0001砂漠のマスカレード ★2019/08/26(月) 14:16:18.12ID:ydPMk4MT9
巨人でもプレーしたスミス氏
1995年に野茂英雄氏がアメリカに渡る前はMLBとNPBの間の人的交流は一方通行だった。
米国人の多くは1人のNPB選手も見たことがなく、日本人の多くは「助っ人」でやって来る外国人選手を通してのみMLBを知っていた。
MLB、日本人で初めて〇〇したのは?<打撃部門>
野茂氏が全てを変えたわけだが、その直前の1990年代前半に人気を博した『REGGIE』(レジー)と言う漫画がある。
現役バリバリの(だが前シーズンは故障による不調で解雇)MLBスラッガーが日本にやってきて、
野球文化の違いから生じる様々な障壁を乗り越えていくというストーリーで、いわゆる「ガイジン」の目で日本社会を風刺した内容でもあった。
原作者のGUY JEANSことロバート・ホワイティング氏はハリウッド映画「ミスター・ベースボール」はこの『REGGIE』(レジー)が原案だったとも著書の中で主張している。
その『REGGIE』(レジー)のモデルと目されるのが、レジー・スミス氏だ。スミス氏はMLBでスイッチヒッター歴代5位となる314本塁打を放ち、オールスターに7回選出されるなどの輝かしいキャリアの最晩年に日本にやってきて、
読売ジャイアンツで1983、1984年の2シーズンを過ごしている。
氏は現役引退後、ロサンゼルス・ドジャースやWBC米国代表の打撃コーチを歴任するなど指導者としても活躍し、現在はロサンゼルスで青少年相手の野球教室「レジー・スミス・ベースボール・アカデミー」を主宰している。
小学生から大学生まで、幅広い年代の野球少年が集うこの野球教室でスミス氏に話を聞いた。その日は高校生や大学生の個人指導が行われていて、
インタビューはバッティング・ケージ前のベンチに腰掛けて、練習生のバッティングを見守りながらの形になった。
74歳でも週7で野球指導中。元巨人レジー・スミス氏が語る“日本人”「特に江川と堀内は良いピッチャーだった」【インタビュー】
打撃指導を行うスミス氏。【撮影:角谷剛】
「週7回来ることもしょっちゅうある」
― あなたは選手としても指導者としてもMLBで素晴らしいキャリアを築いています。それなのに少年野球を指導しようと思ったのはなぜなのですか?
「野球が好きだからだよ。それだけだ。引退してからも、子供に野球を教えてくれないかと頼まれることが多くて、それに応えていくうちにこうなった」
― 週に何回くらい、このアカデミーに来るのですか?
「ロサンゼルスにいる限りは毎日だ。週7回来ることもしょっちゅうあるよ」
― あなたは74歳です。いつまで続けるつもりですか?
「体が動く限りは続けるよ。自分からやめるつもりはない。私はこうして野球を教えるのが大好きだからね」
― 最近はフライボールを狙って打つことが主流ですが、バッティングの指導法はあなたが現役時代に親しんだやり方と変わってきていますか?
「イエスでありノーでもある。最近のバッターがボールを打ち上げようとするのは知っている。それは理にもかなっている。
だけど基本はバットをこすらず、力をダイレクトにボールに伝えて、強い打球を打つことだ。そのことは変わらない」
ここでスミス氏は立ち上がり、身振り手振りでバッティング・フォームの解説を始めた。筆者が野球の素人であっても意に介そうとはしない。
レベルスイングでボールを捉える感覚を習得するために使用する特製の練習用バットも手に取って見せてくれた。通常のバットを半分以下の太さに削り、表面を平坦にしてある。これでボールを刀で切るようにするのだと言う。
インタビューの途中でも、スミス氏はしばしば立ち上がり、練習生に鋭いアドバイスを送る。時には自らバットを構えて、手本を見せる。そうかと思えば、合間に練習生に交じってボール拾いを手伝うことさえある。
その姿からは、野球が大好きだと何度も口にする本人の気持ちがひしひしと伝わってくる。
筆者はスミス氏が野球教室には有名になった名前だけを使って、実際の指導は他人任せにしているのではと勝手に想像していた。その先入観は大いに間違っていた。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190826-00010000-baseballc-base
8/26(月) 11:02配信
https://portal.st-img.jp/detail/cd3ac5ccc333fc53c0209507a6e83cfa_1566785231_2.jpg
1995年に野茂英雄氏がアメリカに渡る前はMLBとNPBの間の人的交流は一方通行だった。
米国人の多くは1人のNPB選手も見たことがなく、日本人の多くは「助っ人」でやって来る外国人選手を通してのみMLBを知っていた。
MLB、日本人で初めて〇〇したのは?<打撃部門>
野茂氏が全てを変えたわけだが、その直前の1990年代前半に人気を博した『REGGIE』(レジー)と言う漫画がある。
現役バリバリの(だが前シーズンは故障による不調で解雇)MLBスラッガーが日本にやってきて、
野球文化の違いから生じる様々な障壁を乗り越えていくというストーリーで、いわゆる「ガイジン」の目で日本社会を風刺した内容でもあった。
原作者のGUY JEANSことロバート・ホワイティング氏はハリウッド映画「ミスター・ベースボール」はこの『REGGIE』(レジー)が原案だったとも著書の中で主張している。
その『REGGIE』(レジー)のモデルと目されるのが、レジー・スミス氏だ。スミス氏はMLBでスイッチヒッター歴代5位となる314本塁打を放ち、オールスターに7回選出されるなどの輝かしいキャリアの最晩年に日本にやってきて、
読売ジャイアンツで1983、1984年の2シーズンを過ごしている。
氏は現役引退後、ロサンゼルス・ドジャースやWBC米国代表の打撃コーチを歴任するなど指導者としても活躍し、現在はロサンゼルスで青少年相手の野球教室「レジー・スミス・ベースボール・アカデミー」を主宰している。
小学生から大学生まで、幅広い年代の野球少年が集うこの野球教室でスミス氏に話を聞いた。その日は高校生や大学生の個人指導が行われていて、
インタビューはバッティング・ケージ前のベンチに腰掛けて、練習生のバッティングを見守りながらの形になった。
74歳でも週7で野球指導中。元巨人レジー・スミス氏が語る“日本人”「特に江川と堀内は良いピッチャーだった」【インタビュー】
打撃指導を行うスミス氏。【撮影:角谷剛】
「週7回来ることもしょっちゅうある」
― あなたは選手としても指導者としてもMLBで素晴らしいキャリアを築いています。それなのに少年野球を指導しようと思ったのはなぜなのですか?
「野球が好きだからだよ。それだけだ。引退してからも、子供に野球を教えてくれないかと頼まれることが多くて、それに応えていくうちにこうなった」
― 週に何回くらい、このアカデミーに来るのですか?
「ロサンゼルスにいる限りは毎日だ。週7回来ることもしょっちゅうあるよ」
― あなたは74歳です。いつまで続けるつもりですか?
「体が動く限りは続けるよ。自分からやめるつもりはない。私はこうして野球を教えるのが大好きだからね」
― 最近はフライボールを狙って打つことが主流ですが、バッティングの指導法はあなたが現役時代に親しんだやり方と変わってきていますか?
「イエスでありノーでもある。最近のバッターがボールを打ち上げようとするのは知っている。それは理にもかなっている。
だけど基本はバットをこすらず、力をダイレクトにボールに伝えて、強い打球を打つことだ。そのことは変わらない」
ここでスミス氏は立ち上がり、身振り手振りでバッティング・フォームの解説を始めた。筆者が野球の素人であっても意に介そうとはしない。
レベルスイングでボールを捉える感覚を習得するために使用する特製の練習用バットも手に取って見せてくれた。通常のバットを半分以下の太さに削り、表面を平坦にしてある。これでボールを刀で切るようにするのだと言う。
インタビューの途中でも、スミス氏はしばしば立ち上がり、練習生に鋭いアドバイスを送る。時には自らバットを構えて、手本を見せる。そうかと思えば、合間に練習生に交じってボール拾いを手伝うことさえある。
その姿からは、野球が大好きだと何度も口にする本人の気持ちがひしひしと伝わってくる。
筆者はスミス氏が野球教室には有名になった名前だけを使って、実際の指導は他人任せにしているのではと勝手に想像していた。その先入観は大いに間違っていた。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190826-00010000-baseballc-base
8/26(月) 11:02配信
https://portal.st-img.jp/detail/cd3ac5ccc333fc53c0209507a6e83cfa_1566785231_2.jpg