国士舘と言えば、柔道――。

それはもはや、学校としてのアイデンティティーになっている。
系列の中学、高校、大学を通じて男子柔道部は全国屈指の名門。
国士舘高出身の主なOBに斉藤仁、鈴木桂治、石井慧らの金メダリストがいる。

■菊池雄星を超える逸材がまさか。横浜・及川雅貴に異変が起きていた

柔道・剣道の武道が強いイメージがある国士舘高だが、今春は野球部も10年ぶりにセンバツに出場した。
昨秋の東京都大会では、圧倒的不利の下馬評を覆(くつがえ)して優勝候補の東海大菅生を破って優勝。久々の甲子園出場に周囲の期待は高まった。

ところが、朗報に沸くチームに暗い影を落としたのは、皮肉にも「柔道」が絡んでいた。
1月12日、国士舘高の伝統行事である「武道大会」の日に、主砲とエースが骨折の痛手を負ってしまったのだ。

武道大会が始まる直前の寒稽古で、1年生(当時)ながら4番打者を務める黒澤孟朗(たろう)が大外刈りを仕掛けるも不発に終わり、返す刀で技を掛けられた。
投げられまいと踏ん張ったとき、黒澤は左足首が変な形でねじれたことを感じた。

最初はショックで、『終わったな……』と思いました」

救急車で運ばれた黒澤の姿を目の前で見て、山崎晟弥(せいや)は「気をつけよう」と気を引き締めた。
山崎は秋の公式戦8試合に投げ、防御率0.77と安定した投球を見せたリリーフエースである。
先発右腕の白須仁久(しらす・のりひさ)とともに、チームの浮沈を握る大黒柱だ。

ところが、武道大会で山崎が相手の襟をつかみ、引っ張ろうとしたとき、右手の薬指が襟に引っかかってしまった。その瞬間、山崎は「ポキッ」という音を聞いたという。

「相手に投げられたとかではなくて、ただ引っ張っただけなんですけど……」

山崎の薬指には、らせん状に3本の亀裂が走っていた。ギプスで固定して治療すれば、十分にセンバツには間に合う軽傷だった。
症状が深刻だったのは黒澤である。左足首の脱臼骨折、靭帯損傷。センバツは絶望的と見られた。

黒澤という選手は、独特な感性を持った打者である。まず、フォームからして変わっている。身長167センチ、体重70キロの小さな体をさらに縮ませるようにヒザを深く折り曲げ、
右足を左足のすぐ横に寄せて剣道の「蹲踞(そんきょ)」のような体勢を作ってから強く前に踏み込んでいく。

「中学2年の時に、森友哉さん(西武)のように身長がなくても飛ばせるようになりたいと思って、重心を低くするところから始めました」

チームメイトが黒澤の打撃論を聞こうとしても、核心部分に触れようとすると途端に教えてくれなくなるという。
黒澤は「バッティングの話はしますけど、『これだけは……』という自分だけのものがあるので」と言う。
さわりの部分だけを聞かせてもらうと、やはり独特な感性の持ち主ということが伝わってきた。

「バットの軌道のイメージは、陸上競技場のトラックみたいな感じなんです。カーブで振り出して、直線部分のどこかでボールをとらえて、長くバットに吸いつかせて飛ばすような形です」

体は小さくても、一本芯の通った職人気質。それが黒澤という打者なのだ。

当初は重傷に絶望した黒澤だが、すぐに気持ちを切り替えて治療に励むことにした。
「固定してしまうと筋肉が固まって、可動域を広げるのに時間がかかるから」と、ギプスをつけずに回復を待った。本来なら推奨されない治療法だが、黒澤はこの方法にわずかな望みを賭けた。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190328-00010006-sportiva-base
3/28(木) 8:11配信