【音楽】ニルヴァーナ、1stリリース時に行われた未公開インタビューが公開に。「林業への就職から逃げ出すためバンドを結成した」
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10/31(水) 18:50 rockinon.com
ニルヴァーナ、1stリリース時に行われた未公開インタビューが公開に。「林業への就職から逃げ出すためバンドを結成した」
1989年に行なわれた、ニルヴァーナのカート・コバーンとクリス・ノヴォセリックの未公開インタビューが公開されたことが明らかになった。
「NME」によると、このインタビューはマンチェスター出身のジャーナリスト兼メンブレインズのフロントマンであるジョン・ロブによるもので、ニルヴァーナが1stアルバム『ブリーチ』のプロモーションとして初の全米ツアーを行なった際にニューヨークで行われたものとのこと。
カートとクリスは20分間のインタビューの中で、まず故郷やルーツについて、そしてそこからの逃避願望について語っている。
(中略)
サブ・ポップと契約して間もなく行われたこのインタビューで、カートは「過去6年はこの音楽スタイルの曲を書いている」と語り、他のバンドへの加入や脱退を経たあとで、自分とクリスが「この2年」はより自分たちの音楽に「真剣に取り組む」ようになったと明かしている。
そして2人とも、ワシントン州アバディーンの主な就職先の一つである林業の仕事に就く未来から逃げ出すためにバンドを結成したことを明かしているとのことだ。
地元の林業という未来を避けるべく「部屋でギターを弾いていたんだ」と話すカートは、もしニルヴァーナを結成していなかったらどうしていたか、とジョン・ロブに訊かれると次のように答えている。
他のバンドで頑張り続けてたと思うよ……結局林業という芸術をわかってないということなんだと思う。
カートとクリスはニルヴァーナを成功させる決意も語っており、もしサブ・ポップと契約していなかったら「たぶん最後の手段として自分たちでリリースしてたんじゃないかな」とも語っている。
またこの当時新たに書いたという楽曲について、カートは「典型的なパンク・ロックのアティテュードで書いた怒りや否定」だと説明し、家を出てからは「怒り」を持つことが難しくなったと語っている。
「逃げてるから、幸せになってきたんじゃないかと思う。時々、ちょっとは怒れるように、自分自身で事を荒だてようとしている自分に気づくことがある」とカートは明かし、さらに次のように続けている。
ほとんどの曲はアバディーンを出てから書いた……アルバム(『ブリーチ』)の曲は全部オリンピアで書いたんだよ……自分が幸せになればなるほど、曲もどんどんポップになっていった。
たぶん恋愛や感情や感覚の矛盾について書いてるんだけど、歌詞は曲を書く時に一番重視していない部分だから、全然こだわってないんだよ。ひとつの曲に2つや3つのテーマを入れることもあるし、その場合タイトルは曲にとってまったく意味をなさないんだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181031-00000016-rorock-musi 「5億円稼いだら辞めると決めていた」カカクコムを創業し、28歳でリタイアした男の今
http://GOEWS.bikaba.tk/nole/s2018110328298922
「25歳で資産運用? 眠たいこと言うなよ」DMM亀山会長から若者へのお金のアドバイス
http://GOEWS.bikaba.tk/nole/v099882398121 >>593
バーンを擁護w
ドール読者をアピールw意味わからんわw
おまえ勝ってに思い込んじゃってるだけだろ
妄想膨らますのもほどほどになw >>586
どっちも聞いたことない笑
でテンションってなんなん? お前らニルバナ語って粋がってるが
なんだかんだ言って一時代築いたバンドであり
シンガーだったんだから死人に鞭打ちなや
ガチで興味なければヘイトもすんな
黙ってろよ
カートは好きだしバンドは良かった良かった
生きててもコートニー相手じゃジャンキーで廃人になっていたろうな
27thのメンバーが限界だったんだから
双極性と解離性じゃあどのみちな短命な一生 ガンズとの諸々は音楽的な事より陰キャのカートがDQN丸出しのアクセルを嫌悪してただけだと思う 珍しく
グランジファッソンw黒歴史www
みたいな駄レスが少ないスレ ガキの頃にニルバーナを聞いて、色々と広がったよなぁ。ニルバーナに出会わなかったら、そもそも音楽に興味を持たなかったかもしれん。
作り物の音楽ではなく、そのまんまむき出しで、計算も打算もなく
勢いのみでやってるんだけど、天性のメロディーラインや歌声が、むちゃくちゃなサウンドを芸術たらしめるというね。
まぁ、凄いわな。かっこよかったわ テーンエイジなんやらの一発屋 BOSSのデイストーションがこいつのせいで高くなった >>600
それガキの頃のカートがRaincoats聴いて感じた感想だろうな
これなら俺でも出来るんじゃね?って
で、出来てるところが凄いんだけどね 日本はプライマルスクリームとかあっちのが人気あったよ
91年は名盤おおいけど、日本でネバマイが話題になったのは少し遅れてる
向こうじゃブレイク中だったけど、ツアー一緒に回った少年ナイフでさえ知らんかったぐらいだからな
ブリーチなんか完全に後追いだし、各雑誌もモノクロワンページでこんなバンドがいるぐらいのもんだった 1991年はガンズとかレニークラヴィッツ、後はロッキンオン推しのストーンローゼズ、ハッピーマンデーズのマッドチェスター
今では忘れられたジーザスジョーンズとかのが紙面を賑わせてたと思った
レッチリとかニルヴァーナ、マイブラ、プライマル、スマパン、パールジャムとかはそれよりマイナー扱いだった記憶
年間アルバムでは流石に上位に食い込んできたが グランジ言っても日本じゃピンとこないけど
日本で言えば小室ブームくらいのムーブメントだった タワレコでニルのネヴァマイとストーンローゼスの1stだか2枚目がやたら場所取ってた グランジとしてはダイナソーjrのBUGが最高だったからね。
その数年後にネバマイだから、BUGに比べたらペラい感じで萎えたな。
汚いファッションしながらも顔とか声がイケメンという、
結局はそういう部分でニワカにも受けるのかーって
グランジとして本末転倒な感じだったよ。 当時は音楽事情に疎かったから日本での扱いはわからんけど
ネルシャツは流行ってたなぁ そのファッションの影響受けた著名アーティストって誰?
キムタク以外で教えて 俺も90年代にはグランジファッションの影響を受けてたけど、そもそも顔が良くないからただの薄汚い格好の盆暗だった Tシャツにニットのカーディガンというカートのスタイルも今までにありそうでないもので相当新しく映った ニルヴァーナも好きだけどニルヴァーナを通じて色んなバンドを知れたのが良かった
シアトルグランジ勢は勿論ピクシーズやスローイングミュージズ、ジュリアナハットフィールド辺りのボストン勢、
スマパンやヴェルーカソルト等のシカゴ勢とか あの時代にカーディガンとかパジャマでステージに上がったのは凄い 演奏はかなり上手かった。イメージだけじゃなくてそれなりに技術の方も追及してるんだなあって思った。1時間しかやらなかったが。 タランティーノはパルプフィクションの売人役をカートにオファーしたとかしないとか >>614
しかも黄緑色のカーディガンなんて日本人だったら絶対着ないヤツ >>613
ジュリアナ、ヴェルーカソルト、ベリーは1stアルバムだけ(ミュージズ抜けた人)好きだ
ジュリアナは可愛い声をわざと低めにして変な歌い方に変えてから聞かなくなった 俺もカートに影響されてカーディガン着たりジャックパーセル履いたりしてるが
カートだからなんでもいいと言うわけではない、あの真っ黒なスニーカーとかはかっこいいと思わんし >>611
カーディガンはおじいちゃんが着るものって感じだったよな
死ぬ前は若者向けのカーディガンは売ってなかった記憶 >>620
ジャックパーセルも昔はそんなに人気なかった
オールスターのハイカットのが人気があった記憶 グランジファションが流行ったのはかなり後で、古着ブームもあったが、裏原ブランド筆頭に業界的に異常に影響されてた
今でもそうかもしれんが、セレクトショップとかでその手の関連扱うから知らぬ間に染まってる輩も多かっただろう
ガールズだけど、Xgirl流行った時なんかソニックユースとかも聞いた事ない奴等ばっかだしな
ラモーンズのオールスターのように、無意識でもファションスタイルが定番化してるのは凄いよな >>603
マイブラも91年だったかな?
今聞いても古臭くなくてすごいなと コンバースもレザー仕様とか爆発的にバリエーションが増える前でパーセルの定番はなぜか日本では白、えんじ色、紺だけでカートの黒のパーセルは無かった。
明治通りのレッドウッドフットウェアに輸入品としてあったのをようやく見つけて買った。黒は入るとすぐに売り切れてしまうようだった。まだ物のバリエーションが少ない時代だった Smells like teen spiritは
10代のションベンみたいな臭い
の意味でFA? >>607
ダイナソーはグランジムーブメントとはちょっと色々ズレてるからな >>609
ちょっと前のイブサンローランがかなりこの辺に寄ってたぞ >>630
ティーンスピリットっていうデオドラント剤があったんだよな 「25歳で資産運用? 眠たいこ`と言うなよ」DMM亀山`会長から若者へのお金のアドバイス
http://vinic.oikcoi.tk/nole/v099882398121 >>628
色々ズレてるよな。BUGの頃はまだグランジなんて呼び方もなかったし
Jはギターソロを弾きたいために曲作ってるだけ、とかいう曖昧なスタンスだったし
BUG聴いた時はびびって、声質は酷いしルックス見たら真の意味でオシャレ度ゼロでイケてないし、
それでも凄いから、これはヘアメタル的なものと全てが真逆だから世界がひっくり返るぞ、と思ったものだ。
ところがネヴァマイ以降のグランジムーブメントは、カートは貴公子扱いだし、
ファッション屋のほうが慌てて動き出すし、
なんか電通みたいなものに大きな商売にされちゃったわ、みたいながっかり感だったな。 制汗剤の商品名をダブルミーニングにして歌詞にするってのは
デッドケネディーズの有名曲にあった。
これを参考にしたんじゃないかと思った。 グランジってシアトル限定だろと思った
マッドチェスターみたいに >>626
カートコバーンの付き合ってた彼女がteen spiritって言う制汗剤を使っててその匂いがカートに移ってKurt smells like teen spiritって落書きされたのが発端 カートの母親はイギリスかぶれで、家でいつも紅茶を飲んでいて
カートはコバーン姓のルーツがアイルランドだと知って嬉しかったって
常にここでないどこかへ行きたい人だったのかなという気がするね
アメリカだとカートみたいなしゅっとしたハンサムは疎まれるから疎外感もあっただろうね >>641
そのお母さんがBostonみたいな産業ロック好きだったんだよな
カートにもその影響が出てSmells〜のリフがMore Than a Feeling+Louie Louieになったとか >>41
遥か昔は高給だったけど、今はめちゃくちゃ薄給
外仕事だから夏は暑くて、冬は凍える
たまに木に挟まって怪我する 俺、ニューヨークのハードロックカフェで展示されたカートのぶっ壊したギターとか写真に収めてきたけど、このスレにいるとすげーカート知識増えておもろい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています