74歳でも週7で野球指導中。元巨人レジー・スミス氏が語る“日本人”「特に江川と堀内は良いピッチャーだった」【インタビュー】
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巨人でもプレーしたスミス氏
1995年に野茂英雄氏がアメリカに渡る前はMLBとNPBの間の人的交流は一方通行だった。
米国人の多くは1人のNPB選手も見たことがなく、日本人の多くは「助っ人」でやって来る外国人選手を通してのみMLBを知っていた。
MLB、日本人で初めて〇〇したのは?<打撃部門>
野茂氏が全てを変えたわけだが、その直前の1990年代前半に人気を博した『REGGIE』(レジー)と言う漫画がある。
現役バリバリの(だが前シーズンは故障による不調で解雇)MLBスラッガーが日本にやってきて、
野球文化の違いから生じる様々な障壁を乗り越えていくというストーリーで、いわゆる「ガイジン」の目で日本社会を風刺した内容でもあった。
原作者のGUY JEANSことロバート・ホワイティング氏はハリウッド映画「ミスター・ベースボール」はこの『REGGIE』(レジー)が原案だったとも著書の中で主張している。
その『REGGIE』(レジー)のモデルと目されるのが、レジー・スミス氏だ。スミス氏はMLBでスイッチヒッター歴代5位となる314本塁打を放ち、オールスターに7回選出されるなどの輝かしいキャリアの最晩年に日本にやってきて、
読売ジャイアンツで1983、1984年の2シーズンを過ごしている。
氏は現役引退後、ロサンゼルス・ドジャースやWBC米国代表の打撃コーチを歴任するなど指導者としても活躍し、現在はロサンゼルスで青少年相手の野球教室「レジー・スミス・ベースボール・アカデミー」を主宰している。
小学生から大学生まで、幅広い年代の野球少年が集うこの野球教室でスミス氏に話を聞いた。その日は高校生や大学生の個人指導が行われていて、
インタビューはバッティング・ケージ前のベンチに腰掛けて、練習生のバッティングを見守りながらの形になった。
74歳でも週7で野球指導中。元巨人レジー・スミス氏が語る“日本人”「特に江川と堀内は良いピッチャーだった」【インタビュー】
打撃指導を行うスミス氏。【撮影:角谷剛】
「週7回来ることもしょっちゅうある」
― あなたは選手としても指導者としてもMLBで素晴らしいキャリアを築いています。それなのに少年野球を指導しようと思ったのはなぜなのですか?
「野球が好きだからだよ。それだけだ。引退してからも、子供に野球を教えてくれないかと頼まれることが多くて、それに応えていくうちにこうなった」
― 週に何回くらい、このアカデミーに来るのですか?
「ロサンゼルスにいる限りは毎日だ。週7回来ることもしょっちゅうあるよ」
― あなたは74歳です。いつまで続けるつもりですか?
「体が動く限りは続けるよ。自分からやめるつもりはない。私はこうして野球を教えるのが大好きだからね」
― 最近はフライボールを狙って打つことが主流ですが、バッティングの指導法はあなたが現役時代に親しんだやり方と変わってきていますか?
