今月27日に創業50周年を迎える老舗芸能プロ「サンミュージック」。
あまたの売れっ子を輩出し、絶頂を極めたが、光あれば影あり。
独立、スキャンダル、事件、後継問題などその道のりは日本の芸能界の歴史そのものと言える。

歌謡曲、アイドル歌手全盛期の80年代は松田聖子所属の事務所として時代をリードしたサンミュージック。
「青い珊瑚礁」「チェリーブラッサム」「夏の扉」「白いパラソル」「風立ちぬ」と、1980年からの聖子の快進撃は中高年ならば、記憶に新しいはず。
聖子ちゃんカット、ぶりっ子と、その動向は社会現象のように世間の耳目を集めた。当時を知るベテラン記者が振り返る。

「『赤いスイートピー』をヒットさせた82年、20歳で武道館コンサートを開くなど、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
ただ、武道館ではリハーサルでこんな場面がありました。舞台裏を走る聖子が曲がり角につまずき、ストッキングがちょっと破れて、血がにじんでしまったんです。
慌ててスタッフが駆け寄ると、聖子が怒鳴っている。
当時、事務所のナンバー3の男性スタッフの名前を挙げて『○○を呼べ!』って。
笑顔のステージとは全く違う裏の顔がありました」

売れてナンボの芸能界。それで居丈高になり、横柄な態度をとるようなタレントは少なくない。

「売れたらさらにその意思を尊重し、ある程度のワガママを許すのがサンミュージック流。
創業者の故・相澤秀禎社長は“来る者拒まず、去る者追わず”が信条。
そうした社風も、当時の聖子を増長させてしまったのかもしれません」(前出のベテラン記者)

86年にはアイドル岡田有希子さんの自殺という悲劇もあった。
また、92年には桜田淳子が統一教会に入信し、合同結婚式に参加して大騒ぎにもなった。
やがて歌謡曲の時代が終わると、トレンディードラマなどが流行。
この頃は女優もこなせる酒井法子がドラマ「星の金貨」の大ヒットで売れっ子になり、安達祐実が大ヒットドラマ「家なき子」で続いた。

相澤秀禎氏は社長時代、「タレントは家族」をモットーとし、10代の若いタレントのデビューにあたっては成城の自宅に住み込ませていた。
酒井もそのひとり。元専務で現名誉顧問の福田時雄氏は「なるべく時間をつくって、いろいろ悩みを聞いてあげたりしていた」と一部インタビューで語っている。
だが、酒井は2009年に覚醒剤事件を起こし、逮捕される。(中略)。

事務所の看板で売れっ子のベッキーが不倫疑惑で叩かれ、大騒動になったのは16年1月のことだった。

前出のベテラン記者はこう言う。
「ベッキーは自分の力で状況を打開しようと、自ら動くタイプ。仲の良いマネジャーと営業したりして、事務所は事後報告を認めるような格好でした。
『金スマ』でベッキーが中居君のインタビューに応えたのも自分たちの判断でしたけど、出演前に『金スマ』レギュラー復帰の確約を取らずにやってしまった。
そういうこともあって、完全復活かというとそうでもない。事務所としてはスキャンダルの事後処理が教訓になっています」

それでも、大所帯は倒れない。現在もカンニング竹山、メイプル超合金、小島よしお、ダンディ坂野ら売れっ子がいるし、
社長は相澤氏の長男正久氏が継いで、ジャニーズやバーニングなど大手芸能プロが抱える後継問題もクリア。
最も安定した、安泰の老舗プロとして知られる。一体その秘訣はどこにあるのか。
芸能リポーターの城下尊之氏の見方はこうだ。

「先代から続く社長の人柄といい、一言で言うならば、品があります。そして、タレントもスタッフも使い捨てにしないんです。
近年では、カンニングの竹山さんの相方の中島さんが白血病で療養となったとき、ひとりで頑張るという竹山さんをスタッフ一丸でサポートし、
バックアップしていたのが印象的でした。そう次々とスターが出てくるわけでもないのが芸能界です。
浮き沈みの激しいなか、生き残ってきたのは、良くないときでもみんなでもり立てていこうという姿勢。
そうやって、お笑い、歌、俳優と、サンミュージックに任せておけば、だいたい番組でもイベントでも全部できてしまう体制をつくり上げた。
最大の強みは総合力だと思います」

50周年を迎えるにあたっては、酒井法子が復帰を望んでいるという噂もある。
「タレントは家族」の精神で受け入れたら度量の広さを示すことにもなる。
花も嵐も踏み越えてたどり着いた50周年。これからの50年が楽しみになってきた。

https://netallica.yahoo.co.jp/news/20181120-42910748-a_aaac