【野球】白仁天、ウィンタース、レアード… 100発超え9人と長距離砲輩出の日ハム助っ人
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東映時代を支えた白、80年代はソレイタ&クルーズの最強コンビも
すでに1200人になろうとしているNPBの外国人選手。球史に残る選手も数多く出ている。今回は日本ハムとその前身球団で活躍した外国人選手について振り返ろう。
日本ハムには外国籍や二重国籍でありながら、ドラフト指名で入団し、外国人枠ではなかった選手がいる。
陽岱鋼は台湾国籍だが、日本の高校を経てドラフトで入団。また、日本とオーストラリアの二重国籍で球歴もMLBがNPBに先行しているマイケル中村(MICHAEL)は絶対的クローザーとして活躍し、
日本ハムで102セーブを挙げたが、こちらは入団テストを受けドラフト指名されての入団で、外国人枠ではないため、ランキングからは外した。
1962年に来日した白仁天は日本の植民地だった朝鮮半島で生まれた。
当時の野球協約では、出生時日本国籍があれば外国人選手ではなかったため日本人扱いになったが、韓国籍なので、今の野球協約なら外国人扱いになる。
白のプロ入りは1965年のドラフト会議の開始以前でもあり、ここでは外国人選手扱いとした。
○日本ハムとその前身球団の外国人選手、安打数10傑。()は実働期間。
1白仁天 1183安打(1962-1974)ほか太平洋256安打、ロッテ348安打、近鉄44安打
2クルーズ 863安打(1980-1985)
3ウインタース 612安打(1990-1994)
4ブリューワ 575安打(1986-1990)
5ラドラ 561安打(1958-1964)
6セギノール 536安打(2004-2007)ほかオリックス64安打、楽天124安打
7ソレイタ 479安打(1980-1983)
7レアード 479安打(2015-2018)
9オバンドー 458安打(1999-2005)
10ミッチェル 429安打(1976-1979)
○本塁打数(100本塁打以上)
1ウインタース 160本(1990-1994)
2ソレイタ 155本(1980-1983)
3レアード 131本(2015-2018)
4白仁天 130本(1962-1974)ほか太平洋33本、ロッテ42本、近鉄4本
5セギノール 122本(2004-2007)ほかオリックス23本、楽天27本
6クルーズ 120本(1980-1985)
7ウィルソン 113本(1997-2001)ほか近鉄6本
7ミッチェル 113本(1976-1979)
9オバンドー 102本(1999-2005)
○勝利数10傑
1グロス 55勝(1994-1998)
2ミラバル 39勝(2000-2005)
3ウルフ 35勝(2010-2013)ほかソフトバンク4勝、西武17勝
4ケッペル 28勝(2010-2013)
5メンドーサ 27勝(2014-2017)ほか阪神0勝
6スウィーニー 23勝(2007-2009)
7グリン 16勝(2007-2008)ほか楽天7勝、横浜(現DeNA)3勝
7西田亨 16勝(1958-1959)ほか巨人4勝、大毎10勝、国鉄1勝
7シールバック 10勝(2002-2003)
7マルティネス 10勝(2018)
○セーブ数10傑
1ミラバル 37セーブ(2000-2005)
2マーティン 22セーブ(2016-2017)
3シュールストロム 15セーブ(1998-1999)ほか広島11セーブ
4トンキン 12セーブ(2018)
5クロッタ 6セーブ(2014-2015)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181211-00264417-fullcount-base
12/11(火) 13:57配信
https://im10-a.mbokimg.dena.ne.jp/0/7/504/464350504.3.jpg
http://bunshun.ismcdn.jp/mwimgs/1/2/-/img_129274d43868f83fc02ea642a9727604278964.jpg ヤクルトはもうダメだ、新潟に移転するしかないorz 本塁打王が7人 投手ではグロスが最多勝
日本ハムは終戦直後の1946年、セネタースとして創立され、東急グループの球団として、東急、急映、東映と名称を変更。
その後日拓を経て1974年から日本ハムファイターズとなり、2004年から北海道日本ハムファイターズになった。
最初の外国人選手は1957年、ハワイの日系二世のスタンレー橋本と、キューバの日系二世のホセ中村の二人だ。
韓国農業銀行の強打の捕手として知られた白仁天は、捕手から外野にコンバートされ、張本勲、大杉勝男と中軸を組んだ。
