【音楽】「渋谷系」とは何だったのか? “最後の渋谷系”が当時を語る ★4
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平成の音楽シーンを振り返る上で、避けて通ることのできないのが「渋谷系」。当時、音楽のみならず、ファッション、文学、メディア、テレビ番組まで影響を与えた渋谷系ですが、1990年代から解散と再結成を経て現在も活躍するバンド、サニーデイ・サービスは「最後の渋谷系」と呼ばれていました。そのベーシスト・田中貴さんは「確かにそう」と認めつつも、世間のいう「渋谷系」と自分たちの思う「渋谷系」に乖離があったと語ります。田中さんは、『ケトルVOL.48』でこう語っています。 「世間の渋谷系はオシャレな人たちがやっているオシャレな音楽、というイメージなんですよね。でも僕が思う渋谷系は、レコードを買い漁りながら音楽もやっている人たちのことだった。渋谷系が認知されだした頃には、すでにボーカルの曽我部恵一が長髪にしていたし、音楽性もはっぴいえんどのような邦楽に影響されたものになっていました。だから当時、僕らは『サニーデイって渋谷系だったの? 全然違うじゃん、ダサいじゃん』ってよく言われてましたよ」 そういった認識のズレは、時期的なズレとも密接に絡み合っていたともいいます。世間の渋谷系ブームと、自身が思う渋谷系が盛り上がった時期には、2〜3年のタイムラグがあるのだとか。 「僕らが渋谷系というカルチャーに盛り上がっていたのは、93年前後。当時HMV渋谷店の名物バイヤーだった太田浩さんが、僕らのインディーズ盤『COSMO-SPORTS ep』のPOPに“究極の渋谷系が出てきた!”って書いてくれた時期なんです。でも一般的な渋谷系って、小沢健二くんやピチカート・ファイヴが凄く売れているとき。95〜96年頃をさすイメージです」 世間に渋谷系という言葉が認知される過程で起こった2つのズレが「サニーデイは渋谷系なのか」という論争を生み出したよう。では、サニーデイはなぜ「最後の」渋谷系と呼ばれるのでしょうか。 「僕らより2〜3つ下の世代、例えばNONA REEVESやクラムボンは明確に渋谷系じゃないんです。めっちゃ楽器がうまいし、練習をダサいと思っていないから。僕らの価値観では、音楽に詳しい人が偉くて、演奏は二の次。むしろマッドチェスターの影響で、楽器がうまかったらかっこ悪い、っていうのが渋谷系のスタンスでした。 あと、幅広く音楽を聴いているのが当たり前の世代だからか、彼らには僕らのように音楽を“掘る”という感覚があまりないんです。そういう意味で、僕らが最後の渋谷系と言われるのは正しいんです。ただ、渋谷系がテレビに取り上げられるようになった頃には、自分たちのことを渋谷系なんて言わないようになっていました。実家に帰って親とか兄貴に『お前、渋谷系か』『渋谷によくいるのか』とか言われて。そこまで言葉が浸透したと感じた瞬間に、ああ、終わったんだなって思いました」 https://www.news-postseven.com/archives/20190422_1358418.html ★1が立った日時:2019/04/22(月) 20:27:32.49 前スレ 【音楽】「渋谷系」とは何だったのか? “最後の渋谷系”が当時を語る ★3 http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1555994713/ 何をもって渋谷系なんだよ? 新宿系とか原宿系もあるんか? 渋谷のタワレコとディスクユニオンでチャート入ってるのに、オリコンやらは全く圏外なのが渋谷系のイメージだな。 <渋谷系> ヴィーナス・ペーター 嶺川貴子 カヒミ・カリィ ピチカート・ファイヴ bridge(カジヒデキ フリッパーズ・ギター ラヴ・タンバリンズ ニール&イライザ <はぐれ渋谷系無頼派> ORIGINAL LOVE 田島貴男 <デス渋谷系> 暴力温泉芸者 ボアダムス <重要人物> 信藤三雄(CDジャケットデザイナー) <渋谷系周辺> チボ・マット スチャダラパー コーザ・ノストラ TOKYO No.1 SOUL SET Buffalo Daughter ICE シーガルスクリーミングス capsule 中田ヤスタカ 東京スカパラダイスオーケストラ エルマロ Cymbals スパイラルライフ L⇔R Paris Blue HAL from apollo 69 roboshop mania Fantastic Plastic Machine アドバンテージルーシー スウィンギングポプシクル 初期の<渋谷系>とは1993年ころ渋谷宇田川町のHMVでプッシュされていた音楽 それとは別に後追いで各レコード会社が「渋谷系の後追い」「お洒落っぽい」イメージで売り出したグループも<渋谷系>でくくられることがある ディスクユニオンじゃなかった。アレはもともとマニア系か。 HMVだ ピチーカートの小西は雑誌で渋谷系はフリッパーズを表す言葉でフリッパーズだけの言葉って言ってたよ(´・ω・`) だから渋谷系はフリッパーズで完結してるんだよ(´・ω・`) 荻窪圭というライターがいたな 90年代、Oh!Xの時代だ >>2 新宿は一応椎名林檎が名乗ってた トゥナイト2で三流監督の山本晋也がコキ降ろしてたけど 渋谷系にハマっていた学生たちが軒並み音楽業界に就職し、それから20数年経ったいま、彼らは要職につくようになった (TKやビーイングやサザンやドリカムなんかの支持層の進路は一般職が大半で、こいつらは音楽業界に進んだりはしない) 渋谷系が再注目なんて切り口で発信してるのは、ほとんどが要職という名の権力を持った彼らのプロパガンダ 裏原宿とかそんな感じ? 渡辺満里奈が手を出していた類いの 渋谷系だとチーマーか渋カジ思い出す >>7 解釈は人それぞれだが、 渋谷系という言葉が生まれたときフリッパーズは既に解散していた 前スレ953 小沢健二が小山田圭吾とDouble KnockOut Corporationとして書いていた曲について、それぞれ個別に作った曲があることを告白した。 【小沢健二単独で作曲】 真夜中のマシンガン、カメラ!カメラ!カメラ!、全ての言葉はさよなら 【小山田圭吾単独で作曲】 Summer Beauty 1990、Haircut 100、Big Bad Bingo、偶然のナイフ・エッジ・カレス 、午前3時のオプ などなど。 聴いたことないような音楽をひたすら漁っていた連中のために、レコード店がこんなんありまっせ?的に独自のレコメンドやってそれがマニアじゃなくて一般にも飛び火した感じ >>5 とりあえず分けた <渋谷系周辺> 東京スカパラダイスオーケストラ スチャダラパー TOKYO No.1 SOUL SET エルマロ シーガルスクリーミングス チボ・マット Buffalo Daughter Fantastic Plastic Machine L⇔R ICE コーザ・ノストラ スパイラルライフ <ネオ渋谷系以後> HAL from apollo 69 roboshop mania Cymbals Paris Blue アドバンテージルーシー スウィンギングポプシクル capsule 中田ヤスタカ 昔はおしゃれだったけど不良に乗っ取られ汚い街になったと聞きました 渋谷クアトロに渡辺満里奈よくきてた 田島はダサっかたけど 渋谷って昔はおしゃれなイメージだったけど、2000年あたりのガングロ山姥ギャルあたりから完全に崩れたね 今はハロウィン騒動で田舎っぺが集まってるのバレたしw 渋谷にライトでポップなイメージを持ってないから全然ピンとこない >>5 絶対にカテゴリに加えてもらえないスパイラル・ライフのことも思い出してください ディープなヤツらとライト層がいて、そいつらが一緒にいてもおかしくないレコード店があったのが当時の渋谷 オシャレなんてのは後付け >>17 思い出した 渡辺満里奈いつもクアトロで見た オザケンやスチャダラの周辺と一緒に誰かのライブを高い席からタダで見てた感 カヒミ・カリィがすげえ小さくて取り巻きからマリちゃんマリちゃんて呼ばれてた >>2 渋谷のCD屋が店員の手書きPOPで独自のおすすめをしてそれが売れていたグループやバンド 全国的に渋谷の店でだけ売れていた事で「渋谷系」と名付けられた サニーデイは中央線系って言われてなかったか 自分は中央線武蔵野テイストだと認識してた でも所詮は渋谷というカッペが多い一角の話で、日本国内の、そのまたローカルなレベルなんだよな 渋谷系がもたらした最大の功績は「フリー・ソウル」の一連のコンピレーションもの 音楽の見聞が一気に広がった >>31 ドラゴンアッシュはAIRの車谷(スパイラルライフ)とつながりがある 【共産シンパのパヨクなミュージシャン/DJ/アイドル】 ・野間易通 [元 花電車] C.R.A.C.=レイシストをしばき隊リーダー ・中川敬, 伊丹英子, 高木克, 奥野真哉 [ソウルフラワーユニオン] ・後藤正文 [ASIAN KUNG-FU GENERATION] ・TOSHI-LOW [BRAHMAN] ・細美武士 [ELLEGARDEN] ・ECD (故人) ・DELI [NITRO MICROPHONE UNDERGROUND] 松戸市議会議員 ・BOSE, ANI, SHINCO [スチャダラパー] ・宇多丸 [RHYMESTER] ・RANKIN TAXI ・サエキけんぞう [元 ハルメンズ, パール兄弟] ・西村茂樹 [LOUD MACHINE] ・植野隆司 [テニスコーツ] ・アクセル長尾 [赤い疑惑] ・リクルマイ [元 DRY&HEAVY] ・須永辰緒(DJ, Organ b.主宰) ・行松陽介(DJ) ・DJ TASAKA ・テンテンコ [元 BiS] ・制服向上委員会 デトロイト・メタル・シティで「ファッ○ンオシャレ音楽」と呼ばれてたイメージ。 でも好き。 今渋谷系ってライブアイドルのことだと思うんだが誰も認めないだろな 山下達郎は言った。 ええとね、私が元祖渋谷系の山下達郎です。 山下の個人事務所スマイルカンパニーは渋谷区にある。 渋谷系のキラキラポップはアニソンとかアイドルとか同人やネット音楽に着地した 元々オタク音楽なんだからこれでいいと思う ラウンドテーブルのちょびっツ シンバルズの人のたまこマーケットのテーマ 田中秀和 ヒャダイン でんぱ組 perfume tofubeats あとフューチャーベースとか名前忘れたけどファミコンぽいやつとか このスレずっと続いてほしいわ ここでしかこんな懐かしい話できないし読めない >>49 ラママは芸人とかV系で その前の渋谷ジャンジャンは フォークの聖地のイメージしかないんだよね。 実際はどうだったんだろう? 前スレの雑誌の話だけどフリッパーズってパチパチに連載持ってなかったっけ 尾崎豊も渋谷系じゃね?w 青学だしスクランブル交差点も歌にしてるしw ネオアコって本来パンクの流れがあって、ポップでアコースティックな中にも トゲがあるっていう音楽だったはずなんだけど、日本に来てなぜか 「キラキラポップ」ってことになってしまった 初めての選挙に行ってきた未成年の素朴な感想が社会問題を見事に物語っている→今後の選挙のあり方を考えさせられる「真摯に思考する姿が眩しい」 http://dfico.lilyspadd.com/45125356796571/5408803 チーマーチーマー言うけど ファッションとしてのチーマーと 半グレの前身の都会の不良とは別だからね。 ファッションとしてのチーマーは 94年くらいからギャルとともに渋谷で目立つようになるけど、 その前はむしろ綺麗系のカジュアルやせいぜいアメカジくらいの感じ。 バンドブームで永井真理子やLINDBERGみたいなバンド系ファッションもあった。 若者の街だけどまだ綺麗でお金持ちな大学生が集う街。 渋谷系の音楽もそんなムードの中で生れた。 と同時に、夜は本物のチーマーがウロウロしてるヤバい街でもあったのが94年辺りまで。 見た目では不良とはわからない。 チーマーの前身にチームという文化があって、 要はバブル期前からあるインカレサークルの流れで おそろいのジャンパーを来て夜の新宿や渋谷で朝まで飲み歩いたりする集団。 チーマーという名称はおそらくこっから来てるんだと思う。 しかし中身は別物よね。 >>55 オザケンの1stアルバムだったか1stソロライブの感想で、小山田が「なんか尾崎豊みたいだった」と屈辱的なコメントを残してたな >>65 尾崎豊ってそんな悪いかな? 別に嫌いじゃない。実際犬キャラは尾崎っぽいと思った >>52 クアトロの存在がデカいな あそこは元々ファッションビルでそのあとCDショップになった記憶あるんだが ムラサキスポーツは別の場所に入ってたかなぁ 忘れた(笑) 尾崎豊が渋谷に高校3年間通い渋谷の中心のスクランブル交差点も歌ってんだから 尾崎豊が渋谷系の本丸だよw >>57 渋谷系は日本のポップスのアレンジやコード進行に刺激を与えた事の方が重要 パンクニューウェーブのアティテュードじたいが日本でリアリティないもんだから 理屈こねても選民意識とか言われて終わる >>18 急激に下品で汚い街になってしまったな。顔黒汚ギャルがブカブカで臭いソックスで ケータイが広まって、底辺マンコが集まって自ら進んで売春するJK・JCが激増した、"援助交際"だっけ 下北系とかいうほんとは出たがりなのに草食系気取りの陰キャの集まり タワーレコードの国内1号店は札幌 宇田川町じゃない 元々は純粋な輸入盤屋 これマメな 俺はHMV、WAVE、タワレコは試聴に行くところで、実際に買ってたのはレコファン、ディスクユニオンだった >>68 クアトロに仲井戸麗市のライブ誘われて 実は名古屋のクアトロだったとかで行けてないんだよなぁ…(友達のミス)。 確かアズカメのロディーフレイムもライブやってて 気づいてから行けば良かったと後悔した思い出。 渋谷系の元ネタの人たちがライブやってたのがクアトロなんだろね。 >>18 あと、今はそれを無能な区長がリベラルという言葉でごまかして無軌道な地域になってしまっている 渋谷の住人は地元を'80年代のニューヨークの裏路地にでもしようとしているのかな >>66 彼らにしてみれば尾崎なんてのは世の中で一番ダサい音楽だった 良いか悪いかって話ならもちろん後者 犬は吠えるがキャラバンは進むは スティーヴィーワンダーやスティーリーダンみたいなサウンドを目指したんじゃないかと言われてる 結果的に尾崎豊みたいになったのかな とりあえず天気読みの元ネタがStevie WonderのTuesday Heartbreakという曲らしい 聴いてるやつらは、承認欲求の塊しかいなかったな ○○聴いてる俺センスいいー、みたいな 漏れなくキモかった >>18 下品なガングロギャルは2000年代前半だよね。 90年代後半は茶髪でも上品なギャルが多かった。 >>77 アズカメが来日したとき宝島?でパーフリと対談やったはずだよね クアトロはニルバナがここでやった スタンディングでやれる外タレの箱がクアトロのイメージ あとレディステディゴーは旧SEED?にあったかなぁ 下北にもあったなぁ アニエスbは新宿伊勢丹にあって渋谷はどこにあったのかは知らないな ベースボールキャップ、帽子流行ってたわ フリッパーズギターは 最初ネオアコで2ndがジャズと打ち込みで 3rdがシューゲイザー、マンチェスターとアルバム毎にサウンドを変えていたから オザケンの犬は吠えるが〜はスティービワンダーのサウンドを目指したのかと。 でも歌唱力が足りなかった。 >>79 小沢にとってはそこまで蔑視の対象でもないと思うけど スプリングスティーンの翻訳音楽だし 悩めるボンボンの文学風味洋楽系ポップってことでは似たようなところは多い オザケンが丸井提供の番組でスティービーの二枚組紹介してた記憶がある >>65 オザケンの歌詞は悪くないよ ひねくれ小山田には すべての言葉はさよならのような世界観は書けない。 オザケンは歌詞に力を入れてたから サウンドはパクりでも良かったんじゃないかな。 実際ヘッド博士とか犬は吠えるがとかLIFE聞いてると 曲よりも詞の方が記憶に残っている。 昔雑誌キューティでのスチャダラのインタビューで「キューティに出てる女。なんでこんなにブサイクしかいないんだ。」ってシンコだったかな?が言ってて、おおっこんなの載せちゃうんだ、スゴーと思った記憶 うろ覚えで少し違ってるかもしれんが タワーレコード渋谷スーパーストアのオープニング告知のCMソングはZARD 90年台後半、小西康陽と坂井泉水が謎の遭遇! https://youtu.be/qAscGakJbcY 今だと20代のシンリズムくんの音楽とか渋谷系な感じがする 小沢健二の歌詞でこれが好き やがて僕らが過ごした時間や 呼びかわしあった名前など いつか遠くへ飛び去る 星屑の中のランデブ- もし君がそばに居た 眠れない日々がまた来るのなら? 弾ける心のブル-ス 一人ずっと考えてる シ-・セッド“ア・ア・ア アイム レディ-・フォ-・ザ・ブル-" 山下達郎がヘッド博士の世界塔を批判してた。 『こんなことやって尖ってるつもりなのか』って言ってた >>99 達郎があそこら辺のセンスを理解できるとも思えんがなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる