20日に行われた第100回全国高校野球選手権大会の準決勝で金足農(秋田)が勝ち、秋田県勢としては大正4(1915)年の第1回大会の秋田中(現・秋田)以来103年ぶりの決勝進出となった。だが、その第1回大会はドタバタ開催で、金足農は事実上、初の快挙だ。

 夏の甲子園の前身である「全国中等学校優勝野球大会」の第1回大会が大阪・豊中グラウンドで開催されると告知されたのは大正4年7月1日付の大阪朝日新聞の社告。8月18日の開幕までわずか50日足らずだった。

 今のような地方予選を行えず、ドタバタで代表校が決まった。例えば関東地区は、東京以外の全県の予選参加が不可能だったため、春の東京大会を制していた早実を代表校とした。北海道、信越、北陸は予選が行われずに、最初から出場権がなかった。

 全国大会の開催をいち早く知った秋田中は、県内の横手中(現・横手)と秋田農(現・大曲農)に声を掛け、他の東北各県には教えず、わずか3校で「東北予選」を実施。勝ち上がって東北代表となった。

 こうして10校が出場した全国大会で秋田中が勝ち進んで決勝に進出し、京都二中(現・鳥羽)に敗れて準優勝となったが、強豪だった岩手県など他の東北の野球関係者からは今でもブーイングが聞かれる。


2018.8.20 14:37
https://www.sankei.com/sports/news/180820/spo1808200040-n1.html