【野球】男たちの挽歌 落合博満、最後の1年(45歳) 59試合 .235 2本 18本
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◆ 落合博満の最後って覚えてる?
「あの選手の現役最終年ってどんな感じだったっけ?」
よく野球ファン同士で球場観戦帰りに飲んでいると、そんな話題になる。みんなスター選手の全盛期の活躍はよく覚えている。あのタイトルを獲ったとか、優勝に貢献したみたいな輝かしい経歴の数々
。けど、現役晩年。特に「最後の1年」の成績まではほとんど記憶にない。
場合によっては、自由契約後の移籍先で一軍出場のないまま静かにユニフォームを脱いでいたり、引退宣言をしないでひっそり去って行く。まさにプロ野球、男たちの挽歌。連載1回目は、1998年(平成10年)の落合博満のラストイヤーを見てみよう。
というわけで突然ですが、あなたはオレ流・落合の現役最終年の打撃成績を知ってますか?……って間違いなく、合コンで前の席のOLさんに質問したら死ぬほどモテなそうな質問だ。
個人的に落合が巨人を追われ、日本ハムへ移籍したことはもちろん覚えている。97年のオールスター戦では全パの1番打者として打席に立ち、当時17歳だったアイドル・広末涼子の始球式に笑顔で付き合っていた。
でも、肝心のシーズン成績はどうだったのか?
◆ オレ流の決断
前年の96年オフ、西武の清原和博が死にたいくらいに憧れた巨人へのFA移籍が秒読み段階に。そうなると一塁のポジションが被る落合はどうするのか?
そのシーズン、43歳の元三冠王は、8月末に死球を受け左手小指を骨折するアクシデントに見舞われながらも、打率.301、21本塁打、86打点、OPS.924と年齢を感じさせない堂々たる成績を残していた。
SMAPの香取慎吾や安室奈美恵が表紙を飾る雑誌『小学五年生』の96年5月号では、唐突に「落合博満vs.ラモス瑠偉」のスペシャル対談が実現。
子どもたちが憧れるイチローとか三浦知良ではなく、唐突に2人合わせて81歳の大ベテラン濃厚対談。ミニ四駆のニューマシーンスクープ記事を楽しむ小学生がついて来れたのかは謎だが、ここで落合は手加減なしのオレ流ガチンコ発言を連発している。
「子供のころから憧れ続けてきた職業につける人間が、この世の中にいったい何人いると思う? オレもラモスもそれを実現している数少ない人間でしょう。
それを考えたら、もったいなくて『オレ、やーめた』なんて言えないもの」
「よく『若手を育てろ』とか『若手を使え』という人がいるでしょう。でも、プロの世界は人に育ててもらうものじゃない。自分で育って、自分で這い上がってくるものなんだ。それだけ厳しい世界なんだ」
凄い、これを読まさせられる『小学五年生』読者のその後の人生は大丈夫だろうか……なんて心配になってしまうほど、
大人の世界の生々しい真実をぶちかますリアリスト落合は、11月28日に「清原と自分の使い方で長嶋さんの悩む顔を見たくなかった」と、ミスターと並んで巨人退団会見を開く。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190911-00202261-baseballk-base
9/11(水) 11:30配信
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/12/01/jpeg/G20091201Z00002590_view.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/yakiusoku/imgs/8/3/830fb1ba.jpg
https://image.middle-edge.jp/medium/8dbdfaaa-4a05-4e55-be35-52006d021938.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=vhP9wtndDIM
落合
https://www.youtube.com/watch?v=DFJTwMRMQB8
落合博満氏の応援歌をひたすら唄い雨を追い払うファイターズ応援団 14.04.06
http://npb.jp/bis/players/81183848.html
成績 ◆ 異端児から英雄に!?
