ヘンドリックスとエリック・クラプトンは、度々セッションを行っていたが、ヘンドリックスから見ると、クラプトンのサイド
ギターの技術は芳しくなかったらしい。ヘンドリックスはクラプトンに対し「おまえはギターよりベースを弾いた方がいい」
と面と向かって発言し、クラプトンが怒って帰ってしまうということもあったらしい(レディングの談話)。

クラプトンは、ヘンドリックスと同じような“エレクトリックヘア”(チリチリのアフロヘア)にしたり、東洋風のヒラヒラした
衣装(キモノ)を着用したりしていた時期があり、ヘンドリックスから強い影響を受けていたことが知られている。

ジェフ・ベック・グループが、初のアメリカ公演を行った際(1968年6月)、アンコールにヘンドリックスが登場し、
ベックと共演したことがあるという。ベックは「ステージでジミと一緒に演奏していると、自分が歴史の一ページに立ち会
っているんだというような深い感慨があった」と述べている。

ある時ヘンドリックスがベックに対して「お前のブルースは気持ち悪いから、エレクトロニカやクロスオーバーな音楽を
やったほうがいい」とアドバイスしたという。その影響で現在のベックの演奏スタイルが確立したという説がある。

エリック・クラプトンとジェフ・ベックはヘンドリックスと友人だったとされるが(クラプトンやベックの談話)、
ジミー・ペイジはニュー・ヤードバーズ(後のレッド・ツェッペリン)立ち上げの時期で忙しく、ヘンドリックスのステージを
観る機会が一度もなく、会うことも出来なかったという。

ただし、ペイジがレッド・ツェッペリンのアメリカ公演の合間にニューヨークのクラブへ出向いた際、偶然同じ店に
来ていたヘンドリックスと同じテーブルに着いたことがある。その時のヘンドリックスは完全に酩酊状態で、
まともに話をすることも出来なかった。ヘンドリックスは、あまり酒が強くなかったらしい(ビリー・コックスの談話)。
結局、ペイジが生前のヘンドリックスと会えたのはその時だけだった(ペイジ本人の談話)。

以下略