【野球】広島 ランス 打率最下位の本塁打王はなぜ翌年チームを去ったのか?200試合 .207 .58本 133打点 1盗塁
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1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。
時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。
ジョンソンと仲良く来日
1986年オフ、広島の“ミスター赤ヘル”山本浩二が現役引退。70年代に始まる黄金時代を長く支え続けたというだけでなく、
そのラストイヤーですら126試合に出場して27本塁打を放った主砲の引退で、チームに巨大な穴が開くことは誰の目にも明らかだった。
その穴を埋めるべく、3年ぶりに広島が獲得した外国人選手がランディ・ジョンソンとリック・ランセロッティだ。
ただ、後者は本名が長いため、入団後すぐに登録名がランスに。ここでは、このランスを中心に紹介していくが、この2人、共通点が多いだけでなく、日本でのキャリアも似ていた。
もともと年齢も同じで、ともに大のビール好き。
人ともジャイアンツのAAA級フェニックスから入団し、中米スカウトのフィーバー平山による発案で、日本の野球に慣れるべく来日前にミニキャンプを張って、
73年から約4年、ロッテでプレーしていたラフィーバーから日本の野球についてのレクチャーを受けてから来日した。
広島のマンションも隣で、遠征では同部屋。いつも一緒で、当然、仲も良い。
ランスはゲンを担ぐタイプで、ヒゲを剃ったり、伸ばしたりしていて、結果的にはヒゲのイメージが定着したが、ジョンソンもヒゲをたくわえていて、ヒゲ面まで一緒。そして、ほぼ同時期に退団していった。
ただ、ジョンソンは内野手で右打者、そしてヒットメーカー型だったのに対して、外野手で左打者のランスは典型的なプルヒッターで、長距離砲だった。
棒立ちともいえる構えからの強烈なアッパースイングは代名詞ともいえるが、オープン戦では開幕4試合で打率.500。
徐々に安定感は崩れていったが、シーズンが開幕すると、その本領を発揮する。
4月14日の中日戦(ナゴヤ)で初本塁打を放つと、その中日3連戦と巨人との3連戦(後楽園)の初戦となった17日まで4試合で5本塁打。
18日こそ本塁打はなかったものの、19日には苦手と思われた左腕の角三男からも本塁打を放った。
ほとんどの打球が右方向へ飛んでいくため、28日から30日の阪神3連戦(甲子園)では内野陣が右方向に偏って対応する“ランス・シフト”も。
6月9日の大洋戦(広島市民)から16日のヤクルト戦(神宮)まで6試合連続8本塁打もあった。
最終的にはリーグ最多の114三振も、3年連続の三冠王を狙う阪神のバース、旋風を巻き起こしたヤクルトのホーナーらを抑えて、39本塁打で本塁打王に輝いている。
わずか88安打で本塁打王に
だが、特筆すべき記録は39本塁打でも、114三振でもないだろう。シーズン470打席に立って、わずか88安打。単打と本塁打は、ともに39本と同数だ。
三振か本塁打か、という打者は少なくないが、確率は良くないが当たれば本塁打というのが、ここまで極端な打者は珍しい。
なお、三塁や二塁、遊撃と守備位置が固定されないながら規定打席未満で打率.319と安定感を維持したジョンソンの一方で、ランスの打率.218は規定打席に到達した中でリーグ最下位だった。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190414-00000009-baseballo-base
4/14(日) 16:01配信
https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0312/users/0/8/6/8/hi14xxxsg-img640x480-1513920220pbhud717112.jpg
https://static-mercari-jp-imgtr2.akamaized.net/photos/m24294825855_1.jpg
http://carp-koilog.com/wp-content/uploads/2017/01/lance07.png
https://www.youtube.com/watch?v=1vY8AZ6Vic0
1987年 スポーツニュース 広島のランスはどう?
https://www.youtube.com/watch?v=6KYcw0yICJg
1988年 ランス ホームラン
https://www.youtube.com/watch?v=i6_s2gDp4Vo
[広島東洋カープ]#45ランス・#00アレン 応援歌
http://npb.jp/bis/players/21223864.html
成績 ランスよりも、4打席連続ホームラン記録・背中にセミがとまってたアレン派です >>31
イチローだけメジャーでの後期を参考に考えてないか?
イチロー、日本でのキャリアハイは.342 25HR 49盗塁だぞ
ちなみに本塁打数は小久保に次いでの2位 大方下位打線に置かれてたから打てた分もあるだろうな カープの最後の大型トレードは高橋白武⇔ロッテ高沢水上だっけ 試合出場が成立した衣笠の守備固めなイメージしか無かったジョンソン フライボール革命が来るのが遅すぎた
ランスは早すぎた >>2
フライボール革命を考えると
阿南とやらが… >>13
日本キャリアハイの比較
ランス
1987年 403打数88安打 打率.218 本塁打39本 83打点 長打率.536 114三振 64四死球 0盗塁 67得点
イチロー
1995年 524打数179安打 打率.342 本塁打25本 80打点 長打率.544 52三振 86四死球 49盗塁 104得点
さすがに較べちゃ失礼。 >>104
首位打者・打点王・盗塁王の変則三冠王の時か 2割2分だと肌感覚だと全く打ってない感じ
巨人にバーフィールドっていたけどすぐ首になったな >>44
そう
翌年夏の阪神戦で正田がホームラン打ったのをラジオの途中経過で聞いて「ついに打ったか!」と叫んだのを覚えている ファミスタ87では新ストライクゾーンの影響で更に打球が飛ばないんだよ 2年しかいなかったと思えん程記憶に残る選手だなあ
今何やってるかものせてほしかった マイク・ラガ アップショー バーフィールド ミューレン
低打率でも印象に残ってる愛すべき一発屋的外国人が多かったな平成初期は ランランランスがホームラン オレ小2の時からカープファン .204 23本でクビになったセギノールがNPB復帰後に.305 44本になった例もあるから
もう少し長い目で見てやれば良かったのにな >>119
ディアーは阪神退団後メジャーに復帰したんだが、
50打数30三振という驚異的な記録をつくってるw 昔、広島カープの選手を新横浜駅で見た時、俺はB級グルメ2連敗のテキ屋軍団が東京に攻めてきたのかと思った。
新幹線の扉が開くと、まず先導という形でチンピラ風貌の新入り長野久義が野生のカピパラ三匹を連れて降りてくる。
続いてガンを飛ばしながら若手筆頭といった感じの會澤翼が降り、荒川区出身の虚カス鈴木誠也がこれに続いて出て来る。
次にスラム街の殺し屋ラッパーバティスタに、前科39犯ドット218の幹部ランスが続き顔面凶器という雰囲気の中ア翔太が相次いで降りてきた。
最後に鋭い眼光を飛ばしながら新井貴浩に先導されてthe組長という感じの黒田博樹と金本知憲が金の装飾を施された衣笠祥雄の亡骸が入った桐の柩を担いで降り立った時、俺はもう巨人は終わったと思った。 当時の広島とか近鉄、南海は謎の外人連れてくる。
安値でこき使い1年で首。
中日が意外と当たりの外人を連れてくる。
伝統的に、ヤクルトと中日は外人が当たりで阪神と巨人はそれほどでもない。
大洋と広島は当たり外れが大きいイメージ。
当時、大洋にポンセというスーパーマリオみたいな外人がいたな。 阿南の判断は別におかしくない
監督やコーチにしたら確実性のない打者や状況判断のない打者はたまったもんじゃないから
ランナー2塁に置いて進塁打とかの方を好む >>112-113
門田みたいにホームラン狙いでもそこそこの打率を残してないとフライボール革命とは言えんだろ 落合バースの
三冠王対決で盛り上がったが
二人とも全盛期すぎたから
タイトル取れんかった ランランランスがホームラン
俺小2の頃からカープファン
シェイクシェイクシェイクそりゃそうじゃねえ
夢のショーウィンドウも見ずに >>13
ぶっちぎり残塁王のイチローはいらない
ランナーを進められない >>101
オフには広島大医学部の実験室に
出入りしてたよな 三振してベンチに戻る時バットを地面に引きずりながら帰っててワロタ記憶 87年は確かに歴史的な年だった。
ランスが打率最下位でホームラン王にも驚いたが、正田がホームラン0で首位打者を取ったのも驚いた。 >>53
>>45
オリックスのラオウが似ているから ヘルメットが黒く汚れていた
ジャンプ放送局でもそのネタがあった >>41
その数字なら真面目にやってればクビになる成績ではないな。
>「アッパースイングを直す気がなかったら使えん」という阿南準郎監督とバトルが勃発する。
監督にも問題がありそう。 外角に投げときゃ打ち取れるのに
たまに内角投げて打たれちゃう投手結構いたな >>149
近鉄だと仰木、中西はブライアントのアッパースイングに手を付ける事無く、89年の結果に直結させた。 あまりにもチームバッティングゼロ過ぎて
本塁打王にもかかわらず広島は解雇を検討してたw 阿南時代の広島はとにかく人気がなかったわな
広島といえば未だにあの頃のイメージだわ >>152
まあ、最初の2年は3割前後打ってたし
仰木・中西でなくても、直させんだろうな
いや、野茂を追い出すことになったクサなら直させただろうかw 燃えプロにも3番だかで出てて、外人の癖に全然打てないのでムカついた
あんなに打てない外人他にいなかった
Vコビよりひどかった覚えがある >>96
王じゃね?
そもそもフライボールレボリューションは、プライドが高く、才能で打つメジャー打者が打ち方変えられないってだけの話で、理論的に優れてるワケじゃないからな >>131
ナショナルチームの監督ならともかく
興行ありきのプロスポーツの監督としてはどうかな >>13
イチローは一発狙いモードに切り替えられる
一方ランスは・・ >>158
ブライアントは89年に187三振してるのに、打率は.283。
中西はアッパースイングだと低めは打てるやろって事で放置。 ラブホでセックスしてて
角xランスの対戦になったら
彼氏の腰が止まったってエピソードが好き >>16
桑田の外角低めのほぼボールになりそうなカーブを
無理矢理引っ張ってHRにしてたのは別の意味で凄かったな ヤクルトもホームラン王とったパリッシュそのままクビにしてたな >>130大洋は外国人はいつも当たってたやん
シピン→ミヤーン→ローマン、アドゥチ→ポンセ→パチョレック→マイヤー→レイノルズ→シーツ >>130 当時の広島とか近鉄、南海は謎の外人
確かに南海はクラレンス・ジョーンズ〜バナザードの間は酷かった印象がある。王天上とかw
近鉄も謎外人が多かったが(クラレンス・ジョーンズを連れてきたのは南海、マニエルはヤクルトし、ブライアントは中日)
マネーとデュランは良かったぞ。ただ、球場とかが酷いので、すぐ帰ってしまっただけ。
あと、リチャード・デービス(当人は大麻事件で帰国したがw)以降の打者は当たり続き。
オグリビー、リベラ、トレーバー、タフィ・ローズ、フィル・クラーク。
広島は近鉄や南海ほどハズレはいなかっただろ?
それに山本浩二と衣笠がいたから、それほど外人の大砲が必要なかった。 1987年は88安打で83打点
1988年は50安打で50打点
阿南準郎監督に憎悪されてたけど意外と
勝負強かったんじゃないか? 燃えろ!プロ野球ではデータの都合で打球は高く上がるけどフェンスまで伸びないから 、やたら滞空時間の長いフライばかりだった >>95
それメジャーの時のイメージ
守備ぬいてもどう考えてもイチロー ランス本人は中距離砲のつもりだったのに、山本浩二が引退したからその代わりとして球団は長距離砲として期待して獲得して、とにかくホームランを狙うように指示されてたと数年前の広島ローカル番組で本人がインタビューに答えてた記憶がある >>130
ポンセは最近YouTuberデビューしたよ 80年代のカープのチーム編成は特異だった
1982年に4位に低迷するとライトルとガードナーを
解雇し水谷実雄を放出して加藤秀司を獲得
新外国人としてアイルランドとフィルキンスを獲得
1983年は加藤が期待はずれでアイルランドは下位
で結果を出したもののフィルキンスは活躍出来ず
しかしチームは2位に浮上
1984年は加藤とフィルキンスを切りアイルランドの
出場機会も激減
しかしチームは日本一
そして1985年・1986年は外国人なしで2位・優勝
山本浩二の引退でようやくランスとジョンソン獲得 >>184
元広島の外野手で、日系アメリカ人。
現役引退後にスカウト転進。
安仁屋さん引っ張ってきたのは彼がアメリカ人だったから。
今でこそ、安定のシュールストロムやマクレーンのほかに
ドミニカアカデミーも安定してきている。 >>34
ロードンはドラえもん
噛み煙草はホプキンスかライトル >>193
今年獲得したやつが、グリーンウェル越えそうだわ、阪神 大昔、甲子園の同じ試合でランスとバースのホームランを見た。
ランスのホームランは一直線のライナーでライトポールをまいて入っていった。
一方、バースの方は深いセンターフライかなーと思ったら、スピンがかかって、
センターへどんどん伸びていった。 ホーナーはメジャーでもスター選手だったんだよな
全盛期の超一流打者が日本でプレイした >>197
当時はメジャーリーガーの給料がそこまで高く
なかった上にプラザ合意で円高だったから >>97
ミス(三振)か、会心の一撃(ホームラン)かwww デシンセイとランスは覚えてるわ
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