その直後に、野村克也監督率いるヤクルトと日本ハムが獲得に乗りだし、当初は同リーグのヤクルト移籍濃厚と言われながらも、12月12日には急転直下で日本ハムの背番号3のユニフォームを着て入団会見。
年俸3億円の2年契約という好条件に加え、大社義規オーナーと上田利治監督が同席する異例の熱気に、11年ぶりのパ・リーグでプレーする主役は「来年、日本一になりますんで」と宣言し盛り上がった。
この時期、メディアはちょっとしたオレ流ブームで、週刊誌でも「リストラに負けない中年の星」のような応援記事が目立つ。
選手会を脱退したり、名球会入りを拒否するなど、ずっと球界の異端児でヒール(悪役)だった男が、43歳にして初めてベビーフェイス(善玉ヒーロー)になった瞬間でもあった。
しかし、だ。自著『野球人』(ベースボール・マガジン社)によると、前年の日本シリーズで左手小指骨折から無理して復帰したため、微妙な体全体のバランスの狂いがあったという。
春季キャンプでは球団人気を上げようとマスコミにも積極的に対応したが、自身の練習量は減ってしまう。
アキレス腱痛もあり満足に走り込むこともできず、さらに春先には珍しく風邪を引いて回復に時間が掛かり、開幕からチームも6連敗と散々のスタート。
4月16日の西武戦では4打数4安打と健在ぶりをアピールするが、その後は途中交代の多い起用法にも戸惑い、調子が上がらず失速してしまう。
終盤には16年ぶりの6番降格、さらに8月22日のオリックス戦で一塁ライナーを捕球した際に左手薬指の脱きゅうで戦線離脱。
移籍1年目の97年は113試合、打率.262、3本塁打、43打点という寂しい成績で終わり、日本ハムも同率4位と低迷。
戦力外通告を受けた選手が「落合さんが来てからおかしくなった」なんつって捨て台詞を残して去るなど、1年前の優勝請負人扱いが嘘のような状況でプロ19年目のシーズンを終えることになる。 ◆ 引き際もオレ流
そして迎えた98年。前年に続き、素手でバットを握るこだわりを捨てて左手には手袋をはめ、新たに当時のセ・リーグではほとんどなかったデーゲームにも対応できるよう、サングラスもかけた。
もうなりふり構っていられない。2年契約の最終年、12月には45歳になる球界最年長のベテランは結果を残すしかなかった。
4月4日の開幕戦は西武の若きエース西口文也から意地の3安打猛打賞。だが、時の流れは残酷だ。
どんなスーパーアイドルもやがて歳を取り、おじさんやおばさんになるように、一流のアスリートもいつの日か衰え、終わりは来る。限られた貴重な時間を、演者と観客はワリカンしているわけだ。
4月末にはバットマンの生命線でもある右手親指の付け根部分を痛め一時離脱。復帰後は代打起用も増え、7月以降は首位を走るチームのビッグバン打線の中に、その名はなかった。
落合の現役最後の打席は98年10月7日、千葉マリンスタジアムの古巣ロッテ戦(ダブルヘッダーの2試合目)でのことだ。なおチームは後半戦に急失速し、
当日は西武の逆転優勝が秒読み段階(当時はもちろんCS制度はない)。メディアでは「今季限りの引退」が報じられ、球団からは引退試合の開催を相談され、上田利治監督からは指名打者での先発出場を打診されていた。
このロッテ戦で有終の一発を打てば、12球団すべてから本塁打を放ったことになる記録もかかっていたが、落合はそのすべての申し出を断りベンチスタート。
チームが1対4とリードされた5回表一死、当時の『週刊ベースボール』の写真を確認すると、代打で登場した背番号3は全盛期と同じように素手でバットを握り、神主打法と呼ばれた独特の構えで打席に立っている。
最多勝のタイトルを狙う、20歳年下の相手エース黒木知宏は全球直球勝負。満身創痍の打撃の職人は3球目の141キロのストレートを打って一塁ゴロに倒れる。
19年前に代打出場から始まった25歳の無名のオールドルーキーは、3度の三冠王という前人未到の金字塔を残し、45歳を目前にバットを置いた。
通算2371安打、510本塁打、1564打点の大打者としては異例の引退試合も派手なセレモニーもない静かなラストゲーム。
試合後、千葉マリンで出待ちしていた多くのファンが待つ柵前まで歩み寄ると、淡々と握手を交わして回り、稀代のスラッガー落合博満の「最後の1年」は幕を閉じた。
ひとつの時代の終わりと新たな時代の始まり。ちなみに、落合と同年に日本ハムに入団して、キャンプで緊張しながらもキャッチボール相手を務め、引退の翌99年からその一塁のポジションを継承したのは、ガッツこと小笠原道大である。
(次回、小笠原道大編へと続く)
【落合博満 85年・98年打撃成績】
85年(32歳/ロッテ/推定年俸5940万円)
130試合 率.367 52本 146点 OPS.1.244
※自身二度目の三冠王獲得、得点圏打率.492は日本記録
98年(45歳/日本ハム/推定年俸3億円)
58試合 率.235 2本 18点 OPS.653
※現役最終打席は代打で出場し一塁ゴロ
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)
―――――――
※初出時の通算本塁打数に誤りがございました。大変失礼いたしました。
(9月11日12時50分) >>1
全球団相手に本塁打記録のチャンス、
ウエさん気遣って打診したのに拒否。
本当に下らん意地。
まあ入団時、大口叩きまくってこのザマでは
流石に辛い 落合は天才すぎて誰も真似できないな
43歳になるシーズンに3割、21HRでOPSが.924
しかもシーズン終盤で死球骨折で欠場がなければさらに成績上がってた可能性が高い
結局この怪我で終わってしまった よくカミさんがブスをネタにされるけど
落合もブサイクだろ 96年の活躍が最後のどでかい花火だったな
松井と落合の3、4番は松井、清原の3、4番より遙かに怖かった。
松井が本格化したのも96年だし。 >>11
太る前はイケメン
てか嫁のアドバイスでホームラン打つために太った。
やっぱ太ってないとホームラン打ったとき身体に衝撃受けるんじゃね? 戦力外通告を受けた選手が
「落合さんが来てからおかしくなった」なんつって捨て台詞を残して去る
落合のアドバイスを聞き入れて調子を崩しちゃったのかな
ホームランを打つコツを聞かれた落合が
バットにボールを乗せるように打つと答えていたのを覚えている
おそらく打球に角度をつけるという意味なんだろうけど
こんな曖昧で感覚的なアドバイスをされたら
きっと戸惑うだろうな 球場が広くなるとホームランの数がみるみる減って行ったよね
当時は最も広い球場だった東京ドームが本拠地の巨人では20HRが精一杯だった 清原と比較されるのが嫌で
逃げたんだよな
ノムさんの誘いからも逃げたし
落合はじつは小心者だよ 高木豊と谷繁の談話で、落合は打席に入るときインコースに投げるなみたいに脅してたって聞いて大嫌いになったわ
孤高に野球道を究めるみたいな選手だと思ってたのに、こんな奴なんだなってビックリした 他チームには信奉者多いが同じチームには信奉者いないというかつぶしにかかっているイメージあるな。←落合
古田や広沢に対しては風呂でフルチンでバッティングフォーム教えてくれたエピソードあるし。 全盛期はライトスタンドに打ち込んでた外のスライダー
晩年はみなボテボテのセカンドゴロになってたな 王さんとか引退の年にも30本打ったり村田さんも10勝上げてたのに引退しちゃうんだから、本人の考える全盛期は凄かったんだろね。
引退の年の記録だけ見てもまだ十分戦力になる成績だと思うけど。 日ハム時代はホームラン1本1億円と言われていたなw プロゴルファーになろうとしてた位
異常にリストが強いんだよね。
同じようなタイプの打ち方してた中村ノリは
何度も手首の手術してるのに
その強いリストを利かせた落合独自の打撃理論だから
他の選手には当てはめられない。 あの時代に逆方向にホームラン打てる選手って落合と清原くらいだったもんな
それだけで特別な目で見てた >>15
HR打っとき体に衝撃受けないため太るワロタ 加害する傾向がある子供を育てた親の育児談がまじで辛い…「これは言われても納得できないかも」の声も
http://geow.goodjobworld.com/6byru/4754.html >>19
巨人に移籍した時は40歳
普通なら引退してる年齢で3年間ホームラン平均20本近く打った化け物だろ >>1
小学5年生の時にそんな対談読みたかったなw 落合の凄いのはプロになったのが24歳くらいと遅いんだよなぁ
それまではボウリングのプロ目指してたくらいだし >>27
お前は存在自体が無意味、
とかレスしてやればいいか 待遇が最も良かった日ハムを選んだのは仕方ないがヤクルトに行ってほしかった >>6
で、お前は何か残したのかい?www
ばーかwwwwwwwwww >>31
スラィリーみたいなポジションになれたかもしれないね
ポリーも可愛いけど 落合アンチの常套句
・狭い川崎球場だからホームラン量産できた
・弱小ロッテだからエースと当たらず打てた
・消化試合での帳尻ホームランばかり
すべて論破されてるw >>11
私の父親が「コイツ億もらうツラじゃねえだろ」ってテレビで落合見るたびに言ってました。 >>13
2005年
当時はプレーオフ勝者がリーグ優勝 ハム時代のヘルメットに耳隠す部分ないな
投手に内角投げさせないってことか 43歳で打率.301、21本塁打、86打点ってなにこの化け物成績どの球団も欲しがるわ
鳥谷さんもこれほどの成績残してたら阪神もあんなこと言わなかったのに >>21
あれは横浜のピッチャーがヘタクソでよくぶつけられてたってのもある
まぁオチヲタとして言えば、落合のクソエピでは典型的なあるあるだな >>11
じゃあおかわり君はブサイクなのに、なんで嫁は美人なんだぜ? >>21
落合って、計算高くて手段を選ばない勝負師ってイメージだがな
駆け引きとかに長けていてさ
真っ正直に正々堂々って感じはない。 巨人に移籍してきて
40過ぎてるのに
年に2回くらい
完全ノーマークで盗塁決めるのがカッコよかったな 1本のホームランが2本のホームランに3本4本に5本! そして18本! 変なフォームだよな
パワプロだとすげえ打ちにくい
バットが邪魔 >>21
落合は頭部死球食らったりしてたから、そら警戒するだろう
ピッチャー有利ばかりにしちゃいけないのは当然だと思うが 川崎のソープに行きまくってた落合の
ソープ通いを止めさせようと信子夫人が
ソープに自分で行ってテクニック教えて貰ってきたんだよな。 >>53
阪神は金はみっちり払っとった
今年まで4億 × 4年 43歳の落合は、8月末に死球を受け左手小指を骨折するアクシデントに見舞われながらも
打率.301、21本塁打、86打点、OPS.924
すご! >>46
80年代の30代は今の50代みたいな見た目しとる 王さんは30本打っても引退したし
何故だったんでしょう?
江川もまだ10勝してたのに、早すぎる
引退でしたよね。 >>72
規定打席到達ん中で打率最下位
通算打率.300切りたなかったから そういえば門田も40過ぎても凄かったな。
40歳 .311 44本 125打点 本塁打、打点自己ベスト
41歳 .305 33本 93打点
42歳 .280 31本 91打点
43歳 .264 18本 66打点
44歳 .258 7本 23打点 引退 >>21
インコース投げるなっつって
素直に従う方がおかしいだろ
従うなら言うに決まってるし
従わないなら言ってないも同然 変換間違い
プロボウラー試験に行こうとし
免許不携帯で捕まり受験料を違反金に充ててその道は諦めた話は有名で 巨人最終年の96年8月末の中日戦で野口から手首に死球を喰らって骨折したのが全て
これで長嶋が落合は終わったと見なして清原FA加入に >>74
やっぱり40過ぎると1-2年でガクッと一気に落ちるんだなぁ 門田は多分170cmない
もともと俊足堅守系野手やったのにアキレス腱ヤってから長打狙いのフルスインガーにスタイルチェンジ >>74
ミリオンヘアーの人を、ずっと門田だと思ってた 96年の落合はほんと凄かったよ、特に前半は。後半は松井が一気に覚醒したから数字上のインパクトは松井の方が凄いけど、夏までは落合が打線の核だった。
3番松井と4番落合だと佐々木が出てきた時が一番わかりやすくて、松井は佐々木に手も足も出なかったから佐々木を打ちまくる落合スゲーって子供ながらにいつも思ってたな。 やっぱりノーノー寸前の斎藤から打ったサヨナラ本塁打だよ 長嶋茂雄 最終年の成績
128試合 15本塁打 55打点 打率 .244 OPS .675
王貞治 最終年の成績
129試合 30本塁打 84打点 打率 .236 OPS .803
まだやれたよな
特に王さん >>86
今の基準ならそうだろうけど、それだけの大打者にはキツかったんじゃない?あと、通算打率が3割切りそうだったのもあるんでしょう >>17
落合の理論はみんなわからないよな。本人しか理解できない 上田監督をどんだけ困らせたと思ってるんだよ...
このときの自分を正当化するために、中日の選手たちを戦力にならなくても引退させないひどい指導者が出来上がった >>6
昭和40年代ぐらいに活躍した江藤が、全球団本塁打記録持ってたかな?
他にもいたはずで、三冠王3度の落合がそんな記録にこだわったりしないだろう
セパ2球団以上在籍しないと達成できない記録だが
交流戦が始まり、この記録達成者は一杯いるはず
全球団勝利投手になった、初めての投手は野村収ってのは知ってる 落合の凄さってまず間合いの取り方が異常だからだよね
漫画でしかないような伝説な拳法の達人レベル無の境地
ケチつける奴は野球見る資格無し 最終年
王貞治 129試合 .236 30本 84打点 現代で例えるなら福留が来年復活して3割20本打つようなもんか。ちょっと想像出来んな 巨人斉藤のあわやノーヒット・ノーランからサヨナラHR決めた試合が印象深い >>97
巨人移籍すれば可能性ありw(ドームに滅法強い) >>21
ジャンケンでオレはグー出すからと言うのと大差ないだろ >>21
お前が無知。盛田やデニーに顔面近くに投げられて激怒したシーン知らんのか?実際何回か当てられてんだよ 小笠原が後継者みたいな記事の締め。この手の話では大体西浦はいなかったような扱いだよな… >>86
>>87
王は、引退するつもりなかったから秋季キャンプも参加してたし、来年は900号打ってもう1回ホームラン王取ると宣言してた
川上が裏で糸引いて続投が決まってたはずの長島が監督解任されて、川上の意向で藤田が監督になり読売新聞不買運動が起きた
焦った読売(川上)は監督にした藤田は王への繋ぎで監督にしただけでということにして、王に引退勧告して引退させた
そして助監督というわけがわからんポジションにして不買運動を鎮めようとしたのが真相
通算打率3割なんてあとでとってつけた理由だよ 落合がもっと練習で追い込む選手だったらもっと見たかった
筋トレもランニングもガンガンやるような選手だったら
どれだけの数字残したのか 俺の中でプロ野球界最高のバッターは?と問われると
落合になってしまう
あの打ち方は子供心ながらに芸術的だったんよね >>19
中日時代の1992年に急激に衰えが始まってるんだよ
最終年の1993年なんて打率.285 本塁打17本 65打点と
散々な成績になってる
巨人に移籍した1994年も同等の成績なのに翌1995年は
打率が3割に戻り1996年は20本塁打に乗せた
データで見ると1996年は超打高投低で打率10位が.312
という異常な年だけど巨人がスーパーラビットの使用を
この時期に開始したのは間違いないと思う
そして日ハムはまだスーパーラビットを導入してなかった
から前年より試合に出てるのに3本塁打に激減した >>21
巨人時代の落合には横浜の盛田以外は甘い球
ばっか投げてたのは間違いない
別に忖度とかそういうもんじゃないが >>27
ゆとり世代だよね?
当時の不人気球団としてはそれで記事が出るだけで
ありがたいんだよ >>30
その加藤秀司を打撃コーチに招聘した落合GM
というわけのわからない話 >>45
在籍期間は何のプラスにもならなかったが(記事中
にもあるように引退後にガッツが台頭した)超不人気
ファイターズとしては全国区の知名度のある落合の
獲得は大きかった アナルを舐められるのが好きと聞いて俺の中で好感度が上がった! >>72
小林繁なんて13勝14敗で引退だぞ
本人が川藤に語ったところによると血行障害で
たまに狙ったところに投げられなくなったからだ
そうだが >>90
サードが聖域だったんで一塁を守る年もあったけど
1984年に稲尾さんが監督に就任して有藤が外野に
行くまではセカンドを守ることが多かった >>104
西浦は本人の人間性がなあ・・・
持ち上げられて勘違いしたのはお前だろってのに ロッテ中日読売は知ってたけど、最後は日本ハムだったのか
しかも見たら読売在籍期間たった3年?
もっと長くいたかと思ってた
記憶っていい加減なもんだなあ >>111
1996年はスーパーラビットなんて使われていない
東京ドームのパークファクターみればわかる 落合、桜庭和志
秋田県人のリスト(腱)の強さは異常 >>119
人間性とか言い出したら落合なんて下の下だろw >>126
ゆとり世代だろ?
後になって俺は大砲じゃないんだ変な起用法されて
実力を発揮出来なかったとかグチグチ
それを指して人間性の問題と言ってる >>86
王は打率が低すぎる
ピーコの最終年の方が凄い メジャーにも
打率315
本塁打38
打点127(打点王)
で引退した選手がいたな プロ野球選手会を脱退したのに、プロ野球選手会が闘争の末勝ち取ったフリーエージェントを
真っ先に行使した落合
この事について掛布が落合をチクリと批判していた >>1
「落合博満vs.オコエ瑠偉」のスペシャル対談も見てみたい >>74
当時は門田博光と池田大作の見分けがつかなかった 落合より先に野村やって欲しかったな
多分最後はどこにいたかすら知らない人多いだろ 大記録残したのに引退セレモニーとか、めんどくせぇからやらない所がカッコいい >>21
当時の横浜の投手はノーコンが多くインコース投げて死球ってパターンもまた多かったから言われても仕方ない
落合に限らず他球団は結構ぶつけられてるしな >>103
友利は背中の後ろだよ
盛田は普通にしててもびびってた 素手でバット構えてた最後の選手って
誰? つか99年以降いたっけ? 惨めに現役にこだわって、最後は誰からも惜しまれずに
ニュースにもならず引退だったなw
ほんと数年でチームに居場所もなくひっそり引退になるんだからな。
日ハムなんてカネに目がくらんで言って大失敗だったろ
監督復帰して巻き返したけど >>96
>>118
ありがとう
じゃあ歴代最強ナインに落合セカンドで入れても駄目って訳ではないな >>147
うん
歴代ベストナインで王長嶋と顔を並べることは十分に
可能 >>147
セカンドなら横浜時代のローズも捨てがたい >>21
ライオンズの西本和人はそれでつぶされた。 >>50
落合、サッカーの小野伸二、ミュージシャンの奥田民生
この辺は日本が誇る天才顔、皆独創的で非凡 盛田に関しては抜けてくるピッチャーは嫌だって言うてたな。
脳梗塞の影響もあったかもしれんが
よく抜けて顔のあたりにボールが来た。
そういうピッチャーと対戦するときは
まず避けることを第一に考えて打席に立ってた言うてたな。 >>85
実況「こんなゲーム見たこと無い!!!」
俺もテレビ見てたけど鳥肌立った。 >>108
長嶋解任は務䑓さんを江川の件で激怒させたからで川上は別に関係ないだろ >>72
江川なんて引退年の成績が13勝5敗だもんな
実績もあるし、今ならその成績でも億貰えてるよ >>21
