>>686
大久保の18歳の頃の日記が100日分残されています
その中に西郷の名が出てくるのは4か所
「加治ヤ町方黒木氏、亀山氏、西郷氏杯参被居」
「七ツ時より加治ヤ町嘉兵衛江差越候処、西郷杯被来居相咄」
「加治ヤ町へも差越、黒木氏、里村氏、西郷氏立越候而三所ニ差越候」
「加治ヤ町衆は平田氏、西郷氏、亀山氏、東郷氏、福島氏、上田氏同道、西田町橋ニ而相別れ候」

どの日についても西郷が大久保を訪問したり、大久保が西郷を訪れたりしたというわけではなく
偶然に西郷と出くわしたり、たまたま大久保が出かけて行ったところに西郷が居たりと
二人が積極的に交流していた形跡がまったくありません

原口先生は本当に二人が"少年時代から"家に遊びにいくことが多かったと言ったのでしょうか?
新政府が東京に拠点を移してから西郷が大久保の家によく遊びに来ていて親しくしていたというのは大久保の息子が証言しています
これはけっこう有名な証言で西郷と大久保の間には利害を超えた友情が存在したのだという説の根拠にされています
原口先生はこのことを言っていたのではないでしょうか?