松方弘樹(享年74)が脳リンパ腫でこの世を去ってからまもなく2年。
そんな折、彼の息子が意外な職業に就いている、との話が聞こえてきた。
たしか昔、俳優デビューしたはずではなかったか……。

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「仁義なき戦い」に「遠山の金さん」、「勝海舟」。挙げればきりがないほどの代表作を持つ松方が亡くなったのは昨年1月。
彼の息子に触れる前に、民放の芸能デスクの話で子どもたちについて整理しておく。

「松方さんには6人の子どもがいます。最初の妻で元モデルの夏子とのあいだに長女と次女、長男。
2番目の妻、仁科亜季子とのあいだには次男と三女です。
さらに、愛人関係だった千葉マリアとのあいだに三男。最期を看取った元女優の山本万里子とは未入籍で、子どもはいません」

酒を愛し、女性に愛された昭和の名優の血を継ぐ長男は、目黒大樹(だいじゅ)(45)。芸能デスクが続ける。

「17歳のときに松方が製作、主演した映画『首領(ドン)になった男』で俳優デビューしました。その当時、松方はすでに仁科と結婚していましたが、とにかく松方と似ていたので注目されました。
しかしそのあとは『極道の妻たち』に出たりしたものの、俳優としてはパッとしませんでした
2003年、松方が監督を務めた『OKITE やくざの詩(うた)』への出演以降は消息が途絶え、なにをしているのかと思っていたんですよね」

そんな彼はいま、ホームレス支援のNPO法人で働いている。神奈川県下にあるその法人の幹部に名を連ねているのだ。こんな転身は滅多にあるものではない。

いったい、どんな経緯をたどったのか。

職を転々とした末に

「実は、松方弘樹さんが内々に世話をしたんです」

と、松方家の事情を知る男性が明かす。

「9年ほど前のことです。“大樹は芸能界で挫折して、なにをしても三日坊主。面倒を見てくれないか”と、NPO法人の理事長に頼んだのだそうです。
理事長の娘さんと、大樹さんのお姉さんが学校で仲がよく、親同士も親しかったんです」

NPOは生活困窮者支援のため、15年前に立ち上げられた。いまは年金受給者向けの寮の運営がメインだ。

「大樹さんは、俳優のあとはタクシー運転手やイカ釣り漁船に乗ったりしていたといいます。2、3年すると辞めて職を転々とする生活。でも、NPOに入ってもうじき10年。副理事長にまで出世したんですよ」

奮起の理由を、目黒大樹ご本人から聞きたかったが、NPO法人を通じて、

「いまはもうふつうの暮らしをしているので……」

と語るのみ。ならば、と事情通男性はこう推測する。

「大御所だというのに、松方さんは時々、お忍びで施設を訪れていたらしいんです。いつまでも息子を心配する姿に大樹さんも心を入れ換えたのでしょう。
いまでは自ら企画して、恵まれない子どものための無料の食堂と、刑務所出所者の支援事業を手がけています。特に、出所者のための住居と就職の支援で全国を飛び回っていると聞きました」

そういえば、松方の代表作には「脱獄広島殺人囚」などの「刑務所シリーズ」もあった。銀幕の若かりし父親に、ヒントを得たのかもしれない。

「週刊新潮」2018年12月20日号 掲載

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181225-00553655-shincho-ent
12/25(火) 5:56配信

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