外角打ちが得意みたいなイメージついてたけど、本当は外が苦手でインコースが得意だったって何かで言ってたな >>21
投げるなってアピールされてそれに従うの?言ってること頭悪すぎるぞw
頭空っぽの2人が投げて打ってってのが野球じゃない。 妻に「ポン酢買ってきて。間違えないで」と念を押されて買ってきたら怒られた……「理不尽」「普段の食卓を把握すべき」ほか解決策・考察など
http://icoy.mandhplum.net/67njw/05656.html この頃のマリンは最終戦が内野自由タダってやってたんだよな
小雨の降るなかビッグバンの終焉を見届けに行ったわ
最優秀防御率かかる金村は規定投球回に達した瞬間に降板だし、
キャプテンの片岡は三割きりそうだから代打出されるし本当に終わっとったな
そして、ダブルヘッダーの第一戦が終わったとこでマジック対象チームがハムからオリックスに代わったw >>166
清原に性癖暴露されたよ
ドラゴンズ板ではアナルで通ってるw >>21
谷繁に中日時代の暴露本でも書いてほしいな
あのガマ野郎のクズエピソードなんか枚挙に暇がないだろ 門田も落合も金本もイチローも最後にそれなりの成績を残したのが43歳
野手の限界は43歳やな >>168
ソープ好きなら皆アナル舐めも好きよね
清原は現地妻タイプであまりソープとか行かなかったのかもしれん >>167
清原が落合の悪口を週刊誌にしゃべって小遣い稼ぎ
落合アンチは大喜びでネタにしてたけど数年後に清原のシャブ発覚
金に困ってあることないこと言ってただけってオチだからな
まさか、あんな与太話をいまだに信じてるアホいないよな?w 落合獲得の失敗の教訓が今の日ハムのスタイルになった
FAのベテランは高給で引き止めない、逆にFA選手は取らない
常に生え抜き選手中心のチーム作りなど >>173
FA選手は取ってるだろ
稲葉や新庄が中心選手だった時代もあるし常に生え抜き中心ではない 南海の門田が凄いと思ったわ
身長170無くて40本HR
確か現役も40歳まで続けていたよな 中日でも2冠王2回とってるがその時もすでに36,7歳だったのが一番凄い
へたすりゃ5回三冠王だったかもしれない >>17
野球経験者なら叩くより乗せて運ぶという感覚は理解できる >>175
40歳でホームラン王とって不惑が流行語になった
39〜41歳までOPSリーグ1位とかもうでないと思う >>17
水島新司の漫画を読んでいたらバットにボールをのせるという感覚が分かりやすく絵になっているw
一時期プロボーラー目指していたぐらいだから
感覚的なタッチや神経系統がピカイチだったんだろう
プロゴルファーになっても活躍できたんじゃないか 落合語録その1
俺は非力だから力のある珠はアナルに力を込めて運ぶんだ
その為にソープ通いを欠かさなかった >>175
その頃の記憶があるが、ベテラン遥かに通り越してお爺ちゃんという感じだったな
だから今の人が考える以上に凄い事やったという感じだったな 落合は節目の記録は狙ってホームランを打ってたからな。
本塁打
100本目 ホームラン
150本目 ホームラン
200本目 ホームラン
250本目 ホームラン
300本目 ホームラン
350本目 ホームラン
400本目 ホームラン
450本目 ホームラン
500本目 ホームラン
安打
1000本目 ホームラン
1500本目 ホームラン
2000本目 ホームラン 2000本安打をHRで決めた翌日の皐月賞、背番号の6枠がサインと読んでジェニュインでごっつぁんでした >>168
>>171
落合は舐める方
だから清原がわざわざ話題にしたんだぞ? >>170
メジャーのイチローと他を比べるのはそもそも間違い
イチローも日本に戻ってきたらな
3割20本30盗塁ぐらい余裕だったろうし 鳩の舞う中二丁拳銃を手にしてスローモーションで踊る落合博満、の記事ではなかったか お前の価値はそんなもんか?