その後太平洋、ロッテ、近鉄を経て創設1年目のKBO(韓国プロ野球)にプレーイングマネージャーとして参加し、いきなり4割を打った。
日本ハムの外国人選手はホームランバッターが多い。通算100本塁打以上が9人もいる。1位のマット・ウィンタースは在籍した5年で4回30本塁打以上。2位のトニー・ソレイタは4年すべてで30本以上。1
981年には44本で本塁打王になっている。米領サモア出身のソレイタは「サモアの怪人」と呼ばれた。
現役のブランドン・レアードはメキシコ系。2016年に39本で本塁打王になった。
そのほか、ウィルソン(1997年、1998年)、アブレイユ(2013年)、セギノール(2004年)ミッチェル(1978年)が本塁打王になっている。
投手では、エースとして活躍したキップ・グロス。1995、96年と2年連続で最多勝を獲得している。
カルロス・ミラバルはCPBL(台湾プロ野球)を経て、2000年に日本ハムへ。
当初は救援投手として2年で37セーブを挙げたが、のちに先発に転向し、2003年には16勝を挙げている。
最近はマーティン、トンキンと救援投手の活躍が目立っているが、MLBに復帰するなど長続きしていない。
来季も新外国人が入団する日本ハムだが、どんな成績を残すだろうか。
http://art59.photozou.jp/pub/624/1749624/photo/106965979_624.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=6gxRyqpmKVA
ウィンタース
https://www.youtube.com/watch?v=R619hKSWkOo
オバンドー カメラ直撃ホームラン【中継カメラ破壊】 セギノールってボラギノールのCMオファーがあったのに断った DTクローマーは今いたら童貞いじりがひどかったろう 言っちゃなんだけど面白外人が少ない。
阪急のスレみたいな盛り上がりはなさそう。 ノーネックウィリアムスも結構活躍してたけど
在籍期間が短かったせいでランク入りしてないんだな。 印象に残る大砲はヤクルトが多いイメージ
ホーナー、ハウエル、ペタジーニ、ラミレス、ホージー、バレンティン等 日ハムって昔は結構マニアックな助っ人多かったよね(´・ω・`) オレンジ色のユニフォームを見るとウィニーを食べたくなる 張本、白仁天、大杉なんかが並んでるベンチは怖かっただろうなw ウィンタースのホームランは綺麗だった スカッとするホームランで好きだったな グロスはめちゃくちゃ投球テンポが早い
外国人は早い人が多いけど、本当に早かったな 81球くらいで完封とかあったな >>44
間違えたwしかも登録名も間違ってた。
オーテンジオで「大天上」だ。 >>38
日本ハムになって東映時代の怖い連中は全員放出されたんだな。 >>46
三原脩が日ハムの球団社長になった際に東映時代の強面メンバーはトレードで一掃された。
張本(巨人へ)、大杉(ヤクルトへ)、大下軍曹(広島へ)白(太平洋クラブへ)など
これらは実は水原茂が東映監督だった時に入団したり主力だった選手という意味合いもあった ウインタースはどうしてもブライアント、デストラーデの影に隠れてしまう >>45
それも間違えw
王を超えるようにと
王天上 ウインタースはよく
試合前のチアダンスにヅラ被って参加してたよな
ロッテのディアズと一緒に >>38
あのカネやんの弟さんでさえ「恐ろしいチームだった」と回顧してるからなぁ 白仁天 張本 大杉なら
広島に殴り込んでも大丈夫そう >>21
シュール君(エリック・シュールストロム)か でも先日の外国人助っ人ランキングには誰一人入っていないという
ウインタースや故ソレイタ辺りは入れて欲しかったがな
日ハム狂の旧友の顔が悔しがる顔が目に浮かぶようだった >>46-47
一応みんな一年間は日ハムのユニフォームを着てる
んだけどね
日ハム一年目は勝率4割にも届かない最下位独走
シーズンが終わると大杉勝男、大下剛史、白仁天の
放出に踏み切った
そして二年目終了後に張本勲も放出され日ハム打線
は小粒化ここに極まれりになる
そして元記事に話を戻すと外国人選手に完全に依存
したしょうもない打線に成り下がった 強烈なウインタースシフトの中思いっきり流し打ちを敢行したら当たり損ねにもかかわらず
二塁打になったことあったな 日ハムの主砲はクルーズ(1980〜85)、ブリューワ(86〜90)、
ウィンタース(90〜94)と途切れることなく当たり外人が続いた
のにチームは1984年((前年オフにソレイタ解雇))から長期
低迷スパイラルにハマった
(88年はブリューワ出場なしだがイースラーが埋めた) >>54
江本も入団したのは東映だったがベンチの恐ろしさに馴染めなかった
そこから南海へトレードされての活躍はご存知の通り >>1
ネットでちょっと調べたら誰でも書ける記事で原稿料貰っていいのか? 冬でもないのにウインタース
痔でもないのにセギノール
豪華客船でもないのにクルーズ
夜でもないのにオバンドー ハムはS級外人はいないけど、A級外人をコンスタントに連れてくるイメージ >>66
江本孟紀が入団した時に同じ高地商業の先輩の
高橋善正から「お前は生意気だそうだが土橋コーチ
だけには絶対逆らうなよ」と言われたとか江本が「なんでですか?」
と聞いたら高橋善正が「土橋さんに逆らって数メートルぐらい
ぶっ飛ばされたのが何人もいた」とか江本も土橋コーチから
「お前は人より遅れて入団したんだから」と試合前にも走り込み
投げ込みをメチャクチャやらされてそれで試合で投げてたとか
だから試合の時はフラフラで投げるどころの騒ぎでは無かったとか
だけどその猛練習のお蔭で次の年の南海でのブレークに繋がったと
本人も言ってたな江本いわく「ノムさんばかり再生させたと言われるが
東映時代の土橋さんのシゴキのおかげで開花出来た」と言ってたな
ちなみに江本いわく張本勲も土橋正幸には一目置いてたとか
何にしてもチーム全体がそんな雰囲気だから江本も面食らったのかも知れんね >>21
シューとウインタースが打ちまくって
大沢親分復帰一年目に快進撃を続けたね。
後のビッグバン打線に繋がるかのような後半失速で
優勝を逃すことになるわけだがw >>42
西崎がノーノーやった前日か後かに1安打完封した時じゃないかな。
相手の西武は二日で1本しかヒットを打てなかったというw 外人の質なら近鉄がよかった。
打者ばっかだけど
マニエル189本
デービス117本
ブライアント259本1186三振
クラーク93本116二塁打
ローズ通算464本
投手だとマットソンの球遅かったな ブライアントに関してはドラゴンズからのギフトだけどなw >>6
高齢で2年しかいなかったので積み上げ系は不利
>>50
Ortenzioだからカタカナ表記するとオーテンジオだな
イタリア系でイタリア語だとオルテンツィオ
>>77
まあ郭(帰化前)とゲーリーがいたからな
二軍で低打率の三振かホームランをわざわざこの2人を差し置いて
一軍で使うことはあり得なかったろ(当時は1軍外国人2人) >>38
八名信夫がフライヤーズ引退時に親会社の東映の社長から俳優転向誘われて
「長嶋や王に打たれるより高倉健に撃たれろ」って言われた話好き >>47
水原監督って慶応出身でしかも「盟主」巨人OB、紳士然とした感じだったのによくこの極道軍団をまとめてたもんだね 伊東勤が、ソレイタが打席に入った時によくアドバイスしてくれたって言ってたな。
「イトーサン、もうちょっとこうしたら打てるよー」って。 未確認投手生物ことウイング
実際に存在を確認したやつっておるんか >>38
うちの実家の近所に白仁天と大杉が住んでた。
大杉は小学校の行事とかにも来て壇上に上がってだけど、
普通に優しそうなおじさんという感じだったな。 >>81
俺の中で記憶に残る活躍したのは先発でダメダメだったけど中継ぎで日本一に貢献したけど残れなかった「暴走機関車」トーマス。
あとその年のビール掛けで新庄のボディーガードとして端々で映ってたマシーアス。 >>89
くそノーコンで、好投と炎上の差が激しいギャンブル投手だったけど、
当時チームに数少なかったリリーフ左腕で、
連投タフネスと肩が早く出来ることから重宝されてた。
見た目の数字以上には働いてたね。 >>88
そいつただの詐欺師で選手ちゃうやん・・・ 大沢親分って豪快な性格の割には榎本などの大砲を干してこじんまりとした打線が好き >>93
西崎幸広のストーカーに西崎の家を教えた件で
確信したけど大沢啓二って人間性にかなりの難
があるわ
親分キャラで売ってたけどとんでもない >>70
ホームラン王と打点王を獲得して日ハムを優勝に
導いたソレイタはS級だろ
この年は打率も3割をマークしてるし
在籍6年で最高打率.348通算打率.310のクルーズ
も素晴らしい >>71
近藤貞雄のせいでチームが腐りきってた1992年に
監督を引き受けたのが災難だったが辛抱強く若手
を使って育てたよ
未完の大器だった中島輝士を主砲にしたし
(翌年以降大沢啓二が腐らせた) >>99
ブリトーって伊藤ハムの製品だったんだよねw >>73
あの年は本当にスゴかった
8月の東京ドームのライオンズ3連戦でとんでもない数の客が入ったのには心から驚いたよ
最後は一歩及ばなかったが、本当にいいシーズンだったな ウインタースとランスがMLBストの時マーリンズの代替選手で
オープン戦に出てた、解決したので用無しになった ルーツが惚れこんだ大下。あの傍若無人なほどの好戦的なキャラは、荒くれ者だらけの東映で
育まれたもの?生来の気質? 初代ファミスタの頃の外国人は愛着あるね
ぱとな
ぶりゅわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています