令和時代のサッカー日本代表『背番号』を巡る“暗黙ルール”
5/8(水) 7:03配信

令和の時代を迎えて日本サッカー界にも、新風が吹き始めた。

海外組で”新三銃士”と呼ばれる中島翔哉、南野拓実、堂安律の移籍先が注目を集めると同時に、代表の背番号問題が再び、クローズアップされそうだ。

今年3月の国際親善試合『キリンチャレンジカップ』の直前、代表の背番号『10』を巡ってスポーツ紙が大きく取り上げた。

「ロシアW杯後、森保一新監督が率いる初陣のコスタリカ戦のメンバーに若き侍・中島が選ばれた。この時、メンバー外の香川真司に代わり背番号10を託されて結果を残したことで、いよいよエースナンバーも”禅譲”されるのか、注目が集まったんです」(サッカー専門誌デスク)

一部のスポーツ紙が”争奪戦”と報じたことで、波紋も広がった。ベテランのスポーツライターが苦笑いしながら、こう振り返る。

「若手記者が森安監督に10番の行方について迫った時は驚いた。『(日本協会に)任せています。私は関与していません。その話題で興味を持ってもらえればいい』と巧みにかわしていたけど。背番号に関しては、代表監督は一切、決定権がありませんからね(笑)」

サッカー記者であれば、「日本代表の10番はアディタスと個人契約する選手』から選ばれ、かつ、「背番号は出来るだけ変えない」という”暗黙の了解”が存在していることは常識だという。

(中略)

「日本では皆、W杯での10番はアディタスのスパイクを履いていた。特例として02年の日韓共催のW杯でプーマと契約する中山雅史が付けたが、あの時は直前に名波と俊輔がまさかの落選。ただ代表のユニホームの売上げが好調だったので、アディタスも口を挟まなかった。ユニホームだけで50億円ぐらい売れたからね」(前出・専門誌デスク)

アディタスは日本サッカー協会と99年からオフィシャルサプライヤー契約をスタート。当時は年間推定6億円程度だったが、日本の世界ランキングが上昇し、プーマやナイキが新規契約に参戦し始めたことで、15年から8年で推定総額250億円という超大型契約が結ばれた。

当然ながら、アディタスの”威光”と協会の”忖度”による”暗黙の了解”は選手にも浸透していた。

「それが単なる噂ではないと、ファンの間でも常識となったのが、14年11月のことでした。代表13年目のベテラン・遠藤保仁が馴染みの7番で代表復帰した時、『協会とアディダスが決めているから何番でもよかったんですけどね』と話したことがスポーツ紙の記事となり、『やっぱり事実だったのか』ということになった」(前出・スポーツライター)

昨年の5月11日には、朝日新聞でも、こう報じられていた。
《日本の『10』には暗黙の了解がある、と言われている。日本サッカー協会のスポンサーで、日本代表にユニホームを提供しているスポーツ用品メーカー『アディダス』の契約選手が担う、というものだ》
その洗礼の顕著な例として有名なのが本田圭佑の背番号の遍歴だ。

「本田といえば12年のW杯南アフリカ大会で、俊輔からポジションを奪い、背番号『18』を付けて大ブレーク。その後、エースナンバーの『10』を熱望するも、ミズノと契約していることではねつけられた。さらに09年にアディタス側から『代表ユニホームの売れ行きに絡むので、人気選手の背番号は出来るだけ変えないでほしい』と要望があったため、本田が『3』を要望しても、06年と10年のW杯に出場した駒野友一の番号だったために拒否。その結局、『4』に落ち着いたという話は有名です」(前出・スポーツライター)

”新三銃士”の中では、先日プーマと「10年10億円」の大型契約を結んだ、堂安の背番号の行方にも注目が集まる。

「現在『21』だけに、代表を引退した長谷部誠の『17』や宇佐美貴史の『11』も含め、どんな番号を与えられるのか、記者の間でも話題になっていまますよ。」(前出・専門誌デスク)

そういえば、日本代表で『10』番を背負う、マンガ『キャプテン翼』の主人公・大空翼も、ちゃんとアディダス製のスパイクを履いているのだ…。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190508-00010001-friday-spo
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