「イエスでありノーでもある。最近のバッターがボールを打ち上げようとするのは知っている。それは理にもかなっている。
だけど基本はバットをこすらず、力をダイレクトにボールに伝えて、強い打球を打つことだ。そのことは変わらない」
ここでスミス氏は立ち上がり、身振り手振りでバッティング・フォームの解説を始めた。筆者が野球の素人であっても意に介そうとはしない。
レベルスイングでボールを捉える感覚を習得するために使用する特製の練習用バットも手に取って見せてくれた。通常のバットを半分以下の太さに削り、表面を平坦にしてある。これでボールを刀で切るようにするのだと言う。
インタビューの途中でも、スミス氏はしばしば立ち上がり、練習生に鋭いアドバイスを送る。時には自らバットを構えて、手本を見せる。そうかと思えば、合間に練習生に交じってボール拾いを手伝うことさえある。
その姿からは、野球が大好きだと何度も口にする本人の気持ちがひしひしと伝わってくる。
筆者はスミス氏が野球教室には有名になった名前だけを使って、実際の指導は他人任せにしているのではと勝手に想像していた。その先入観は大いに間違っていた。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190826-00010000-baseballc-base
8/26(月) 11:02配信
https://portal.st-img.jp/detail/cd3ac5ccc333fc53c0209507a6e83cfa_1566785231_2.jpg 俺はトマソン派
少年野球で始めてもらった
背番号が同じだったから レジーの凄さは、あの打球の速さ・・・・・・・・・・・・
当時の日本人打者とのその差は歴然
昔ガリクソンが物凄い前評判でやってきたけど
球速も150キロいかない、キレキレの変化球もない、奪三振もそれほど多くないでちょっとガッカリした思い出あるわ
オマケにどっかのバカ息子にプロ入り初ホームラン打たれるし >>5
ゆったりしたフォームから突然、伸び上がるようなストレートを高めに投げて空振り取るのは圧巻だった。同じ投げ方で縦に落ちるスペシャルなカーブがあったから二種類の球種で三振取れた。 スミスがいた頃の巨人は
4本柱が揃ってたから
堀内なんて登板機会ほとんど無かったぞw
たまにローテーションの谷間に出てきて投げる程度 こいつが篠塚のキャッチを邪魔したせいで西武に負けた >>43
その後を打ってた中畑は気合い入りすぎて全部内野フライだったかな? スミスって巨人所属が1983〜1984年
堀内1983年なら現役最終年じゃねえかwww >>174
江川、西本、定岡の3人は直ぐ思いついたけど
4人目は加藤初だよな? >>12
たしかに江川は凄かったんだろうけどその時代の打者のレベルが低すぎる >>178
この年の定岡はKO続きで二軍落ち
代わりに台頭したのが2年目の槙原 >>49>>55
落合の方が当時得点王マイケル・ジョーダンより年俸が高い時代もあった 江川 西本 加藤 浅野 とかいたような
定岡がいついたか記憶にない >>183
ホワイトとスミスは一緒にはプレーしてない記憶 >>184
この時代って巨人って左腕あんまりいないね
新浦くらいしか思い浮かばない。 1984年(昭和59年)8月15日の対巨人戦(後楽園)の試合前に、阪神ファン数十人が
巨人の外野手レジー・スミスを取り囲み、人種差別と受け取れる罵声を浴びせる。
さらにはスミスの息子レジー・ジュニアに対して物を投げつけ、暴行しようとしたことが
発端となりスミスが激怒、数名がスミスに暴行を受けた。「被害者」は直ちに富坂警察署に
届け出た。1984年(昭和59年)8月17日付朝日新聞は、「スミスだんまり一手」(15面)、
「(スミスは)正当防衛主張」(22面)と同時に2つの観点から書きたて、スミスが書類送検
される騒動に発展したが、後に不起訴処分となった >>187
とりわけ先発左腕は育たなかった
生え抜きでローテーションを通年つとめたのはその後の20年間で宮本と高橋尚成ぐらいかな
この間に右投手は何人も大成してるのに、不思議だった カープ戦でキャッチャーに砂かけて「砂かけスミス」って呼ばれてたよな 上から読んでもスミス
下から読んでもスミス
どこから読んでもスミス
ホームランホームランスミス >>158
ホーナーが子供に見えるぐらい圧倒的な実績と前年成績でやってきながら実力の片鱗だけ見せて予定調和で帰っていったケビンミッチェル >>8
スミスが苦手な下手投げと、スイッチだが右打席(対左)のほうが率が低いことで
これでもかと松沼兄→高橋直→杉本の順に3人で先発をまかない
エース東尾をここぞの救援に回す作戦を取って、スミスは不振に終わった
>>33>>93
もう高齢で故障が多くて欠場も多かったが
1年目は38歳にもかかわらずOPS1.036を記録してて
規定不足ながらOPS1位の山本浩二(1.025)を上回った
>>68
さすがにシーズン.240でOPS.650では苦しいだろう
さらにスミス残留とクロマティの加入が決まったのは >>68
ヘクタークルーズの日本シリーズのサヨナラホームランを後楽園で見たわ デーブ・ジョンソンはポンコツだったな。 ジョン損とか言われたりしてた。 >>201
ボンコツだったのは慣れないサードをやらされた一年目だけ。
2年目は6番セカンドで活躍した。 >>1
俺が自分を美しいと思ってるだとぉ…?
その通りだ!
強いヤツは美しい!
脳内CVは玄田哲章以外有り得ない >>205
フルスイングでギックリ腰
ヤクルトのオファー蹴ってMLB→ケガ→クビ
ぬけしゃあしゃあと復縁ラブコール
のゴミがどうした? >>170
幼少だったが自分も何が凄いのか
いまいちわからんかった一応14勝したが
ポスト江川で20勝確実みたいな扱いだった
100勝はしてたんだっけかなメジャーで >>158
オグリビーは来日1年目の2月に38歳
本塁打王を取ったこともある長打力こそ影を潜めてはいたが
来日前年37歳にしてなおメジャー100試合出場して.283と確実性は衰えず
メジャーでも最高81三振の技術は健在で、近鉄での2年間はともに3割以上
88年は39歳にして450打席でわずか39三振、OPSも.932を記録
マドロックも首位打者4度のころの打撃力は無かったが
それでも高齢の割にメジャーでもまずまず打ってた
しかしロッテでは.263に終わって退団
オグリビーは高齢ながらまだ速球をさばけたが
マドロックはきつくなってたという話はある
あとはチーム全体の打撃力の差もあるか >>209
いくら実績があっても
ゴキブリに勝てないような奴はだめだ 最近ではAJが有名な
「名球会資格無しの日米2000本」
レジー・スミス
ロイ・ホワイト
クロマティ
同時期に連続は、なんだか凄い >>177
その晩年でもいい投手のイメージだったのだろう。全盛期はいかに凄かったのかと この頃の巨人は4番中畑が原→クロマティ→スミスに蹴落とされ
どんどん打順が転げ落ちていた印象があったなぁ >>213
いや晩年は見る影もなかったよ。
雨のコールドゲームでやっと200勝した時、
もういっぱいいっぱいでその年引退しなかったのが不思議だった。
試合後のインタビューで「もう自分は江川みたいに早い球は投げられないし」
と言ってたのでいよいよ引退かと思ったよ。 >>5
江川のピークは高校時代
大学の時投げ杉で怪我してピークに戻らず、更にプロ入り前に1年遊んで
プロ入った頃には大分鈍ってたw
それでも実働9年で135勝
高卒即プロ入りしてたら、田中将大じゃなくて松坂以上の成績だったんじゃね?
200勝もクリアしてただろうな、阪急強かったしw 江川はストレートとカーブのピッチャーと思われているが、
実はマスクメロンも投げられる(´・ω・`) レジー面白かったな
野球漫画でリアルタイムで読んだ最後の作品だわ >>216
江川は江川
野球で名を売り、副業や解説・評論で稼ぐという人生設計は変わらないので、高卒で入ったとしても結局10年程度で引退することとなる
手抜きや一発病が無いという前提はありえないので、通算勝ち星は150も行かなかった >>216
江川の親父さんが高卒で出世できず苦労したので、
息子は大学に行かせたかったらしい。 >>217
コシヒカリも忘れるなw
あとラビットボールだっけか 江川はストレート勝負だと分かってても打者が空振りしてた
あの落合すらオールスターで江川のストレートに歯が立たなかった >>4
美しいメロディに適当な歌詞が当時の巨人応援歌のイメージ 懐かしいな
当時はクロマティとナチグロブラザーと呼ばれた。
今じゃ放送禁止用語やな >>221
ラビットボールめちゃくちゃ真似したわwww 力が衰えてきているのに巨人はホームランを期待したね。落合が言うようにあれが、クローズドスタンスの欠点であり限界だった。 ここまで 更に 殿堂入りの
オジースミス 忘れてないか >>101
投げれなかったのではなく投げなかった
江川の投手してのスタイルとプライドの問題
野茂もストレートとフォークしか投げなかったし、清原に対しては不利と分かっていてもストレート勝負に拘った
昔のピッチャーはホームランを打たれるのを怖がらなかった(恥じていなかった) と掛布が言ってた >>216
阪急打線強かったし五年で65勝くらいならなんとかなったかもな
ただ、上田監督とはそり合わなさそうだけど >>96
マー君は変化球投手だって谷繁も言ってたな
それでも、良い投手だとは思う
ただ、オレも江川の方が凄い!と思うよ >>88
ミヤケソウゲン
台湾出身 三宅さんの養子になった
やさしい人で打者の胸元をつくことができず成功しなかった >>235
コーチのアドバイスに耳を貸さなかっただけ。
少年野球で世界一になったので変なプライドがあったとか。 >>237
違う
スリークォーターだったのにロッテのコーチにオーバースローにさせられて
失敗 >>5
江川はストレートとカーブしかなかったからな >最高だったのは日本シリーズに出場したことだね(1983年)
1983年と言えば西武との日本シリーズだね。
でもそのシリーズでは江川は全然当てにならなかったよ。頼りになったのは西本。
江川は、田淵、大田、テリー、スティーブの西武主軸に研究され尽くしていて
捕まっていたよ。一方西本には手を焼いたな。
でも最後に西本も攻略して西武が日本一になったんだけど。
確か必殺仕事人大田がMVPだったっけ。 当時をあまり知らないけど
山本功児ってのが不遇すぎるな
内野でも外野でもポジション取れなかったのか >>1
スミスが巨人時代にナンバーでインタビューしてたけど王さんをディスってたよな
長島さんの方が良いとか言ってたけど内容は忘れた
1984年の監督就任1年目で成績がパッとしないのもあったと思うが、
前の年の日本シリーズで西武に負けたときのことはかなり悔しがっていたのは覚えてる
第6戦で逆転しといて追いつかれサヨナラ負けしたときの前進守備指示についてだったような気がするんだが、
どうもそれが当時助監督だった王さんによるものらしいんだが真相は今となっては分からないな 江川はなんとインコースを全く投げない
理由は当てたくないから
それでいて打者を仕留める ホームランボールで球場の客席のコンクリ製の階段をへこませたことがあったな >>63
アウトローの直球は本当にミットを構えたところに吸い込まれるように入ってくるな
それでいてインハイの直球は構えたところよりえげつないところに放り込んでる インハイのストレート見せられてアウトローの変化球で空振り三振が多かった印象 >>255
バーフィールドはもろにそれでやられてたな >>240
そういえば川相がオジーと呼ばれたのはお爺ぽいからでその人きっかけでは無いよね 巨人の外人って髭剃るんじゃないの
でも動画みたら入来弟とキャッチャー杉山が
巨人の選手とは思えないほど浮浪者乞食同然の汚い髭伸ばしてたのは不思議だった 堀内は今なら厳重注意だな。
1分で1球しか投げない投手。
テレビの放送の修了間際になると靴のひもを縛りなおしていた。 >>229
クローズスタンスの欠点って何?
当時西武いたテリーとかスティーブもかなりクローズじゃなかった
阪神バース、阪急ブーマーはどうなんだろう そういえば昔って眼鏡の投手多かったよね
大洋の遠藤も眼鏡投手だよね クロマティの告白本でも
江川さん褒められていたからな >>258
シピンが巨人に来たときは長髪を切ったな
あと外野手の片手キャッチを禁止してたから、シピンも両手でとって落球したw >>254
松岡は200勝に届かなかったのが気の毒 >>242
王と中畑に挟まれててなあ
まぁロッテにトレードされたらレギュラー取れたんだしええやん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています