0001ニライカナイφ ★
2019/06/17(月) 22:44:22.75ID:ST654rZv976年発表の「やっとこ探偵」で小説現代新人賞、80年に「黄色い牙」で直木賞を受賞、バラエティー番組でも活躍した志茂田景樹さん(79)。作家になったのは3つのキッカケがあった。
中央大学の5年生の時かな。留年時代に親しくしていた早稲田の学生がいましてね。彼は哲学や文学に興味を持つ連中ばかりが周りにいる人でした。
ある日、彼の部屋で飲んでいたら、彼が先に飲みつぶれてしまったんですね。その時、翌日締め切りの同人誌の原稿が書きかけで、「キミ、続きを書いてみる?」と言われ、こっちは真に受けて、寝てる間に書いてみたんです。
朝起きたら、彼は自分が言ったことを覚えていなかったけど、僕が書いたものを読んで真顔になり、「君、小説書けるんじゃないかな」って呟いたんです。その瞬間は僕の心にぐさりと突き刺さりました。
大学を卒業して職を転々とし、29歳、30歳の時は保険の調査員をやっていました。ある時、北陸方面に出張し、金沢から夜行の上野行きに乗りました。突然、耐えられないような腹痛に襲われました。痛みが治まればと思って、いつも駅で購入していたポケットウイスキーをボストンバッグから取り出し、一気飲みしたんです。そうしたら本当に痛みが治まっちゃって。眠りについて起きたら無事に上野駅に到着していました。
■盲腸で入院中に書いた小説がほめられた
その日はそのままアパートに帰り、夕方からテレビを見ながら飲み始めたら、またシクシクと痛みが再発してきた。女房の肩を借りながら近所の医者に行き、インターホンを押すと「時間外です」と言われて。それで気力もなくなっちゃってその場にしゃがみ込みました。近くの電話ボックスに女房が駆け込んで救急車を呼んで、院長が産婦人科医だという病院に搬送されることになりました。
「これは盲腸です。明日、大学病院の若手の外科のドクターが来るので午前中に手術しましょう」と言われ、とりあえず痛み止めの注射だけしてもらいました。でも、翌日その大学の外科医の先生が現れなかったんです。それで午後になって開腹手術をしたけど、もう手遅れ。腹膜炎を併発していました。後で見たんですけれど、虫垂はもうソーセージみたいになっていました。
2、3日間、40度以上発熱もあり、注射しても熱が下がらない。後から医師に、「もうあと1日熱が下がらなかったらおしまいでしたよ」なんて言われました。
その後、「いつ退院ですか」と院長に聞いたら、「ここは大事をとって1カ月くらいゆっくりしなさい」と言われた。それで早稲田の彼の言葉を思い出して、初めて小説を書いてみようと思ったんです。そしてお見舞いに来てくれた彼が書き上がった原稿を読んで「オール読物新人賞に出せば佳作は取れる」と褒めてくれた。僕にとって2つ目の“その瞬間”でした。
作品を応募したら2次予選までいきました。一生懸命やれば、もしかすると数年後にモノになるかなと思い、新人賞への応募を続けました。
最後に僕の背中を押したのは三島由紀夫自決事件です。三島のニュースを見て衝撃は受けたのですが、日本は平和なのにこんなことをしてどうするの? といった、どちらかというと批判的な気持ちで見ていました。
ところが、例の彼は哲学青年だから、新宿だったか飯田橋のバーに僕を呼び出し、文学論や三島の話をして息巻いていました。彼には三島への強い憧れがあって、興奮していました。話し込んでいるうち時間が過ぎ、そろそろ帰ろうかなという時に、「君は直木賞を狙えよ、僕は芥川賞を取るから」と言われ、別れたんです。そのセリフが作家になると気持ちを奮い立たせてくれました。
これが僕が作家になる3つの瞬間です。それから新人賞を取るまでに6年、直木賞を受賞するまで4年かかりました。彼の名は草間洋一さんといいます。現在、文明工学研究家として活動されています。
日刊ゲンダイ 2019/06/17 06:00
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/256042
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