【音楽】泉谷しげるvs富澤一誠、大ゲンカの結末は?
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ここだけの話ですが、私は今、泉谷しげるさんと大ゲンカをしています。きっかけは30年以上も前のことです。お互いに言いたいことを言ってからの捨て台詞は今でも鮮明に覚えています。
「いいか。俺のことは2度と書くなよ」(泉谷さん)
「あたりまえだ。2度と書いてやるもんか」(私)
「俺のことは2度と書くなよ」
最後の捨て台詞からの約30年間、1回も会ってはいませんし、いわゆる絶縁状態です。そもそものきっかけは何だったのでしょうか?
ケンカの要因は、30年も前のことなので定かではありませんが、たぶんこんなことだったと思います。
30年ほど前のとある日のこと。泉谷さんの当時のマネージャーから電話がかかってきました。
「一誠さん、泉谷が話をしたいと言っているので替わります」
そこから2人の話は始まりましたが、お互いに言い争いになり、捨て台詞へと至ったわけです。
その頃、私は売り出し中のフォーク専門の音楽評論家として怖い者なしで、思ったことをビシバシと評論していました。特にフォーク雑誌『シンプジャーナル』のアルバム評では容赦なく斬りまくっていました。
その頃、フォークはブームを迎えてニューミュージックと名を変え、ビッグ・ビジネス化していました。それに伴って生ギターの弾き語りというシンプルなスタイルから、バンドを付けたサウンド志向に変わりつつありました。いわば、ギターの弾き語りからロック色の強い“フォーク・ロック”というか、サウンド志向に変わりつつあったのです。そんな流れを良しとしなかった私は、フォークはフォークらしくギターの弾き語りに帰るべきだ、と主張しました。そしてサウンド志向、ロック志向のアーティストを批判したのです。そんな中に泉谷さんもいたのです。
私は当初、泉谷さんを高く評価していました。泉谷さんを私が初めて見たのは、1971年の夏頃、渋谷のライブハウス「ジァン・ジァン」でした。今でもそのときの光景はまぶたに焼きついています。ギターをわしづかみにして、いきなりステージに駆けのぼり、「死ね 死ね……」というリフレインのある「自殺のすすめ」など数曲を怒鳴るように歌って嵐のように去っていきました。なんだあいつは?と私はただ唖然とするばかりでした。自分の言いたいことを好きなだけ言って去ってしまっただけに、ただ驚きでした。「すごい奴だ」というのが実感でした。
そんな生身の泉谷さんのメッセージおよび生き方が私は好きだったんです。だから、ロックがかった泉谷さんはピエロに見えたんです。きっとそんなことを書いたのでしょう。そして、それに泉谷さんがカチンときて「てめえ、ロックをサーカスみたいに言いやがって」「俺のことは2度と書くなよ」と激怒したのでしょう。
30年ぶりの和解はなるのか?
しかし、これは私の推測であって、泉谷さんの真意はわかりません。ケンカの要因は昔のことなので定かではありません。ですが、大ゲンカした事実は確かです。だから、絶縁状態が続いているのです。
つい1か月ほど前のことです。ある人から、「一誠さんのラジオ番組に泉谷さんを出していただけませんか?」というオファーがありました。気の置けない仲間でもあったので、私は泉谷さんとの確執を話しました。そして、正直な気持ちを打ち明けました。
「ケンカしたことは覚えていますが、原因が何だったかは正直、はっきりとは覚えていません。私はいいですよ。あとは泉谷さんに聞いてください。泉谷さんがOKだったら私はけっこうです」
泉谷さんの答えは「OK」でした。こうして泉谷さんは、私が担当しているFM NACK5<Age Free Music!>(毎週木曜深夜24時〜25時)のゲストとして出演が決定しました。
<泉谷しげるvs富澤一誠 大ゲンカの結末は?>――30年ぶりの和解はなるのか? 6月6日(木)深夜24時から放送のFM NACK5<Age Free Music!>をお聴きください。
6/4(火) 10:00
https://news.yahoo.co.jp/byline/tomisawaissei/20190604-00128713/
https://i.imgur.com/othCBtx.jpg >>43
ダイナマイトポップスから少しあと、それこそ布袋を抜擢したあたりとかなら
ギリギリシンプジャーナルもあったと思うけど
LOSERの頃ってもう廃刊になってたような気がした >>95ユーやは馬鹿だからロックを自分の一家みたいに考えてるキチガイ ロックとフォークの違いはサウンドの違いだけ
しかしロックとロックンロールは全く違う
内田裕也のやってたのはロックンロールであってロックではない >>73
そこに「泉谷と拓郎ケンカさせてみようか」と悪のりした森山良子と松任谷由実がお互いをけしかけた >フォークはフォークらしくギターの弾き語りに帰るべきだ、と主張しました。
ボブ・ディラン完全否定かよ CD売れないんだから(以前の10分の1以下)何とかしてやれ!
ライブしか評価のしようがない時代だな
ライブブルーレイの評論でもするしかないんじゃないの? >>104
拓郎にケンカをけしかけるのはいつもムッシュだったらしい
若いころから耳元でヒソヒソ「あいつやっちゃいなよ。笑」みたいに拓郎にけしかける
いざケンカになって喜んでたのがユーミンやムッシュ
森山は「お前らいいかげんにしろ!」と二人を叱ってやめさせたようだ 誰も泉谷をロックなんて認めてくれてないよな
後出しロックはキモい >>103
最初期(ロカビリーと言ってた時代)の日本のロックバンドやミュージシャンは
カントリー&ウェスタンの要素が強くてなんかリズムが跳ねてるよね >>108
どっちでもいいじゃない
馬鹿なんじゃないの 80近い爺さんのロック談義なんぞ誰が聞きたいんだよ? 泉谷「俺は岡林 信康の影響なんか受けてねえよ」って喧嘩になったのが真相
ソースは富澤の本「あいつのくしゃみ」 泉谷のロック全盛期は
客「バカヤロー、じじい休むな、とっとしねー」と声援して
泉谷「うるせーバカヤロークソヤロー」と言い返す
明るい雰囲気だったな >>111
どっちでもよくないからロックなんて認めてもらえない
最初からロックみたいにロックアピールするから飽きれられる >>110
ロカビリーはカントリーとブルースの融合でサウンド的にはロックンロール誕生以前になる
ベースがエレキになりブラスも加わるとロックンロールになる
カントリーとフォークとロックの共通点は詞にある ロックとか、パンクとかニューウェーブをやってた奴って
自分が60代70代になっても続けてると想像していたんだろうか 泉谷は押しが強いがイヤミがないから好き。
押しの強い草刈正雄。 中学生の頃 泉谷しげるのオールナイトニッポンを聞いてそのキャラに衝撃を覚えたな。
罵詈雑言の嵐の様なトークとちょっとひねくれたような歌。綺麗事と恰好付けばっかりの当時としては画期的だったわ。 フォーク時代から火の鳥とかやってたし
あんなのは完全なロック 富澤一誠はゴリゴリの自作自演歌手押しの評論家だった頃
路線変更してシンガーソングライターとしてのアルバムを出した河合奈保子のチョーチン記事を書くよう頼まれて断れなかった
その程度の音楽ライター フォーク時代て
別にデビューから弾き語りでやってるわけないだろw 日本で最初にテクノミュージックをやったのが泉谷しげるだってことはあまり知られてない >>110
そもそもロカビリーが跳ねてる
8ビートが定着したのはロカビリーより後 ココに書き込んでるオマエラ何歳だよ? 40代のオレでさえこんな話題どうでもいいし分からないぞ >>133
普通の人間ならナベプロ黄金期から70年代までの史観はマスターしてるだろ >>134
そこまで昔のクソ芸能界マスコミに詳しい奴なんていねーてのw どこのクソジジイだオマエw 普通の常識人ならURC及びエレックの歴史は習ったはず 富澤って一時期TV出てたけど、言ってることが薄すぎて逆に衝撃を受けた憶えがある >>137
アホが釣れたw
んなわけねえだろアホw 今 チューリップをyoutubeで聴いたけど 凄過ぎる・・・・・このスレ見ていて
拙者 40代 幼い時に流れていた曲だ・・・・・チューリップとオフコースがごちゃごちゃになっていた記憶が晴れましたよw
財津さんはチューリップの人なのね はっぴいえんど オフコースの人じゃないのね ごちゃごちゃに記憶がwすいません。 ってか
音楽に評論家なんていらなくね?
耳聴こえたらさ 翼なき野郎どもはサビのとこでマーチのリズムになる加藤和彦のアレンジがかっこいい >>2
よいフォーク歌手だったよ 東京生まれの都会っ子なのに上京少年のふりをして歌詞を書いてたけど素晴らしい嘘だった
年を取ってロックに転じてからも、音的にはU2やブルーススプリングスティーンの真似だけど、中年の心情をそのままぶつけてよいものだった 黒いカバンって放送禁止ソングだったはずなのに
昔NHKFMのスタジオライブで歌ってたな
歌詞を江川に変えて ライブでギターステージから投げられて当たってケガして訴えたとかいう
なんつーか空気読めない粋じゃないババアが居たな 「現代の女子高生と同じ姿」と話題の1932年の少女たち、どの程度のレアケースだったのか?
http://ty2ch.c1001.coreserver.jp/8.html >>1
30年前なんて、とっくにフォークは滅んでた。
1989だよ? >>151
あれは最悪だった
もちろん泉谷が悪い
お前は通報しとく 富澤一誠って拓郎にも嫌われてるよな
TVで言ってた
名は知れてんだけど中身はスカスカの評論でお馴染みの富澤一誠 さすがに時間が解決してるやろw
お互い何でこんなんなったんだっけ?
と、笑い話に出来るレベルじゃないの? 泉谷はやさしいな
一応二度と書くなと言い放ったんだろ
浅井健一先生は有無を言わずぶん殴った
ロックとフォークの違いはここにあるのかなw >>163
ロックって言論弾圧推奨してるの?
馬鹿なんかお前はw 別に言論弾圧してないだろ
殴られてから反発して始まるのがロック >>144
ほんそれ
80のバラッドは尖った泉谷の歌詞をマイルドなロックに仕上げたアレンジの勝利 泉谷が下戸っていまだに信じられない。
一升瓶を横に置いてギター一本で歌ってそうなイメージなんだよな。 >>165
浅井は石原慎太郎とか安倍晋三、橋下徹を支持してるから なんちゃってロックだよ エピソードを捏造してまで聴いてもらおうとは‥。楽しみ。 泉谷しげるは狂い咲きサンダーロードや爆裂都市に関わってるよな おまえら素直に言えよ
相撲にナイター鑑賞に競馬に忙しくてロックなんかわかりませんって 文科系の評論家連中が大嫌いだわ
自分じゃ何も生み出さないくせに他人の作品を偉そうにあーだこうだと、
オマエ何様なのかと?
評論家で許せるのは解説上手な一部の政治評論家だけ 65年のニューポート・フォーク・フェスのディラン事件がロックの誕生とかって 富澤の評論はピンボケで自分の思い込みから事実と違うことも多い
よりによってLoser期の泉谷が批判の対象というところがセンスの無さを露呈してる
彼をありがたがってるメディアが信じられない
後期シンプでは萩原・小倉・田家なんかと大きく評論が劣って浮いてた 冨澤が当時、評価してたのは、松山千春、オフコース、さだまさし。つまりタモリが嫌いそうな音楽(´・ω・) >>161
そもそもああいう攻撃的に見せてるやつは
内心は臆病でおだやかな人でしょw
いきなりフライデーナイトで
渡辺徹が出て来た泉谷にいきなりなぐられて
驚いてなぐりかえしちゃったら
泉谷さんがブルーになっちゃって
って爆笑問題のラジオでいってて
太田田中も泉谷さんは気が小さいんだから
やりかえしちゃだめですよwww
って笑われてた
まあやりかえされたら切れることできず
ブルーになるような弱い人間だからこそ
泉谷はいい詩が書ける
拓郎も学生時代はすごい不良のやつと歩いてて
威勢よく振舞うけどそいつがいないときは
不良いるとびくびくしてたと自分でいってるし
怖いもん知らずで実際にぼこぼこにしてきたなんて
人間は歌詞なんて書けない
書いても普通の人間の弱さがわからず
共感される詩が書けない >>35
40年少しぐらいだね
ニューミュージックってジャンルが出てきた頃なら
新譜ジャーナル、あったわw >>186
89年とかなんてフォークなんて今以上に
評価されてないというか古いと切り捨てられてた
バンドブーム時代だね この二人のけんかなら断然泉谷応援
冨澤は井上公造辺りと喧嘩しないと誰も応援してくれないだろ >>184
泉谷しげるはメチャメチャ気遣いの人って拓郎が言ってたな。
そういや昔、うちの親父が出張で仙台のホテルに泊まった時にフロントに浮浪者が居る!!って思ってよく見たら泉谷しげるだったそうな。 この人の30年前の泉谷ロック化でピエロって訳わからんな
泉谷は元々資質がロックで、たまたまフォークでデビューしてた清志郎と同じタイプだろ
元々やりたい方へ移行してたんだろ
フォークなのにロックやってるって見解が幼稚 >>189
ほんとに泉谷がテレビで見るような性格なら
暴行事件おこしてテレビでれなくなるからね
横山やすしとかと同じ道たどるだけ
そんな性格してなくて演技でやってるからこそ
芸能活動を長く続けられるねw >>150
自分でも下手くそ言ってるし、おれはギターの音が綺麗に出ないから…とか、コード訳わかんねーとか
素直すぎてびっくりする 世間一般には暴れん坊、乱入キャラで通っているから
ポリオ(小児麻痺)の後遺症で歩行障害があることを
ドラマやバラエティの視聴者でも意外と気付いてなかったりする >>8
あれはディランの風に吹かれての八番煎じ。駄作だから聞く必要ない。 >>196
あの歩きかたは笑うよな。奇形児そのもの。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています