1/15(火) 11:30配信 AERA dot. マキタスポーツ「前髪を分厚く垂らした男には要注意だ」〈AERA〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190111-00000067-sasahi-life&;p=1
画像
https://amd.c.yimg.jp/amd/20190111-00000067-sasahi-000-3-view.jpg


 お笑い芸人のマキタスポーツさんによる「AERA」の連載「おぢ産おぢ消」。俳優やミュージシャンなどマルチな才能を発揮するマキタスポーツさんが、“おじさん視点”で世の中の物事を語ります。
*  *  *
「見掛け」に関して、少し分類してみる。

「人は見掛けによらない」……誤解されているだけの人が救い取れないからそう言ってあげている、いわば“下に合わせた”言葉。

「人は見掛けが全て」……見掛けだけで判断されるのがキツイので、自分からは言わないようにしている言葉。

「見た目通り」……裏切りがなく、一抹の寂しさを感じる言葉。見た目通りの人を見ると「あーそうですか」とばかりに、あろう事か少しがっかりする。

「見掛け倒し」……自分が勝手に見掛けておいて、勝手に裏切られた気分になっている。また、人は概(おおむ)ね、見掛け倒しに遭わないように日々警戒感を持って生きるほどの覚悟を持って暮らさない。

 これらの言葉の中で最も平凡な言葉が「人は見掛けによらない」だと思う。己の見誤りを許す保身もあり、用心深さを悟られないような巧妙さもある。志がなく、無責任で、主語不明な言葉だ。

「人は見掛けが全て」とまでは言わない。でも、出ている表層から判断出来るものは多い。また人は「内面を見てほしい」という時、大概言葉でそれを伝えようとする。無理がある。内面を言葉で伝えることができる人がどれだけいるだろうか? 言っているうちに、ウットリしだしたり、嘘をつくのが面白くなったりしてきて、おおよそ信用出来ない。そんなに内面のことを正確に捉えるほど、向き合う時間はないのが普通の生活人だ。

 例えば、着ている服、清潔感はあるか、ボタンはどこまで留めているか、どんな場所に住んでいて、どんな仕事をしていて、出身はどこで、SNSはどの程度使っているか、新聞は買っているかいないか。これらの要素があれば人のことは大概分かる。もちろん、個別に解像度を上げていけば、違いは見えるだろう。その他不確定要素があることは承知の上。

 で、その表層のなかでよく判断されるのが「髪形」である。これで人間を見られることは殊のほか多い。多いし、それで自分の属性を示すこともある。

近ごろ、若者のツーブロック率の高さが気になる。また、毛先を遊ばせ、前髪を分厚く垂らし目元まで掛かるほどの奴も多く見かける。ツーブロックでパチッと髪形をキメてる奴にネット系の若手社長などが多い。この者らは皆肉食系だ。ただ、見た目と中身にさして違いはないので判別しやすいのが良い点。問題は「前髪垂らし男」である。もともとは内省的なことを表現するアーティストなどが「世界との距離」を取るために、まるでカーテンを閉めるように前髪を垂らしていたことに端を発する。ナイーブで、ナルシスティックな思想性を表していたものが、その上っ面だけを擬態する奴らが出てきた。「繊細」はモテるためのデフォルト。中身は肉食な奴がウワモノだけ化けて漁をしている。その点においては表層だけに引っ張られて、中身を見落としてほしくない。下手なマジシャンのミスディレクションは見抜いてほしい。

 髪形で「属性」を判断されたり、逆手にとってコントロールしたりする奴らが憎い。私は全てこの毛量だけで判断される。

 たまに「マキタさんって見掛けよりオシャレですね」と言われる。だから私は「人は見掛けによらない」が嫌いなのだ。

※AERA 2019年1月14日号