清原和博という人間の値段はそんなもんか? >>181
それに練習したからだろうな
独自に考えて理にかなっていれば取り入れる柔軟さ
昔Nキャスの特集でやってた「ピッチングマシンの正面に立って
自分に向かってくる玉を打つ」って練習見て
内角打てるのは自分に向かってくる玉を打つような
こういう練習してるからか、とか思ったもの ビッグバン打線の頃だな
あの年は西浦って若手が出てきて4番バッターに育てようとしていたんだよな
結局西浦も育たなかったけど
日ハム時代で良かったのは上田を一皮向けさせてくれたことかなぁ 野球漫画で実在選手の中でだいたい落合が最強格扱いされとった >>197
アンチの中では事実なんだろうけど、証拠は一切出さないw >>164
データで見ると1998年が稀に見る大混戦になったのは
抑えの有無だったね
先発投手陣が壊滅状態の近鉄が踏みとどまったのは
大塚の存在が大きい
日ハムが力尽きたのは抑え不在が原因だろうね >>184
元々脱臼癖があった
それを知らずにハイタッチして長期離脱に追い込んだ
のでブーマーは落ち込んでたらしい >>197
弱小だったのは山内一弘が突然辞めてしまって
何故かロッテと縁もゆかりもない山本一義が監督
になってしまった2年間だけなんだよね
落合がレギュラーになった1981年から
3位・5位・6位・2位・2位・4位
だからね
後半レギュラーを掴んだ1980年は2位だし 最後の盗塁を成功させました
星野からだったけどwww >>185
節目の本塁打が全部ホームランてすごくね? イチロー
いちろー
日産・マーチ
2代目K11型/改造費約1,000万円/エンジン交換/IMPUL製フルエアロ/IMPUL製バケットシート/リアシート撤去/ロールケージ/インチアップホイール/ワイドタイヤ他改造箇所多数
↩ 出典: 雑誌『FOCUS』 ('00年11月)
シボレー・タホ ハイブリッド
3代目GMT900型/'08年式/本体色: 黒/MLBオールスター2007MVP副賞
ポルシェ・911 カレラ
6代目997型/本体色: 濃青/居住するアメリカで使用
↩ 出典: テレビ『プロフェッショナル 仕事の流儀』 ('08年1月)
ポルシェ・カレラGT
本体色: 銀/居住するアメリカで使用
↩ 出典: テレビ『プロフェッショナル 仕事の流儀』 ('08年1月)
インフィニティ・G35 クーペ
3代目V35型/本体色: 銀/日本名「日産・スカイラインクーペ」/居住するアメリカで使用
↩ 出典: テレビ『プロフェッショナル 仕事の流儀』 ('08年1月)
インフィニティ・FX45
初代S50型/本体色: 黒/タレント・池畑慎之介 (ピーター) が言及
↩ 出典: テレビ『愛車遍歴』 ('12年8月)
インフィニティ・Q45
3代目F50型/本体色: 銀/日本名「日産・シーマ」/MLB移籍1年目の愛車/居住するアメリカで使用
➡ 出典: 雑誌『FRIDAY』 ('18年5月)
ポルシェ・マカン GTS
95B型/本体色: 白/居住地のアメリカで使用 >>198
それを否定する証拠を出してないのはお前やん >>74
ブーマーとのハイタッチで脱臼さえしなければもうちょっと上乗せできたのかな。 王と山本浩二は、明らかにまだまだ余力があっての引退だったな。
大杉の.261 21本は微妙なところだが、この2人は引退することなかったのに何故だ? 40過ぎてリーグを跨ぐ移籍はリスクが高かった
それも壊れ物ときたら、何億も出したハムがアホだったということになってしまったが >>194
率が低いけどホームランと盗塁が多い一塁手っていう、バカが考えた野球選手みたいな滅茶苦茶なバランスの選手だったな 狭い球場だから打てただけの過大評価の典型。 技術っていったって今の選手の方が全然あるわ。清宮の方が内角の捌きも逆方向への打ち方も断然うまいしな。 あと大杉勝男はキチガイ武上四郎のパワハラのせいだし >>194
なんかの間違いで一回三割打っただけだろ
それも三割ぴったり
他の年は二割四分がやっとの守備専
あれだけ使った井出と上田が大してモノにならなかったのは本当に時間を無駄にした >>32
45歳で15本?
45になるシーズンは2本で引退だよ >>32
またアナル信者が捏造してる
それとも監督になってからのヲタか?
死ね! 落合は清原に馬鹿にされるくらいの人間性なんだろう
清原は堀内にもあそこまで言ってないのによっぽど落合が嫌いだったんだろう >>217
清原は嫌いな奴はとことんイジメる
格上の人には尻尾を振る 山本浩二は広島市民球場だし40歳で引退だけど落合は45までやったからなぁ >>8
清原の舎弟としてクソの限りを尽くし選手時代を棒に振った大塚に
ちょっと教えただけで打球がホームランの出る角度まで上がるようになってたぞ? 結局、本当に一番タチが悪いのは仕事をやらないおっさんとかではなく『無駄な事を丁寧な事と勘違いして仕事を増やすやつ』だと思う
http://ifaszi.aedifice.net/74kio/02937405112.html 巨人退団後にヤクルトじゃなく日本ハムを選んだのは
当時大杉ただ一人の記録だった「両リーグ1000本安打」を
達成したかったからじゃないのかと言われたがな
実際この記録は現在でも大杉と落合と和田の3人しか
達成できてないレアな記録だしね
それと前人未到の両リーグ200本塁打も達成できたしね >>187
舐める方もその行為に興奮して、なかなか良いものだぞ 落合は日ハムのユニが良く似合う
監督するならハム一択にしてほしい >>208
王は打率の低さ
山本浩二は腰痛
大杉は不整脈と当時の監督だった武上との確執 日ハム選んだのはヤクルトが1年限りに対し複数年だからだよ ノムがグチってたな「絶対に背番号6じゃなきゃダメっていうから宮本に譲ってくれって話つけたのに…」って
まだ宮本が若い頃だったからな
ハムは田中幸雄に譲れなんていうことできる訳もなかったが、
けっきょく3番でいいってことになったから大して拘りなんかなさったのか、
落合記念館もあったし条件いいとこ選ぶ方が先決だったのか >「よく『若手を育てろ』とか『若手を使え』という人がいるでしょう。でも、プロの
>世界は人に育ててもらうものじゃない。自分で育って、自分で這い上がってくるもの
>なんだ。それだけ厳しい世界なんだ」
でも,自分の息子には甘々ですwww >>234
だって息子はプロじゃないじゃん
自分が苦労して厳しい世界を戦い抜いたから、息子にはこんなことさせたくないって思ったんでしょ
親の脛は齧れるだけ齧れっていう育て方は潔くていいと思うけどな
カッコいいこと言っといて陰で甘やかしたり、親の力で分不相応な地位につけたりするよりもさ 成績だけじゃなくてもうこんな打者は現れないんじゃないの?
ムチのようにバットが遅れて出てきてインサイドもアウトサイドもポイントが一緒
あの打ち方ができる選手は落合以後 一人もいない 実際に年を取ってわかんのは
老眼で、ものの見え方が妙になる >>233
ハムって背番号に重みのある選手っているのか? まだ投手のスピードが今ほど速くなく球場が狭いから通用した打ち方だよね
今あんな打ち方をしても単なる外野フライ 膝高く上げない静かなステップなのに打球が不思議に飛んでいく既に40歳 落合のホームラン
https://youtu.be/lLW_EcnEx8c
オールスター野茂の渾身の高めストレートを逆転2ラン
https://youtu.be/9AWchhK2raA >>235
野球選手じゃないだけで,声優のプロだろ。
どんな職業もそれぞれのプロだよ。 カプコンのゲームだっけ
ファミコン版はやったことある >>159
実際そうだろう
ベースギリギリでインコースの球を逆方向に打ち込んでるのがこの人の得意技だろ
他に出来る人は知らない >>77
別にその場で払わないし払込み票は一週間位猶予あるだろ ところで巨人時代の落合の守備はどうだったの?
いくら1塁手とはいえどもある程度の守備力は必要だと思うが。
2塁走者を3塁に進めるバントで3塁手に取らせるバントではなく1塁手の落合に取らせるバントを
されてた記憶があるが、普通は3塁手に取らせるバントがセオリーだよな? 巨人が96年秋に清原を取った理由のひとつは、落合の1塁手としての守備力の酷さもあったと思う。
かといって1塁以外をやらせるとさらに酷いから使いようがない。
あの当時の落合は打撃よりも守備がかなり衰えていた。
普通の1塁手ならばなんとか処理できる程度の軽度の悪送球でも落合が1塁を守るとアウトにならなかった。 落合の主張は割と首尾一貫してるな。
現役時代からベテラン優遇は当然と言ってたし、
監督になってもそういう感じだった。 >>254
まああの歳だからなあ
守備範囲も俊敏性も落ちるのはある意味自然 >>84
「佐々木のフォークはカーブ」と訳のわからないことを言っており。 ファミコンと一緒に買ったわ
金が足りなかったからソフトだけ中古で >>244
あそこはルックスもしくは七光りがないとやっていけない業界で
福嗣はどっちもないのにそれなり以上に仕事にありつけてる有能だぞ
七光りはあくまでも親が声優ララアの娘や17歳の娘あたりの声優二世のことな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています