【黄門かわら版】大子が生んだ気骨の野球人

 茨城県出身の野球人は筋の通った熱血漢が多く、球史の節目を飾ってきた。学生野球の父、飛田穂洲(すいしゅう)、低迷する早稲田野球を救った石井藤吉郎…。プロ野球「西鉄黄金時代」の立役者の一人、豊田泰光は水戸商の先輩、石井のことを慕ったという。

 疎開先の大子町で終戦を迎えた豊田少年は、山村で野球を覚えると夢中になった。水戸商から三原脩率いる西鉄(現西武)に入団。「名将」にかわいがられたこともあり、高校屈指の遊撃手はすぐさま頭角を現して新人王に輝いた。27本塁打、92三振のおまけ付き。ルーキーは「振ってナンボの世界」を自ら示した。

現役引退後は、球界きっての辛口評論家として存在感を見せた。「週刊ベースボール」誌上の「俺が許さん!」は核心をずばり突いて人気コラムに。野球を心底愛し、球界のタブーにも舌鋒(ぜっぽう)鋭く切り込んだため、球界幹部に煙たがられたがお構いなしだった。

 昨今、プロ野球人気は下降し、テレビ視聴率も低迷している。豊田のような威勢のいい「御意見番」は鳴りを潜め、忖度(そんたく)する野球評論家ばかりが目立つ。「日本人の生きがいそのものだったプロ野球を取り戻せとは言いません。でも、取り戻すべく必死の努力を見せんと、プロ野球はジ・エンドになります」。豊田は晩年、警鐘を鳴らした。

 名物コラムは20年間続いた。球界は「水戸っぽ」の歯に衣着せぬ提言を軽んじてこなかったか。(日出間和貴)

https://www.sankei.com/smp/region/news/181127/rgn1811270037-s1.html