0001砂漠のマスカレード ★
2018/11/18(日) 11:25:37.61ID:CAP_USER9浜松市出身の青嶋文明監督(50)は選手たちの手で3度、宙に舞った。
清水商高2年時に全国制覇し、J1清水エスパルスなどでもプレー。一見華やかな経歴を持つが、指導者として苦労を重ねた末の悲願達成だった。
西部勢としては1977年度の浜名以来、41年ぶりの全国切符。
青嶋監督は「15歳まで育ち、(本田技研で)現役を終えたのも浜松。静岡、清水のようにサッカーが盛んな地域になってほしいという思いでやってきた」と振り返った。
現役引退後の2002年、サッカー部を創設した浜松開誠館中の初代監督に就任。1期生が3年になった04年の全国中学校大会で頂点に立った。
05年に高校のサッカー部をつくって全国を目指したが、中部勢の壁にはね返され続けてきた。県総体を含め、決勝進出は今回が4度目だった。
けがもあり、プロでは大成できなかった青嶋監督。「サッカー選手として未熟だった自分が教えられるのは挫折に対する強さや自制心」。
現役時代を反面教師に、指導者としての信念を貫いてきた。選手に厳しく接するため、自ら模範を示す。
毎朝午前7時前から生徒に付き添い、学校の掃除を手伝う。
「破天荒」。チームに受け継がれるスローガンだ。
「自分が(いろいろな場面で)結構使っている言葉。浜松で、何もないところからつくってきたサッカー部。勝ち目のない挑戦だったから好んで使っていたのでしょう」
■J1清水のOB歓喜
浜松開誠館のOBでJ1清水のMF竹内涼選手(27)、松原后選手(22)がIAIスタジアム日本平に駆けつけ、初優勝の瞬間を見届けた。
今季から清水で主将を務める竹内選手は「自分のことのようにうれしい。中学からの6年間はきつかったが、あのときがあるから今があると思っている」。
試合後には青嶋監督に「初制覇」の文字と指揮官の写真をプリントしたTシャツを贈呈し、感謝の気持ちを伝えた。
松原選手は「高い壁を突破してくれた後輩に感謝したい。(青嶋監督が)自信満々だった自分を打ち砕いてくれたから、プロになれたと思っている」と振り返った。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181118-00000003-at_s-socc
11/18(日) 7:12配信
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