劇画や漫画の作者がどんな思想を持たうと自由であるが、啓蒙家や教育者や図式的風刺家になつたら、
その時点でもうおしまひである。
かつて颯爽たる「鉄腕アトム」を想像した手塚治虫も、「火の鳥」では日教組の御用漫画家になり果て、
「宇宙虫」ですばらしいニヒリズムを見せた水木しげるも「ガロ」の「こどもの国」や「武蔵」連作では
見るもむざんな政治主義に堕してゐる。
一体、今の若者は、図式化されたかういふ浅墓な政治主義の劇画・漫画を喜ぶのであらうか。
「もーれつア太郎」のスラップスティックスを喜ぶ精神と、それは相反するではないか。
ヤングベ平連の高校生と話したとき、「もーれつア太郎」の話になつて、その少年が、
「あれは本当に心から笑へますね」と大人びた口調で言つた言葉が、いつまでも耳を離れない。
大人はたとへ「ア太郎」を愛読してゐてもかうまで含羞のない素直な賛辞を呈することはできぬだらう。
赤塚不二夫は世にも幸福な作者である。

三島由紀夫「劇画における若者論」より