もう少し前の世代だと、横浜銀蠅とかになるのかな?
その世代だと、まだリアルな暴力の匂いは強く残っていたと思う。校内暴力なんて言葉も生まれた。

が、尾崎の時代には「不良」もメディアの中のひとつのステロタイプとして、消費される対象になっていた。
たとえば紡木たくの漫画のようにね。

だから表現されてる暴力や悪行も、現実の行為の反映というより、
抗いがたい現実の前で謳われる、憧憬のイメージとでもいう「薄さ」があり、弱々しい。

そんなところも同世代でも惹かれる人、嫌悪する人が別れる由縁なのかな?
他者への暴力を実現せずに、オーバードーズという自傷で尾崎が死んだのは、らしいといえばらしいと思う。