは指名打者での先発出場を打診されていた。
このロッテ戦で有終の一発を打てば、12球団すべてから本塁打を放ったことになる記録もかかっていたが、落合はそのすべての申し出を断りベンチスタート。
チームが1対4とリードされた5回表一死、当時の『週刊ベースボール』の写真を確認すると、代打で登場した背番号3は全盛期と同じように素手でバットを握り、神主打法と呼ばれた独特の構えで打席に立っている。
最多勝のタイトルを狙う、20歳年下の相手エース黒木知宏は全球直球勝負。満身創痍の打撃の職人は3球目の141キロのストレートを打って一塁ゴロに倒れる。
19年前に代打出場から始まった25歳の無名のオールドルーキーは、3度の三冠王という前人未到の金字塔を残し、45歳を目前にバットを置いた。
通算2371安打、510本塁打、1564打点の大打者としては異例の引退試合も派手なセレモニーもない静かなラストゲーム。
試合後、千葉マリンで出待ちしていた多くのファンが待つ柵前まで歩み寄ると、淡々と握手を交わして回り、稀代のスラッガー落合博満の「最後の1年」は幕を閉じた。
ひとつの時代の終わりと新たな時代の始まり。ちなみに、落合と同年に日本ハムに入団して、キャンプで緊張しながらもキャッチボール相手を務め、引退の翌99年からその一塁のポジションを継承したのは、ガッツこと小笠原道大である。
(次回、小笠原道大編へと続く)
【落合博満 85年・98年打撃成績】
85年(32歳/ロッテ/推定年俸5940万円)
130試合 率.367 52本 146点 OPS.1.244
※自身二度目の三冠王獲得、得点圏打率.492は日本記録
98年(45歳/日本ハム/推定年俸3億円)
58試合 率.235 2本 18点 OPS.653
※現役最終打席は代打で出場し一塁ゴロ
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)
―――――――
※初出時の通算本塁打数に誤りがございました。大変失礼いたしました。
(9月11日12時50分) >>1
全球団相手に本塁打記録のチャンス、
ウエさん気遣って打診したのに拒否。
本当に下らん意地。
まあ入団時、大口叩きまくってこのザマでは
流石に辛い 落合は天才すぎて誰も真似できないな
43歳になるシーズンに3割、21HRでOPSが.924
しかもシーズン終盤で死球骨折で欠場がなければさらに成績上がってた可能性が高い
結局この怪我で終わってしまった よくカミさんがブスをネタにされるけど
落合もブサイクだろ 96年の活躍が最後のどでかい花火だったな
松井と落合の3、4番は松井、清原の3、4番より遙かに怖かった。
松井が本格化したのも96年だし。 >>11
太る前はイケメン
てか嫁のアドバイスでホームラン打つために太った。
やっぱ太ってないとホームラン打ったとき身体に衝撃受けるんじゃね? 戦力外通告を受けた選手が
「落合さんが来てからおかしくなった」なんつって捨て台詞を残して去る
落合のアドバイスを聞き入れて調子を崩しちゃったのかな
ホームランを打つコツを聞かれた落合が
バットにボールを乗せるように打つと答えていたのを覚えている
おそらく打球に角度をつけるという意味なんだろうけど
こんな曖昧で感覚的なアドバイスをされたら
きっと戸惑うだろうな 球場が広くなるとホームランの数がみるみる減って行ったよね
当時は最も広い球場だった東京ドームが本拠地の巨人では20HRが精一杯だった 清原と比較されるのが嫌で
逃げたんだよな
ノムさんの誘いからも逃げたし
落合はじつは小心者だよ 高木豊と谷繁の談話で、落合は打席に入るときインコースに投げるなみたいに脅してたって聞いて大嫌いになったわ
孤高に野球道を究めるみたいな選手だと思ってたのに、こんな奴なんだなってビックリした 他チームには信奉者多いが同じチームには信奉者いないというかつぶしにかかっているイメージあるな。←落合
古田や広沢に対しては風呂でフルチンでバッティングフォーム教えてくれたエピソードあるし。 全盛期はライトスタンドに打ち込んでた外のスライダー
晩年はみなボテボテのセカンドゴロになってたな 王さんとか引退の年にも30本打ったり村田さんも10勝上げてたのに引退しちゃうんだから、本人の考える全盛期は凄かったんだろね。
引退の年の記録だけ見てもまだ十分戦力になる成績だと思うけど。 日ハム時代はホームラン1本1億円と言われていたなw プロゴルファーになろうとしてた位
異常にリストが強いんだよね。
同じようなタイプの打ち方してた中村ノリは
何度も手首の手術してるのに
その強いリストを利かせた落合独自の打撃理論だから
他の選手には当てはめられない。 あの時代に逆方向にホームラン打てる選手って落合と清原くらいだったもんな
それだけで特別な目で見てた >>15
HR打っとき体に衝撃受けないため太るワロタ 加害する傾向がある子供を育てた親の育児談がまじで辛い…「これは言われても納得できないかも」の声も
http://geow.goodjobworld.com/6byru/4754.html >>19
巨人に移籍した時は40歳
普通なら引退してる年齢で3年間ホームラン平均20本近く打った化け物だろ >>1
小学5年生の時にそんな対談読みたかったなw 落合の凄いのはプロになったのが24歳くらいと遅いんだよなぁ
それまではボウリングのプロ目指してたくらいだし >>27
お前は存在自体が無意味、
とかレスしてやればいいか 待遇が最も良かった日ハムを選んだのは仕方ないがヤクルトに行ってほしかった >>6
で、お前は何か残したのかい?www
ばーかwwwwwwwwww >>31
スラィリーみたいなポジションになれたかもしれないね
ポリーも可愛いけど 落合アンチの常套句
・狭い川崎球場だからホームラン量産できた
・弱小ロッテだからエースと当たらず打てた
・消化試合での帳尻ホームランばかり
すべて論破されてるw >>11
私の父親が「コイツ億もらうツラじゃねえだろ」ってテレビで落合見るたびに言ってました。 >>13
2005年
当時はプレーオフ勝者がリーグ優勝 ハム時代のヘルメットに耳隠す部分ないな
投手に内角投げさせないってことか 43歳で打率.301、21本塁打、86打点ってなにこの化け物成績どの球団も欲しがるわ
鳥谷さんもこれほどの成績残してたら阪神もあんなこと言わなかったのに >>21
あれは横浜のピッチャーがヘタクソでよくぶつけられてたってのもある
まぁオチヲタとして言えば、落合のクソエピでは典型的なあるあるだな >>11
じゃあおかわり君はブサイクなのに、なんで嫁は美人なんだぜ? >>21
落合って、計算高くて手段を選ばない勝負師ってイメージだがな
駆け引きとかに長けていてさ
真っ正直に正々堂々って感じはない。 巨人に移籍してきて
40過ぎてるのに
年に2回くらい
完全ノーマークで盗塁決めるのがカッコよかったな 1本のホームランが2本のホームランに3本4本に5本! そして18本! 変なフォームだよな
パワプロだとすげえ打ちにくい
バットが邪魔 >>21
落合は頭部死球食らったりしてたから、そら警戒するだろう
ピッチャー有利ばかりにしちゃいけないのは当然だと思うが 川崎のソープに行きまくってた落合の
ソープ通いを止めさせようと信子夫人が
ソープに自分で行ってテクニック教えて貰ってきたんだよな。 >>53
阪神は金はみっちり払っとった
今年まで4億 × 4年 43歳の落合は、8月末に死球を受け左手小指を骨折するアクシデントに見舞われながらも
打率.301、21本塁打、86打点、OPS.924
すご! >>46
80年代の30代は今の50代みたいな見た目しとる 王さんは30本打っても引退したし
何故だったんでしょう?
江川もまだ10勝してたのに、早すぎる
引退でしたよね。 >>72
規定打席到達ん中で打率最下位
通算打率.300切りたなかったから そういえば門田も40過ぎても凄かったな。
40歳 .311 44本 125打点 本塁打、打点自己ベスト
41歳 .305 33本 93打点
42歳 .280 31本 91打点
43歳 .264 18本 66打点
44歳 .258 7本 23打点 引退 >>21
インコース投げるなっつって
素直に従う方がおかしいだろ
従うなら言うに決まってるし
従わないなら言ってないも同然 変換間違い
プロボウラー試験に行こうとし
免許不携帯で捕まり受験料を違反金に充ててその道は諦めた話は有名で 巨人最終年の96年8月末の中日戦で野口から手首に死球を喰らって骨折したのが全て
これで長嶋が落合は終わったと見なして清原FA加入に >>74
やっぱり40過ぎると1-2年でガクッと一気に落ちるんだなぁ 門田は多分170cmない
もともと俊足堅守系野手やったのにアキレス腱ヤってから長打狙いのフルスインガーにスタイルチェンジ >>74
ミリオンヘアーの人を、ずっと門田だと思ってた 96年の落合はほんと凄かったよ、特に前半は。後半は松井が一気に覚醒したから数字上のインパクトは松井の方が凄いけど、夏までは落合が打線の核だった。
3番松井と4番落合だと佐々木が出てきた時が一番わかりやすくて、松井は佐々木に手も足も出なかったから佐々木を打ちまくる落合スゲーって子供ながらにいつも思ってたな。 やっぱりノーノー寸前の斎藤から打ったサヨナラ本塁打だよ 長嶋茂雄 最終年の成績
128試合 15本塁打 55打点 打率 .244 OPS .675
王貞治 最終年の成績
129試合 30本塁打 84打点 打率 .236 OPS .803
まだやれたよな
特に王さん >>86
今の基準ならそうだろうけど、それだけの大打者にはキツかったんじゃない?あと、通算打率が3割切りそうだったのもあるんでしょう >>17
落合の理論はみんなわからないよな。本人しか理解できない 上田監督をどんだけ困らせたと思ってるんだよ...
このときの自分を正当化するために、中日の選手たちを戦力にならなくても引退させないひどい指導者が出来上がった >>6
昭和40年代ぐらいに活躍した江藤が、全球団本塁打記録持ってたかな?
他にもいたはずで、三冠王3度の落合がそんな記録にこだわったりしないだろう
セパ2球団以上在籍しないと達成できない記録だが
交流戦が始まり、この記録達成者は一杯いるはず
全球団勝利投手になった、初めての投手は野村収ってのは知ってる 落合の凄さってまず間合いの取り方が異常だからだよね
漫画でしかないような伝説な拳法の達人レベル無の境地
ケチつける奴は野球見る資格無し 最終年
王貞治 129試合 .236 30本 84打点 現代で例えるなら福留が来年復活して3割20本打つようなもんか。ちょっと想像出来んな 巨人斉藤のあわやノーヒット・ノーランからサヨナラHR決めた試合が印象深い >>97
巨人移籍すれば可能性ありw(ドームに滅法強い) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています