【野球】「代打の切り札」矢野謙次。巨人→日本ハムに移籍後2年は悩んでいた
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今年度で38歳を迎える“松坂世代“の選手たちが次々と引退を発表する中、巨人、日本ハムで活躍した矢野謙次もまた現役生活を終える決断を下した。
2002年のドラフト6位で巨人に入団。並居るスター選手の中でスタメンに名を連ねることもあったが、「代打の切り札」として記憶しているファンは多いだろう。
2015年のシーズン途中からは日本ハムでも勝負強さを発揮し、2018年のシーズンをもってユニフォームを脱ぐことになった。
今回、インタビューの場所として指定されたのは、彼の母校である國學院大学のたまプラーザキャンパス。
その中庭にトレーニングウェア姿で現れた矢野が、現役生活を振り返った。
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──グローブと通常のバット、ノックバットもお持ちですが......。
「さっきまで、母校のグラウンドを借りてひとりで自主トレをしていたんですよ。
これから指導者などの要請があったときにすぐに対応できるよう、準備は万端にしておきたいんです。あと、やっぱり人間は健康第一じゃないですか(笑)」
──この母校のグラウンドは、矢野さんにとってどんな場所ですか?
「僕の野球の原点です。竹田利秋監督(現・野球部総監督)の下で、人間としてだけでなく、プロ野球選手になるためだけでなく、人間としての土台を作っていただきました。
そうして巨人に入団してから間もなく、元1軍コーチの弘田澄男さんから『道具は大切にしろ。お前を守ってくれるのは道具しかない』と言われたことも強く印象に残っています。
この2人から授けられた教訓が、僕の現役生活を支えてくれました」
──矢野さんから見た、巨人という球団の印象は?
「選手間の結束が強くて絆があるチームでした。巨人では、負けたり打てなかったりすると批判をたくさん浴びることになるので、自然と仲間とのつながりが強くなっていくんです」
──巨人では2005年から出場機会が増えましたが、スタメン定着までには至りませんでしたね。
「いつも『もう少し』というところでケガをしてしまうことが多く、2007年あたりから代打起用が多くなりました。もちろん悔しい気持ちはありましたが、生き残るためには不満を言っている暇はない。
そこで最初に取り組んだのは、相手投手の研究です。どのコースに投げることが多いのか、カウントによる配球の傾向などを徹底的に調べました。
フリーバッティングでは、具体的に対戦相手を思い浮かべなから練習していましたね。
例えば中日だったら、まずは先発の吉見(一起)投手、次は中継ぎの浅尾(拓也)投手、最後は抑えの岩瀬(仁紀)投手といったように、バッティングピッチャーの利き腕によって想定する投手を変えていました」
──そういった準備が“ハマった“場面はありますか??
「特に満足感があったのは、武田勝さん(当時日本ハム)と能見篤史投手(阪神)との対戦です。武田さんに関しては、2012年日本シリーズでのことでした」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181029-00010001-sportiva-base
10/29(月) 7:20配信
https://www.youtube.com/watch?v=-sG-vdJ9kh4
07 5/31 巨人・矢野 代打逆転満塁本塁打
https://www.youtube.com/watch?v=e31DHkG9bU8
読売ジャイアンツ 矢野 謙次 応援歌
http://npb.jp/bis/players/51655117.html
成績 ──そのシリーズでは第2戦でも対戦していますね。
試合は1−0で巨人が勝ちましたが、1回に1点を奪ってから巨人は6回まで抑えられました。
「第2戦の後に『絶対にもう1回登板してくる』と思った通り、巨人が3勝(2敗)で迎えた第6戦でも武田勝さんが先発し、僕は6番レフトでスタメン出場しました。
第2戦で巨人のバッターが変化球に翻弄されていたので、僕はストレートにタイミンクを合わせて変化球に対応するスタイルだったんですが、
最初から『変化球を打とう』と準備していたんです。そういう準備をしたのは初めてでしたね。
そして満塁で迎えた第一打席、変化球を狙っていた僕はカウント3−2からのストレートに対応できてレフトフェンス直撃のヒットを打ちました。
結果的に変化球を打ったわけではないので“ハマった“とは違うかもしれませんが、相手にダメージを与えることを考えて充実した準備ができたので、思い出深い場面です」
──能見投手との勝負に関しては?
「翌シーズンに、日にちまでは覚えていませんが、東京ドームの試合で二塁打を打ったときです。
当時、能見さんの150キロ近いストレートと、抜けがいいチェンジアップに巨人はきりきり舞いにされていました。
それを見ていた僕は、『このチェンジアップは、ストレートのタイミングでは打てない』と思い、オフシーズンに能見さんのチェンジアップを打つ練習に取り組んでいたんです。
変化球だけに的を絞るとバッティングフォームを崩してしまうため、基本であるセンター返しの練習も怠らずにやりました。
シーズン開幕後のビジターでの試合で、その練習をする場所がない場合は、宿舎の部屋や駐車場でフォームを確認していましたね。
そこまでしてチェンジアップを打つことにこだわったのは、『スタメン選手たちが打ち悩んでいる時、エースやセットアッパー、クローザーを一打席で打てる選手』になるためです」
──そうして長らく活躍された巨人から、2015年シーズンの途中にトレードで日本ハムへと移籍します。日本ハムの印象はいかがでしたか?
「『巨人とは真逆のチームだな』と思いました。控え選手だった僕を、栗山(英樹)監督やコーチたちは『頼むぞ! 任せたぞ!』と迎えてくれたんです。
野球に取り組む姿勢を若い選手に見せてほしいという意味もあって、ですけどね。
いい意味で実力主義の巨人では、なかなかスタメンになれない“反骨心“で野球をやっていたので、逆に力んでしまうというか......皆さんの期待に応えるためにいろいろ無理をしたというか、移籍して2年くらいは悩んでいました」
──その他に、巨人との違いを感じたところは?
「試合中に、ある選手が送りバントを決めてベンチに戻ってきた際、『なんでバントなんだよ』と言ったときには目玉が飛び出るくらい驚きましたね。
その選手は相手投手との対戦打率がよかったですし、もちろんジョークで首脳陣の方々が咎めることもありませんが、それは巨人とはまったく違う“選手のメンタルコントロール“の方法でした。
また、2軍から1軍に上がったばかりの選手が、ノーヒットに終わった試合後に『明日がある!』と発言したのにも戸惑いました。
でもそれは、日本ハムがある程度長く選手にチャンスを与えてくれる球団なため、次に向けて気持ちを切り替えていたということなのかなと。
巨人なら早い段階で2軍に戻されますが、それが選手たちに緊張感をもたらしてくれるので、どちらが正しいというわけではありません。そういった球団のスタンスの違いを感じる日々でしたね」 ──両リーグの投手、打者の特徴は?
「パ・リーグは速球を中心に勝負するパワー系な投手が多く、打者はそれに負けないようにフルスイングする傾向が強いように感じます。今季の西武はその典型でしたね。
大きい球場が多数を占めることが要因のひとつだと考えていますが、それによって力と力の勝負が生まれやすいんだと思います。
一方、比較的に狭い球場が多いセ・リーグでは、長打を打たれない変化球でかわすタイプの投手の活躍が目立ちます。
打者に関しては、最近、パワフルになった印象はありますが、変化球に対応しやすい反対方向を意識したバッティングを重視した打者が多いように感じます」
──DH制もパ・リーグ特有の制度ですが。
「打撃専門の選手がオーダーに入るわけですから、当然、代打の機会は減ります。
巨人時代では先発投手が早々にノックアウトされた時点で起用されることがありましたが、パ・リーグではそれがない。
僕はけっこう早く慣れましたけど、思い返せば、巨人に移籍してきて出番の対応に戸惑っていた選手が多かったように見えました」
──日本ハムで迎えた現役生活最後のシーズンは、2軍で調整する期間が長くなりました。そこでご覧になったルーキー・清宮幸太郎選手の打撃はいかがでしたか?
「今年のキャンプで初めてみたときに、肘や腕の使い方が柔らかく、軸足に体重が残ったスイングができることに感心しました。
『子供の頃からホームランをたくさん打っているから、体がわかっているんだなぁ』と思いましたね。
巨人の岡本和真もルーキー時代から見ていますけど、1年目の時点で比べると、圧倒的に清宮の方が上です。
でも、そこからの“伸び“はわからない。
岡本が4年目で巨人の四番として活躍するまでに、たくさんの悔しい思いや苦労を乗り越えてきたことが手に取るようにわかります。
清宮も、これから自分自身に厳しく練習をして、球界を代表する打者になれるよう頑張ってほしいです」
――10月14日のCSファーストステージ第2戦では、同じく巨人から移籍した大田泰示選手が矢野さんのユニフォームを着てヒーローインタビューに登場しましたね。
その中では「矢野さんからアドバイスをもらった」とも言っていましたが。
「ユニフォームを着てきたのはびっくりしましたよ。僕はプレゼントしていないので、札幌ドームにあったものを勝手に持っていったんでしょうね(笑)。
アドバイスに関しては細かくは言えませんが......相手の投手はホームランを打たれないようにするために外角のボールが多くなる。
それを泰示もわかっているだろうけど、意識しすぎて外のボール球まで追いかけまわさないように、と伝えました」
──その4日前には矢野さんの引退セレモニーが行なわれました。
今季は矢野さんだけでなく、多くの“松坂世代“の選手がユニフォームを脱ぎましたね。
「みんな38歳ですから、引退を覚悟しながらプレーをしていたと思いまよ。そんな中でも、独立リーグ(栃木ゴールデンブレーブス)で引退を迎えた村田(修一・元巨人)にはいろんな思いがあったでしょうね。
実は、4月に練習が終わった後に、實松(一成・日本ハム)と陣中見舞いに行ったんです。
練習場は廃校になった小学校の校庭でしたけど、彼のユニフォーム姿を見て、家族に活躍する姿を見せるために頑張るんだという気持ちがひしひしと伝わってきました。
そんな村田を含め、松坂大輔や杉内俊哉たちと違って、僕は甲子園に出場した経験がない。
日本代表のチームに選ばれたこともありませんし、大学の野球部は東都リーグの2部で立場はまったく違う。
でも、そんな“松坂世代“の素晴らしい選手たちに刺激をもらえたおかげで、ここまで頑張ることができました」
──最後に、プロ野球選手人生を言葉で表すとしたら。
「『本気』ですかね。今後も野球に携わっていきたいですが、仮に指導者になってもその気持ちを忘れず、選手ファーストの環境を作っていきたいと思います」
https://www.youtube.com/watch?v=z7meAdOkQ2M
日本ハム 矢野謙次 現役最終打席 引退試合 レフト前ヒット この人の出始めた頃にget sportsで特集されたポンコツな感じを忘れない。奥さん含めて面白かったな 代打で凄い打ってたイメージ。日ハム移籍直後も凄かった。でも打率見るとカスみたいな打率だよな >>2
>巨人なら早い段階で2軍に戻されますが、それが選手たちに
>緊張感をもたらしてくれるので、どちらが正しいというわけでは
>ありません。
巨人の若手が萎縮して潰れていくのがこれだよな
岡本和真は高橋由伸が我慢して使い続けたので結果を
出せたが来年は・・・ あんな写真撮られたのに巨人から出たら美談にするアンチ(笑) >>11
由伸が我慢って半分嘘。
開幕から打ちまくって、我慢する余地なんかなかったし30うん打席ノーヒットしたって打率が270以上あったからね。岡本も開幕3連戦こけてたら解らんかったよ >>7
それでバランスを失ってフォームが崩れたって言ってたもんな 五反田のキャバクラで二岡にチン毛燃やされて周囲は大爆笑 >>16
今季はともかくその前のシーズンは我慢してたろ
今のバッティングと違ってまったく打てる雰囲気なかったけど >人間としての土台
二岡モナ事件&パンダ4Pの時も居たんだろ
どんな土台だよw 打てば大声出してるから活躍したイメージだけ残る
10打数1安打の選手が生き残ったカラクリ wikiみたらカスみたいな成績だったわ
なんでこんな有名なんだろうな ブラジルWCで岡田監督が最後の23人目に悩んだのか矢野と香川。 コメント内容見るとコーチとして有能ぽいな
ハムが雇わないなら巨人戻ってくるかな 興行になってるからこのレベルでも大々的に引退試合やってもらって
感動感動で有難いね
ハムファンには受けてるんだろうけどあのお立ち台の決め台詞とか嫌い 最後まで日ハムにはなれずに、帰京するたびに気の置けない巨人のメイトにハム選手の悪口を言ってたよね 巨人→日ハムの矢野って東京本社の契約社員から網走の子会社の正社員になったような感じだったよね いろんな悩みを心機一転断ち切るにはトレードは好機なのに、移籍しても2年も悩んじゃうって
相当メンタル弱かったんだな >>45
ドームに来たときの応援歌が好きだったんだろ 髪の毛あったら大田みたいに染めてイケメンサラサラヘアーにしたかったろうな
巨人であれは許されないからな 巨人時代が不遇だったということにしたい勢力がいて
(インタビュアーもそう誘導する)うざいのなんの ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています