新垣結衣と松田龍平がダブル主演を務める連続テレビドラマ『獣になれない私たち』(日本テレビ系)の最終回が12日に放送され、
平均視聴率は前回から1.2ポイント増の8.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)だったことがわかった。
全話の平均視聴率は8.7%で、今期のプライムタイムに放送された連続ドラマのなかでは、下から数えたほうが早い順位となりそうだ。
『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)の脚本家(野木亜紀子)と主演(新垣結衣)が再びタッグを組むとあって、放送前は今期のトップ争いに絡むのではないかと期待されたが、結果は大惨敗に終わった。

このドラマは、ECサイト制作会社に勤める深海晶(新垣)と、会計士の根元恒星(松田)を中心に、「獣になれない」人たちを描く物語。
晶と恒星の「ラブかもしれないストーリー」とも銘打っている。だが、実際には話があちこちに飛びまくって何を描きたいのかわかりにくい印象を与えており、
それでいてストーリーはあまり進まず、モヤモヤ感やイライラをかき立てる台詞や展開も多いため、視聴者の支持はあまり得られてこなかった。

「獣になれない人たちを描くのであって、カタルシスを得るためのドラマじゃないんだから、モヤモヤする展開が続くのは当たり前じゃないか」と擁護する声も一部にはある。
それは、ある程度真実だ。「獣になれない人」とは、言いたいことをはっきり言えない人、感情のままに生きられない人、周囲に気を遣ってばかりいる人、
などを指していると思われるが、こういう性格の人の日常を第三者視点で見ればイライラするであろうことはわかり切っている。

とはいえ、それをそのままリアルに映像で表現すれば、ひたすら視聴者をイラつかせることが目的のドラマになってしまう。
『獣になれない私たち』がやったのは、ほとんどこれだったと言って過言ではない。
ダメな人ぞろいの登場人物たちは、いつまでたってもダメなままで、少し成長の兆しが見えたかと思えば、また逆戻り。
リアルといえばリアルだが、そんなものを見せられて楽しいと思うのは、ごく少数派である。

それでも最終回は、晶がとうとう社長の九十九剣児(山内圭哉)にビシッと苦言を呈して退職届を出したり、粉飾決算に加担していた恒星が、自分も罪になることを覚悟でそれを暴露したりと、
獣になれなかった人たちが、最後の最後に意を決して「獣」になった様子を描いた。
パワハラに耐えかねて、あっという間に無職に逆戻りした長門朱里(黒木華)も、居場所を見つけてイキイキと働き始め、
世間の空気に縛られていた橘呉羽(菊地凛子)はマスコミの前で猫をかぶるのをやめて自分の本音をさらけ出した。

「獣」になること=人間的に成長した、といえるのかどうかはともかく、それぞれが殻を破って一歩前に踏み出したという結末である。
落としどころとして妥当だし、ダメな人たちを物語の中心に据えた以上、「そんな人たちも少しは成長しました」という結末しかあり得なかったともいえる。

ただ、これが全10回の連続ドラマでやることだったのか、という疑問は大いに残る。最終回の展開についても、「これ、3話あたりでやる内容だろう」
「むしろ連ドラじゃなくて単発の2時間ドラマで十分な内容だった」「1〜9話不要」との声が視聴者から上がっている。
特に晶については、10話を費やして最後に見せる小さな成長が「会社を退職すること」というのは、あまりにもショボい。
逆に、なぜ最終回ではすんなり退職届を出したのに、今までは耐えていたのかがよくわからない。

晶と恒星の「ラブかもしれないストーリー」も、よくわからない結末だった。
晶は自分から恒星の部屋に来て抱かれたクセして、後になってから恒星が悪いみたいなことをビアバーでグチグチと言い立て、めんどくさい女ぶりを発揮。
かと思ったら、どこでどう折り合いがついたのわからないが、別の日になったら「一緒に飲みたいよ」と恒星を誘う。どういう精神構造をしているのか、さっぱりわからない。

2人は、なぜかクラフトビールの醸造所を訪ねる。ビールを飲みながら「人生はビールみたいに熟成されて苦くなくなる」とかいう“寒い”会話を繰り広げてから近くの教会に行き、
16時に鳴るという鐘の音を2人で手をつないで待った――という場面でエンド。

http://dailynewsonline.jp/article/1610695/
2018.12.14 19:10 ビジネスジャーナル