日本サッカー史上で眩い輝きを放つ司令塔、中村俊輔が23年目を迎えたプロ人生で集大成を誓っている。
昨秋には「引退」の二文字が脳裏をかすめたと打ち明けた稀代のレフティーは、このオフにジュビロ磐田との契約を更新。

日本代表時代からの象徴でもある「10番」を背負い、6月にはJ1最年長の41歳になる2019シーズン。
完全燃焼を目指す決意を固めた軌跡をたどると、畏敬の念を込めて「師匠」と呼ぶレジェンドの引退がターニングポイントになっていた。(ノンフィクションライター 藤江直人)

● 現役続行を決意させた 「師匠」GK川口能活の引退

迎えた10月下旬に、またもや肉離れで戦線離脱を強いられる。恐らくはこの時期に、悲鳴を上げる体に呼応するかのように心も揺らぎ、折れかけてしまったはずだ。

しかし、引退との間で何度も揺れ動いた針は、最終的には現役続行を指した状態で止まっている。復活を期す俊輔の熱き思いは、ごく短いメッセージに凝縮されていた。12月4日の静岡新聞朝刊。
ある特集ページの一番下に、俊輔のこんな言葉がひっそりと綴られていた。

「僕はもうちょっとだけ頑張ります」

1ページを大々的に使った特集は『届け!静岡からヨシカツコール。夢と感動をありがとう』と題されていた。
J3のSC相模原でプレーした昨シーズンを最後に、四半世紀に及んだ現役生活にピリオドを打ったレジェンド、元日本代表GK川口能活をねぎらうものだった。

静岡県富士市出身の川口へ、同県内を中心に100を超える団体や個人から寄せられた、思いの丈が込められたメッセージが紙面を埋め尽くした。
そのなかに、川口の古巣でもあるジュビロに加入して2年目を終えようとしていた俊輔のそれも含まれていた。

もうちょっとだけ頑張るとは、イコール、現役を続ける意思を3つ年上で、俊輔が親しみの尊敬の念を込めて「師匠」と呼ぶ川口へ、紙面を介して届けたことになる。
川口の引退が電撃的に発表されたのが11月4日。ちょうど俊輔の心が揺れ動いていた時期だ。

「そこで(川口)能活さんのニュースがパッと入ってきて、逆に自問自答できるチャンスが生まれたというか。
自分は能活さんみたいにもがいたのかなと思うと、もうちょっとやりたいというか、やらなきゃいけない、もうちょっと完全燃焼してから、と」

心の片隅でくすぶっている残り火に気づかせてくれた川口との出会いは、神奈川県の強豪・桐光学園から横浜マリノス(当時)へ俊輔が加入した1997年にまでさかのぼる。
静岡県の名門・清水商業からマリノスの一員になって4年目の川口は、不動の守護神として君臨していた。

「1年目の時に同じ個人トレーナーの元へ誘ってくれたのも能活さんだったし、紫色のフェアレディZで送り迎えもしてくれて……いや、スカイラインだったかな。
とにかく、すごく緊張したのを今でも鮮明に覚えている。能活さんがいなかったら、今の僕も多分いないと思う」

写真
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20190214-00193896-diamond-000-view.jpg

2/14(木) 6:01配信 ダイヤモンドオンライン 一部抜粋
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190214-00193896-diamond-soci&;p=1