最近、明治維新は誤りであったとの説が流布している。
曰く、「江戸幕府には当時最高の人材がそろっていた。その中で徳川慶喜こそ真に日本の指導者にふさわしい人物とみなされており、
慶喜に任せておけば当時最高の人材を網羅した政府ができたはずだ。それを吉田松陰の弟子たちの長州や西郷隆盛に率いられた薩摩らテロリストがぶち壊した」と。

これは謬論(びゅうろん)である。
この説が理想とする人材網羅政権で何ができようか。そのような政権で、富国強兵、殖産興業、日清日露戦争の勝利以上の成果が見込めたのか。

既成勢力の寄せ集めなど、しがらみだらけで何もできまい。
間違いなく、廃藩置県どころか版籍奉還も不可能だっただろう。

「当時」最高の人材を集めたとて、従来の価値観では立ち行かないときに、何ができようか。

言うなれば、「江戸全肯定、維新全否定」史観は、「江戸全否定、維新全肯定」史観の裏返しにすぎない。
維新から150年もたって公正な歴史評価が可能な時代に、なぜ極端な歴史観を持ち込む必要があるのか。

大久保利通には未来が見えていた。その大久保を支え、泥をかぶったのが西郷だった。
大久保の智謀(ちぼう)と西郷の実行。
この二つが掛け合わされたとき、奇跡が起きた。鳥羽伏見の戦い。
西郷が三倍の敵の猛攻を支え、大久保が錦の御旗を翻したとき、徳川軍は雪崩現象を起こして潰走(かいそう)した。