広瀬真徳 球界こぼれ話】個人的に思い出深い選手が今オフ、ユニホームを脱いだ。
ロッテの外野手として10年間活躍した岡田幸文(34)、通称「岡ちゃん」である。

彼との出会いは育成選手から支配下登録された後の2009年夏、ロッテの二軍施設・浦和球場だった。
室内練習場で黙々と打撃マシンを相手にバットを振っていた。
当時は今以上に体の線が細く、打てばゴロばかり。「これじゃダメですね」と本人が苦笑いを浮かべながらバットを振り続けていたことを今でも思い出す。
そんな岡田が翌年から活躍できたのは外でもない、「職人級」と呼ばれる守備力を磨き続けたからである。

中でも顕著だったのが守備位置の徹底研究だった。
岡田は「打てない分、守備だけは絶対にミスしないように」と試合前からバックスクリーン後方の国旗や球団旗の揺らめき具合で風の動きを確認。
その情報に相手打者の打撃傾向や打球速度を加え、守備位置を微妙に変えた。
自分が守る位置から外野フェンスまでの距離を瞬時に把握するため、試合前ノックで何度も歩数を確認。これも日課だった。

「自分がプロで生きるためにはまず守備ですから。他選手と同じことをするだけでは負けてしまうんで」(岡田)

食事の席での口癖はいつもこのひと言だった。こうした努力の積み重ねが球界屈指の守備範囲「エリア66」を生み、岡田の選手生命を支えた。

もう一つ、彼が長年輝けた理由として11歳年上の妻・由美子さん(45)の存在も忘れてはいけない。

夫人は岡田がプロ入りする前から栃木の足利市役所に勤務。
夫が千葉を拠点にするロッテに入団後も地元に残り、仕事、3人の子育て、家事、岡田のサポートという「1人4役」をこなした。

プロ野球選手の妻になったが故に、周囲からは「仕事を辞めてなぜ夫を近くで支えないのか」という心ない声もあったそうだが、由美子さんは雑音を一蹴。
「プロ野球選手という職業は不安定。いつクビになるかわからないので、私が仕事を続けた方がいいんです」と共働きをやめるどころか、あえて苦難の道を選んだ。

岡田自身も妻の思いを十分に理解していた。だからこそ、シーズン中でも週に1度は片道2時間以上をかけて栃木の自宅に帰宅。
妻のいない間に保育園に通う三女の送り迎えをはじめ、洗濯、皿洗い、部屋掃除などの家事を率先してこなした。
不便な単身赴任生活にも弱音を吐かず「好きな野球をやらせてもらっている。それぐらいやるのは当然です」
と前向きな気持ちを持ち続けた。最後まで戦い続けられたのはこの環境も大きかったに違いない。

8日の引退試合では16年10月5日から2年以上続いていた連続無安打を「59打席」に伸ばしプロ野球ワースト記録を更新。
同時に「デビューから2501打席本塁打なし」という珍記録を残して引退した。これもまた“打低守高”の岡ちゃんらしい。

今後はロッテに所属したままBC栃木での指導にあたるが、この10年間のプロ生活は必ず若手やその家族に生きる。
いろいろな意味で球界を盛り上げ、周囲から愛された背番号66。新たな人生に期待したい。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181023-00000040-tospoweb-base
10/23(火) 16:45配信

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