【織田哲郎 あれからこれから】一過性ではない普遍的なメロディー 今も作ってはやめての繰り返し
2019.1.20

 今年デビュー40周年を迎えた作曲家、織田哲郎(60)。屈指のヒットメーカーが山あり谷ありの半生などをつづるコラムスタートに先駆けての直撃インタビュー。
後編はメロディーメーカーとしての生みの苦しみや、ロックバンドへの思いを熱く語った。

 プロとしての矜持。それが普遍的なメロディーだ。「おどるポンポコリン」も「負けないで」もいまだに誰からも愛されている。
「それは自分の中で、一過性ではない、普遍的なメロディーを作っているからだと自負しています」

 そんなメロディーメーカーのルーツはどこにあるのか。

 「人生で最初に買ったアルバムはサイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』。延々聴いていたな。あれが最初のアルバムでよかったと思うほどです」

 とはいえ、自身のアルバムとなると「後から聴くと後悔ばかり」と明かす。「今も作ってはやめての繰り返し。いつアルバムができるんだと思いますよね」と産みの苦しみも口にする。

 実は2007年にリリースしたアルバム「One Night」は、セルフカバーアルバムを除くと、前作から14年もかかっている。

 「後悔しないものを作ろうと思ってね。それだけに誇りに思えるものを作ったぞという自負はある。でも、そこまでやると今度は新鮮味はなくなるよね。そんなペースで作ってたら、次作まで俺は生きてるのかって」

 現在はソロ活動と並行して、ダイアモンド☆ユカイらと組んだバンド「ROLL−B DINOSAUR」でも活動している。なぜロックバンドなのか。

 「ロックンロールがやりたくてね。自分では歌わずに、ギタリストをやりたいと思ったの」

 なので、ボーカリストが必要だった。ボーカリストに求める条件は、「ショーマンとしてステージの真ん中を任せられる人」であり、「ボーカリストとして納得できる人」だった。

 それは「ユカイ君しか思いつかなかった」という。ただこうも明かす。

 「若いころの俺とユカイ君ならすぐに解散だったな。バンドって面白さもあるけど、面倒くささもある。昔はその面倒くささに耐えられない人間だったの。今はそれに耐えられる。いや、本当に大人になりましたよ」

 つらい時期もあった。仕事に追われて音楽をやめようと思ったこともあった。スペインで暴漢に首を絞められたことで声を失いかけたことも。それでも音楽への衝動はなくならなかった。

 「今は一番いいものを作ることができている。音楽を作るって、衝動とスキルの兼ね合い。後は楽しさと仕事の兼ね合い。今はそのバランスがちょうどいいんだよ」

 ■織田哲郎(おだ・てつろう) シンガーソングライター、作曲家、プロデューサー。1958年3月11日生まれ。東京都出身。79年のデビュー当初からCMやアーティストの音楽制作に携わる。
TUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」で作曲家として注目される。主な代表曲は「おどるポンポコリン」(B.B.クィーンズ)、「負けないで」(ZARD)、「夢見る少女じゃいられない」(相川七瀬)など。
自らも「いつまでも変わらぬ愛を」がミリオンセラーとなる。

(以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)


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