ノーナ・リーヴス西寺郷太さんとFINDERS編集長米田の音楽対談連載第3回は、音楽における歌詞の重要性、ミュージシャンにおける「天才性」、そして、郷太さんの描いている音楽キャリアについて縦横無尽に語り合います。

いわゆる「歌謡曲」にとって何が大切か

西寺:少し前に、秋元康さんがプロデュースしてる「ラストアイドル」っていうオーディション番組の審査員を、1年ぐらい前に番組が始まった時にも2回ぐらい出たんですけど、久々に頼まれたんですよ。まあ、オーディションの内容はともかくとして、なんで僕がその仕事を受けてるかっていうと「好奇心」なんですよ。

それこそ80年代から現在までもちろん主流派ではない時代もありましたけど、「歌謡曲」というか「芸能界」の中心にいる秋元康という人はどんなこと考えてるんだろう? と。いわゆる「歌謡曲」にとって何が大切なのかっていうのが、改めてわかる経験でしたね。作曲が大事なのか、作詞が大事なのか、プロデューサーが大事なのか、もちろん全部大事なんだけど(笑)。ただ歌謡曲とはなにかっていうのは、日本で愛される音楽がいわゆるアメリカやイギリス発信の「洋楽」と違っているところはなにかみたいな話で。それは今、僕が考えてることのひとつでもあって。で、自分もずっと色々考えてきた結論から言うと、歌謡曲っていうのはつまり「歌える歌」っていうことだから、最も大事なのは作詞だろうなと。

米田:洋楽っぽい音でやっても、日本語で歌えば全部、歌謡曲、J-POPになってしまうというか。

西寺:そう、僕は子どもの頃から洋楽が好きで。正直、歌詞の意味がわかるものもあれば、そうでないものでも楽曲のパワーやヴォーカルの呼吸も含めて「音楽」として感動してきました。ただし日本で長く深く届けるとなったら、作詞と作曲のパワーバランスが50/50である必要があるのかなって。メジャー・デビューした時にそう思ってたんですね。正直、あんまり歌詞歌詞って聴いてなかったですし、今もある意味そうなんですけど、うるさいくらいに「作詞のほうが大事だから」ってディレクターやらプロデューサーに言われたんですよね。若い頃、当時はね、それにすごくムカついてたんですよ。

だって、僕らはビートルズでも感動するし、マイケルにも感動するし、言ってることも「うっすら」わかるし、歌詞カード見ればよりわかるし、作詞が大事だっていうことは、音楽そのものの効能を否定するのかよ!って思ったりもしてたんですよね。言葉のある音楽が生まれるよりもっと前から人類って何かを叩いたリズムで踊ったり、音そのものを楽しんだり怖がったりした長い歴史があるはずですからね。決まった歌詞を歌うなんて、人類の歴史のごく最近のことの気もしましたし。ただ20数年やってきて、特に歌謡曲の機能として日本人が感動できるものっていうことを考えた時に、言葉の力の圧倒的さに改めて気づきますね。たとえば、槇原敬之さんの書かれたSMAPの『世界にひとつだけの花』がもし別の歌詞だったとすれば、あのメロディーに別の歌詞が乗ってたらあんなに売れることもなかったと思うんですよね。まさに今年最大のヒットと言えるDA PUMPの『U.S.A.』も、カバー曲ですけど歌詞の面白さとインパクトでしょうし。

5/18(土) 11:40配信
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