【野球】大洋 高橋雅裕 深海の底に沈んでいくクジラで輝いた名ワキ役 1101試合 .243 14本 168打点 100盗塁 642安打
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/プロ野球1980年代の名選手
1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。
時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく
栄光なき名遊撃手
1980年代の後半。それまでも長く低迷していた大洋だったが、その低迷も深刻となり、まさに暗黒期へと突入していった。
かつては都会的な港町をイメージさせたスマートなユニフォームすら、漆黒のゴーストタウンを連想させるほど、その闇は深かった。
何より、故障者が続出した。85年は高木豊、加藤博一、屋鋪要の“スーパーカートリオ”で沸かせたが、翌86年にムードメーカーでもある加藤の故障で瓦解する。
その翌87年には広島で黄金時代を築いた古葉竹識監督が新たに就任したものの、シーズン終盤にエースの遠藤一彦がアキレス腱を断裂する重傷。
クローザーの斉藤明夫が先発に回るも、すでにベテランの域に入っていて、かつてのタフネスぶりは影をひそめていた。
86年に加入した助っ人のポンセは勝負強い打撃でチームを盛り上げるも、じわじわと失速していき、88年の開幕を前に山下大輔が突然の引退。
パチョレックが89年に加入して安打を量産する一方で、司令塔の若菜嘉晴が舌禍トラブルを量産。
まさに、いっさいの光が届かない深海の底に沈んでいくクジラだった。
そんな主役が不在のチームにあって、ワキ役として働きまくったのが高橋雅裕だ。ただ、どんな名ワキ役も主役がいなければ光らない。
そこが当時の大洋が抱える負の連鎖だったようにも思える。
名古屋電気高のころからプロ志望。卒業後はトヨタ自動車へ進むことが内定したが、82年秋のドラフトで大洋から4位で指名されたときには、うれしさのあまり入団を即答したという。
一軍デビューは85年で、主に二塁の控え。
翌86年には加藤の故障で高木、屋鋪に挟まる二番打者としての出場が増える。
俊足の持ち主で、犠打などの小技も巧みだったことから“ニュー・スーパーカートリオ”の呼び名もあったが、
ベテランならではの熟練の技で“連結車”の役割を担った加藤の穴を埋めるには、まだ若すぎたのかもしれない。
盗塁成功率は高かったが、自分の俊足だけを頼みに走る傾向があり、のちに、
「もう少し自分の足に自信を持って、相手バッテリーの考え方が分かれば、もっと走れた」
と振り返っている。続く87年は遊撃に回ってレギュラーに定着。その翌88年がハイライトだ。
不動の正遊撃手、そしてリードオフマンとしてキャリア唯一の全試合出場。
打ってはリーグ8位、自己最高となる打率.293、守っては翌89年にかけて390連続守備機会無失策という堅守で、先輩で名遊撃手だった山下のプロ野球記録を更新する。
だが、その88年、守備の名手に与えられるゴールデン・グラブに選ばれたのは、鮮烈デビューを飾った中日の立浪和義だった。
ちなみに、ベストナインに選ばれたのはヤクルトの池山隆寛だったが、その池山を打率でも守備率でも上回っている。
ただ、これもまた、当時の大洋を象徴するエピソードといえそうだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190513-00000011-baseballo-base
5/13(月) 16:01配信
https://wing-auctions.c.yimg.jp/sim?furl=auctions.c.yimg.jp%2Fimages.auctions.yahoo.co.jp%2Fimage%2Fdr000%2Fauc0312%2Fusers%2F0%2F8%2F6%2F8%2Fhi14xxxsg-img480x640-1513909562yefqc63592.jpg
http://img.topics.smt.news.goo.ne.jp/picture/baseballonline/m_baseballonline-097-20190513-12.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=lKXgJdRUG3w
W 横浜大洋ホエールズ 6 高橋 雅裕 応援歌
https://www.youtube.com/watch?v=eXOJ67CnvdU
https://www.youtube.com/watch?v=l6fgltIxUiQ
高橋 雅裕
http://npb.jp/bis/players/71973860.html
成績 「守備率は10割まで高められる」
持ち前のスピード、強肩、そして粘り強い性格がリーグ屈指の遊撃手へと成長させた。
守備の基本や技術を教わったのが米田慶三郎コーチ。古葉監督の攻撃よりも守備を重視する、点を与えない野球が原点だ。
「僕は守れなかったらダメ。打率は3割まで、守備率は10割まで成功率を高められる」
というのが信条だった。打撃ではスイッチヒッターにも挑戦。チームが大洋から横浜となった93年からは外野にも回って、常時4つのグラブを用意するようになった。
翌94年には、いきなり言われて一塁へ。その場は外野用のグラブで対応し、のちにファーストミットを発注した。
一塁に入ったのは通算11試合に終わったが、これでバッテリーを除く全ポジションをコンプリート。
監督と折り合いが悪かった時期もあったものの、低迷を続けるチームを支え続けた。
97年にロッテへ移籍してからもユーティリティーぶりは健在。
内野、外野の控えからバント要員として新天地を支え続ける。
そして99年オフに山本功児監督の要請で現役を引退して、指導者の道へと進んだ。 >>1
ホームのユニホームにYOKOHAMAってやったのがエライ大洋
現在のIT球団のオーナの爪の垢を煎じて飲ませたい ひーろーかーずー って小3のワイ氏も叫んだもんやで なんでこんなどうでもいいスレ立てるの?
どうせすぐ落ちるのに 何年だったかな、6月近くまで打率4割でリーディング独走してたの覚えてる。
シーズン終わってみればいつもの高橋だったが。 そーいやJスポの楽天戦の解説から消えたな
ロクな実績もねーくせに上から解説で 自分も大洋好きになったときの名前だな。
屋敷高橋高木 1の記者は何でいつも1980〜1990年代のプロ野球の懐かし選手スレばっかり立てるの? 古葉監督最後の年に銚子と二人で草野球しまくって引導を渡した記憶 有名な選手でも生涯成績見ると「あれ?こんなもんだった?」ってなること多いよね
高橋雅の場合、安打はこんなもんだろうけどもっと盗塁してるかと思ってた
そう考えると名球会会員って凄いな〜
斎藤雅樹、槙原寛己、桑田真澄なんて長年勝ちまくった印象だけどいずれも200勝して無いんだよね >>22
野球はお爺ちゃん向けのスレじゃないと伸びないからな
どのみち完走なんて無理だけど >>27
逆にサッカーの個別選手スレは本当に伸びるスレは限られるわ
Jリーグで野球みたいに個別選手スレを立てても成立しないこちらの苦しみをむしろ知ってほしいわ グリングリンの応援の人だろ?
これしか打ってなかったんだな
ローマンとかポンセとかあの頃の大洋の応援は良かったな >>17
進藤はすぐサードにコンバートされてショート石井琢郎じゃね? 俺のちんちんと同じぐらいバットが異常に太かったのは覚えてる 深海の底に沈んでいくクジラって深海のサメや甲殻類の貴重な食料になるんだよな 結局近藤貞雄を監督にしてしまったことがすべての
間違いだった
結局次の古葉竹識のベテラン冷遇でチームが崩壊
するんだがそうせざるを得なかったのは古葉一人の
責任ではなく近藤貞のせいでチームが腐りきってた
のが大きい >>36
ある意味昭和のラミレスだね
全員ポジション真逆にしたり
怪我しやすい環境だった 非力なくせに振り回して勝負弱いショート
この系譜が石川、倉本に受け継がれている >>37
内野全てシャッフル、盛田を先発に転向させた大矢を超える奴はいない 17日に楽天生命パーク宮城で行われた、東北楽天ゴールデンイーグルス vs 埼玉西武ライオンズの試合について、ネット上で話題になっている。
この日の試合はスポーツテレビ「J SPORTS」が、解説に元プロ野球選手の高橋雅裕氏を迎え中継を行っていた。試合結果は楽天 7 - 4 西武で楽天の勝利となったが、6回表、西武の攻撃で木村文紀外野手が三振すると、高橋氏は「いい気味ですね」と暴言を放った。
その後、6回裏で高木勇人投手がフォアボールを出してしまうと、高橋氏は「オッケー」とも発言していた。
https://news.nifty.com/amp/sports/baseball/12184-47502/ 見逃し三振が多かったな
やくみつるの漫画でドラキュラに書かれていた >>24
今のベイの二遊間が銚子そのものw
ホームラン年間1本打つかどうか、盗塁数年間一桁
高橋は盗塁10〜15位は走れたけどな 山下大輔が突然の引退とか書いてるけど
晩年の山下なんていいところ全くなしで引退はおそすぎたぐらい あの時代は銚子こそ至宝だろ
まあエースが大門では如何とも 解説がクソすぎて大嫌いになった
楽天戦の解説はほんと嫌気さす >>28
記者の癖に対立厨を隠す気もないってのはどうなんだ >ちなみに、ベストナインに選ばれたのはヤクルトの池山隆寛だったが、その池山を打率でも守備率でも上回っている。
ホームランで28本 打点で39 長打率で約1割も下回ってるんだから選ばれないの当たり前だろ >>37,>>39
「田代富雄はファーストでも守っとけ、肩の衰えた
山下大輔はセカンドに行け」という一応の理由は
あった
でも大矢明彦の思いつきコンバートには何一つ
筋の通った理由がない
捕手出身のくせに「1イニング集中した方が好投
出来る」ことが理解出来んとか・・・
ホークスの抑え投手井上祐二を先発転向させて
潰した田淵幸一と同等の馬鹿 >>1
88年の池山はホームラン31本打ったけどな >>51
ああいう下地固めの監督を評価しないようじゃダメ 俺が球場に行くようになったときは遊撃はもう進藤だったな 記事中にもあるけど起用法の問題で若菜嘉晴が
ベンチと対立し市川和正が正捕手になった
高木由一のシーズン中強制引退とか古葉竹識が
やったことは結構酷い 大洋の選手って、三年活躍しないんだよね。
田代もポンセもこいつも
人気もなかったし、川崎だったし、
ユニはオレンジ・グリーンで電車みたいだったけど
愛してた >>22
速報でもないしスレ違いだよな
野球関連の板でやればいいのに 山下大輔もオープン戦で引退していたな
あれも不満があったんだろう 懐かしいけど何となく顔を覚えてる程度だな
当時のハマスタは巨人戦以外は気持ちがいいくらいにガラガラで見やすかった 「4番山崎」ってフレーズほど暗黒感を上手く表現できる言葉は他にないな 高橋雅は古葉監督のときに1年だけ打撃がブレイクしたんだよな
それで1番に定着したんだけど翌年からなぜか不振になって
7番が定位置になった
屋鋪が衰えてきていたから良い1番が出てきたと思ったからがっかりしたよ 石井琢
波留
鈴木尚
ローズ
駒田
佐伯中根
谷繁
進藤
への布石や! 当時の選手名鑑に趣味は料理で本格的だと書いてあったね >>60
目先だけしか考えないバカファンには何をいっても無駄 みずほシステム障害の損失はぺくちょん糞禿孫のSBIが被ったサンバイオショックwのときの損害ではないのか?
もしかしたらサンバイオだけならまだこれほどにはならなかったかもしれないが同様の動きが東証一部の中堅どころ
超超大型株大日本住友製薬もすっかり仕手株化して最後ぬっころされていたからなw
なぜそう思うか?
ヤフー掲示板での韓国中国左翼応援風の知性と感情のないダニやノミのように湧いてくるコメントの数々と
終わった後すぐSBIがその巨大な損失に関してアホの自社の無関係をよそおう声明を早々と発表した件
こんなことは例外中の例外だよ?
場中に同業者にはどこが二社の株価を吊り上げていたかははっきりとわかるから自分たちではなく自分たちの顧客が買っていたと声明をしたんだ
これは明らかに犯罪だ
誰でもわかるだろ?
最悪、最後は銀行の損害にすればなんだかんだで国が補てんすると思っているんだよ
朝鮮人ども!
とっとと国はこいつらに調査を入れて〆上げろ!!!
https://o.5ch.net/1a6cr.png 古葉監督最終年に10敗投手が5人出た記憶
足が速い小粒の左か両打ちタイプが好きで
屋鋪 加藤 高木 山崎 村岡 大川 高橋雅 宮里と 単打マンの俊足が多かった 正直、古葉監督に抜擢されたが活躍した印象がほぼ無い。
正確に言うと、プチブレイクで終わった感じ。
屋鋪とか高木豊とか晩年だか田代が印象強すぎて、
また、総リストラとかあり、谷間の世代だった。 須藤在任中に高校の後輩中山が不祥事起こしていたな
功績は遠藤をストッパーで復活させたくらいかな 中山は古葉時代にリリーフで酷使されて調子を最終年に崩して
須藤が就任して先発転向
ようやく2年目で8勝をあげたオフにあれが起きて痛手だったよ 主力として疑わなかった屋鋪高木を放出した時はビビったわ
ただ、この時点でブラッグスローズが在籍してたんだよな
ブラッグスのHRはピンポン玉、ローズは2000万程度で守れて打てるセカンド >>84
野村弘樹の台頭、岡本透の先発転向、佐々木主浩の
ストッパー専任とかあったでしょ
あと須藤豊を象徴する選手というと清水義之だな >>86
そう
中山裕章のキチガイじみた酷使を見てるから古葉竹識
を評価する気になれないんだわ あまりにうるさくて口にガムテープを貼られたという逸話のある高橋雅裕 >>89
畠山の復活を忘れてたな
横谷彰将とかもいたな 古葉時代は先発が新浦 斎藤明雄 欠端 遠藤 大門 木田とロートルが多くて
ほとんど先発で勝てなかったから中継ぎ以降が酷使されてたな >>5
DeNAか。しゃーないよ。金出してもらってるし。
球場買い取って環境も少しずつ改善されてきたし。 >>90
大洋の中でも最悪クラスの監督だったわな
カープの頃とは変わってしまったのか、あの時代は単に選手に恵まれてただけだったのか こいつの解説はクソすぎ
どこに需要があるのか謎なんだが 古葉竹識は4位になった年はよかったが
全体を通すとダメだったな
高橋雅裕 銚子利夫 パチョレックは古葉が育てたね
須藤監督になったらサードの銚子利夫が外されて清水が抜擢されてたな >>82
ファミスタなら盗塁し放題で楽しかったんだけどさ
現実とゲームは違うけどさ 解説がクソで、そっちの方が有名だな。
楽天贔屓なのは100歩譲るが
相手チームの事を小馬鹿にしすぎ ロッテ時代の記憶が無いよ
晩年スイッチヒッターをやめていた記憶 >>36
でも古葉が連れてきたスカウトのドラフト戦略が優勝メンバーを形作って行くんだぜ
そのメンバーをバントしないと死んじゃう病の近藤昭仁が鍛えあげてる
ここら辺は面白い >>96
大門は若手だったよ
相川とかを積極的に起用していたけど >>102
古葉が広島から引き抜いてきたスカウトが
その後のベイスターズ優勝の原動力になる選手を見つけてきたわけだが >>109
谷繁 野村 岡本透のドラフトは最高だった (グリーングリーンのメロディで)
まっさーひろが打つ〜ぞ〜レフトへホームラ〜〜ン
まっさーひろが打つ〜ぞ〜ライトへホームラ〜〜ン
(カッ飛ばせ〜、まっさひろ!) ライトスタンドだと
まっさーがうつーぞー
ライトへホームラン
まっさーがうつーぞー
レフトへホームラーン
だったな
ポンセもバモスポンセてわなく
ポンセーポンセー
打て打て場外へー
だったよ
球団の歌詞と実際とは違ってるのがちょいちょいあったね >>111
野村が3位で取れたのは良かったな
どうして地元の広島や高校に近い阪神が獲得に行かなかったのか疑問
同年の広島なんかは高校生投手乱獲して誰一人としてモノにならずに投手王国崩壊の原因になったし 屋敷9
加藤9
高木9
高橋は7
村岡が8だっけ? >>114
野村はMAX140くらいだったし正直あそこまでの投手になると思わなかったよ
須藤監督時代に化けたね
キレが良くなってた >>114
野村はPLの三人エース体制の一人でしかなく
桑田の後だから、余計に過小評価されてた。
というか、清原なんて20年後になっても
ボロクソ言ってるし >>117
まあでも、トランペット曲がそういう歌詞だったからとしか…
にしても、大洋が応援にトランペット導入した当時の応援団、
鯨援隊の選曲センスの無さには本当に泣ける >>118
小谷さんの時代か
この人は名伯楽だからね
佐々木や三浦も心酔者 >>122
言おうと思ってたが名前が出てこなかった。
小谷正勝 この人の名前いっつも忘れる >>111
谷繁の年のドラフト外で入団したのが石井琢朗。同年のドラフトで2人の名球会選手を生んでいる。古葉さんは監督としては失敗だったが、引き連れてきたスカウトが後の優勝メンバーを獲得している。
これを見ても当時の広島が強かったのも頷ける。 法政のドラ1の銚子利夫を一瞬にせよ輝かせたのは古葉竹識だったな 大門みたく逃げっぷりのいいピッチャーはあらわれないものか >>75
89年開幕試合でエラーをして連続無失策記録が途切れると1試合3エラーなど堰を切ったかのように守備が崩壊。同時に打撃も2割を切る時期もある程の不振に陥る。
少し上向きになった時に練習中にパチョレックと激突し腕を骨折しシーズンを棒に振るなど散々な一年だった。因みにパチョレックは無傷だった。
その後は石井琢郎など若手の台頭でレギュラーを追われ一発屋に近いブレイクで終わった。 古葉の頃は本当にまともな選手がいなかった。
古葉は結果を出せなかったがある意味しょうがない
中畑時代のベイスターズよりもっと選手層が薄い
80年代前半のドラフトマジヤバイ
http://pospelove.com/draft-baystars.htm >>132
須藤の最初の年も選手がいなくて苦労したよな。
何の実績もない、清水と横谷を1.2番に抜擢し有望株扱いしてたが
無理矢理感は否めなかった。 >>127
その年オールスターの候補にも名前が上がってだけど何かの事情があって選べなかったと王が言ってたな
後日王が銚子にすまなかったと謝ったらしい >>131
パチョレックは屋鋪と甲子園で激突してもすぐに復帰してたな
元アメフトをやっていただけのことはあるよ ドラフトのくじ運がよくなかったね同じ下位が定位置だった燕に比べると >>98
多分、ソフトバンクのことを言ってるんじゃないかな 2000年台の暗黒時代は
ベイで活躍できなかった選手も
「横浜を出る喜び」
で活躍したが、80年代前半のドラフト選手って
トレード出されても向こうで普通に目が出ないまま引退してるからな
よほどスカウトがクソだったのか >>118
野村の年は高校生投手の当たり年
橋本、川島、伊良部、盛田、江口、上原
ここらに比べたら野村はワンランク落ちた投手だったな
あと甲子園で名前を轟かせた芝草、島田も
タクローもこの年甲子園で投手で出場している 古葉竹識 須藤 江尻 近藤明仁 大矢 権藤 森 山下大輔 牛島 大矢 尾花 中畑 ラミレス 島田ー盛田ー佐々木の勝利の方程式を作ったのは江尻監督だったな
最初は盛田幸妃は先発だった
忘れてたけどショートは進藤が出てきて高橋雅裕はレギュラーを奪われていたな 鮮烈デビューを飾れなかった根尾君はどーすればいいの? 足の豊以外にもう1人も高木が地味にいたりしていた。
大洋最後のドラフトが番長 その前が大魔神 盛田 琢郎だっけ。 大洋の思い出はシピンだな。
巨人戦のリリーフで小川が出てきた時のあの嫌がりよう。
球場は大盛り上がり! >>1
まだそんな歳じゃなかったはず
ご冥福をお祈りいたします 子供の頃は気付かなかったけど
いま思えばホエールズって鯨って意味もあるけど実は日本語の吠えーるとも掛けてたの? マッサー だろ
当時は何度か行ったな
カープ戦はいつも余裕で入れたな
吉野家の牛丼を毎回食ってた
これが一番コスパ良かったな 87年から91年くらいまで、何故か中日―大洋/大洋―中日は長い試合が多かった >>74
2002年から2015年の方が暗黒や
最下位率驚異の10/14や 高島屋の屋上でサイン会でサインボール抽選で貰いました。 土曜日のデイゲームは、NHK、TBS、フジテレビで放送してました。 関内駅からハマスタ内野席へのスロープにダフ屋が凄かった! オールドファンとしては1998年優勝よりも1979年の2位に驚いたな
元慶応ボーイのダンディ別当が監督していた頃 見逃し三振多かったよな。しかも必ずと言っていいくらい、えー??って表情して、大洋ファンからも、入ってたわ!ってよく突っ込まれてたな。 バックスクリーン裏で吉野家ぶらさげた暇そうな姉さんを
山崎一家が口説いてて大人ってエロいと思いました、おごってくれた! この高橋と池山の登場が懐かしい死語だけど
「セリーグの新人類」と呼ばれてなかった? こいつ初代ファミスタで走力16だったからよく使ってたな >>109
1987年
1位 盛田 2位 岡本透 3位 野村弘 ドラ外 進藤
1988年
1位 谷繁 3位 井上純 ドラ外 石井琢
1989年
1位 佐々木
この3年間で3人の名球会、1人の100勝投手が出てる
弱小球団では奇跡的なこと >>133
他に宮里とかな
1〜2年で控えレベルに落ちるのばかりだった >>93,>>95
横谷、宮里、そして波留と熊谷組出身者は即戦力
になるけど長続きしなかった >>99
駒が揃ってれば勝てる監督なんだろうね
駒不足だと何も出来ない人 >>102
今調べたら清水と銚子が2歳しか違わないことに驚いた
1989年の銚子は打率.281の28犠打
対して1990年の清水は打率.264の14犠打
ちょっと理不尽な干され方した感じ >>161
秋山登がド無能で別当さんが尻拭いで再登板する
んだけどあとを継いだ土井淳が秋山に輪をかけた
ド無能でチームが崩壊した
そして関根さんがチームを立て直すけど近藤貞雄
がチームを完全に腐らせた
結局フロントがアホ >>173
なぜ須藤になって清水と横谷がスタメン抜擢されたのか全然わからなかったよ
監督が交代したらすぐに消えたし
清水は西武にトレードされてほとんど活躍できないまま消えたし >>175
銚子も広島に行って全く役に立たないまま消えたから、結局同レベルの首のすげ替えでしかなかったな >>176
確かにどちらがかと言われても答えられない ベイスターズの身売り騒ぎの時に横浜市と神奈川県が口出ししてきて、京急ら神奈川県企業の共同体チームにしようと
画策したし、あの暗黒時代に横浜市あたりから改善案出せだ口出ししてきたら日本石油あたりに
チームを強引に乗っ取られて今頃なかったかも知れないな。 レジェンドマッチに呼ばれてたな
他に出場した大洋OB
有働、欠端、明雄、遠藤、平松、ダンプ辻、福島キュー、忍者市川、土井、大ちゃん、豊、ポンセ、銚子、松原、中塚、高木のとっつぁん、屋敷 >>181
98年ベイスターズ
ヒゲ魔神、川村、番長、野村弘樹、大魔人、島田、シゲ、進藤、畠山、中根、タコさん、佐伯
石井琢波留は他チームコーチで不参加 背番号51石橋の甲子園3連発は忘れられない。
後にも先にも、輝いたのはそこだけだったが、いぶし銀として
村岡とともに好きだった。 木庭スカウトが大洋に入ってくる前は、スカウトは、目が出ないで引退した選手を
球団がはした金で雇って、家の球団は引退後も面倒見てますよという
言い訳のためにあっただけみたいね。実際は自発的にやめてほしいから
厚生年金すらない非正規だったとか。 この前の暴言で、高橋雅裕が野球解説者になってたことを初めて知った
大洋横浜OB解説者は斎藤明雄や高木豊などのプロ野球ニュース系しかいないと思ってたからな >>184
石橋と言えば とんねるず…
ではなく、82年の8月31日を忘れてはいけない >>107
須藤と近藤がいたから石井琢朗が一流になり
一流のコーチになれた
須藤にプロの心得を教えてもらい近藤に
内野の技術を教えてもらった
今のコーチノウハウは全てその頃の蓄積だ
とこの方もインタビューで言っていた >>82
夏場のハマスタで大洋がコツコツと8点
とったのを阪神セシルフィルダーの場外
特大大砲で一気に吹き飛ばしたのは
本当に痛快だった
今は真逆だからな >>89
もっとスゴい功績はある
・谷繁の抜擢
そして石井琢朗の野手転向
これが今の一流コーチのルーツだから
あと須藤の功績は、後の中畑と同じで
選手らに闘う意識を植え付けさせたこと
就任1年目の開幕戦の中日ドラゴンズの
ホームラン攻勢をコツコツ粘って同点にし
翌日は粘り勝ちしたのを今も思い出す >>90
あのへんの時代はどのチームもそういう部分ある
ヤクルトもクローザーの伊東が最多勝獲ったり岡林壊したり中日は上原とか与田とか森田とか潰したし阪神も中西田村あたりは酷使の影響あったし、ちょうどNPB過渡期やった >>175
屋鋪は前年ボロボロだったし横谷はオープン戦で
好調だった
そんなわけで競争を勝ち抜いた
大野の抜擢もあって銚子は高木豊の控えになって
しまった >>176
長内は田淵お漏らし事件でトレード要員なのが
前年発覚してたけど残留
でも大洋が和製大砲を希望してたこともあって
一年越しでトレードが成立した >>191
谷繁のゴリ押しは球団からの押しつけだし石井豚
の野手転向はコーチの静止を振り切って勝手に
やったことだよ
でも古葉のせいでぐちゃぐちゃになってたチーム
を立て直したことは素直に評価してるよ >>196
谷繁は、高卒捕手なのに最初から二軍暮らしもほとんどなく、特別視されてた
石井琢は、一年目に1勝してたから野手変更には本当に驚かされた
谷繁も石井琢も球史に残る名選手になったから、大正解だったな >>197
石井忠徳は投手としてダメで野手転向したわけじゃ
ないからね
投手としては小さすぎるから大成出来ないと思って
野手転向したのかもね パッキーと屋鋪の顔面衝突事故の打球を打ったのは掛布 変な話だけどベイスターズは、名称変更から大矢までの93〜97年までが一番幸せだったような気がする
優勝したら一気に崩壊した >>184
石橋は古葉時代は守備固めで使われていたのに須藤に嫌われて使われなくなってたな >>117
昔の応援歌はとにかく「かっとばせ」か「ホームラン」しか歌詞がなかったんだよ >>188
石橋貢は下手くそだっただけで、阪神のコーチはチンピラだった >>200
思いつきコンバートで内野が崩壊し先発転向強要で
盛田が潰れた1996年は十分暗黒だぞ 一人で連投して、大洋マニア気取ってるアホが居るけど
古葉をボロクソ言ってる時点で、こいつの言うことは何一つあてにならないな。
80年台のドラフト一覧見るだけで古葉がどれだけ
98年の優勝に貢献したか一目瞭然だというのに。
80年代前半のドラフトの惨状と
古葉が監督だった時代のドラフト比較すれば馬鹿でもわかること
バカ以下だからわからないんだろうな >>200
権藤のときに、石井と谷繁の間で派閥抗争が勃発した。
権藤監督が放任主義でも、ヘッドコーチが厳しければ
事情が違ってたんだろうが、ヘッドコーチが甘々の大ちゃんだったんで
チームが統制取れなくなって、選手がばらばらになって派閥作り始めた 雅さんとか大門欠端あたりは生粋のベイ党しか反応せんだろ。雅さんは守備だけは良かったよ。守備だけはな >>5
で、「ホエールズ」は?
とうとう埋もれたままベイスターズになった。
ビジユニを企業名にしてたら、「何のこっちゃ」 >>207
ドラ1で投手主体の権藤派の谷繁と、ドラ外で野手主体の反権藤の石井琢
同期で対称的だった
今、球場で普通に談話してるのをみると、感慨深い >>206
それはそのスカウトを誉めるべきであって、それを古葉の手柄にするのは厚かましいにもほどがある >>211
そのスカウトを
古葉が連れてきたんですが
そんな事も知らないバカですか? >>210
谷繁も石井も他のチームで指導者ちゃんとやれてるわけで
単に当時のベイスターズがあまりにも統制取れてなかったから
ああなってしまったんだろうな。本人たちのせいじゃない >>212
スカウトかわいそうだな
お前のような盲目のせいで手柄を全部古葉に横取りされて名前も覚えてもらえないって オリンピックや地上波から除外され野球そのものが今や脇役扱い この前横浜監督の近藤昭仁が亡くなったとき、葬儀参列者を密かに注目して
調べてみたんだけど石井たくろうとか斎藤明とかは行ってみたいだな
佐々木とか谷繁とかコメントしてたが、行ってなかったぽいねw
屋敷やら高木なんか絶対いかねえだろうなとは思っていたww >>214
木庭教の名前ぐらいプロ野球ファンなら知ってるだろ
一方木庭の前のスカウトが誰かなんて逆に誰も知らない >>211,>>214
古葉竹識はスポンサーの佐川急便がホエールズを
買収するための尖兵として送り込まれたとされてる
んだけど監督ではなくフロント入りした方が良かった
と思うわ >>219
そんなに有名な名スカウトなら大洋球団が直接雇えばよかっただけじゃん
古葉の私有物じゃないんだから、わざわざ有害物質付属させたあげくに有害物質の方を褒め称えるって頭おかしいわ >>221
だーかーら。
ちゃんとしたスカウトをまともな給料で雇って
きちんと発言権与えるっていう枠組み自体
古葉が大洋に持ち込んだんだよ。
単にスカウト個人がすごいという話じゃない
なんにも知らないバカは黙ってろよ >>222
有能な面もあったのはいいけど、だからといって監督としてチームをボロボロの最下位にした無能ぶりを見逃せと言われても困るんでね
GMとかやってればもっと有能さを発揮できたかもしれないのに、向いてない監督やって馬脚を露したのは本人の自己責任だよ >>223
お前本当に野球見てたのか
絶対的エースの遠藤が故障中
欠畑、大門、新浦の三人しかいないから
高卒二年目でまだプロの体格になってない
野村を先発で使ってた時代やぞ
誰がカントクやっても最下位だわアホ 進藤も権藤がやめたときに本当の野球を勉強できるとかディスってたな >>213
しかし、谷繁も石井琢はもちろん、斎藤隆も三浦も非常に選手寿命が長かったな
これだけの名選手がいたのに、生かしきれなかった横浜ヤバすぎw >>215
ササ願のあのネタ
色々なベイの書籍に出てきて、ライターの間では近藤のダメな方のキャッチフレーズで定着してるっぽい
谷繁の頭が悪いネタとか中野渡とかが著作で丁寧に否定してやっと解消された
タブチくん並みに影響力があった漫画だったね >>225
そして、監督代わったら即トレードされて終わるという
口は災いの元だんな >>224
選手やスタッフのおかげで優勝しても名監督と褒め称えられるんだから、選手のせいで最下位に落ちてもヘボ監督と罵倒されるのはまた必然じゃないかねえ 広瀬 右田 大畑 竹田 関根 堀井と
80年代前半の大洋はドラフト上位の殆どが投手だったのに
ことごとく使い物にならんかった。
唯一使い物になったんはドラフト五位の金沢だったが
その金沢を、何故か酷使で壊れた元エース木田と交換するという謎フロント >>230
阪神時代のノムなんて三年連続最下位だが
井川 藤川 矢野 新庄あたりを育てたというだけで
未だに名将扱いやんけ >>233
阪神と楽天時代の野村はさすがに名将とは言わんわ
故星野氏ならわかるけど >>232
高橋は、守備のショートという意味では井端に似てるが
井端よりもなお打撃成績は悪いし
当時は今ほどショートだから打てなくてもいいという時代じゃなくて
他チームの宇野や河埜や高橋といった面々は打つ方も良かったからねえ ID:4CfUcZy30はもうでたらめすぎて話にならないな。
こっちがいくら具体例を出しても全部自分の主観で否定するだけ >>237
それらが全部古葉のおかげってのはそれこそお前の主観じゃん
単に自分が異次元な話を勝手にしてるだけって気付かないのかなこの人 >>239
お前が無知でカスなだけだろ。
例えばドラフトに関してもちゃんと
古葉以前と古葉以降で仕組みがどう変わったか
までこっちは説明してる。
何一つ具体的な説明なしに
ダメダメ言ってるのはアホのお前の方 >>240
ろくな選手がいないからって数少ないまともな投手を潰しまくって焼け野原にして自らの身も最終的に滅ぼした日本プロ野球でも屈指の采配センスのないヘボ監督をエクストリーム擁護するって本当に大変だねってのだけはよくわかった >>229
進藤FA騒動あったしな
残留したと思ったら、即トレードとは如何に >>241
ガイジがID変えてまだやるの?
確かに中山は酷使されたと思うが
別に潰れたわけじゃないし
野球と無関係のロリコン犯罪で消えただけ
古葉が潰した投手って一体誰のこと言ってんの?
嘘ばっか付いてるなお前 >数少ないまともな投手を潰しまくって焼け野原にして自らの身も最終的に滅ぼした日本プロ野球でも屈指の采配センスのないヘボ監督
谷繁、ラミレスのことですね >>213
いや当時の石井琢朗には普通に問題があったよ >>206
広島時代の実績だけで擁護してるだけだなお前は >>243
何だ、試合も見てなかったのか
そのくせにずいぶんと偉そうだな >>246
cocoメンバーたち、有働由美子、荒瀬詩織
素晴らしい女性遍歴 >>231
金沢は近藤貞雄が毛嫌いしてて放り出されたって話はマジかの?
金沢は日ハム在籍時にも後から監督に就任した近藤の時に放出されてんだよな。 >>250
いいから具体的に古葉に潰された投手名を出せクズ >>252
大洋ホエールズだ
っていうページにのってたなその説
まあ、かなりマニアなファンが言うことだから
正しいんじゃね? >>252
近藤が中日監督だった82年に田尾と大洋の長崎との間で首位打者争いをしてて、
最終戦に田尾を全打席敬遠したのが当時この試合で大洋の先発だった金沢だった。
近藤はこれをずっと根に持ってた >>256
出せないのか。
本当にお前カスな
それで自称大洋通打って連投してたとか
まじで笑える >>258
試合見てないお前がビービーわめいてもねえ
まあ、ダメチームを更にダメにしただけの無能ヘボクズが偉大に見えるようなヤバい頭の持ち主じゃ仕方ないか
汚名を返上するリベンジのチャンスを与える球団もなかったんだから一般的な評価にしても決着はついてるしね >>203
その時の阪神のコーチが島野育夫
星野仙一もビビる人だからな >>259
いいから古葉が潰しまくった投手とやらの名前を出せよ
答えられないからって、レッテル貼りに逃げてんじゃねえよクズ 婚姻歴無しの無職独身初老男性って
どうでもいい、くだらない事でムキになるよね。 >>225
権藤は投手の管理は抜群だったけど野手は完全放任だったからな
でその投手陣が崩れて負けが込み出すと批判が権藤に向けられてチームが崩壊した >>257
優勝がかかった試合で一番打者を全打席敬遠という
ある意味、方八百長で優勝させてもらったようなものなのに、恨みに思う意味がわからん。 >>257
敬遠云々は監督が決める事だろ
選手個人が決める事じゃないし
金沢自身に根を持つわけない ホエールズの名前残せば良かったのに
ベイスターズてわけわからんわ 古葉竹識が広島から引き抜いてきたスタッフのおかげで
大洋が暗黒を脱したのは間違いない
だから本当に監督さえやらなきゃ良かった
球団社長として迎えるという手だってあったんじゃないか ヤクルトは1989年の時点で先発投手があと1枚と
抑え投手さえいればAクラス当確というところまで
チームが整備されてた
スカウトの能力が高く我慢して選手を育てる監督
が続いたおかげ
その事実を無視したから野村克也は阪神で全く
成果を残せなかった つか、木庭教の存在すら知らないのに自称大洋通を気取ってたバカがいたのはまじで驚愕したわ >>270
関根潤三が下地を作っていたからね
投手は小谷の力が強かったし
その小谷が須藤体制になってから大洋にカムバック >>272
ドラフト指名が88年川崎89年西村90年岡林91年石井
92年伊藤だから結局野村克也は絶好のタイミングで
監督になっただけ
関根さんがもう1年続けたらAクラス入りしてたと思うよ >>282
社名変更、および「もう捕鯨の時代ではない」という
大洋漁業改めマルハの判断。 古葉でよくここまでエキサイトできるなw
ベンチでいつも見切れてたのとレスカーノが2本打った試合観に行ったなぁくらいしか記憶ないわ。 終わったおっさんがマウント取れるのってそんなことしかないんだろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています