【テレビ】松坂を超える「横浜高歴代ナンバー1投手」が起こした奇跡 「消えた天才」で特集
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
高校野球の名門・横浜高で歴代最高の天才投手とも称されながら高校2年時に急死した丹波慎也氏(享年17)についてTBS系「消えた天才」が特集。
横浜高前監督の渡辺元智氏(74)、兄・幹雄氏(44)がVTR出演し、丹波氏が起こした奇跡を語った。
“平成の怪物”松坂大輔(現・中日)を輩出した横浜で渡辺氏が「歴代ナンバー1。
総合的に見て松坂より上」と言い切る投手がいた。
中学時代に全国制覇した丹波氏は、横浜高でも1年の夏からベンチ入り。
新チームでの4試合で2試合をノーヒットノーラン。打撃でも3本塁打とエースで4番の“二刀流”として期待された。
しかし高校2年の秋、練習試合から帰宅後、自宅で寝たまま翌朝目覚めることなく急死した。急性心不全だった。
このショックから渡辺監督は、チームは試合をできる状況ではないと秋の大会出場辞退を考えたという。
しかし葬儀で、丹波氏の母親から「慎也のためにも甲子園に行く夢をかなえてください」と言われ、我に返ったという。
中堅手を投手にコンバートし、苦しみながらも関東大会に勝ち進んだ。そして1回戦の宇都宮南戦では、2点を追う九回裏2死走者なしまで追い込まれた。
ここでチームは「丹波が見ているぞ。丹波の魂を甲子園へ」と結束。奇跡のサヨナラ勝ちで勝ち上がり、甲子園出場を決めた。
丹波氏が起こした奇跡はこれだけではない。丹波氏には4歳上に兄・幹雄氏がいた。
幹雄氏もまた横浜高で投手だったが、肘を壊し、1年の冬に退部。
野球から離れて目標のない日々を送っていた。
丹波氏が亡くなる2週間前、突然弟からキャッチボールをしてくれと頼まれ幹雄氏は相手を務めた。
その時、弟は「まだできるよね。もう一回やればいいのに」と兄に言葉をかけたという。
その時は聞き流したが、弟が直後に急死。プロ入り間違いなしの息子を突然失った両親がふさぎ込む中、
幹雄氏は「プロを目指してもう一回やろう」と決意した。クラブチームに所属し、形見のグローブを手に、弟とともに夢を追った。
迎えた1998年のドラフト会議。ヤクルトから8位指名を受ける。弟が果たせなかった夢をかなえた。
「亡くなる前になんて言葉残してくれたんだと…。でも、もう一回野球やって良かったですね」と幹雄氏。
丹波氏が起こした再びの奇跡は、甲子園春夏連覇を達成した横浜高の後輩・松坂が西武に1位指名された5時間後の出来事だった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181118-00000117-dal-base
11/18(日) 20:32配信 >>152
上地雄輔が伝令でマウンドに行った直後だったな >>151
しかしその出場した大会のインパクトが凄すぎる
いまだに98年の選手権より面白い大会ないし この番組は取り上げる人を天才天才と持ち上げすぎ
○○選手以上の天才とか、演出とはいえやりすぎ 今は医者やってるとか大企業で海外赴任してるとか、結局番組にに出てくるやつはそんなのばっかりだよね 消えた天才と言っても実際大した事ないだろ
大迫だって中学で消えてたら、昔トンデモナイ天才がいた、あのままプロに行ってたら今頃メッシ並の選手になってたとか言われてるぜ そのうち早実の阿部(荒木大輔の2年先輩)とかも扱われるのかな? 紀田 多村 矢野
横山
丹波 幕田 阿部 松井
上地
松坂 小山 後藤 小池
矢野や横山も150超えの投手だったな >>154
そう。法大を経て近鉄・オリックス(球団合併で)から西武でプレー。西武フロントを経て打撃コーチに。
来季は西武に来た時の交換相手だった赤田(オリックス→日ハムを経て引退してコーチで西武復帰)と組む。 田中マーでさえ同じチームの1学年上に本格派右腕の剛球投手がいて
2年時はエースナンバーもらえなかったんだよな
まあ甲子園では実質エース登板で最後も胴上げ投手なったんだけども 最期たしかハイジャンプ大回転海老反り分身魔球を投げてマウンドで仁王立ち絶命してたんだっけか 丹波くんがなくなった後、甲子園で勝利した高島監督のインタビュー覚えている
このチームは今までて一番チームワークがいい
そして、アナが丹波くんの名前を出したあと、監督が泣き出した >>106
味方が弱いということもあるだろ。
メジャーの茂野みたく。 >>173
死んでからのほうが選抜出場、夏も甲子園代表になってるんだが 丹波世代の県大会成績
県春 県夏 県秋
1年 1994年 優勝 優勝 ベスト4
2年 1995年 4回戦 ベスト4 準優勝
3年 1996年 優勝 優勝
丹波がエースに居た時期だけ優勝も準優勝もない 松坂も最上級生時に覚醒して無双だから三年間トータルではそうでもないんだよな
涌井の方が上じゃねえの? >>174
大阪桐蔭も平田や中田がいたときは一回も甲子園で優勝出来なかったけど、その後の10年で何度も優勝した
それと似たようなもんだろ? >>139
バットにかすりもしないんだから木製も金属製も関係ないだろ 地元では扇風機かけて寝て死亡とか、
実は部内ではいじめられっ子とか散々流れてた
当時はこんな美談ではなったな 藤浪の世代なんて年度レベル低くて同学年の対抗ライバルがザコかっただけで
チーム自体は歴代でもそんな強かったわけでもないんだよな この前ボールが頭に当たって死んだ高校生も来年あたりに消えた天才に出ます 松坂、関係ないじゃん。
なんか松坂が悪者みたい。
引退してプロ野球から離れた人間を話のタネに使うなよ。 >>186
本当は近藤健介がいいらしいんだが何せキャッチャー以外の素質が勝ってしまってキャッチャーやれない >>70
その辺の連中が言うのならともかく、渡辺監督が言うんだから
これ以上の説得力はない。普通、このレベルの人は物議を醸しだす
からこの手のことは煙に巻いて言わないのに、言葉にするってことは
余程の何かを丹羽って人はもってたんだろ
君が映像で見た印象って、それが一番あてにならんわw 丹波おぼえてるわ
三年の矢野が予定通りさっさとおりたあと
二年の横山がフォア連発して急に雲行き怪しくなって
その後回とちゅうで一年丹波が出てきて押さえた
すげーPだって見てておもった >>141
剛腕型ではないが、身体全体が柔らかくバネがある、いわゆる
長持ちするタイプ。自己管理ができて、努力家、加えて頭脳明晰、
プロでやっていく総合的な資質をバランスよく兼ね添えている
例えるなら桑田を一回り大きくしたような選手じゃないかな マー君も小学生時代は坂本とバッテリー組んで捕手だったし、松坂も小学6年生までは
レフトだったし、上原も高校二年まではレフトだったから、それぞれその当時の旧友、
例えば坂本が「田中っていたんだけど、今考えるとアイツ投手の方が向いてた。凄い強肩
やった」とか上原の先輩の捕手がレフトに上原っていうのがいて、そいつのバックホームの球が
恐ろしかったとか、松坂っていう凄いバッティングのいいヤツがいたんだけど、いつもキャッチボール
するとき、球がホップしてきた。あんなキャッチボール後にも先にもアイツだけやった・・
とか、証言しても誰もが『ふーん、それで?』って聞き流すんだろうな。結局、現実に起こってないことは
すべて妄想に過ぎないということなんだろうな >>186
小山
キャプテンといえば横浜の小山のイメージ 松坂を逃した帝京哀れ
前田監督は98横浜の春夏連覇を見てさぞ発狂しただろうな たまたま見てたけど上地が泣いてた
宇都宮南に9回裏逆転した県営大宮の試合を撮影してた人がいて映像が残ってるのが凄い
1995年ってまだデジタルカメラが出たばかりの年 >>191
坂本が言ってたがピッチャーキャッチャーはともかく
田中マーの方が断然長打力あって普通じゃ届かない校舎のガラスを何枚も割ってたらしい
ちなみに田中は高校時代、公式戦で5試合連続ホームランの記録している
松坂は特にそうだが打者で行っても相当なもんになっただろうな >>196
田中はバッティングセンスも凄いんだけど、何と言っても
ハンカチとの決勝戦、最後三振のシーンが全国に何千回とメディアで流され、
国民すべての脳裏に、しょぼい引き立て役のバッターとして焼き付かれている
普通の人間なら18歳であれやられたらメンタルボロボロになって、
テレビ見るだけでPTSDになって、野球辞めるわ
田中は逆にそれをバネにいつか見返したるってやってきた
ヤンキースで何年もやっているところを見ても、メンタルもバケモノ級だな >>197
田中が最後三振したなんて野球ファンしか覚えてないからw >>139
あほ
実際に江川と高校生時代に対戦した渡辺監督が
松坂の全力投球したボールより江川の軽く投げたボールの方が速いって言ってるんだよ 急性心不全の原因が知りたい。
過度の練習に要因が・・・とか無ければいいが >>193
小山は松坂のおかげもあるしプロで成功してないからな。
これだけ多くプロ選手だしててキャッチャーがってこと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています