ジャニー喜多川さん 死去 87歳

SMAPや嵐など数々の国民的アイドルを生み出した芸能事務所「ジャニーズ事務所」を設立し、音楽プロデューサーや舞台演出家としても活躍したジャニー喜多川さんが9日午後、くも膜下出血のため東京都内の病院で亡くなりました。87歳でした。

ジャニー喜多川さんはアメリカ・ロサンゼルス生まれで、幼いころ家族と日本に帰国したあと、終戦後に再びアメリカに渡り、少年時代を過ごしました。

朝鮮戦争で徴兵されたあと日本に戻り、昭和37年、男性アイドルグループ「ジャニーズ」を結成して「ジャニーズ事務所」を設立しました。

「フォーリーブス」や「たのきんトリオ」「シブがき隊」、それに「光GENJI」といったアイドルグループを次々と誕生させたほか、郷ひろみさんや、田原俊彦さん、近藤真彦さんをソロデビューさせるなど、正統派男性アイドルの基礎を築きました。

その後も「SMAP」や「TOKIO」「KinKi Kids」「V6」「嵐」といったアイドルグループを次々とデビューさせ、「ジャニーズ」は男性アイドルを象徴することばとしても定着しました。

また、音楽プロデューサーや舞台演出家としても活躍し、80歳をすぎても所属タレントのミュージカルの演出などを精力的に手がけてきました。

ジャニーズ事務所によりますと、ジャニー喜多川さんは、先月18日に自宅で体調の異変を訴えて、病院に向かおうとしていたところ意識を失って東京都内の病院に緊急搬送され、その後は事務所の所属タレントなどが面会に訪れていたということですが、9日午後5時前にくも膜下出血のため亡くなったということです。87歳でした。

■NHKインタビューに「幸せ感じるショー作るのが僕の役割」

ジャニー喜多川さんは平成30年1月、カメラで撮影しないことを条件にNHKのインタビューに応じました。

語られたのは、子どもの頃に体験した戦争の記憶や、「ハッピーエンド」へのこだわりでした。

ジャニー喜多川さんは太平洋戦争中、和歌山で空襲に遭い、このときの体験について「防空ごうへ入ろうと思ったら、だめだと言われて、1人で飛び出した。空襲が終わって、朝、防空ごうのほうに戻ってくると死体でいっぱいだった」などと語りました。

昭和37年に「ジャニーズ事務所」を立ち上げたあと目指してきたことについて、「なるべくお客様に幸せを感じてもらうショーを作るのが僕の役割だと思います」としたうえで、「世界には悲しみもあるけれど、僕たちのショーはハッピーエンドで終わります。世界もハッピーエンドであってほしい。ショービジネスに携わる者としての1つの願いです」と思いを語っていました。

また、アイドルにとっていちばん大切なことは何かという問いかけに対しては、「才能があるかどうかは、神様でもわかりません。やりたい気持ちがいちばんです。稽古を見ていても分かります。本当に本気でやるという子はやりますよ」と、やるべきことに真剣に向き合うことの大切さを強調していました。

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2019年7月10日 2時17分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190709/k10011988091000.html?utm_int=all_contents_just-in_001

★1が立った時間 2019/07/09(火) 23:30:11.96
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