近年の甲子園で、大阪桐蔭という学校は別格になった感がある。

 私は最近、少年硬式野球の取材をしているが、大阪のリトルシニアやボーイズ、ヤングの有望な野球少年に「高校はどこへ行きたい?」と聞くと、別の高校の名前をいくつか出すので「大阪桐蔭は?」と聞いたら、「あそこは無理無理」と大きく手を振って全否定したりする。

 大阪桐蔭は全国から選りすぐりの人材が集まる。しかも少数精鋭で部員数は3学年合わせて60数人だから、野球部に入るだけで大変なのだ。

 そして甲子園での応援も別格だ。別に音楽の専門家ではないが、聞こえてくる吹奏楽の音が違う。失礼ながら初出場の高校などと比べると、試合前にアルプススタンドから聞こえる音からして、はっきり差がついていたりする。

 今季、大阪桐蔭は春夏連覇がかかっている。大阪桐蔭は2012年に1度達成しているから2回目となる。これは史上初。

 100回を数える夏の甲子園、90回を数える春の甲子園で「春夏連覇」は7回しかない。育ち盛りの高校生は良くも悪くもどんどん変化していく。どんなに強いチームでも、その強さを1シーズン通して維持するのは至難の業だ。しかもトーナメントは失敗が許されない。

 春夏連覇はよほどの実力差があって、しかも運に恵まれないと難しい。

 7つの春夏連覇の戦績を見ていこう。

<作新学院(栃木)>

1962春2回戦○5−2久賀(山口)
1962春準々△0−0八幡商(滋賀)延長18回引き分け
1962春準々○2−0八幡商(滋賀)
1962春準決勝○3−2松山商(愛媛)延長16回
1962春決勝○1−0日大三(東京)

1962夏1回戦○2−1気仙沼(東北・宮城)延長11回
1962夏2回戦○7−0慶応(神奈川)
1962夏準々○9−2岐阜商(三岐・岐阜)
1962夏準決勝○2−0中京商(愛知)
1962夏決勝○1−0久留米商(福岡)

 戦前は春夏連覇は一度もなし。最初の例は作新学院。大エースの八木沢荘六(のちロッテなど)が春の優勝投手だが、夏前に赤痢にかかったため夏は控え投手の加藤斌(中日)で連覇を果たす。エースが変わって連覇したのはこの一例だけ。

唯一の公立校・箕島には石井毅がいた。
<中京商(愛知)>

1966春1回戦○5−2PL学園(大阪)
1966春2回戦○6−5高鍋(宮崎)
1966春準々○11−2米子東(鳥取)
1966春準決勝○5−4宇部商(山口)延長15回
1966春決勝○1−0土佐(高知)

1966夏1回戦○2−0秋田(西奥羽・秋田)
1966夏2回戦○5−4岡山東商(東中国・岡山)
1966夏準々○4−2桐生(北関東・群馬)
1966夏準決勝○2−1報徳学園(兵庫)
1966夏決勝○3−1松山商(北四国・愛媛)

 エースは加藤英夫(近鉄)。サイドスローの技巧派投手だった。しかしプロでは2勝止まり。

<箕島(和歌山)>

1979春2回戦○10−4下関商(山口)
1979春準々○5−1倉吉北(鳥取)
1979春準決勝○4−3PL学園(大阪)延長10回
1979春決勝○8−7浪商(大阪)

1979夏2回戦○7−3札幌商(南北海道)
1979夏3回戦○4−3星稜(石川)延長18回
1979夏準々○4−1城西(東東京)
1979夏準決勝○3−2横浜商(神奈川)
1979夏決勝○4−3池田(徳島)

 ■唯一の公立高校の春夏連覇。エース石井毅(西武)は、夏3回戦の星稜戦では延長18回を1人で投げぬいた。

<PL学園(大阪)>

1987春1回戦○3−1西日本短大付(福岡)
1987春2回戦○8−0広島商(広島)
1987春準々○3−2帝京(東京)延長11回
1987春準決勝○8−5東海大甲府(山梨)延長14回
1987春決勝○7−1関東一(東京)

1987夏1回戦○7−2中央(群馬)
1987夏2回戦○7−2九州学院(熊本)
1987夏3回戦○4−0高岡商(富山)
1987夏準々○4−1習志野(千葉)
1987夏準決勝○12−5帝京(東東京)
1987夏決勝○5−2常総学院(茨城)

 PLは3年に野村弘樹(横浜)、橋本清(巨人)、立浪和義(中日)、片岡篤史(日ハム、阪神)、2年に宮本慎也(ヤクルト)らを擁し、先輩のKK(桑田真澄、清原和博)もできなかった春夏連覇を果たした。PLの全国制覇はこの年が最後。

続きはソースで
http://number.bunshun.jp/articles/-/831617