【サッカー】<セルジオ越後>「他国も初戦で苦戦したというのは言い訳」…チーム全体の“準備不足”も指摘
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日本代表は9日、AFCアジアカップUAE2019の初戦でトルクメニスタン代表と対戦し、3−2で逆転勝利を挙げた。2大会ぶり5度目の優勝を目指す日本は26分にカウンターから先制点を許してしまう。それでも後半に大迫勇也が2得点、そして堂安律が決勝ゴールを決め、苦しみながらも勝ち点3を獲得した。
サッカー解説者のセルジオ越後氏は「あまりにも出来が悪かった」と初戦を振り返った。
「他国も初戦で苦戦したから『日本も苦戦した』というのは言い訳に過ぎない。後半に3点取れたのは相手の足が止まったから。前半に比べて最終ラインが低くなって、球際も来なくなった。だから足元、足元のサッカーでも3点を取ることができた」
「ただ、初戦がこういう試合になったのは逆に良かったのかもしれない。ここまでの親善試合は4勝1分け無敗。自信過剰になっていたのでは? 南野や堂安も期待されていたプレーとは程遠かったと思う」
また冨安健洋のボランチで起用について、アジアカップ初戦を迎えるにあたっての「準備は失敗」と指摘する。
「初戦からいきなりセンターバックの冨安がボランチで出場したということは、チーム全体としてコンディションの持って行き方が万全ではなかったということ。現地に入ってからのケガ人、体調不良は“緊急事態”だよ。初戦を迎える上での準備がうまくいったとは言えないね」
「次は中3日でオマーン戦。層の厚さが求められる大会だけに、このままのコンディションだと苦しい。決勝トーナメントに入ればもっと厳しい戦いになる。まずはチーム全体のコンディションをどこまで戻せるかが大事になってくると思う」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190109-00889900-soccerk-socc 調子乗ってたんだろ
まあこれで反省したならええやろ ブラジル人というだけでご意見番になれるサッカー界じゃ
いつまで経っても世界に追いつかないぞ 【セルジオ越後さん】
1964-1965…コリンチャンス(11試合0得点)
1967-1968…トレスポンターノ(ミナスジェライス州2部)
1971 …ブラガンチーノ(サンパウロ州2部)
1971 …パウリスタ(サンパウロ州1部)
1972-1974…藤和不動産サッカー部(40試合6得点)
コリンチャンスで活躍できず1年で戦力外。
州2部のクラブへ移籍するも1年で退団。
もちろんブラジル代表候補ではなく、五輪代表の出場記録もない。
その後、ブラガンチーノ/パウリスタに在籍するが1年で辞め日本へ。
指導員資格を取っていなかったため当時問題になり、
賀川浩氏に泣きつき「さわやかサッカー教室」の特別指導員となる。
指導力のないセルジオは子供たちにリフティングを見せるだけ。
教え子50万人以上という数字(自称)は、
資格を持ち全国を回って20年指導していたトム・バイヤー氏の数字。
引退後に解説者の仕事を始めるが
S級・A級どころか、コーチライセンス自体持っておらず
監督経験もコーチ経験もなし。
いつもその時々に目についた選手を批判するだけの「ネタ解説員」。
2017年、日本のために顕著な功績を挙げた人物に送られる「旭日双光章」を
なぜか政府から受け、以降日本を褒める事はほとんどなくなった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています